1 触れたいのは心と、それから
わたしの旦那様はとても素敵な人だ。政略結婚でなければ、わたしが結婚できる可能性なんてないような人。
思えば最初からハードルが高すぎたのだ。今までわたしに恋愛経験なんて全くなかった。それなのに、旦那様のような余裕もある大人な男性に気にかけてもらえたら好きになってしまうのは当然のことのように思えた。
それこそ旦那様とは経験に雲泥の差があると思う。そして、年齢差も。わたしは成人済みの19とは言え、悲しいかな、まだまだオグウェルト様から見たら幼いのだろう。
「オグウェルト様、今日、寝る前にお時間をいただくことはできますか?ボワソン領のことで少し確認したいことがありまして」
わたしは夕食時にオグウェルト様にそう切り出した。
結婚してから半年。新しい屋敷にももうすっかり慣れた。わたしはボワソン家当主として時々ボワソン領まで出向くようになっていた。基本はボワソンの臣下たちが取り仕切り、わたしはそれを見てまだ学んでいるような状態だが、ダミアンをはじめとして皆がそれを受け入れてくれていた。早く役に立てるようにとわたしにもできる書類仕事をさせてもらったり、日々勉強を続けたりしている。そして時々、気になることや知りたいことをオグウェルト様に教えていただいていた。
ウームウェル家としては関係のないことなのに、オグウェルト様は嫌な顔ひとつせずそれを請け負ってくれていた。そして、オグウェルト様はボワソン家のことに口を出してくることが全くなかった。おそらく気を遣ってくれているのだろうと感じていた。やはり出来た人だと感心せざるを得ない。
初めはふたりきりでいることに緊張もあったが、お互いに次第に慣れてきて、それまでは滅多に見られなかったオグウェルト様の笑った顔もよく見られるようになってきていた。その度にわたしの心臓はギュンと音を立てて、わたしはオグウェルト様のことをより好きになってしまうのだ。
そろそろ食べ終わる頃合いだったオグウェルト様は、わたしを見てから「ああ、もちろん」と優しい声で頷く。
「良い時間に部屋に来ると良い。鍵は開いている」
その返事を聞いて、よかったと安心する。「ありがとうございます」とオグウェルト様にお礼を伝えると、「構わない」とひとこと言って、オグウェルト様は食卓から立ち上がって歩き出した。書斎へと戻るのか、ダイニングの扉を出ると右の廊下を進んだのが見えた。それを見てわたしも残りを食べなくてはと食事を続けた。夜遅くなりすぎてはご迷惑だろう、部屋へ伺う前に身支度も整えたい。そんな算段を考えつつ、わたしも食事を終えて立ち上がる。わたしは扉を出るとオグウェルト様とは逆の左の廊下へと足を踏み出した。
わたしは寝室に戻って、ハナにお願いしてお風呂に入ることにした。
結婚した直後に、オグウェルト様は新しい屋敷でわたしとの時間をとって色々な話を聞かせてくれた。その際に今後の話にもなって、最後には「君のことは大切にする」と面と向かって約束してくださった。「わたしも大切にします」と返すと少しホッとしたような顔をしていたのがとても印象的だったのを覚えている。
そしてそれから、オグウェルト様はわりと頻繁にわたしとの時間を作ってくださるようになった。他愛もない話をしたり、わたしが知りたいことや勉強したいことに付き合ってくださったりしている。わたしは最初はお忙しいだろうと遠慮していたが、最近は自分からも時間を作って欲しいとお願いできるようになってきた。
お風呂場で自分の身体を洗いながら、オグウェルト様に言われたことを思い出していた。あれはわたしを大切にしようとしてくれている本心からの言葉だったのは分かる。これからそばにいることを誓い合った相手に対しての。オグウェルト様は誠実だった。
ただ、わたしにはひとつ不満があった。
泡立てた石鹸に包まれた自分の身体を見て、ため息が出る。どう取り繕っても、色気のある身体とは言えない。
だから、オグウェルト様はわたしに触れてこないのだろうと、自嘲気味に苦笑いが浮かんだ。
もう少し女性らしい身体だったらオグウェルト様も…と、ドレスを選んで居た時にも考えていた気持ちが湧き出る。
結婚してからというもの、オグウェルト様は全くわたしに触れなかった。何度かあった公の場への出席の際に、エスコートのために腕を組んだり腰を抱かれたりということはあったが、家の中では1度もわたしに触れてこない。
シャワーで泡を流すと、痩せている自分の身体があらわになって余計気持ちが沈んだ。
オグウェルト様は大人だ。わたしより10歳も年上である。経験だって沢山あるだろう。全く経験のないわたしでは物足りないだろうことも分かる。
