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4 彼女の途方もない凛々しさに

茂みの中に見つけたレアは、驚いた表情をしていた。何かを言いたげに口をぱくぱくとさせていたが、それは声にはならなかったようだった。


「レア」


私は彼女の名前を呼んで、急いた気持ちを抑えきれずにそばまで駆け寄り、目線を合わせた。「どうした」と尋ねた声は、思わず零れたものだった。何かあったのか。それとも、この家から逃げようとしていたのか。それほどまでに嫌なのか、私と婚姻を結ぶのが。

レアは答えない。私は焦れて待ちきれずに、もう一度声をかけた。


「何かあったか」


それを聞いてもレアは何も言わず、小刻みに首を横に振るだけだった。何かあるなら言ってほしいと、私は焦っていた。冷静な思考ではないことは感じていたが、気持ちの方が先走る。


レアの横に振られていた首の動きが止まったのは、彼女が私から目を背けたからだった。それにどんな意味があるのか、焦っている頭では解釈ができずにまた焦る。

しかしレアの視線から意識が逸れたことで、私はその時初めて自分がレアの表情しか見ていなかったことに気づく。


どこまで視野が狭くなっているのかと自分をたしなめる。全体を把握するのは何事にも必要不可欠なことだぞとクールダウンに努めて、私もレアの顔から視線を外した。


すると、レアの身体に目が留まった。彼女はストールを羽織っていたが、それでも体のラインがはっきり分かるほどの薄着だった。冷静になれという思考は一瞬完全に飛んで、今度はそれに意識が向いてしまう。レアはナイトウェアのまま出てきたらしい。


それは、触れたら彼女の柔らかさが分かってしまいそうな……。


そこまで考えて、その先をイメージしかけたところでハッと冷静な思考がいきなり戻る。いや考えるな、それは駄目だ。感情に乗っ取られるなと自分に言い聞かせながら、息を吐いて髪の毛をかきあげる。そんなことを考えて良いわけがない。どうにかしないと思ってレアにゆっくり声をかけた。もちろん、そうしたのは私が落ち着けるようにだ。



「…夜中に薄着で…寒いだろう」


私がそう言うと、レアは反応するようにストールをぎゅっとかき合わせた。

その行動から薄着で寒いのだろうという心配が浮かんだ。そして、そのままにしておくのはひどく目の毒でもあった。考えるより先に私は自分のカーディガンを脱いで、レアの肩にかけていた。行動してから、私の服をかけられるなど嫌ではないだろうかと心配になったが、彼女は拒否はしなかった。


ただ、それも失敗だったかもしれないとすぐに後悔する。いつも自分が着ている服を華奢な彼女が着ている姿に、支配欲のようなものが湧き上がってきたことを感じたからだった。それは暗く、深さの測れない得体の知れない何かだった。

自分でもそれに身震いしそうになる。こんなものを私は持っていたのかと、恐怖さえ感じた。


そんな感情を彼女に知られる訳にはいかない。そう思って、可能な限りレアを視界に入れないようにした。

とりあえず暖かい所へと理性が言い、それに従って「入ろう」とだけレアに声をかける。



そこからは意識はレアに気を取られつつも、己の暗いものを封印しようとそれが何者かと思考を巡らせながら屋内へと続く道を引き返した。その間レアは全くしゃべらなくなっていたが、私の後ろをついてきてくれた。


単純に暖かい所へと思って私室へと招いたが、気づけば自分の部屋に二人きりという状況であった。道中で少しは抑え込んだものの、暗いものは封印しきれていなかった。とりあえずレアをソファに座らせ、そこから距離をとって気分を落ち着かせねばと流しに立った。ふとコーヒーミルが目に入って、コーヒーを淹れることを思いついた。


湯を沸かし、豆をひく。準備をしている間にその暗いものと少し距離がとれたようだった。更に明かりのある空間に暗いものが恐れをなしたのか、自分に少しずつ冷静さが戻るのを感じた。

