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1 彼女の知らない話

「ボワソンの娘のことだけど。そろそろ独立もできそうかい」


陛下から相談があると呼ばれたのは冬の始まりのある日のことだった。暖炉がパチパチと爆ぜるこの場所は、王城内でもかなり奥まった陛下の私室兼書斎のようなプライベートルームだ。まだ公では合議できないことや、個人的な話がある時には時々呼ばれる場所であった。


「彼女の能力としては問題ないでしょう」


何の話かと思えば、私が屋敷で後見人として一緒に生活している元庶民の娘・レアのことであった。

この3年弱、彼女は努力を惜しまずに多くの知識を蓄え、精力的に政治を学んだと家庭教師につけたブレーズからは聞いていた。私の幼少の頃からの家庭教師でもあるこの男が言うなら信用して良いだろうとの判断であった。


「そうか、何よりだね」と陛下は言い、少し考えてからまた口を開く。


「とはいえ、表立って彼女1人ではすぐにどこかに取り込まれるのではないかい」


それを聞いた私もしばし黙る。それは確かに正論であった。ボワソン領を切り盛りすること自体は当主であるレアと、現在当主不在にも関わらずうまくやっている臣下たちとで可能であろうと思われた。しかし、政治の世界はやっかいだ。能力があるだけでやっていける場所ではないことを、私は嫌という程知っていた。


3年前まで庶民だった娘など叩こうと思えばいくらでも叩けるし、逆にレアを囲いこもうとする者たちが多々現れるだろうことも想像に容易い。レアにある程度手腕があったとしても、裏から手を回されてそれに気づけなければどうにもならない。気づくための経験は、彼女には確実に不足している。

まだあの純粋な彼女は知らないだろうなと、ひとつため息をついた。知らないでいられるなら、その方が幸せだろうに。


黙って考えをめぐらせていると、私が同意見であるとみなした陛下がまた続ける。


「彼女も妙齢だし、いつまでも君のところが後見人として囲っているわけにはいかないだろう。ボワソンを取り込むなど不公平だと不満が出るのは目に見えている。まあ、君が公爵位を継ぐことも決まってるんだし、いっそ結婚でもするなら別だけど」


なんの気ない冗談のような陛下の言葉だった。しかし、唐突でつい身体が反応してしまった。不自然に固まった私に、陛下は面白そうな表情を浮かべる。

しくじった、この人のこの顔は面倒だぞと思ったが、もう後の祭りだ。


「あれ、本当にその気だった?」


ニヤニヤと笑う陛下に、すぐに訂正する。


「そんなわけないでしょう。彼女は然るべき家と婚姻を、と」


不測の囲い込みや攻撃に対抗する手段として、先んじてレアがどこかの家と婚姻を結ぶことは誰にでも思い浮かぶ選択肢のように思われた。私だって考えたことがある。

ただ、彼女はそれを望んではいないように私には見えていた。ある程度の権力をもつ私を後見人としても、彼女は自分からは全く頼って来ない。誰かに頼らずひとりで生きていくのだと、そう考えているのだろうと感じていた。


ただ、その彼女の気持ちだけではやっていけないのも現実だった。私は言葉を続ける。


「適当な家を候補として、その内情を調べさせます。ボワソン領を抱きこまないこと、レアにボワソンを管理させられることが相手方の条件でよろしいですか」


国内の勢力図として、どこかが力を持ちすぎるのは避けたい陛下は常にバランスに重きを置く人である。

ウームウェル家がボワソン家の後ろ盾となったのも、ボワソン家を抱き込まないという陛下からの信頼があってこそであった。もちろん、その始まりは陛下ではなく前ボワソン侯爵その人からの最後の頼みであった訳だが。


「ああ、そうだね。頼んだよ」と陛下は少し真面目な顔に切り替えてからそう言った。

すぐに取りかかるために「御意」と頭を下げてから退室した。まず対象となりうる家や候補者を選定させることを部下に指示するために執務室へと向かう。それと同時に、その内情を過不足なく調べさせるために必要なことを考え始めた。



*****



陛下からボワソン侯爵家の婚姻案についての話があってから1ヶ月弱が過ぎ、段々と候補者の内情が集まってきたところで、私は頭を抱えていた。


候補はボワソンと同等またはボワソン以上に力のある侯爵家もしくは公爵家の人間であり、そして可能なら年齢がそこまで離れていない男性である。現時点では当主でなくても構わなかったが、実質的に次期当主であることが後ろ盾の役割としては必要であった。

つまり、夫婦になってもレアが取り込まれず対等にいられて、同時にレアの後ろ盾としても機能する相手だ。


そもそも対象となり得る人数が多くないため、調べるのにはあまり時間がかからなかった。しかし、ある程度予想はしていたが、調査結果から読み取れたのはどの家に嫁いでもレアが対等ではいられないだろうと言うことであった。

