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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界転生したけど幼女のヒモになった件

作者: 煙道 紫

人歴200年、当時アクィタニア帝国ほど、豊かな国土を擁し、物品の流通に力を入れている国はなかった。


そしてこの広大な帝国の辺境は強靭な肉体と精神を持つ誇り高き軍隊によって守られていた。


国内をみれば、当時としては非常に珍しい他国の種族に対しての平等宣言。


法や平等宣言により凡ゆる種族から数えることが出来ない程の技術が(もたら)され、力強い繁栄の中で人々はその恵みを湯水の様に費やしていた。


政に関しても共和制の理念が重んじられ、最高権威である元老院も皇帝ガルスに行政権について全てを委ねていた。


さてこのアクィタニア帝国に1つ人々に囁かれる事があった。


それは当時、血の力が強い貴族社会において一般人が皇帝に名指しで指名されると言う異例中の異例。


しかも、その男に皇帝が頭を垂れた。という反逆とも取れる噂噺。


しかし、当時皇帝はその噂噺をする事に罪を与えなかった事で信憑性を増し、詩人に語られるまでになった男。



詩人はこう語る。



男は完璧主義な芸術家であり発想力豊かな料理人であり誠実な医師であり小鳥と語らう音楽家であり偉大な発明家であった。


城で街で村で平野で。

この国に住む者で誰一人として知らぬ者は居ない。


男の名を聞いてみるが良い。


野に聞けば野狐が返し、山に聞けば小鳥が返す。


海に聞けば波が返し、天に聞けば風が返す。



その男の名は



ヒロシ・ヌンティウス。


後に皇帝より『伝える人(ヌンティウス)』と名付けられた、アクィタニア帝国が認める大賢者である。







私が調べる限りでは、およそアクィタニア帝国の征服事業はその大体が終了し、戦いは主に貴族が各々の領地の防衛に専念する事で一応の終息を迎えていた。


今や周辺の蛮族よりむしろ、我が身を危うくする征服事業などは企てぬ事が貴族の義務とも利益ともになっていた。


かくして豊穣の地に住むアクィタニア人は大きくなり過ぎた国土を、平等宣言でもって集まって来た凡ゆる種族に労働の義務を与え、耕させた。


「ってところかな」


ナイハラ・ヒロシは城下町を一通り見学し終えるとおおよそ自分が知る限りの知識を総動員して纏めた。


城まで続く一本の大通りの路肩では、様々な店が軒を連ね、多種多様の知的生物が群れをなす蟻の様に溢れている。


大きな噴水広場では哲学者達が自身の考える道を目の前の大衆に大声で示していた。


私は噴水の脇にあるベンチに腰掛ける。

目を閉じると水音と共に聞こえる哲学者の主張。


「人間とは二本脚で羽根の無い動物である」


私はクスリと笑うと姿勢を楽にした。大衆は「成る程、確かに!」と話し合い中々好評であるらしい。多種多様の種族が入り乱れるこの国では、他種族と自分達を分けて考える為の定義付け遊びがブームらしかった。


この国の哲学者はある意味コメディアンなのだ。民衆を愉しませる事で収入を得る大道芸人のようなものである。


心地よい風が頬を撫でる。


思わず伸びをして目を開けるといつの間にか先の哲学者を先頭に大衆が私の座るベンチを囲んでいた。


「なにか?」


「お前は何故私の哲学を笑った?」


目の前にご老人が威圧的に立っていた。

不運にも私の笑い声は彼のカンに触ってしまった様である。


白く長い髭とは対称に赤い顔が私を睨み付ける。


「あれを見よ」


私は彼の問いには答えずに肉屋を指差した。彼も大衆も指差す方向を正しく向いた。

肉屋では羽を毟られた鶏が紐に括られて売られている。


「お前の主張で言うと、あれは人間の死体を売る店である。お前の主張を通すなら良心に従いあの店を破壊せよ」


彼は俯き、赤面は別の種類のそれになっていた。先程まで彼の考えを肯定していた大衆も彼に倣った。


「・・・ではお前は人間を何だと考えるのだ。私を笑うならお前の哲学を聞かせるべきではないのか」


「人間は考える葦である。天に於いて最も弱い存在である。が、人間には考える力がある。その力は天より尊く天をも包む」


「それは何故か」


「私が私の尊厳を求めなければならないのは空間からでは無く私の心からである。例え私が多くの土地を有していたとしても、天より優れていることにはならない。天は空間により私を包むが、私は私の考えにより天を包む」


