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5 わたしと3年間

しばらくして呼ばれた夕食の場であるダイニングでは、もういつもの笑顔のハナに戻っていた。何だったのだろうと気にはなるし無理をさせている気はしたけれど、蒸し返して良いものでもない気がして、とりあえずハナに迷惑をかけ過ぎないようにしようと改めて誓った。



時間が合えば、夕食はオグウェルト様と食べることが習慣となっていた。オグウェルト様の帰りが遅い時はひとりで食べることもあったが、おそらく今考えればわたしが屋敷に来た当初から、オグウェルト様は意識的にそこで顔を合わせるようにとしてくれていたのだと思う。


ただ、今日はオグウェルト様はその場に不在だった。オグウェルト様の爺である執事のマチアスに聞けば、今日はまだお戻りでないとのことだった。やはり忙しくされているのだろう。わたしのせいな気がして、申し訳なさがよぎる。

そして、わたしのせいなのに自分勝手だと思ってはいるけれど、夕食をともにできないことは少し寂しかった。



この3年間、オグウェルト邸で過ごしてきたが、実はオグウェルト様とはそこまでお互いに踏み込まずに生活してきたと思う。移り住んだ当初、慣れない生活や新しい教育でてんやわんやしていたわたしはきちんとオグウェルト様とコミュニケーションをとる機会はあまりなかった。オグウェルト様も忙しい人で、大抵朝から夜まで屋敷をあけていた。詳しくは分からないが、王城にて国王陛下に仕える役職なのだそうだ。


そのままの流れで、わたしがこの生活に慣れてきた後もどこか踏み込む機会を逸したまま、ここまで来ていた。

もちろん、そもそもが公爵家のオグウェルト様と軽々しく話せるものでもないのだから、これくらいの距離感が適切なのかもしれなかった。


オグウェルト様ときちんと顔を合わせるのは本当に夕食どきくらいだった。ハナはもちろんだが、教養教育にとつけられた家庭教師の方が確実に一緒に過ごした時間は長いだろう。


けれどオグウェルト様は、夕食どきにはさりげなく、わたしが困っていないかをいつも確認してくださっていたように思う。一見何ともない会話なのにこまやかで、わたしに気を遣わせないように配慮されていたのだと今なら分かる。


表面的にはクールに見える彼だったが、にじみ出るそんな優しさに触れると、ああわたしは彼が好きだと、胸の奥がじんわりするのだ。

それはおそらく、オグウェルト様にとっては後見人としての気遣いだったのだろうけれど。




ひとりで夕飯を終え、自室へと戻っていつものように少しゆっくりと過ごしてから、今日はもう大丈夫だからゆっくり休んでねとハナを下げた。


それからひとりで自室にあるお風呂に入り、温まった身体のままベッドへと潜り込んだ。いつもより少し早い時間だったが、身体は疲れていたし、早く眠れそうな気がした。



しかし。


ベッドに潜り込んでからおそらく2時間ほどが経つのに、一向に眠れる気配がない。時計は日付が変わってすぐくらいの時刻をさしていた。

身体は疲れていると主張しているが、なんだか落ち着かなかった。目を閉じても、意識はハッキリとしたままだった。なんだろう、この落ち着かなさは。よく分からなかった。

もしかして、これがマリッジブルーというやつなのだろうか。


そんなことを考えながら、わたしはもぞもぞとベッドから起き上がる。このまま横になっていても、あまり状況は変わらないような気がした。


スベスベした触り心地のルームウェアは、寝るために着るものなのにデザイン性も高く可愛らしいものだった。やや薄手だったため、上にもう1枚ストールをまとい、靴ではなく肌触りの良い室内ばきを履いた。

ちょっと風にでも当たれば気分も落ち着くかもしれない、と思った。この春先の季節の風の匂いはなんとも言えない安らぎの香りがするし。


ハナに見つかったら「そんな薄着で部屋の外に出てはいけませんよ!」と確実に怒られる格好だが、もうおそらく眠っているだろう。

屋敷の誰かしらは夜も起きているようだが、広い屋敷内では見つかる可能性はほとんどないに等しい。


そっと部屋の扉を押すと、キイと軋む音がしたけれど、私は構わず廊下へ出て、屋敷の裏口から裏庭へとそっと進んだ。



裏庭はそこまで広くなかったが、ちょっとした花が植えられて、わたしのお気に入りの場所だった。表の庭は隅から隅まで手入れされて見事だったけれど、それよりひっそりと自然な裏庭はわたしの落ち着ける場所になっていた。


ストールを羽織ってきたが、思っていたよりも風がある。やはりまだ夜は冷える。


わたしは片隅にある大きめの石に腰を下ろして、空を見上げながら一つ、意識して息を吸う。いい香りがする。3年前この屋敷に来たのも、本当にこのくらいの季節だった。匂いは不思議なもので、その時の感覚を鮮明に思い出させた。


不安、戸惑い、さみしさ。

初めの頃はポジティブな感情はほとんどなかった。貴族社会の「当たり前」の中で、当事者抜きでどんどん進むわたし自身の今後のことを、とてもネガティブに捉えていた。ついていけずにひとりで泣いた日も、実はあった。


今も全てのことに納得をしているわけではないけれど、今とあの頃で違うのは、どんどん進む中でもわたしのことを考えて、支えてくれる人もいるのだということをわたしが知っていることかもしれない。

幼い頃から両親がおらず、人に頼ることが苦手だったわたしに、日常の当たり前のこととして、この屋敷の人達は寄り添ってくれたのだ。

色々な意味で、濃い3年間だったと思う。



そんな風に物思いに耽っていると、誰かの足音が遠くから聞こえてきた。わたしが通ってきた道からのようで、こちらに向かってきているのか、徐々にその音は大きくなっている気がした。


ハッとして、どうするかを考えた。

別になにか悪いことをしているわけでもない。身を隠す必要はないように思われたが、深夜、外に出る用事のある人はいるだろうか。


公爵家別邸としてセキュリティはしっかりしているはずだが、もしかしたら少し危ないことをしてしまっただろうか。少し反省しながら、冷たい空気も相まって不安になってきて、そっと茂みの奥に身体を移した。


足音は続き、そのうち近くでピタリと止まった。すぐそこに人がいる。そろりと茂みから顔を出してみる。


と、そこには、茂みに隠れたわたしを見つけたらしいオグウェルト様がやや驚いた表情を浮かべて立っていたのだった。

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