そして余計なことだが、私の心情としてレアを任せられる家があるかどうか。そう考えた時には、全く箸にも棒にもかからない、一瞥する価値すらないような結果であった。


陛下の執務室のすぐ脇にある、陛下からの直接の命令で仕事をする者達である直轄部専用の部屋で、私はその一瞥する価値すらもないような各家の情報を何度も読み返していた。誰もおらず静かだが、一向に仕事は捗らない。


するとそこへひょいとロズリーヌが帰ってきて、私に声をかけてきた。


「オグウェルト、また難しい顔して。最近ちょっと荒れてるわよ」


ロズリーヌも公爵家の人間である。彼女の家の当主は兄だが、ロズリーヌも兄に劣らない切れ者で、私と同じく直轄部での仕事をする役人として働いている。


「いや、そんなことは」


私が否定してもそんなのお構いなしにロズリーヌは続ける。そういう人間である。


「今の案件ってボワソンの孫のことでしょ、条件の良い家がないのなんて調べる前から分かりきってたことじゃない?いっそあなたが貰えば良いのに。丁度いいじゃない、そろそろ身を固めたら」


簡単に言ってくれる。苛立ちを抑えつつ「余計なことだ」と一言返す。ロズリーヌは大袈裟に肩を竦めてから、「別にわたしはなんでも良いけど、そんな顔してるくらいなら貰えば良いのに」ともう一度言ってから、興味がなさそうにすぐに部屋を出て行った。



確かに条件だけ見れば、ウームウェル家は適役であった。ロズリーヌが言うことも分かる。ただ少しばかり年齢が離れている気はするが、政略結婚ではそこまで珍しくないくらいの差ではある。


しかし、私がレアとの婚姻を望まないのだ。それはもちろんレアが婚姻を望まずひとりで生きていこうとしていることを尊重したいという理由だけではなく。私が現在まで独身でいることとも関係していた。



私の母は生粋の貴族の娘で、公爵である父上と政略結婚をした。母は息子の私から見ても線の細い美しい人だった。幸いなことに政略結婚であったにも関わらず両親の仲はとても良く、私は裕福で幸せな家庭で育ったのだと思う。

しかし、母は公爵家への不興で起きた事件に巻き込まれて、私が10歳の時に死んだ。優しくて美しかった母上は、当然ながら自分の身を守れる力は持っていなかった。無惨な最期だったと聞いた。

子どもながらにウームウェル家に生きるとは、権力をもつとはこういうことなのだと理解し、その途方もなさに愕然としたことを覚えている。


そしてその時から、私の妻となる人は守られるだけの女性ではいけないと決めてきた。この歳になって「まだ結婚しないのか」と各方面からせっつかれるが、それに見合う女性とはまだ出会えていないのが現状だった。


ただ。ただひとり、レアは違うかもしれないとも思っていた。聡明で吸収力のある、庶民育ちの娘だ。貴族の娘よりも自分の身の守り方も知っている。


正直に言えば、私はレアを好ましく思っていた。


守られなくても生きていこうとするその姿は凛々しい。初めは同じ家で生活していると言っても関わりも薄くほとんど興味もなかったが、使用人たちから聞こえてくるレアの話は好ましいものばかりでふと興味を持った。ある時から時々声をかけてみるようになった。会話を重ねていくと控えめだが芯のある少女であると感じられたし、突拍子もないボワソン家の継承沙汰についても自分なりに折り合いをつけて進んでいることが窺えた。


いや、もっと赤裸々に言えば好ましいどころではない。思春期かと自分に呆れるが、いつしか私は彼女を目で追うようにすらなっていた。


凛として、美しいとさえ思っている。

そして矛盾しているようではあったが、そんな姿を見せるレアを守りたいと思うのだ。そんなレアだからこそ、なのかもしれない。

それに加えてここ最近、自分が思っている以上にレアに執着していることに私は気づき始めていた。男に守られて暮らすレアは見たくない。まして他家に取り込まれるレアなど。

こんな気持ちに気づいてしまったのは、この仕事に取りかかり始めてからだった。


だったらレアと婚姻関係を結べば良いと頭の中で誰かが囁く。


しかし、私のこの思いは彼女には届かない。ひとりで生きていこうとしている彼女は誰も愛さないだろう。もし夫婦という関係になったら、父上と母上の間にあったような関係性を求めたくなるような気がした。その時にレアから何も返ってこないことを考えると腹立たしいような怖いような気持ちになった。

一方的な思いを抱えたままの関係では、いつか自分を制御できなくなるように思えて、そんな自分に恐怖を覚えるようになっている。



「くそ」



頭を抱えつつ、いつもは絶対に口にしない、口にしても仕方のないことを呟くと、広いしんとした部屋に妙に響いた。

どうするべきなのか、今の私には分からなかった。

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