彼は顎に手を当て考え込む。周りの民衆は理解出来なかったようで、その大体がキョロキョロと辺りを見回すか彼を見つめている。

暫くすると何かを得たような顔をして頷いた。


()ともう少し話がしたい」


すると、周りの民衆がざわめく。

私としては、彼の大道芸を笑ってしまった為、非常に気まずいので断る事にした。


「残念だがこれから昼食でね。付き合っている暇は無い」


民衆が更にざわめく。

先のパフォーマンスに当てられて気持ちが大きくなっているのだろうか。オーバーリアクションである。


「では私が食事に招待しよう」


いや、そこは折れろよ。

ならば、


「今日は人間(・・)を食べたい気分なんだ」


皮肉による口撃で退散すべし。

お前と気まずい時間を送る気はない。


彼は俯き苦笑いを作った。


「私の哲学か。・・・ならば、先のに“爪の平たい”という事を付け足そう。食事に関しては心配いらない。好きなものを注文して欲しい」


・・・意外と怒ってないのか。爺一人での食事が寂しいのか随分粘着してくる。

一度きりだし、ここは折れるか。


「わかった。着いて行く」


まぁ仕方ない。

ご老人に案内されるがまま道を歩く。

大通りを城に向って真っ直ぐ進んでいると不自然な事に気付いた。

ご老人の歩く先、種族に関わらず道を開ける。この国に来て日が浅いが、老人に優しくするというこの国の人間性に少し感動していた。

目的の店には大通りを30分程進んで漸く到着した。


門構えは白く大きな石を切り出したであろう四角いブロックがレンガのように積み上げられ、その高さは私10人分程である。

警備は厳重らしく門前に2人、門上に3人。

問をくぐり抜けると花と木が調和する庭園に、続いて白く威厳ある城。




そう、城。




正直、城門が近付くに連れて不安はあった。もしかして。いやしかし、そんな筈は無いと現実逃避していたのだ。だってわかる訳無いだろう。


「さあ、着いたよ。此処で食べようか」


このご老人が領主だなんて。



中庭の花園。白い百合と赤いチューリップが美しい庭園に通された。


白い木の椅子に同じく白い一本足の机。どちらにも見事な彫刻が彫られている。


私が席に着くと対面の席に座るご老人の相手をしながら、メイドがチラチラと視線を向けてくる。

私は意地悪くしようと思い、手元のカメラを向けシャッターを切ると1枚の小さな紙が出て来る。


メイドはシャッター音にびくりと身体を硬直させると足早に去って行った。


印刷された写真には見た目麗しい少女がメイドのコスプレをしている姿が写っていた。

これは良いものである。


「お客人それは何か?」


まぁ目の前にいた領主にバレぬ筈もなく当然見つかる。ご老人が不思議そうに尋ねてくるあたりこの地方でカメラは珍しいものであるのだろう。


「ああ、写真である」


ほら、と言って出て来た写真をご老人に渡す。

勝手にメイドを撮ったのだから少し罪悪感もあった為手渡すことに抵抗はなかった。


写真を見たご老人は驚いた様に声を上げ、また思考に耽る。


「成る程、真実を写すから写真か。君は芸術家でもあった訳だ。いや、発明家か。この国に瞬時に絵を描く機械など無い。そんなものが有ったら絵描き達の商売が出来なくなるからな。油絵とは違う平たんで小さな絵であるが確かにコレはギボン以外にあり得ぬ」


メイドの名前はギボンと言うらしい。


「それはどうも。余りペタペタと触ってくれるなよ、汚れる」


私は可愛いメイドを撮れた事で少し気分が良かったがご老人が写真に指紋を付けるのでさっさと取り返したかった。


「君よ、コレを売ってくれないか?」


それは困る。可愛い少女の写真は自分で使いたい(・・・・)


「言い値で買おう」


良し(ベネ)売った。」


何事にも先立つ物は必要である。

ご老人は姿勢を正すと声を新たにして言った。


「さて、君よ。出来れば名前を教えて欲しい。同じく哲学を学ぶ人間なのだ、別の道を行くとは言えお互いに得るものがある筈だ」


「ナイハラ・ヒロシ。暇人である」


「うむ。私はアウグストゥス・ティベリス前領主である。してヒロシよ、君の師を教えてくれないか?」


「私に師は居ない。強いて言うなら(ネットの)海である」


ネットで少し見た物を受け売りしているだけだ。


「自然崇拝?では、何故哲学に秀でている?民衆は私の言葉を否定出来なかった。師が居なければその程度という事だ」


このご老人は典型的な哲学者だな。

こうした理性人は大衆を無知蒙昧と考えている事が殆どだ。勿論内心で。


「ティベリスよ哲学とは何か考えた事はあるかね」


「無論。この世の原理をを理性で以て求める学問である」


「私は自分の人生論。つまり、生き方だと思っている。似てはいても全く同じ生き方をしている人間が居ない様に。同じものを見ても感じ方が個人によって違う様に。死へ向かう道は多岐に渡る」


「つまり、人は常に自身の哲学の先駆者であると?」


「然り。だが自覚の無い者もいる」


「成る程。私は、考え方が根本的に違うからヒロシの哲学に興味を持ったのか」


「失礼します」


ティベリスが語る前に先のメイドであるギボンが食事を持って来た。


チキンの丸焼きに切ったフルーツ。拳大の黒く丸いパンが各々の目の前に置かれた。

ギボンはチキンをナイフで切り分けてティベリスの皿から盛る。恐るべき事にチキンの丸焼きの腹にナイフを入れた瞬間に血が噴き出す。私が驚いている所を構わずに解体するギボン。ティベリスも特に何も言わない事からコレが当たり前の食事風景らしい。


「ティベリスよ、コレは」


私が声を震わせながら聞くとティベリスは柔かに笑う。

うわっ生の内蔵が出て来た。


「コッケッコーの丸焼きである。君と云う良き哲学者に出会えたのだ。市場の痩せた物では無く、食す為に育てた物だ」


いや、そういうことじゃない。

この鳥はまんま鶏である。

私が元いた世界では食品衛生的に鳥肉を生や生に近い状態で食べるのは馬鹿か阿呆のすることであった。

魚を生食する事はあったが、獣肉を生食する際には厳しい基準があった。その中で基準が設けられていなかったのが鳥肉である。

つまり、国も鳥肉を生食する馬鹿は居ないという前提で設定した衛生法であった。


しかし、生活に密着している食事に関して悪く言うのは異文化交流の最大のタブー。食事はその国の民を養ってきた誇りなのだ。


覚悟を決める時である。


「脂の乗りといい、ナイフで切った時の身の柔らかさといい素晴らしい物だな」


嘘はいけない。だから褒められる部分を褒める。

血のスープが出来上がっている皿の上はなるべく見ないようにした。


「わははは、そうだろう。そうだろう。何せ城で飼っている一番上等のやつだからな!」


ティベリスは随分とご機嫌である。

ギボンが焼けた身と血に濡れた内臓を同じ皿(・・・)に切り分け食事が始まった。


私はなるべく血の付いていない良く焼けた身を少しずつ食べる。塩味は無く、口の中で筋張った身が繊維質に裂ける。

主食であろうパンを手に取ると小さいにも関わらず、ずっしりと重かった。


割って中を確かめると成る程、無発酵の小麦生地を焼いただけのようで、断面に気泡は無く私の知る限りナンの様な物であると分かった。しかし、ナンと違い丸く成形している為にモチャッとしている。


ティベリスを見ると血に浸った身を其の儘フォークで食べ、パンを千切って口に運んでいた。


それに倣うと成る程、血の味に混じってベリーの甘味。正直私の口に合わないが血を調味料として使うのは異文化を強く感じた。

血は栄養価が高く、血を啜る文化は各所に多くあり、日本もその一つである。


しかし、


「お互い3日後には腹痛を覚悟しなければならないな」


「む?何の話だ」


あっ、ヤバイ。口に出てたか。

私の言葉を違う意味で捉えたのかティベリスは首を傾げている。

適当に誤魔化すか。


「み、未来が見えただけである」


ちょっと噛んだ。


その後も食事は進み、私は写真の代金とまた近いうちに語らおうという言葉を貰い城を出た。

腕時計を見ると14時。正午を少し過ぎた位で到着したのだから2時間近く居座っていたという事になる。

私は城下町に下り、店で塩を買って宿に入った。腹を下すかもしれないのだから塩は必要であったが、塩の値段に少し足せば安宿1泊の値段と同じになる事から高価である。

そして赤く鈍色の岩塩塊は削る手間があった。


今日の外での用事は特に無いし、このまま宿屋で過ごそう。


備え付けのベルを鳴らし宿屋の息子を呼びつけると塩を挽く為の擂り金を借りる為に声を掛けた。


「擂り金を借りたい。あと、今日の食事はなんだい?」


この宿屋には宿泊する者は1階の食堂で夕食を安く食べることができるというサービスがあった。


「ブービーの血のシチューです。サラダとビスケット、ワインが1杯付いて銅貨4枚ですよ。擂り金は貸し出し用のキッチンで使ってください。使用後は洗って元の場所に戻してくれればいいです」


