8 わたしと来訪者
成婚の儀まであと3日と迫った日、わたしは国王陛下に呼び出された。もとい、謁見を認められて王城へと赴いていた。
目の前に広がるお城は壮大だった。オグウェルト邸に住まい始めてからは城壁の外側からお城を眺める機会は多くあったがその内側に足を踏み入れたのは初めてで、嫌でも自分の緊張が高まっているのを感じていた。
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事の始まりはわたしが覚悟を決めた次の日のことだった。その日、珍しくオグウェルト様は軽い体調不良を訴え、王城には出向かずに昼過ぎまで屋敷にいらした。
その朝、わたしはいつもと変わらない様子のオグウェルト様から「身体は平気か」と確認された。わたしは全くもって調子が良く、特に変わりはないと答えると、オグウェルト様は「それなら良い」と答えてすぐに自室へと向かったようだった。
その時点ではオグウェルト様の体調が悪いだなんてわたしは気づかず、後でマチアスと話した時にそのことを知ったのだった。
「昨日、カーディガン借りちゃったからかな」と気になったが、後の祭りであった。
わたしは前日からの引越し準備を引き続きハナに手伝ってもらい、昼前にはそろそろあらかた片付いたというところまで来ていた。ハナに一息入れるように促されたタイミングで、なにやら部屋の外から聞き慣れない声が聞こえてきた。よく通る、女性の声だった。
来客の予定でもあったのかなと考えつつ、それならばオグウェルト様にだろうと頭の中で結論はまとまり、さあ作業続行としようとしたところで、わたしの部屋の扉が控えめにノックされたのだった。
ハナが対応するとマチアスが扉の外にいて、「レア様にお会いしたいと言う方がいらしております」と言った。
わたしに会いに来る人なんて初めてで、同時に会いに来る人の見当も全くつかなかった。こういう場合はどうしたら良いのかと少し戸惑っていると、マチアスから「オグウェルト様がレア様をお連れするようにと申しつかっておりますので、ご案内してもよろしいですか」と尋ねられた。
拒否権はないだろう。わたしは頷いて、オグウェルト様の書斎へと向かった。
昨日の今日でまた書斎に足を踏み入れるとは思っていなかったけれど、来訪者への戸惑いの方が強くて昨日のことを考える余裕はほとんどなかった。
「オグウェルト様、レアです」
扉をノックすると「入ってくれ」と返事があり、わたしはそれに従った。マチアスも一緒に入るものと思ったのに書斎には入らず、扉の外側で一礼してから丁寧に扉を閉めてしまった。
「お呼びですか」
オグウェルト様は書斎机に向かって座っていた。その表情がやや硬いことに気づいて体調は大丈夫なのだろうかと思っていると、昨晩わたしが座っていたソファから声が飛んで来た。そこで既にこの部屋に来訪者がいたことを知った。華やかな、大人の女性。
「あなたがレアね、初めまして」
女性は笑顔でわたしにひらひらと手をふった。わたしの名前を呼び捨てにするということは、身分の高い人なのだろう。
「はい、お初にお目にかかります。レア・ボワソンと申します」
「私はロズ。1度会ってみたいと思ってたの。会えて嬉しいわ」
まじまじと見てもかなり端正な顔立ちの綺麗な人だった。笑顔で挨拶をされると、とっつきにくそうな雰囲気がやわらいで優しそうにも感じた。
「おい、ロズリーヌ。砕けすぎだ」
オグウェルト様は硬い表情のままロズ様を呼んだ。本名はロズリーヌ様なのだろうと判断する。
「ロズリーヌ様、こちらこそお会いできて嬉しいです」
わたしも笑顔を作って頭を下げると、「あらロズで良いのに」とあっけらかんとした声が聞こえた。あまり細かいことは気にしない人なのかもしれない。
「それで。話はレアが来てからと言っていたが。わざわざ来たのは一体何の用だ」
「緊急時だけ連絡しろと言っただろう」とオグウェルト様はロズリーヌ様に対して邪険な扱いであった。事前に約束があっての来訪ではなかったようだった。
「えー、だって、オグウェルト。あなたが家にいないと来れないじゃない、ここ。それに最近全然家にあげてくれないし。ちょっと行きたいなーって行ったら、陛下が『それじゃ言付けを頼む』って言うから、わざわざ来てあげたのに」
何その扱いひどーいとロズリーヌ様は言葉で言うものの、全く意に介していない様子だった。対称的にオグウェルト様は苦虫を噛み潰したような顔になる。その表情に、胸がチクリとする。ロズリーヌ様はオグウェルト様が表情を見せられる、近しい人ということなのだろう。
「それも別にオグウェルトにじゃなくて、今日の用事はレアにだから。そう、レア。3日後の15時に、陛下があなたと会いたいって。これが言付け」
軽いその言い方と、告げられた内容があまりにも乖離していて、わたしは数秒、頭が停止した。
その間に、先に反応したのはオグウェルト様だった。
「私は聞いていない」
「そりゃね、オグウェルトがいない時に陛下が決めたから私が今伝えに来てるんでしょうが」
「陛下は何を考えているんだ」
「まあ一応?国王陛下主導の結婚とやらなんだし?陛下も1回会っておこうって言うのはおかしい事じゃないと思うけど」
早口の2人の応酬に、わたしが口を挟む間はない。しかもオグウェルト様と対等に…いや、ロズリーヌ様の方が上手かもしれないが、そんな会話にわたしが入れるわけもなかった。
「それは、」
何かを言いかけて、ハッとしたようにオグウェルト様はわたしを見た。そして、出かかっていた言葉を飲み込んだように見えた。
わたしが聞いてはまずいことがあるのだ。
そう気づいて、言付けはきちんと伝えていただいたのだし、早々と退室した方が良いと思った。
オグウェルト様がわたしには話せないことなんて沢山あるに決まっている。心臓がぎゅうと締め付けられた。
いやいや、と心の中で頭を振る。もう覚悟は決めたのだ、割り切らなくてはいけない。
「ロズリーヌ様、お言付け、確かに拝受いたしました。謹んでお受けしますと、陛下にお伝えいただけますか?」
ロズリーヌ様はどこか楽しげに笑って、オグウェルト様に1度視線を投げてからわたしにも笑いかけた。
「もちろん、あとはこの人に手配させておくから心配しないで。陛下怖くないから、緊張もしないで来てね」
はい、とわたしはロズリーヌ様に一礼してから、オグウェルト様とは目を合わせずに書斎を退室したのだった。