リヴァイアサン
「ししょー、まだ着かないのぉ?」
チリは硬く締まった干し肉をがみがみと噛み締めながら、傍らのししょーに向かって尋ねる。
「んー、もう少しだろう」
海岸沿いを走る馬車から見える景色に目をやりながら、ししょーは答える。
中央都市から北に向かって伸びる街道は、利便性を重視し一直線に中継都市のモーガンを目指し、そこも抜けると盆地から離脱して人家も疎らな地域に至る。更に北へ北へと向かうとやがて海が見えてくるのだが。
ししょーとチリは、どうして海へ向かっているのかと言えば……仕入れである。
「……ほおぉ、こいつは珍しいな」
「ああ、俺も長い事商売してきたが、実際に拝んだのは初めてだよ」
時折、中央都市に訪れては香辛料や保存性に優れた乾物を卸す、馴染みの行商人が見せてくれたのは【リヴァイアサン】の鱗だった。小さく短冊形に加工されたそれは、一見すると油を流したような貝殻の裏側に似ているが、細かい縞模様が美しい層を重ね、とても綺麗である。
「わーっ!! いーなー! 私も欲しい!」
チリがそう言うと、行商人は貴重な代物のようなのにほい、と手渡して、
「持ってきな、チリちゃん。お代は旦那に貰っておくから」
と意地の悪い笑みを浮かべながらししょーの顔を見る。当然苦い顔のししょーだったが、チリの笑みと行商人の笑みを見比べる内に、
「まあ、たまには良いか……」
満更でもなさそうに呟いた。しかし、そんなししょーの言葉を聞きながら、行商人は驚くべき事を言い放ったのである。
「……それは海辺に打ち揚げられた鱗を加工して作られたモンだが、噂じゃあ……」
「……リヴァイアサンそのものが、北の港町の海岸近くに漂着したそうだ。良かったら見に行ってみりゃあ、どうだい?」
それからのししょーの行動は早かった。さっさと店を閉めてしまい、通い働きのジャード婦人に暫く店番を頼み込むとその足で都市間を繋ぐ連絡馬車の席を確保。間を空けず荷物を纏めてチリと共に中央都市を出発したのである。
目的はリヴァイアサン。無論、ししょーの事である。狙いはリヴァイアサンの肉だった。
「……あ! 見えてきた!!」
チリに言われるまでも無く、ししょーにも北の港町からやや離れた沿岸に漂着したリヴァイアサンが見えた。物語に様々な姿で登場し、その巨体は自然現象すら巻き起こす……とまで言われる巨体である。最初は海岸線にしては波打ち際が遠いと思っていたのだが、馬車が近付くと波風に侵食された岩等ではなく、リヴァイアサンの背中だと理解した。
それにしても、実に面妖な姿である。その見た目は海底に潜むヒラメやカレイ等の底魚にそっくりだが、頭から背中にかけてゴツゴツとした隆起が有り、まるで竜の背鰭のようにも見える。だが、尻尾は魚類のそれであり、体表は滑りを帯びた鱗がびっしりと生えているのだが、四本の小さく太い脚が有り、まるで潰れたオタマジャクシのようにも見える。
そんな奇怪な巨大生物に臆する事なく近付いて行くと、波打ち際に程近い所まで辿り着いた頃には周囲の状況が【お祭り騒ぎ】と化していた。
数え切れない程の荷馬車が海岸線を埋め尽くし、更に多くの人々がリヴァイアサンの周りに群がっている。彼等は付近の漁民のようでリヴァイアサンを解体しながら加工しつつ、その場で競りを行い業者へ売り渡しているのだ。
しかし、一見すると無秩序な状況かと思いきや、キチンと作業行程を踏まえながら売り買いされているようで、買い取り希望の行商人達は一定の区域に集合し、競り落とした部位を受け取る者は誘導されて積み込み場所に向かい、大きな肉塊に様々な保管法を施し持ち去って行く。
と、その集団の中に禿げ頭を光らせながら動き回る巨漢を見つけたししょーは、馬車を停めてチリに降りるよう促すと、
「おーい! 随分と景気良さそうじゃないか!!」
と手を振りながら男に向かって声を掛けた。
「……ああぁ!? おっ、まーだ生きてやがったかクソ野郎っ!!」
男は相手がししょーだと判ると、罵声に反して嬉しそうに破顔しながら駆け寄り、景気付けとばかりにししょーの肩を平手打ちする。
「最近、面を見ねぇから死んじまったかと思ってたぜぃ!! ……んぁ? そっちの猫っ子は誰でぇ?」
「ああ、こいつはチリって名前でな……うちの店で預かってるんだ」
「ふうぅむ……まあ、随分とお前らしくねぇなぁ……で、お前もコイツに用が有って来たクチか?」
男は背後のリヴァイアサンを親指で示しながら、立ち話もつまらんから向こうで話そうや、と言いながら漁師の番屋へと二人を案内した。
「……つまり、狙った部位を手に入れたいって訳か……まあ、お前らしいな」
地元の漁師を束ねる綱元のゴーリキはそう言うと、番屋に並べた椅子をギシリと言わせながら身を反らし、
「……お前と俺の間柄だ。別にボリゃあしないが、何せ今は少しでも早く卸したいんだよ。幾らか手伝ってくれるってんなら、それなりに融通を効かせてやるが、どうだい?」
「ああ、勿論さ。眺めてたって仕事にならんからな、出来る事は手伝うよ」
「そうか!! なら【大包丁】で切り出しするのを手伝ってくれや!」
そう決まれば早いもので、あっという間に作業用のエプロンと靴が用意されて、ししょーは海岸まで案内される。
「……近くに寄ると、またおっきいねぇ~」
「ああ、そうだな……でもチリ、何が凄いって言えば、リヴァイアサンがまだ生きているってのが凄いよな」
「ほ、ホントに!?」
ししょーの言葉に絶句するチリだったが、それもそうだろう。既にリヴァイアサンは頭と胴体を残して、尻尾やヒレの辺りまで解体が進んでいるのだから。