「ありがとう。早速使わせて貰おうかな」


宿屋の息子と共に部屋を出る。施錠した事を確認した後、貸し出し用のキッチンに案内され目的を果たすと再び部屋に戻り、荒く削られた食塩を小指につけて舐めた。


「しょっぱ苦い」


理由は簡単だ。鉄か銅が入っている。だから鈍色なのだ。

何故動物の血が料理に取り入れられているのかが判った気がする。


純粋に不味いのだ。


動物の血も美味しくはない。しかし、この精製していない塩よりはマシであった。岩塩と言えば聞こえはいいが、食用の不純物の少ない岩塩と工業用に使用される岩塩の違いが出来ていないのだろう。

それに動物の血は態々運ぶ手間もない。狩をすれば、肉と共に得ることが出来るので岩塩は買い手が少ないだろう。


これに砂糖があれば、スポーツドリンク擬きが出来たが、これ以上質の悪い物に銅貨を積む気にはなれなかった。


私は立ち上がると部屋を出る。摺り金を返しに行くつでに飲み水の場所を確認し手持の水筒にたっぷりと給水した後、部屋に上がる。


それから、夕食の時間になるまで筋力トレーニングと聖書の勉強に取り組んだ。



夕食である。


宿屋の息子が運んできたのは血のシチュー。昼食のアレで多少慣れているとはいえ、獣臭い赤黒い色に白濁色を足した様なシチューに食欲をそそられる筈もなく、サラダは野味の多い葉がそのまま出された。


シチューを一匙掬うとデロデロした半固形。ダマが熱によって出来の悪いうどんのような食感になっている。


ビスケットは味が無く、手で割れない程に硬い。

仕方なくビスケットをシチューに放り込みふやかして食べる。

良く言えば豚のレバーパテ。悪く言えば少し腐ったレバーペースト。

獣臭さが致命的だが吐き戻す程でもないという冒涜的な味。


まぁ経験の一つだと思い無言で食べる。

唯一ワインだけが新鮮さを出していた。


無言の食事を終えると、香草を取り出して度数の高いアルコールを口に入れ良く噛む。アルコールの刺激と唐辛子の種の様な辛味が口内を犯す。これが歯磨き代わりになるらしいのであった。


食事皿を1階の食器置き場に戻すと翌日の予定を立てる。


先ずは金。


多少の金貨はあれどもどの程度の価値があるのかさえ解らない。

市場調査に価値観の擦り合わせ。何が求められているかを把握し、稼がなくてはならない。


どのように稼ぐかを思考していると、夜は深くなっていった。





翌朝。


私の朝は早い。


勉強の日なのだ。励まねばならない。


先ずは金銭感覚。市場へ向かう。


何がどの程度の価値なのかを把握するために最も適しているのが市場であるからだ。


腕時計を確認すると午前5時。


やや早いが、後30分もすれば市場も動き回り、喧騒に塗れた混沌とした様を見せてくれるだろう。


宿屋を出て、暫く歩くと大通りに出る。


ティベリスが演説をしていた広場を遠目で見やると、なにやら4、5十人程の白人達が集会を開いている。


黒いローブに金のラインが3本縦に走っている。全員がフードを目深く被り、金の腕輪をカチカチ鳴らしている様がとても怪しい。


「「「「「にゃるしゅたん!にゃるがしゃんな!にゃるしゅたん!にゃるがしゃんな!」」」」」


「おー?、あれは・・・なるほど」


あれは何らかの宗教なのだろう。

私と同じく、団体を遠目で見るように何人かの人間がいるが、誰一人とてあの猫の鳴き声の様な呪文(?)を嘲笑う者はいなかった。


成る程。このアクィタニアの精神は実に寛容であり、日本と似たような多神教崇拝に整然とした体系が(もたら)されている事は誰の目にも明らかであった。


この国の全貌がまた一つ掴めた気がした。実利的で虚栄を捨てる寛容な政策。成れば、この帝国は何らかの大志を抱いている事は想像に難くない。


人は誰でも褒められたい。上に見られたいという欲求がある。国も同じだ。他国より強大に優れて見えるように背伸びをしている。

貧乏でも巨万の富があると言い張る。


それが虚栄。


その欲を振り払い、地に足の付いた考え方が出来るのは、欲を捨てた僧かそんなモノは意味がないと知っている人間。


前者は世捨て人だ。こと俗世に関してはクソ程も役に立たない。


後者は虚栄心などでは満足しない欲深い人間だ。そしてその大体の人間が生まれながらに恵まれ、下を見続けた人間だ。


儲けのヒントがこんな所で見つかった。

国の大志。そこを正確に突けば生活に困らない程度の金を得ることが出来るに違いない。


勉強をするのにペンやノートをケチる学生など居ない。それは、勉強する事の価値を知っているからだ。

なら、私がそれ等を提供してやれば良い。


市場へ歩き始める。


金を積んでも惜しくないと思える商品。

一定金額以上稼ぐ事ができ、定期的に消費者から求められる・・・消耗品が良いか。


帝国には独占禁止法がない。そして特許権もない。簡単に真似されないと言う事は商品を開発する点に置いて必須だ。


大金を得るには、帝国の技術力を見て今現在開発されていない、若くは真似できない程複雑なモノを売り付ける。


思考に耽っていると何時の間にか市場に着いたようだ。


市場になる大通りでは、商人達が市の準備を開始していた。

偶に怒鳴り声が聞こえてくるのが(やかま)しい。

暇な人など居ないだろうと思い、大通りのど真ん中を我が道の様にゆっくりと歩いて行く。商人達は品出し中で忙しそうに商品を運んでいる。私は運ばれる商品を見ることで平民の生活基準を見出した。


食事は言うまでもない。焼くか煮る。火加減も正しくないし、下処理していない。正しい食材の知識が無い。洗練されていない事から貧富の差が激しいか、帝国が豊かになったのは最近の事であることが判る。

つまり、国は豊かだが平民に還元されずにいるか(貧富の差が激しい程、国の平均的(・・・)な豊かさが低い。上位者を押し上げるより、弱者を引き上げた方が経済的に効果的である。真の豊かさとは少ない上位者が肥える事では無く、皆が飢えない事にある)未だ争いの火種が燻っているという事(征服事業は完了しているが、その名残を消し切れていない場合、敗れた軍の兵士が盗賊や犯罪者になる事が多い。此れ等を撃滅して始めて平和と言える)である。


