2 彼女の未来を決めたのは
それから丸二日。考えても出ない結論に疲弊しながら、私は再び陛下に呼び出された。どうあがいても陛下の呼び出しは断れない。この話をせねばならぬのかとある種うんざりしながら、私は再び陛下の書斎へと足を運んだ。
「やあオグウェルト。結論は出たかい?」
なんでも見通しているような目で、陛下は私に尋ねた。くそ、とまた心の中で毒づく。立場上は越えられぬ高い壁があるが、こういう顔の時の陛下はほどんど私の兄のような存在だった。私は小さいころから陛下と共に育った。それどころか私が幼少の頃は、恐れ多くも世話まで焼いていただいている仲である。
何を話しても見通されているなら仕方ない。私は「いえ…」と手短に返事をする。「そうだろうね」とやや癪に障る返事をして、陛下はまた口を開く。
「この一か月で状況が変わってきた。あと数か月でボワソンの娘の誕生日だと聞いたよ。少しでも早く関係を結びたいと、私に直々に訴えに来ている家がいくつか出てきている」
それを聞いてぞわりと、気持ちが湧き出す。
「私の動きに気づいた勘の良い家が行動しはじめた印象だね」と陛下は付け加えた。
この国の成人は18歳である。成人してから1年弱経ってもなおウームウェル家がレアを見放さないということは、レアにボワソン当主としてのある程度の能力があり近い将来実権を握ることになると認めたようなものだった。
そのレアの権力と、まだ誰にも染められていない扱いやすいレアを今のうちにと欲する家が増えてきても驚くことではない。
「君は迷っているようだけど、本当にありかもしれないね。君はボワソンのを、妙に大事そうにしているし」
何をとは陛下は言わなかった。この間の話の続きということだろう。私は何も言えずに、陛下の前に立ち尽くす。
しばし沈黙が流れる。陛下は表情をあまり変えずにそこに座っていたが、ふいに立ち上がって窓の外を眺めた。
「ウームウェルなら後ろ盾としての力は申し分ない。その上君は春には公爵家の当主になることが決まっている。それに、国王としての私からの信頼も得ている。レア・ボワソンと対等でいることも君ならできるだろう」
事実を並べられると否定はできなかった。陛下が言いたいことが分かって、その先を言わないでほしいと切に思った。思ったが、陛下はゆっくりと窓の外から私へと視線を移して続けた。
「オグウェルト・ウームウェル。君に命令をやろうか」
陛下は笑っていなかった。兄の顔ではない、一国の主の顔だった。思わず唾を飲む。私に決定権はない、有無を言わせないということだとその顔が明確に伝えてくる。この人はどこまでも抜け目なく、どこまでも国王陛下なのだ。
私も腹をくくるしかないのかと、息が震えないようにと意識しながら息を吐いて、吸った。そうしても震えてしまうのではないかと思った。私と、そして他ならぬレアの将来を、私がここで決めようとしている。震えないはずがなかった。
「…いえ、陛下。自分で決めさせていただきたく。…私オグウェルト・ウームウェルと、ボワソン侯爵レアの婚姻について、ご承認いただけますか」
陛下に命令のような形をとらせなければ決められないほど、私は情けなかっただろうかと自分に嫌気がさす。レアの気持ちにとってはそうでなくとも、貴族のレア・ボワソンにとっては、これが最も良い選択であるはずだったのはどう見ても明らかだった。
これは、政略結婚である。
私の気持ちやレアの気持ちなど、関係ない。お互いのメリットのために選ぶ契約関係だ。ウームウェルに生まれて、選べないことなど今までもあったではないか。
苦虫を噛み潰すとは、こういう思いなのだろうと陛下に礼をとる。
「ああ。国王クロード・ルノー・ヴァルバレーの名のもとに承認する。他の家には私から断りの返答をしておくことにしよう」
陛下はそう言って、顔をあげた私をしばらく眺めてから「不器用なことだね」と呟いた。その顔は兄の顔に戻っていた。「そんなことは」と言いかけるが、それは間違いではないので途中でやめた。
レアにとって幸せなことではないだろうと思ったが、自分自身が口に出してしまったからには仕方がない。私にできる限りのことをしなければと気持ちを切り替えた。
レアと私との婚姻は、そんな風にして決まったのであった。
やるなら徹底的に、レアに可能な限り不自由がないように。そう思って、そこからは持ち得る限りの権力を以て、根回しと下準備を進めていった。
*****
事の次第をレアに伝える決心がついたのは、その2か月ほど後だった。
その間にレアの誕生日が来て彼女は19歳を迎え、成人から1年が経った。彼女が今後、具体的にいつと思っているのかは分からなかったが、独立してボワソン領へ戻ろうと考えている様子は時々感じ始めていた。
いつ言おうか。今ではない。根回しが終わってからにすべきだ。
内定してすぐの頃の私はそう思っていたし、陛下からも「ウームウェルの準備が整って、もし事件が起きてもレアを守れる用意ができるまではこの婚姻については口外しないでおくことにして」と言われていた。その後内々で動いてある程度準備が整って、陛下や私の周辺や他の家にこのことが伝えられたのは1か月ほど前のことだ。
ただそこから2週間、私はレアに事実を伝えられずにいた。レアに伝えて、彼女が喜ぶはずがないのは分かり切っていた。結局なんだかんだと先延ばししてしまって、成婚の儀まであと2週間となっていた。レアがボワソン家の他の人間や他家との関りがないために、周りからの情報でそれが明かされることがないことだけが私にとっての救いだった。
でももう猶予はない。レアに決めてもらわなくてはならないことだってあるし、式までが短ければレアだって戸惑うはずだ。さすがにこれ以上は周りに迷惑もかけることになる。
そう思って、私はその晩レアに告げることを日和らないようにと心に決めた。
私はなんでもないような顔をして、夕食を食べ終えて席を立つ。声が震えないようにと、いつもより深く息を吸った。
「再来週、成婚の儀を執り行うことになった」
続けて準備についてはハナに頼んであることを伝えて、その場をすぐに立ち去るために彼女に背を向けた。
怖かったのだ、彼女の反応を見るのが。自分の決めたことなのに、それに向き合えなかった。罪悪感は膨れ上がるばかりだ。
まだ食卓についていたレアは、初めは他の誰かの婚姻かと思ったのだろう。少し戸惑った声が背後からして「誰が結婚を?」と尋ねてきた。
やはり、自分のだとは思いもよらないだろう。
私は意を決して「レア、君のだ」と告げた。
息をのむような音が彼女からしたのは分かったが、声もかけず振り返りもせず、私はすぐに自室へと逃げ帰ったのだった。
ここまで罪悪感を抱いている理由は分かっていた。
レアの望まぬ関係は、私も望まずに結ぼうとしているのだ。これは政略結婚であるのだ、と。
そう建前を振りかざしているのにも関わらず、同時にその関係をレアと持つことを望んでいる自分もいることを、私自身は分かっていた。
どんな形であれ、彼女との関係を続けられること。他の男の元に行かせずに済んだこと。心のどこかにある私の腹黒いそんな思いは、収まりどころを探せずに、どんどん膨らんでいく。
私はそれを止められずにいた。




