④グリフォンと帝国
昨日より今日は少しだけ、寒いと感じる。そうした差異を繰り返しながら次第に冬の到来を迎えるのは、何処でも同じである。
夕闇から夜の気配が色濃くなる頃合いを迎え、【クエバ・ワカル】亭の行灯にぽっ、と淡い光が灯される。
「ししょー! 明かり点けたよー!」
「ああ、ご苦労さん」
昼より冷える時合になり、薄着が好みのチリも上着を一枚羽織りながら手にした種火のロウソクを吹き消すと、トタタと店内に戻ってししょーに告げる。
「さて、後は口開けのお客が来て忙しくなる前に、賄い食べときな」
「はーい、そんじゃ……いただきまーす!」
チリは答えながら厨房まで戻り、隅の一角に陣取ると【今夜の賄い】をテーブルの上に置いて食べ始めた。
「……んふ♪ あー、美味しっ!!」
皿に盛られた肉の上には、飴色になるまでじっくりと炒めたタマネギとキノコが掛けられ、頭が痺れそうになる程の鮮烈な香りを放っている。森の恵みのキノコは重厚な余韻を残しながら癖も無く、苦味に変わる一歩手前まで加熱されたタマネギは、甘味とコクを存分に引き出されて文句の付け様も無かった。
(……これがこの前の肉と同じだなんて、思えないよなぁ……)
料理に疎いチリだからこそ、錬金術の類いとしか思えないししょーの手腕は、スゴいと思う。いや、界隈の調理従事者と比べても群を抜いている。
なら、どうしてこんな所で一人で店を開いたんだろう。一度チリはししょーにそう聞いてみた事がある。
「どうして? ……んー、料理の方が好きだからかな」
チリは【料理の方】という所に引っ掛かったが、それ以上詮索するのは止めにした。ししょーと一緒に居る方が前の暮らしよりずーっと良いし、不安も無い。何よりもこうして美味しい物が食べられる。
過去の事に興味が無い訳じゃないが、ししょーはししょーなのだ。今までも、これからも。
【きょうのおすすめ! グリフォン!!】
【こりこりなやきもちハート】
【ぷりぷりなぼんじり】
【まえとうしろおにく】
【あたまのなか】
今日はいつにも増して力強くチョークが踊り、チリがお品書きを完成させる。そして、個性的な食材に相応しい不思議なメニューが揃ったようだ。
「おお、こりゃまた……スゴいなぁ」
口開けの男性客がそれを眺め、若干怖じ気付くがチリは全く動じず、
「で、何にしましょーか?」
「うん、そうだな……じゃ、おにくって奴で」
「はい! ししょー、おにくだよ!!」
快活に答えると厨房に向かって伝票を振った。
今夜は少し暇なようである。疎らな客入りで無難な料理の方が良く売れ、グリフォン料理はなかなか売れ行きが上がらない。
「むー、私が頑張って書いたのになぁ……」
寂しげにチリが呟いた時、入り口の扉が静かに開き、新しい客が来店する。見掛けない女性の一人客のようだが、戸惑う素振りも見せずツカツカと店内を進むと、広くないカウンター席に着いた。
「いらっしゃい! 何か飲みますぅ?」
「……ウオトカ、そのまんまで」
「はーい! ウオトカそのまんま!!」
強い度数の酒をストレートで注文し、運ばれて来るまで無言で待つ彼女は、小柄ながら襟の付いた黒いジャケットと同じ素材のズボン姿で、傍目から見ても人目を惹く黒髪を長く伸ばしていた。
そしてチリが運んだウオトカを一口啜ると、間を空けず静かな口調で尋ねたのだ。
「グリフォンって、何処のだい?」
「……ししょー! お客さんがグリフォンはどこのだって!!」
質問の意味を考えず、そのままチリは口にしたが、出所が秘密だったと気付き、あっと小さく叫んで振り返ると、
「……ふーん、そっか。まあ、そうだろうと思ってたがね」
黒髪の女性はウオトカを再び啜り、グラスをコトンとカウンターに置きながら肘を突いた。チリは続けて何を言われるのかと怖々と耳を立てたが、彼女はそれ以上何も言わなかった。
だが、沈黙は永遠には続かないものだ。
不意に扉が開き、店内に速足で駆け込んで来たのは、見知った顔のジェロキアだった。
「……探しましたよ、帝国特視。出るなら出ると仰有って頂かないと困るんですがね」
「ああ、そりゃ悪かったな。少し外の空気を吸いたくなったからね……それに懐かしい匂いがしたもんだからさ」
特視と呼ばれた彼女の隣にジェロキアが座ると、気さくな語り口を交えながら、ししょーに向かって「同じモノをくれ」と注文し、
「……で、何が見つかったんですかね」
「いや、探してたのは無かった。あんたらは無罪だったって事で、帰るつもりだ」
黒髪の女性の返答に安堵するが、続いて発せられた内容で直ぐに表情を改める。
「……ただな、この辺りじゃ珍しいグリフォンの匂いを嗅いじまったんだ。知ってるかい? 帝国の騎兵が死んじまった時は、乗ってた鷹馬も後を追わせるんだよ。乗り手に懐き過ぎるから、他人を乗せたがらなくなっちまうんでね」
そこまで言うとグラスを煽り、ウオトカを一息で飲み干した後、ジェロキアの顔を確かめるように眺めながら、
「……落ちた船に乗ってたのは、飼育係の兵隊と、品種改良されたとっておきの鷹馬さ。図体が大きくて気性は荒いが、雌馬だったから次の世代はさぞかし使えるだろうって、私らは楽しみにしてたんさ。まあ、死んじまってんなら、仕方ないんだが……な」
ジェロキアが無言で頷くと、彼女は不意に表情を和らげながら、
「それとは別によ、グリフォンの料理ってんのは帝国兵の間じゃ【仲間を弔う】って隠語で使われるのさ……あー、湿気っぽい話になっちまって悪かったな」
そう言うと区切りだとばかりにカラカラと威勢良く笑ってから、
「……さあ! ねーちゃん! ここのお勧めの料理、全部持ってきな! 私が直々に味検分してやっからさ!」
と、機嫌良さげに顔を綻ばせた。