必要なモノとして述べておかなかくてはならない事は、家族は基本的に爺婆含めた3世帯又は2世帯が多く、その殆どが農民であり、職業選択の自由は無い。多くの人間が生まれながらに職業が決まっており、主は血による。つまり、50歳のベテラン商人が10代の商会主の子供の下で働くという場合もあり、それが″最も上手く行く″という一種の盲信に取り憑かれているという事と、


流通する銭は全て金、銀、銅の実物貨幣であるという事だ。


そしてこの帝国必要なのは、平民に配られるべき潤沢な食料又は残り火を消すための兵器や武器である。


言うまでもなく、私に殺人兵器の設計図など書けるはずがなく頼るべきツテもない。


これは連想ゲームの内に留まるが、この国の大志は繁栄ではないだろうか。


長い征服事業により、これまで発展しなかったモノに力を注ぐというのは正しいサイクルの一部の様に思う。(戦争によって外敵が居なくなった為、次は自分達が栄えることに力を入れようとする自然的な考え。邪魔者が居ないし敗国の技術等が流れ込んでくるので発展の速度は早くなる可能性がある)


他種族を受け入れる政策は軍事力強化の一面が見られる。しかし、平等宣言をしている以上は、こと戦争に於いて常に後手に回ると言う事だ。となると、必然的に後手に回っても相手を滅ぼしきれる戦力があるか強大になり過ぎて敵がいないかのどちらかだとも思える。


頼るべく友人さえ居ないし、自身に出来る事が少ないと選択の幅が狭くなるのは子供の頃から嫌という程教えられてきたが、正直、発展途上の国の土人の中で生活するとは思っていなかったので、私の行動は聞き齧りの知識と貧相な想像に寄る事になっている。


周りが慌しく動く中、自身は何もできないという無力さが私を恥で染めた。


民衆が欲しがっているのは食料(パン)である。

征服事業が終わり、所謂繁栄の段階に入っているのであれば兵役に殉じた民衆は放置された農業が原因で餓え、商人は物資不足を補った結果肥え太る。広大な土地を耕す事を義務化しているのは、消費に対し生産が追い付いていないか、国家の諸議会に抑制の精神を取り入れ平和主義に傾いたアクィタニア帝国の皇帝が新たな軍事行動から得られるものがほとんどないと考えている事である。


国が欲しがっているのは新しい知識である。

知識が齎す結果は国家繁栄に必要不可欠であり、詰まるところ多種族を受け入れたという事はその多種族が持ち得る英知を集め、より良い発展につなげるという事だ。


折角金を得る方法を考え付いたのに量産するには、前者は投資を受けなければ実現は難しく、習慣に対する考え方をを変える事になる。つまりは長期事業になるのだ。


後者は自身での実現は不可能だ。

結局、自分一人で出来る事など高が知れていると言う事だ。


私は広場のベンチに座り、胸ポケットからロングピースを取り出してライターで火を着けた。

ヴァージニア葉特有の青臭さとバニラの甘い香りが周囲に漂う。


「ふー。はぁ」


軽く上を向きタバコの煙と共に溜息を溢すと青い空に紫煙が溶け込んで行く。


「どーしたもんかねぇ」


私はタバコを吸っている間は何も考えないようにしている。何回か弱くタバコを吸うと自然と愚痴が溢れた。


広場では黒いローブに赤色のラインが5本入った集団が


「「「「「いあ、いあ、くとぅるふ、ふたぐん」」」」」


と歌の様な呪文?を合唱していた。


別の集団だろうか?声を聴くに此方は男性が多いようだった。


空を見上げると羊雲が青空の中を歩いていた。私の紫煙もあの羊の一部になっただろうか?


「おい、お前」


ふー、と煙を吐き出す。獣人やエルフ?や二足歩行する獣。人種のサラダボウルと言った言葉が在るが、帝国はどちらかというと動物園に近いかもしれない。


「おい!お前!」


広場でいそいそと働く二足歩行の犬猫や小さい熊を遠目で見ていると、抱き上げて愛ででやりたいくらいである。・・・ダニさえいなければだが。


「無視すんなっ!」


急に肩を掴まれる。

私は驚き相手の手首の関節を固定してしまった。


「痛っ!」


肩を掴んだ相手は12、13歳程の金髪の男の子だった。


「ああすまない。して、どなたかな?」


タバコを咥えたままなので会話がし辛いが、子供であれ、急に肩を掴まれたのだ。恐ろしい事が起こらないよう注意すべきだった。


「痛いって!離せよ!」


私は少年の手首を離し、強く身体を押した。


少年は転びそうになりながらも距離を置いて此方に振り返ってきた。


「それ以上近付くな。怪我、したくないだろ?」


「随分、強気じゃん」


子供が拗ねたように言った。


「お前との接点がない以上、俺がお前に話し掛けられる理由が無いだろう。知らない子供に急に触られたのだから防衛は必然だ。要件を言え、無いなら去れ」


要件が無いなら普通は話しかけないが、相手は何をするか分からない子供である。


「それ」


少年は私の顔に指を指した 。

先を辿ると咥えたタバコ。


「貰おうかと思ったんだよ」


買おう、では無く貰おうだ。図々しいが、

子供がタバコを買うことができないのは明らかになった。私も高校生位の頃はカッコつけで吸いたいと思った事はあるが手は出さなかった。そもそも大人が子供の喫煙を許すわけが無い。


「此れは大人の物だ。子供はキャンディでも舐めていろ」


ズボンのポケットからコーヒーキャンディを1つ取り出し、子供に投げ渡すと何処かに行けとジェスチャーをしてベンチに座る。


少年は不思議そうな顔をしながら投げ渡されたキャンディの包装を舐めた。


「味が無い」


「袋を破れアホ」


少年は言われた通りにし、中身を口に含むと笑顔になった。


「甘い」


「そうか、もう去れ」


私はタバコをふかす。

私は子供が好きでは無かった。男女関わらず高い声は女の金切り声の様に耳に触るし、無遠慮にペタペタと触ってくるのは煩わしい。


今も折角の休憩時間を邪魔されたのだ。好きになれる筈がなかった。

吸い始めて8分程経っただろうか。タバコも後2、3回吸えば燃え尽きる。


子供はニコニコしながら私の様子をずっと見ていた。


「よしっ」


気合を入れて立ち上がる。

邪魔が入ったが休憩は休憩である。


今の目標は自身を満足させつつ、余った分を売りに出せる食料だ。このアクィタニア帝国の大通りを見る限り食材はあれど、調理された食品はかなり少ない。そしてその何れもが満足とは程遠いクオリティである。重きは値段に置かれている為、量は少なく不味く安い。


