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書き溜めなどがないので気が向いたときに更新する予定です。恋愛まで持っていける自信がありません。
エリカ・テンプル・ノートは国一番の香水の調合師だと自負している。ありとあらゆるものから瞬時に必要な魔力のみを抽出できる繊細な魔力操作術に、相性を見分ける目を持ち、なによりもその発想とセンスは常に流行を作り出す。
現にエリカが考案した香水は飛ぶように売れ、貴族達はこぞってエリカとのコネを求め、オリジナルの香水を調合してくれと金を出す。
もともとエリカはテンプル男爵家の次女であった。しかし本来ならばどこか良縁を探して嫁ぐべきなのだが、エリカは婚約者もおらず、独身である。
理由としては今思い出しても胸糞が悪いが、一番上の兄があまりにもボンクラだったからだ。奴は領地を治めるための税をちょろまかして賭博に勤しみ、多大な借金をつくりやがった。その結果奴は家から追い出された。当たり前である。
よって二つ年上の姉が入り婿をとり、女領主となることになったのだ。姉の婚約者は子爵を継いでいたのだが、愛する姉を支えたいと弟に家督を譲り婿に来てくれた。よって現在姉夫婦は立派に領地を立て直したのだが、兄を追い出した直後はまあ酷い。どのぐらい酷いかというと、エリカが出稼ぎに出なければならない程には借金が重なっていたのだ。
十六で学園を卒業したエリカは学園の伝手でとある侯爵家の侍女となり、その時に仕えていた侯爵令嬢が学園にいる間に調合師の資格を取っていたことを知っていた為に、香水の調合を研究できる環境を用意してくれたのだ。
彼女は「私が自分だけの香水が欲しかっただけ」だと笑うが、エリカとしては彼女に感謝しても仕切れない。
そうして侯爵令嬢の力添えもあり、エリカの作った香りはじわじわと広がっていき、エリカが作った香りの基礎は「エリカノート」と呼ばれ、今では香水の基礎の一つだ。
エリカはエリカノート・フレグランスというブランドを立ち上げ、女手一人でその地位を築き上げたのだ。
その結果兄の作った借金は数年で返しきり、今ではさらに黒字で実家よりもエリカの方が金持ちだろう。育ててくれた恩もあるからと男爵家にお金を入れると、姉からもういらないからと蹴り返されるので、香水専門店をあちこちに開いてみた。平民向けと貴族向けで階を分け、安価なものから高価なものまで。幅広くあるものの「香」だけ扱った結果。
莫大な資産とともに、一代限りで「ノート子爵」を名乗ることを許されたぐらいには成功した。
そうして女一人で走り続けた結果、男っ気ひとつなくバリバリ働くエリカ・テンプル・ノート子爵二十五歳が出来上がった。
「ふふ、相変わらず忙しそうね、エリカ」
「御機嫌よう。奥様の変わらぬ美しさに私はうっとりと恋をしてしまうような心地ですわ」
ひらりと扇子を広げて微笑むのは、エリカの恩人であり、雇い主だったヴィクトリアだ。こうしてエリカが侍女を辞め、ヴィクトリアが結婚したあとでも彼女は変わらずにエリカブランドの一番のファンであり、お得意であり、そして親友であった。三つ離れた歳の差はほとんど感じず、身分の垣根も何もかも超えて、胸を張ってエリカはヴィクトリアを友と呼べる。
「やだわ、そんな他人行儀な。いつも通りヴィッキーって呼んでちょうだい」
「私がいつ、貴女をヴィッキーって呼んだかしらトリア?」
クスクスと笑いながらエリカはマグノリアとカシスの魔力にほんのりとシナモンとジンジャーを効かせた香水を取り出すと、一滴だけ小さなカードに落としてヴィクトリアに渡す。
「……ああ、素敵な香り」
「トリアにはやっぱりマグノリアの香りが一番ね。トリアの魔力との相性もいいわ。カシスは旦那様の魔力と合わさると、少しまろやかな香りになるわ」
「最初に香るのは何かしら?」
「レモングラスを中心としたハーバルノートよ。つけた瞬間、トリアの意識がかちりと切り替わり、貴女は世界で一番私の香りを美しくまとえる女になれるわ」
「もう、最高よエリカ!」
キスを贈りたいわ、なんて笑って、ヴィクトリアは深く深呼吸する。
「この香りで、バスソルトとシャワーオイル、あとはクリームが作れるわね。ルームフレグランスはトリアの香りを邪魔しないように、薔薇の朝露の魔力から作ったフレグランスはどうかしら?」
「素敵よ、大好き! 愛してるわエリカ!」
