①中身の正体より
【大包丁】の柄を握り締め、ししょーがリヴァイアサンの巨体へと近付いて行く。まだ命が途絶えていない身体から、じわじわと血が波打ち際から海へと混ざって行く。
既に鱗の付いた表皮が剥がされた場所に取り付き、肩に担いだ身長よりも長い大包丁の先端を肉に突き立てて、ゆっくりと降ろしていく。
べろりと一抱えもありそうな肉の壁が元有った場所から離れると、自重で垂れ下がりながら下に敷かれた麻布の上に載り、更に大包丁が動かされる度に積もった雪が滑り落ちるように収まっていく。
その肉を大包丁で運び易い大きさに整形し、四角い塊になったそれらは荷車や籠でリヴァイアサンの元から運び出されていった。
チリも手伝いに参加し、重そうな荷車の端に手を添えて、顔を真っ赤にしながら押そうと力を込める。だが、なかなか動きそうに無い。
と、そんな様子を眺めていた浜の若者達が笑いながら彼女の手助けを買って出て、やがて荷車はガラガラと音を立てながら仲買人達の方へと消えていった。
「ししょ~、疲れたねぇ……」
「ああ、そうだな……でも、まだまだ切り出していかんと終わりそうにないが」
天頂の太陽の位置もすっかり低くなり、リヴァイアサンの身体で陽の光が遮られていく。やがて浜に篝火が焚かれる時を迎えても尚、漁師達は手を休めない。一度漁穫が捕れたら一晩でも二晩でも休み無く加工し続けないと、折角の売り物が無価値になってしまう。だから漁師達は働き続ける。
そうして二人が強張った身体の節々を伸ばしていると、ゴーリキが何か入った包みをぶら提げながら近付いて来る。
「おーい!! お前らも少し休めや!!」
叫びながら包みを投げ、宙に舞ったそれは見事にチリの胸元へと到達する。ぽんっ、と跳ねそうになって思わず抱き留めると、袋の端が少し開いたようで香ばしいパンと揚げ物の匂いが漏れて出る。
「あっ! はさみパン!!」
「……んあぁ? 妙な呼び方すんだな」
袋の中には、揚げ物を挟んだ横割りパンが紙に包まれ、これでもかと詰め込まれていた。漁師町らしいぶっきらぼうな歓待振りに、ししょーは思わず頬を緩めた。
「ねぇししょー! 早く食べようよぉ?」
「ああ、いただこうか。ゴーリキ、あんたもどうだ?」
「俺の事は気にすんなって。それより早く食わんと冷めちまうぜ」
ゴーリキに促され、チリはししょーの顔を見てから包みを抱えて駆け出して、岩場の上に腰掛けると、
「ししょー!! はーやーくぅー!!」
待ちかねてブンブンと手を振りながら叫んだ。ししょーはやれやれと思いながらゴーリキに会釈し、彼女の元に向かった。
チリはししょーの到着を待てず、袋から取り出して包みを開く。中身はまだ温かくホワッと湯気の上がる横割りパンは、青野菜と漁師町らしい魚のフライらしきものが挟まれている。
「ししょー! お先にぃ!!」
「ああ、食べとけ。遠慮せずにな」
ししょーの到着と共に声を掛け、チリは横割りパンにかぶり付いた。
あむっ、と柔らかなパンを噛み締める。ほんのり甘味のあるパンを通過した歯が、フライに到達すると揚げたての衣がほろりと崩れ、チリはにんまりと笑う。揚げたてと言うだけでも価千金なのに、パンの間には円ろやかなマーガリンと刺激的な辛子マヨネーズが塗られている。
あふ♪ と嬉しそうに息を継ぎながら、シャキッとした青野菜とフライの組み合わせを堪能するチリだったが、ふと中身の揚げ物が気になり、
「……ねー、ししょー。このフライ、お魚だよねー?」
「ん? さあ、何だろうな……クジラじゃないし、イカともタラとも似てないが」
同じように横割りパンを噛み締めるししょーに尋ねるが、彼にも中身は何か判らなかった。
「揚げたてだから、旨ぇだろ? 俺も初めて食ったが驚いたもんさ」
「ゴーリキも初めて……? あ、そうか……」
「……ねー、ししょー判ったのー?」
近付いて来たゴーリキの言葉で逸早く察したししょーに、チリが答えを催促すると、
「このフライ、リヴァイアサンなんだろ?」
まだ解体中のリヴァイアサンの方をししょーが指差すと、ゴーリキはご明察とばかりに親指を立てた。
「……チリは、アイツの事をどう思ってるんだ?」
先に作業に戻ると言い残し、二人の元から立ち去ったししょーの背中を見ながら、ゴーリキが話し掛ける。
「んー、ししょーはししょーだよ。チリの命の恩人で、頭の中身は料理ばっかりだけど、チリも大事にしてくれるししょーだよ?」
「……んなこたぁ、判ってるさ。アイツはいつでもおんなじでよ、自分の事より他人の事を優先しやがる……」
さらっと互いに言いながら、ゴーリキはチリの顔をまじまじと眺め、再び話し始める。
彼の話を要約すると、六年前にししょーが港町を訪れた時、度重なる嵐と津波に襲われた直後で漁に出せる船も僅かになり、町は危機に瀕していた。
その危機を救ったのは、ししょーが提案したフライを挟んだ横割りパンだったそうだ。こうして加工して売り歩けば、生の状態より売り方も容易で客も食べる手間が省ける。港町が商売相手の街まで然程離れていなかった事も幸いし、錨を模したマークの幌馬車が運ぶ横割りパンは飛ぶように売れたそうだ。
その売れ行きは凄まじく、馬車が街の外に着くなり群がる客に足止めされて、そのまま中に入らぬまま積み荷が空になる程の盛況振りだったという。
「……まあ、他にも色々とやらかしてくれたお陰でよ、ここは息を吹き返したんだが……奴は相変わらず名前も名乗らねぇ。何処のどいつだろうと俺達は構わねぇ、ってんのによ……頑固な野郎だぜ、まったく……」
そう言われて、チリも五年間ししょーと一緒に居て本名を知らなかったのだが、
「うーん、ガンコかもしれないけど、チリにもみんなにも優しいから、いーんじゃない?」
と、軽い調子で答えたものの、本当はもっと自分を構って欲しかったのだが、そう思う彼女の心中を察したのか、ししょーが振り向くとチリは小さく手を振って誤魔化した。