先ずは果物と瓶を買いに行こう。酵母さえ出来ればなに、難しいことはない。


この世界の主食(パン)は私には合わないのだから、売るまでいかなくても自分のぶんは作っておきたい。


宿屋に窯はあった。材料などの値段によるが銅貨15枚(4食以下)の内に収めたい。それ以上は贅沢が過ぎる。


新しい目標が決まり、市場でさて、買い物だと言うのに目の前の少年はまだ私を見つめ続けている。


少年は見た目には美しいが、何もせずにニコニコと笑って此方を見る様は正直、気味が悪いし視線に圧力でもあるのだろうか、うっとおしい。

私は少年の視線から逃れる為に、手であっちへ行けとジェスチャーをしてその場から立ち去ろうとする。


「ねぇ、ちょっと待ってよ。どこ行くのさ」


「うっとおしいから失せろ」


気味の悪い子供を無視して歩き出す。

目指せ、豊かで安全な生活と自身の発展。






私は宿屋の貸し出し用の調理場に居る。


市場での買い物は終わった。

燕麦を使っているであろう黒パンが一般に普及しているにも関わらず、白い小麦粉も安い値段で売っていた。


果物も豊富にあったし、蓋付きで水が1l程度入る容器も3つ手に入れた。


材料は揃ったので酵母作りだ。


煮沸消毒した容器にブドウの様な香りと味を持つ果物を入れて、沸騰水を冷まし、温くなった物を注ぎ入れ完了である。


その他にオレンジに似た果物とリンゴの様な果物にも別の容器に同じ処理をした。


後は、1週間様子を見るために宿屋で借りた部屋の机の上に並べて置いて毎日2回混ぜるだけだ。


作業時間は1時間もかかっていない。


別の果物を使用した理由は、どの果物が酵母作りに向いているのかを調べるためで、腐らずに成功したものを今後採用するためだ。


腕時計を見ると時間は10時を少し回った所。


朝である。金銭の価値観の擦り合わせが思いの外早く終わり、世に出回っている銭貨が実物貨幣と言うのが分かっていたので時間が掛かると思っていたのだが、帝国の銭貨は最も質が良いとされているらしく、要は、どの国の銭貨より価値がある訳で、一般に過ごすのにそれ以上の知識は必要ない。


宿屋の息子曰く、帝国金貨1枚で1ヶ月は十分な食事と1人部屋が保証されるらしいので、これ以上することもない。


冒険者と言う職業が気になっているが、命のやり取りを必要とする程飢えていないし、気になる程度で手を付けて怪我するのはゴメンだ。


大通りで売っている物はもう大体調べた。

あの広場にでも行って大道芸でも見るか。


今日は勉強の日なのに。と内心でぼやきつつ、哀しきかな暇になってしまった自身を慰めるべく広場へ足を運んだ。





広場では多くの露店が建ち並び、その商品は軽い食事からアクセサリー、野菜、肉などの食材、武器や奴隷など多岐に渡る。


広場では大道芸が行われているし、よくわからない黒いローブの集団が


「「「「「あい!あい!よぐそとーす!」」」」」


と何度も合唱している。


馬鹿のように立っているだけだと、スリに会う可能性も有るので周囲に気を配る必要があるが、賑やかで好ましい空間だ。


ちらほらと視界に入る二足歩行の動物達やエルフ?が動物園のふれあい広場を思い出させる。


撫でたい。


さて、少し腹も減ったし露店で朝食でも頼もうかと思い軽食を出す露店に向かう。

売られていたのは硬いビスケットに果汁と塩味のスープ。

まあ、味はお察しだった。

器を返却しなければならないらしく、露店の前で食べるように指示された。忙しい時には食器を洗わないらしく不衛生だ。


不味く不衛生。真面(まとも)な物を食べなければ冗談抜きで病気になる。

この時私は自炊を決意した。


「あ゛〜」


食事を終えて、広場のベンチに座る。

この国は豊かだ。調理技術はともかく、食材はふんだんにあり、安価だ。浮浪者や孤児も少ないし、弱者に配給を行う教会があることからも宗教の力が強いと言う事が解る、配給を受け取る弱者の血色も良い事からそこそこの頻度で配給が有るのだろう。