途中で、レアには気分の休まるものを出すのが良いのではとカモミールティーを選べるくらいには落ち着きを取り戻すことができたようだった。


カップにそれぞれカモミールティーとコーヒーを淹れると、その液体の表面に映った自分の顔が見えた。

ちゃんと向き合って話そうと思ってレアを訪ねたのだ。今ここでそれをしなくてどうするんだと気持ちを切り替える。


レアの座るソファへと向かい、カモミールティーを差し出すと、彼女は恐縮したように謝罪と感謝を小さい声で言った。彼女は唇を結んでいてそれ以上話し出す気配はなく、私は少しだけ間をとってから話を切り出すことにした。



「先程部屋の前を通りかかったら、扉が開いていて。こんな時間に何かあったのかと」


感情は挟まないようにと努めた。するとレアは少し顔を上げて返事をくれる。


「申し訳ありません、…眠れなかったので気分を変えたくて庭に」


ただ、彼女は私を見ない。意図的に見ないようにしているように思えてまた暗いものが顔を出しかけたが、今は自分の力で抑え込むことができた。



「…いつもより忙しいからか」


婚姻のことを遠回しに尋ねると、レアからは「そうかもしれません」と曖昧な返事が返ってきた。


「でも、オグウェルト様の方がお忙しいのに、情けないですね」と彼女は続けた。


それを聞いて、彼女もこの機会に何か言いたいことがあるのかもしれないと感じた。

私の中で、情けなく逃げ回ってきた自分はこれまでかとうなだれ、覚悟を決めた自分は彼女に踏み込むタイミングが来たようだと言っていた。両者が一瞬激しく葛藤して、彼女にとってどちらが良いかという点ではこの機会を逃してはいけないと結論を出す。私は踏み込む方を選んだ。



「…気持ちの整理がつかないということか」


ただ、私との結婚が嫌だと言うことかと、直接それを言葉にする勇気は出なかった。


「…そう、なのかもしれません」


レアはまた否定をしなかった。やはりそういうことなのだと、ほぼ確信のようなものを得る。


「…ハナから夜に報告を受けた。レアに、差し出がましいことを聞いてしまったと反省していた」


それを聞くと、レアはこれまでにないほど瞬時にそれに反応した。


「いえ、ハナはわたしを気にかけてくれただけです。差し出がましいなんて、そんなこと全く。わたしがうまく振るまえなかっただけですので」


そうだハナが悪いのではない、すべて私がこの婚姻を決めたことが悪いのだと、口には出せずにレアの話を聞いていると、レアは続けた。


「そもそも家を背負うとはそういうことだと、この家に来てから教育を受けさせていただきましたので」


その凛とした声に、ガツンと頭を殴られたような心地がした。重い言葉だった。


そうだ、家を背負うとはそういうことで、彼女はそれを受け入れようとしているのだ。私が決めてしまった、この重い運命を彼女は背負おうとしている。


しばらく何も言えなかった。彼女を解放したいと素直に思った。苦しまないでほしいと。けれど、あの得体の知れない暗いものは彼女を手離したくないと言う。それは、嫌になるほど傲慢でずるい自分の声だった。


しばらく沈黙が続いた。それをやぶったのはレアの「オグウェルト様」と私を呼ぶ声だった。よく響く声だった。


「わたし、大丈夫です。確かに急でしたから、少し気持ちの整理が追いついていなかったようで、申し訳ありません。なんだかオグウェルト様に聞いていただいたら、整理がつきました」


私は重い顔を上げると、レアは笑っていた。視線が絡む。そんな苦しい笑顔をさせているのは他でもない私なのだ。なのに、彼女はどうして笑えるのか。


「言わせていないか」


この期に及んでそんな言い方しかできないのかと、自分が心底嫌になった。


「いえ、まったく」


言わせていない訳がないのに、私の態度とは反対にきっぱりと言い切るレアの言葉が聞こえて、自分への嫌悪が大きくなる。思わず額に手を当てると情けない声が出た。


受け止めなければとレアも必死にその姿を見せているはずだった。そんなことを言わせてすまないとは口が裂けても言えないと思った。そこまで言わせた私がそこに踏み込むことは、覚悟を決めたレアを傷つける事にしかならない。


結局そんな私は、レアに「そうか」と小さい声で答えることしかできなかった。

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