けれど、夫婦になったのに。
ここ最近はよくそんな考えが浮かぶようになっていた。片思いなのは分かっていたことだ。けれど、夫婦になったら形式的にもそういうことになるのだと思っていた。跡取りも必要であるし、男性は女性よりもそういうことを必要としていると聞いたこともある。
もしかして、わたし以外にそういう人がいるのだろうか。一夫多妻制は禁じられているが、外で関係をもつ殿方もいると聞く。わたしでは駄目なのだろうか。
不安になると、誠実なオグウェルト様がするわけがないことまで頭をよぎった。
キュッと力を込めてシャワーの栓を締める。
だから今日は、オグウェルト様に確認したいのだ。その為に嘘をついてまで、時間が欲しいとお願いしたのだから。
気合いを入れ直して、わたしは風呂場を上がった。
「今日は何色がよろしいですか?」
お風呂から出ると、ハナがナイティを用意してくれていた。薄手で光沢のある、オグウェルト様の前では着るのに少し勇気がいるものだ。
「どれが良いかな…」
アイボリー、ネイビー、黒、サーモンピンク。
自分好みのものを着るなら黒かネイビーになるが、…オグウェルト様はどうだろうかと考える。
わたしが下着姿で迷っていると、ハナはにっこりしながらバスローブを私の肩にかけてくれた。
「レア様、サーモンピンクもお似合いかと思いますよ」
ハナはわたしが1番着づらい色を薦める。もしかしたら内心がハナには見通されているかもしれないと思った。
ハナはあまり位の高くない貴族の娘だが、先日、半年後に結婚することが決まった。相手は地方の子爵だというが、昔からの婚約者で幼なじみなのだという。そう幸せそうに報告してくれたハナに、想いの通じ合っている政略結婚もあるのだなと思った。
「ハナもお相手のためにと、選んだりするの?」
いつもはそんな話はハナとはしないが、見通されているように思うと気恥ずかしくて、自分から話題に出した。
「そうですね」とハナは嬉しそうに顔を輝かせる。やはりかわいらしい女性である。
「お会いする時のドレスなんかは、つい気合いが入ってしまいます。女性として見られたいですもの」
ハナと結婚するお相手は幸せだろうなと思っていると、「でしょう?」とハナはわたしに笑いかけた。気恥しさから苦笑しながら、内心ではその通りだと思った。少しでも、オグウェルト様に良く思われたい。好みに近づきたい。子供だと思われたくない。
わたしはアイボリーのナイティを選んだ。薄手で繊細な刺繍のある、キャミソールワンピースタイプのものだった。ピンクはハードルが高いが、少しでも女性らしいものをと考えた結果だった。
着替えて肌や髪の手入れをハナに手伝ってもらった後、ハナにはもう下がってもらった。
もう少しでハナとはお別れである。少し寂しい気持ちもあったが、心からお祝いしたい気持ちの方が強かった。あれだけ可愛らしいハナもお相手の前に立つ時はより可愛くと頑張っているのだ。わたしも見習わなければと、1人になった寝室で息を吐く。
この寝室には、ハナが先程出ていった廊下へと続く扉とは別に、もうひとつの扉があった。普段は鍵をかけている、オグウェルト様の寝室に繋がる扉だった。
初めに見た時は驚いた。オグウェルト様のお部屋に、わたしが無断で入れてしまうのだ。たしかに夫婦の寝室が続き部屋になっていることもあると知識では知っていたが、本当に夫婦になったのだと実感した場所でもあった。
今考えるとひとつの寝室ではないことにやや不満や疑念を覚えなくもないが、別々に仕事もあるお互いのためにとオグウェルト様が配慮してくださったのかもしれないとも思う。
「普段はレアの部屋で鍵をかけておいてくれ。私の方はいつも開けておくつもりだから、何かあればすぐ来て良い」
オグウェルト様は初めにそう言った。普段はその言いつけ通りに私の部屋から鍵をかけている。その鍵を開けるのは、ふたりで時間を合わせて話す時だけだ。
オグウェルト様の寝室からは物音はしなかった。おそらくまだ書斎でお仕事をしているのだろう。
オグウェルト様が帰ってきてから訪ねるのがマナーだということは重々分かっていたが、この格好で堂々とオグウェルト様の前に立つのは恥ずかしかった。
誰に聞かれるわけでもないのに、わたしは足音を立てないようにと気をつけながら続き扉へと向かった。そっと鍵に手をかけて、慎重にツマミを回す。
ガチャリと、妙にその音は響いた。
わたしはどこか悪いことをしているような気持ちになりながら、それでもこれはやり遂げるのだと、少しだけ開けた扉からオグウェルト様の寝室に身体を滑り込ませた。