「やだ、浮気かしら」
楽しげに笑っていると、メイドがいそいそと近付いてきてヴィクトリアに話しかける。ヴィクトリアは驚いたように少し目を見開くと、エリカの方を向いた。
「……エリカ。今ジョエル様にお客様がいらっしゃってて」
「旦那様に?」
「そう、そのお客様がエリカがここにいるって聞いて、ぜひ一度お会いしたいって」
「旦那様の、お客様が?」
ヴィクトリアの結婚相手であり、この家の主人であるジョエルの名に、エリカは首を傾げる。ジョエルは基本的にいつも同じフレグランスを調合して定期的に納めているので、ヴィクトリアに会う時に渡せば事がすむ。だから会うことは少なく、交友関係もあまりわからない。
いくつかの有名な繋がりはわかっているが、そのどれもがエリカが会えるような方ではない。
ここで考えても仕方ない、とエリカはヴィクトリアを見て頷いた。
「旦那様の紹介です。お会いしますわ」
「……そう。なら私が案内するわ。ジョエル様は書斎かしら?」
「いえ。旦那様とお客様はもうそこまでお見えでして、お会いできるならこちらへ直接伺うと」
「なら追加で席とお茶をお願いね。……エリカ」
「はい」
「今日、貴女は私としか会っていないわ」
ヴィクトリアの言葉に、エリカは笑って頷く。
「ええ。私はトリアに会いにきたんですもの」
つまり、今から会う人については一切口にしないという約束だ。ヴィクトリアがそうね、と微笑んだのと同時に、ヴィクトリアの夫でありこの屋敷の主人であるジョエル、そしてその後ろから入ってきたその存在。
その眩いばかりのプラチナブロンドと、淡いライラックの瞳を認識した途端、エリカは立ち上がり深く深く頭を下げた。
「エリカ女史よ、頭を上げておくれ。非公式の場だ。今ここにこいつはいないことになっている」
「こいつ、とは随分な言いようだな。レディ・ノート。気にせず気軽に。さあ顔を上げてくれ」
貴き方は声も美しいのね、とエリカは恐る恐る顔をあげる。
「御機嫌よう、エリカ・テンプル・ノートでございます。お目にかかれ、大変光栄です。……クリストファー殿下」
「殿下はつけなくていい。もう王族でもない、ただの城勤めの侯爵さ」
何が城勤めだ、と心の中で呟く。まさかエリカが知るジョエルとの親交が深い方々の中で、一番高貴な方が来るとは思わなかったのだ。
クリストファー・ライリー。国王夫妻の末の息子であり、王太子の弟。数年前に王族から抜けライリー侯の名を授かり、領地は持たずに城に勤める元王子である。ジョエルとは同時期に学園に入学したこともあり、その頃からの付き合い、というのがエリカの知る情報だ。
「国一番の調合師と会えて光栄だ。気軽にクリスと呼んでくれ」
「エリカ、彼のことは深く気にしなくていいわ。クリストファー様はこういう方なのよ」
「そうだ。クリスに敬意を払おうとは思わなくていい」
「随分な言いようだなあ」
苦笑するクリストファーに緊張しながらもお言葉に甘えて、と顔を上げ席につく。落ち着くために一口紅茶を飲み、息を吐いて。
「レディ・ノート。君に一つ、依頼をしたい。できれば早急、叶うなら今日か明日にでも」
「……それは香りの調合ですか?」
「そうだな。……魔力を抽出して欲しいものがある」
仕事の話だ。エリカの脳がかちりと切り替わる。背筋を伸ばすと、エリカはまっすぐにクリストファーを見た。
「今日か明日、ということはつまり魔力が失われつつある物、ということですか? 早急に、ということ生花のような生き物でございますね」
「察しがいいな。その通りだ」
「その物は今お持ちでしょうか?」
「いや。自宅にある」
「なるほど」
少し考え、頭の中で本日と明日の予定を整理する。明日は丸一日調合に使う予定で、部下達もそれで押さえてある。ならば伺うなら今日だろう。早いに越したことが無いはずだ。
「トリア、旦那様。本日ご購入いただいた物は完成次第一週間以内に届けさせます。本日はこれにて失礼してもよろしいでしょうか?」
「仕方ないですわね。クリストファー様、私とエリカの時間を邪魔したのですから、今度お詫びを要求致しますわね」
「下手に贈り物をすると、ジョエルに睨まれるんだがな……姉におすすめの紅茶と茶菓子を聞いておこう」
本当に仲がよろしいのね、と名残惜しげに紅茶を一口飲むと、エリカは立ち上がった。一礼をして荷物を持ってくるようにメイドにお願いする。
人生で一番の上客だわ、とエリカはこっそりと唾を飲み込んだ。