「なんで俺よりもこいつの方がスープが多いんだよっ!」


汚らしい弱者が騒ぎ立てる。

配給を行っていた修道女は騒ぎを鎮めようと頭を下げているが、男が止まる気配が無い。周りの人々は彼女を遠巻きに見るばかりであった。


「大きな恩恵は感謝を生み出さない。か」


自身にも言えることだ。この発展していない世界にきて始めて自分の世界の恩恵がありがたく思った。

この男も配給を当然の事と思っているに違いない。修道女達が頻繁にコレを行うからこそ起きた問題である。

まぁ、宗教は違えども弱者救済の信念がある以上は私の信じるモノと同類であろうし、仲裁に入るか。


「もし、君よ。辞めないか」


私は男の肩を掴んだ。


「あぁん?何だてめぇ」


肩においた私の手を払い除け男は振り返った。顔を見ると至って普通の汚いおじさんだ。


「ナイハラ・ヒロシ。暇人である。君の行動は大人とは思えない程幼稚だ。成人しているなら少なくとも他人の迷惑を考えなさい」


「うるせぇ!てめぇには関係ないだろうが!」


あー。馬鹿か。一応ポケットの中に手を入れておく。


「この世に私に関係のない事は一つとてないよ。解らないのか?私の、前では、その喧しい口を閉じろと言っている」


「うるせぇ!黙れっ!」


汚い男が殴りかかってきた。まぁ、知ってた。頭の足りないものは暴力でそれを穴埋めしたがる傾向にあるし、後先考えない馬鹿な浮浪者が体裁など気にする筈もない。

私は右手で男の拳を受け、素早くポケットの中にある“激辛!熊撃退用スプレー”の噴出口を男の鼻の中に入れた。


「1ヶ月程苦しむが良い」


プシュッ


「うがああぁぁっぁあぁ」


150万スコビル(辛さの単位)のガスが男の嗅覚を一時的に奪い、男は防衛反応で涙と鼻水を垂れ流しながら崩れ落ちた。

ワンプッシュとはいえ直接鼻の中に突っ込んだのだ。対熊用の人間に優しくない基準で作られたスプレーの威力は成人が人目を気にせず泣き喚くほど痛い。


「えぐっ、いぐっ」


浮浪者はしゃくりを上げて泣いていた。

鼻の粘膜を直接犯されたのだから、私には想像できない痛みだろう。周囲を見回すと何もせずに周囲を囲っていた人々は引いていた。


「ちょっと!貴方、何やっているんですか!」


修道女が怒鳴り声をあげる。


「馬鹿に教育をした」


「何を彼に教えたというのですか!貴方はただ弱い者虐めをしただけでは無いですか!」


「お前は何を見ていたんだ?」


私は修道女を観察する。緩いウェーブのある金髪を肩まで垂らし、目は青色で歳は16か15。黒い修道服は繕った跡が良く目立った。


「あーなるほどな。お前孤児院出身だろ」


「だったらなんだと言うのですかっ!」


修道女が耳まで真っ赤に染めて噛み付いてくる。


多少のイラつきから言葉が荒んでまったが鬱陶しいのでそのまま続ける。


「基本的には、不当に殴られたら殴り返さないといけない。物理的、精神的、社会的、経済的とにかく何らかの形でな」


「貴方はやり過ぎです。組み付くだけでも良かったではありませんか!」


「組み付いた後に何をするんだ?いきなり殴りかかるのはダメな事だと諭すのか?殴り返すのは義務だ。社会そのもののために理性で以ってやらなければ不当を蔓延らせ害悪を長期に渡り呼び続ける事になる。はっきり言っておくが、不当を許すというのは寛容でなく悪徳だ。お前が、お前らがこの馬鹿を不当に許し続けた結果、この馬鹿を増長させたんだ。それに、お前は私が何をやったのかが説明できるのか?」


「何をしたのかは分かりませんが結果としてこの人は泣いています」


修道女は大声を張って少しは冷静になったのだろうか普通の会話位の声量に戻っていた。


「お前は俺が何をしたのかさえ解っていないのにどうやって俺が悪いと言い張るんだ」


「それは、」


「俺は自分のやった事がどの様な事であるかを知っている。お前は知らない。それだけだ」


私は泣いている浮浪者の元へ向かい耳元で、次は目にしますので、他人に迷惑を掛けないよう気を付けてくださいね。と囁きその場を後にした。






「うああぁぁーーー」


宿屋に帰った私は先の恥ずかしい言い合いを思い出しては呻いていた。

洗脳された宗教女のヒステリックに付き合わされてイラつき、馬鹿がする様な低次元の言い合いですらない言葉の応酬は私の羞恥心を激しく刺激した。


そもそも仲裁に入ろうなどと気を起こしたのが間違いだったのだ。多数の宗教が犇めき合うこの国で似た様な教義をあげていたので近付いてみたが、その本質は現実を見ない夢想家集団だった。

現実を見ずして何が救済か。

自分達が気持ちよくなる為だけに行動するナルシスト共め。


と悪態を吐きつつも、不用意に近付き刺激した結果がコレなので、自分が最も悪い。利己的な行動は自分を辱める行為だと知っている年齢である筈なのに。しかし、初めて人体に向けてスプレーを掛けたが、ああなるのかと人体実験をした時の高揚感もそれなりにあるしいい体験ではあった。


他人が苦しんでいる様を指差して嗤うのは性格が悪い人間の特権だ。




借りた部屋でワイン片手に寛いでいるとドアが叩かれた。


「お客様。騎士様がお見えです」


私はワインの赤色に酔っていた。


「あぁ通して構わんよ。鍵は開いている」


「失礼する」


入って来たのはフルプレートの甲冑騎士。

市内を周る治安維持の騎士たちは皮の軽装なので、お偉いさんか正装で話さなければいけない用事か。何方にしても手間な事だ。


「初めまして、ご機嫌よう騎士様。茶かワインでも如何かね?」


「いえ、此方から尋ねて来たのだからお気遣いは無用」


あー脳筋発見。

初めて会う人間が武装していたら警戒するに決まってるだろ。何されるか分かったもんじゃない。


「ではそヘルムの下を見せてくれないかな?初めて会うのだ。顔くらい見せてくれても良いではないか」


此方の目的を言ってやると、やっと飲み物を進めた理由がわかったのか騎士は暫く固まった後ヘルムを脱いだ。


「これは、重ね重ね失礼を」


蜂蜜色の短髪に彫りの深い顔。

恐らく40歳かそこら。体格もガッチリとしているし剣の装飾が過剰な事から上位騎士あたりかな。と当たりを付ける。


「まぁ座りたまえよ。腰を落ち着かせて話そうじゃないか」


「いえ、お構いなく」


もうダメなんじゃねぇかコイツ。

ヘルムの下を見せろと言った時点で此方が警戒している事は分かるだろうが。それに加えて座らないだと?

攻勢有利の立ち位置を守る時点で敵対する気しか無いじゃないか。

もう少し頭使えよ。


「それでは私1人座るのも居心地が悪いので私も立たせて頂きますかね」


そう言って窓を開け、何時でも飛び出せるように陣取る。

下を見下ろすと他の騎士は居なかった。隠れているだけかも知れないが。


「随分と警戒していらっしゃるが、何故か?」


騎士の目がギラリと光る。


「いえ、いきなり騎士様が訪ねてくるなど私にとっては大事ですからな。見ての通り根無し草ですので、この国について疎いのです。つまり、貴方が本物の騎士様かどうか検討がつきませんので警戒は当然かと」


「うむ、それもそうか。では、」


やたら、アッサリとした対応だ。浮浪者と変わらない旅人風の男に如何見られても構わないのだろう。

騎士は腰袋に手を入れゴソゴソとやると、巻物を取り出した。


「王命である。先日第三王子に渡した不思議な菓子を届けるように」


バカじゃねぇの


「私は商人ではありませんのでお断りいたします」


「そうよなぁ」


騎士は随分と困った顔になった。何故か苦労人の匂いがする。

こんな事で王命使うなよ。


「しかし、先立つものが欲しいのも事実ですので1つあたり金貨1枚でお売りいたしましょう」


腹だたしいので、吹っかける。本当に腹立たしい。


「おおっ!そうかそうか。礼はすぐ取らせる」


えっ?


「いや、美食家の王子が天上の味と城内で言いふらすので幾ら積んでも構わないと言われていたのだ」


お前らの王子1袋100円のキャンディで王命出すのかよ。


「では、今あるだけお渡しいたします」


そう言って騎士に2つのキャンディを握らせる。


「いえ、此処ででは無く、王宮でお願い致します」


ふぁっ!?



