5 彼女の見せる顔
その夜は眠れなかった。レアの眩しいほどの強さを目の当たりにして、そしてそれとはあまりにかけ離れている自分の情けなさに、私は自分で気持ちを持ち直すことができないでいた。それなのに、この期に及んでも、私の中にはレアを諦められないひとりよがりな気持ちが居座っているのだった。
いたたまれなくなった私は強い酒のボトルをひとりで空けた。やけ酒とはまさしくこういうものなのだろうと自嘲しながら、普段は楽しむ程度にしか飲まない酒を寝室に持ち込んでひたすらに煽った。酒にはそこまで弱くはないはずだがここ最近の疲れもあったのか、酷く酔いがまわる酒だった。
翌朝、起きることはできたがここ何年かでは1番の二日酔いだった。若いころは悪い笑みを浮かべた陛下に飲まされてこうなることはあったな、なんて考えながら仕事へ行くための準備に取りかかろうとした。だが、はたと出勤してもこんな様子を見られたら陛下にはからかわれるだろうし、ボワソン婚姻の手配は家でもできるなと思い至る。いつも送迎をしてくれている御者に伝令役を頼むことにした。「緊急時だけ連絡を入れろ」ということを王城の門番伝いで直属部に伝わるように手配して、その日は家にこもることにした。
朝食はいらないと伝えにダイニングへ行くと、ちょうど朝食を終えたようだったレアにばったり会った。こちらが一方的に気まずいのは分かっていたが、やはりいたたまれなさがあって、軽い挨拶だけしてから早々と部屋へ戻ろうとした。
だが、昨晩寒空の下に長い時間いたであろうレアの身体が心配になる。
「体は平気か」
言葉は選ぶ余裕はなかったが、短くすることを優先した結果の聞き方だった。
「特に変わりはありませんが」
レアは特に大きな反応も見せずに、すぐに答える。それならよかったと安心しかけて、強がっていないかとまた心配になったが、少し観察するように眺めてみても表面的には変わりないようだったので大丈夫だろうと判断した。
気持ちの面にしても、昨夜「整理がついた」と私に伝えてきた後からは、確かにレアは動揺しているようには見えなかった。今も昨夜私の書斎を出た時の彼女と変化はない。
本当にあれで気持ちの整理がつけられたのかは分からないが、彼女が今回の婚姻を受け入れる決断をしたのであろうことは伝わってきた。
自室に戻ると、レアと交わした一言を聞いていたマチアスが何かを言いたげに私を見た。「なんだ?」と尋ねると、「はい」と一拍おいてからマチアスは口を開く。
「オグウェルト様、昨夜はおふたりで...?」
「ああ」と私が頷くと、マチアスも「そうですか」とひとこと言う。そしてまた少し間を開けてから、今度は断定の形で確認をされる。
「それでは、可能性としてはレア様のご懐妊も想定しておいた方がよろしいですね」
聞いて頭が真っ白になったが、そう間をあけずに誤解されたのだと理解する。
「違う、そういうことはしていない」
慌てて訂正する。マチアスはそれを聞くと「それは余計なことを。失礼いたしました」と深々と頭を下げた。
婚姻を結ぶとはそういう風に見られるということかと、二日酔いの頭がさらにクラクラした気がした。
そして昼過ぎになってから、いきなりロズリーヌが屋敷を尋ねてきた。用を尋ねても「ボワソンの娘さんに用だから呼んで」としか言わない。仕方なくマチアスにレアを呼ばせた。
レアは昨夜も足を踏み入れた私の書斎に来て、ロズリーヌと挨拶を交わす。結論を言えばレアの対応は立派だった。やはり元々政治的な素質はあるのだろうと思う。いきなりのロズリーヌの態度には面食ったとは思うが、それを表には出さずに対応していた。
ただロズリーヌの「陛下からの言付け」がやっかいだった。
レアに3日後に謁見に来いというのだ。
「私は聞いていない」
レアが了承するより先に、私の口から不満が飛び出た。ロズリーヌは「そりゃね、オグウェルトがいない時に陛下が決めたから私が今伝えに来てるんでしょうが」と言う。
「陛下は何を考えているんだ」
独り言が漏れる。レアが謁見するのは成婚の儀と任命式がが終わった後でと、既に陛下とも合意していたはずだった。にも関わらず陛下が出てくるのは何か考えがあるはずだからと推測できる。おそらく私には想像もつかないような。
これ以上掻き回してくれるなと言いたかった。
「まあ一応?国王陛下主導の結婚とやらなんだし?陛下も1回会っておこうって言うのはおかしい事じゃないと思うけど」
ロズリーヌに言われて、体裁上はそれは間違いではないと思った。けれど。
「それは、」
言いかけてハッとして口を閉じた。思わずレアをちらりと確認すると、視線が合う。私が何か言いかけたことはレアには分かってしまっただろうと後悔した。ただ、レアにこの婚姻は私が決めたものなのだと今知られたくないという、邪な感情だった。責められるべきは私なのに、それを請け負うことが怖い。
聞いてはいけない話のようだと判断したのであろうレアは、ロズリーヌに挨拶を述べるとすぐに部屋を退出した。察しの良い娘で、それにも頭を抱える。やましい気持ちも見透かされているかもしれないと思った。
レアが退出してから、ロズリーヌはこれ見よがしにため息をつく。
「あーあ。あれじゃなんか誤解してるわよ、彼女。」
私はうなだれる。彼女は誤解したのではなく、おそらく私の中にある邪なものを感じ取っただけだ。
「放っておいてくれ」と力なく私が言うと、ロズリーヌは「あら珍しい。分かりやすく弱ってるわね」と言った。いつものロズリーヌであれはそればからかいの意味を含むような言葉だったが、それはやや驚きのにじんだ声だった。
「陛下も、あなたが休むなんて何かあったんだろうって。あなたたちが上手くいってないみたいだから心配なんだって。だから会ってみることにするって言ってたわよ」
もう一度ため息をつきながら、「過保護よねえあの方も」と陛下を指して言った。やはり陛下はいつまでも私のことを弟のように扱うのだなと、私も苦笑した。色々と見抜かれているようだった。
*****
レアの謁見の日。朝から王城で仕事をしていた私は、昼過ぎに陛下に時間をいただいて、その際に今日の謁見の算段を確認しようとした。しかし、陛下から返ってきたのは私が想定していなかった言葉だった。
「今日は君に同席の許可は出さないよ、私が彼女と話したいんだから」
さも当然というような顔で陛下は私に言う。
つまり陛下とレアがふたりで会って話すということだ。それはまずい。レアにとって今回の謁見は、ほとんど初めての公式な場での振る舞いになる。そんな心細い思いをさせたくはなかった。
「陛下、それは。私とのこともあって謁見を決めたとロズリーヌから聞いております。私も同席するのが妥当かと」
面食らいながら食い下がろうとするが、陛下はにべもない。
「いや。これはボワソン侯爵との初めての公式な謁見だよ、オグウェルト」
すっぱりと有無を言わせない態度だった。物腰の柔らかい陛下なんて巷では言われているが、こうと決めたら曲がらないのは近しいものなら誰でも知っている。分かっていても、私は諦めきれずに「しかし陛下」と食い下がったが。
「とにかく今日はダメだ、一人で会うから。そうだ、今日君に仕事多めに振ってあるから。ちゃんと仕事して」
一刀両断ですぐに退室を命じられた。もちろん私はそれ以上の為す術もなく、レアの謁見が終わるのを待つしかなかったのであった。