私はスーツに着替え、宿屋の息子に今夜の食事は要らないと伝えて騎士と王宮へと向かった。

道中で雑談をして分かった事だが、騎士の名前はエルニレッジ・フォウルと言うらしい。

親衛隊隊員らしく、第三王子には何時も手を焼かされているらしい。まぁあれじゃあ仕方ない。


「ご兄弟の第一、第二王子もお忙しい身ですからね。兄弟間の交流が少なく、寂しいのでしょうな」


「多感な時期ですからなぁ。身内の大人が支えて差し上げなければいけませんなぁ」


適当に騎士フォウルの愚痴を聞いていると王宮の裏口に到着した。女中達がありの如く働き回っている。


「おい、そこの女中」


フォウルが1人の女中を捕まえると、取引をする事を簡潔に伝え、部屋に通させた。


部屋で暫く待つように言われ、ソファーに腰を下ろすと若い女中が茶を持ってきた。

折角なので写真を2枚。


パシャリとレンズの切る音が2回聞こえ、排出口から写真が出てくる。


写真で団扇の様に扇ぐと、黒かった写真がじんわりと色を出していく。

女中は興味の強い性格だった様でチラチラと視線を投げかけて来た。

1枚を自分の懐に入れる。

私は手招きすると女中が近付いて来るのを待ち、隣に座らせると写真を手渡した。

青髪の美しい少女が映っている。


女中はビックリした様に

この絵はどの様に描いたのですか?と聞いてきたので、妖精さんが描いてくれたんだよと言っておいた。

女中を見ると頬が赤い。

先ほどの言葉を冗談と分かっていながらも、もしかしたら・・・と言うメルヘンへの淡い期待が彼女が女性になり切れていない事を表していた。可愛い。


|宮廷絵師に一度だけ見せる(イタズラする)事を約束して、出会いの印にと先程撮った写真を少女に渡す。

貴重な物だから折らずに大切にする様にと注意して仕事に戻した。


出された茶を飲んでいるとフォウルともう1人、赤毛の樽の様に肥った男が入ってきた。

鼻下のヒゲが美しい。


「君が天上の味と言われた菓子を売る商人かね?」


赤毛の男が話しかけて来た。


「商人ではありませんが菓子を売りに来ましたナイハラです」


「結構、さて君にお願いが有るのだが」


鼻下のヒゲを撫でながら赤毛の男が言う。

相手が名乗らない辺り今後の付き合いは無いと思う。


「お話だけ聞きましょう」


「王子の相手をして欲しい」


「それはどの様に?」


「話し相手でも、遊び相手でも構わない。王子の寂しさを紛らわせて頂きたい」


それは、余りにも私に利益が無い。私が商人だったならまだしも、唯の旅行者に頼む事では無い事は相手も良く分かっている筈だ。

ならば、


「30分につき金貨3枚でお受けいたしましょう」


相手をしてやるから金を寄越せ。いたってシンプルな取引である。

そして、この明らかに法外な要求を吹っかけて相手から交渉の席を立たせる。

これにより相手が上位者であろうと利益を含まない取引に応じないと言うスタンスと、やる気は無いと言う事を同時に示した。


子供の世話など女中にでもやらせておけば良いのだ。私がやる必要は無い。


「ふむ、では王子の教育込みでその値段で如何でしょうか?」


格差社会の闇を見た。市井では金貨1枚で十分な食料と寝床が当分の間手に入る。

さり気なく要求を増やした事以外は、まずまずな条件か。

それに、この国の格差は広い。貧乏人に人権は無いものと考えても良いだろう。

私も早く貧乏から脱却したいものである。


「私がお相手するのは本日1日だけですよ?」


ただし、子供とは極力関わりたく無い。

今日1日だけ頑張れば懐に多少の余裕ができるだろう。何事にも先立つものは必要である。


「ええ、構いませんとも。では、此方へ」


私は勉強部屋に通された。


部屋に入った瞬間にボフッと腹部に衝撃が走った。痛い。


「待っていたぞ!」


公園で会ったあいつだ。

腰に手を回し抱きついてくる。

この第三王子は多分ホモだ。流石王族、業が深い。

ドアマンの代わりをしてくれていた赤毛の男が目を開いて驚いている。


「おう、菓子持ってきたぞ」


私の不遜な態度に部屋にいた熟練の女中も驚いていた。


王子は気にして無い様なので此の儘で良いだろう。

先ずは固まっている女中に挨拶。


「ご機嫌よう。私本日限りで第三王子の教育を担当致しますナイハラと申します。短い間ですが、どうぞよろしくお願いします」


女中は私の挨拶を聞いて、動き出した。


「ご丁寧にどうも。私ママレアと申します。此方こそよろしくお願いしますね」


「それでは、時間も有りませんので早速講義でも始めましょうか?」


「折角ですので先ずはお茶でもいかがですか?」


私は未だに抱きついている王子を見た。

こいつ、菓子は次いでで話し相手が欲しかっただけじゃ無いのか。


「それでは有難く頂戴いたしましょう」


後々、契約に不備があったとか難癖付けられたら困るので早めに切り上げたい所だ。


暫くして女中が紅茶を持ってきた。茶会では無いので、作法も必要無いだろうが女中(レディ)がいるのでゆっくりとした上品な動作を心がける。

目の間に青と白の色合いが美しい砂糖壺が置かれたが、手を付けなかった。

菓子は砂糖と蜂蜜を小麦粉で練り合わせて焼いた中指と親指を合わせた程度の円形のもので、歯が痛くなるほど甘かったので1枚だけ

で遠慮しておいた。

茶を飲んでいる最中の会話で第三王子は勉強が嫌いで、頻繁に城を抜け出して城下町へ行ってしまうと言う小言を女中から聞いた。本人は何処吹く風である。

全員が茶を飲み終わったのを確認し、さて仕事に取り掛かる。


「さて、お勉強の時間です本日は城下町へ行きましょうか」


「お勉強なのに本を使わないで良いのですか」


女中が問うが、社会科見学である。


「ええ、王子は勉強がお嫌いなようですので本日は市井に溢れる一般常識の勉強です」


勉強が嫌いなら歩き回って質問された事を答える方が楽だ。

護衛をお願いできますか。と女中に質問すると、騎士の一人が派遣された。若い男だ。

王子は騎士に対し余所余所しい態度であった。


所代わり城下町の大通りである。

流石に市民に変装した騎士一人だけでは不十分と判断されたのか後からチラホラと軽装騎士が辺りを伺っている。


「なんで、外に出たの?」


「お前の勉強に対しての情熱の無さはあの女中から聞いたからな。興味がある事が増えれば自然と知りたくなるもんだ」


王子は首を傾げていたが騎士は納得している様子だった


「わからない事があるなら聞いて欲しいと言うことだ」


「ねぇ、あれは何」


王子が指差す方向には串焼きの屋台。様々な野菜と肉が焼かれ、匂いで通行人の足を止めていた。


「串焼きの屋台だな。野菜の種類が多いから八百屋と強い繋がりがある事は見ての通りだ。只肉の種類は1種類。保存性か値段を抑えているかは知らぬが肉屋との繋がりは弱いのかもしれない」


「繋がりの強弱は重要ですか?」


騎士が聞いてきた。お前もか。


「仲が良ければ、他の商人に口利きして貰えるかも知れないし、悪ければ繋がりのある店全てを敵に回す。他には、店の情報を仕入れたいときは繋がりの強い他の店に聞くのが良い」


一息に質問を返し、王子に銀貨を1枚握らせる。

王子はキョトンとしている。


「折角だ。3本買ってこい」


王子の背を押した。

早足で屋台の前に並んだ。


「良かったのですか?」


騎士が聞いてきた。


「今日は常識の教育です。会計時の計算と社交性、市民が普段どの様なものを口にしているか。得られる情報は多い筈です。勉強嫌いな子供に対して、勉強に興味を持たせるのが今日の私の課題ですから」


「なるほど、良く考えられていますね。しかし何故3本なのですか?」


分かっていても分からぬ振りをする事は大変重要なポーズだ。

少し声が弾んでいるのは若さ故だろう。


「貴方も一緒に如何です?貴方も城を出る機会は少ないでしょうし」


「ご馳走になります。しかし何故分かったのですか」


「歩いている際に視線が良く動いていたので、最初は周りを警戒していると思ったのですが、それにしては装飾品店や食事処に目を向けている時間が長かったですし、それに周囲に散開している兵隊達の意味が無くなってしまいますから」


この人は王子の近くに気を配れば良いだけなのだ。いざという時の盾になる事が仕事の筈だから。


「・・・お恥ずかしながらその通りです。何分城内で欲しいものは全て揃ってしまうので」


照れた様に頰を掻く。若者の初々しさは微笑ましいものだ。


「そう言えばお聞きしたい事が。城内の図書は一般公開されていますか?」


「いえ、関係者のみに閲覧が許可されています」


「なるほど、それは残念です」


市民に見せられない事が書いてあるのか?

単純に市民が馬鹿であった方が都合が良い事は分かるのだが。


「ナイハラさんも関係者になれば閲覧が許可されると思いますよ」


何となくお誘いされた。


「いえ、根無し草ですので」


「そうですか、残念です」


会話が途切れると丁度王子が帰ってきた。

王子が私と騎士の会話を邪魔しない様に気を利かせた事を察した私は頭を撫でてやった。


「よく出来たな」


王子は少し嬉しそうである。

串焼きと釣り銭を渡される。釣銭は表記された価格と比べ違いはなかった。騎士を連れた子供から料金を多めに取る程度胸が据わっているわけではなかったのだろう。王子は騎士に串焼きを渡すと質問を投げてきた。


「何で串に刺して焼くの?いっぺんに焼いた方が楽なのに」


手間に対しての利率の質問だろうか。


「まず、皿を使う必要がない。皿を洗う手間が省けるのだ。次にナイフとフォークを使う必要がない。子供も気軽に食べる事ができる。客層を増やす事が出来るのでより多く売れる。串に使われている木串も安いので原価を抑えられている。若干の手間で利益が上がる事を考えた商人の鑑のような商品だよ。大変良く出来ている」


「串を食材に刺しただけなのに随分と評価しているのですね」


騎士が茶化してくる。


「例え誰でも考えることの出来る単純な考えでも、そこから得られるものには高い価値がある。利益ある思いつきは金銀では買えないが、利益ある思いつきは金銀に変える事が出来る。これは不可逆なのだ、それを良く分かっている人間は立派だ」


私は王子の方を見る。


「お前も立派な大人になりなさい。只歳月を重ねただけの人間はデカイだけの子供だ。大人と子供には明確な線引きがされている。その線を越えた者だけが大人になれるのだ」


私が子供の頃から親に言われてきた事を教える。私は大人でこいつは子供だから。

大人は子供の標識になるべきだ。標識を守るか守らないかは子供次第だけど、大人のそれは義務なのだから。


「さて、さっさと食べるぞ」


頂きますと言ってからもぐもぐと焼き串を食べる。味付けなど無い。塩さえも振っていない焼いただけの肉と野菜。肉は野味が強いし野菜は品種改良されていない為か甘く無いし筋張っている。食えなくは無いので前食べた塩スープよりは幾分かマシである。


2人の様子を見たが、私と大体同じ感想を持っている様子だった。


「私の口には合いませんね」


騎士が言う。

やはり、城内の騎士ともなるとエリートなのだろうか。一般より良いものを食べる事が出来るようだ。


「出回っている塩の精度が低過ぎて使い物にならないので仕方ない部分もありますがね」


岩塩は鈍く光り海塩は精製の仕方が不完全だ。海塩については不純物が多く想像する限り、薪で熱しているだけだろう。


「美味しくない」


王子もあまり気に入らなかった様だ。

ただ、食育はここからである。


「残すなよ。料理には命が使われている。食べる為に殺したなら食べなければならない」


今日の食育の主となる部分だ。目的の為に行動したなら、その結果は目的の為に使われるべきである。


「市井の一般的な軽食だ。お前が如何に恵まれているのかを良く考えろ。働きもせずに貪る者は家畜と同じだ。食べる権利は働く義務によって生まれるという事を知れ」


「じゃあ、お手伝いでもすれば良いの?兄様達はそんな事してないよ。女中に怒られちゃうもの」


過去に何かしらが有ったらしい。善意から手伝おうとした結果がそれでは確かに報われない。


「国、延いては人にはそれぞれ役割がある。女中に闘わせる騎士など居ない。王が他人の生活の手伝いをするのは役割を逸脱しているのだ。お前の仕事は女中の手伝いでは無く、多彩な勉強だ。上に立つ者は常に先駆者でなければならない。人々を導く光で無ければ国という集合体を正しい方向へ向かわせる事が出来ないのだ。多岐にわたる道を正しく照らすのは膨大な知識と経験に他ならない。経験は刻によって齎されるので先ずは知識を得よ。刻を有効に使うか無駄に垂れ流すかは知識に依るのだから」


「けど、勉学は嫌い。本を読むより外で遊びたいよ」


「ならば、草木から学べ。自然の営みから学べ。風がお前に語りかけ、生活がお前に示す。座って学ぶのが嫌いならば歩きまわって学べ。本が全てでは無く世界が全てなのだ。当たり前の事を注視せよ。解らぬ事に目を向けよ。それがお前の知識になる。それがお前の力になる」


「ん〜。良くわかんないっ!」


「学ぼうとする姿勢が大切って事だ」


王子はまだ首を傾げている。難しい話であっただろうか。嚙み砕き、与えるという事は大変なものだ。小学校の教師とかストレスフルな毎日を送っているに違いない。

もう適当で良いか。


「女中に外出に関して文句の一でも言われたら、自然の営みを学んでいたと言えば良いって事だ。解ったな?」


「わかったっ!」


騎士は呆れ顔だ。

まぁ、私は教師では無い。先方もそれを判って私を雇い入れたのだからなに、問題は無い。

その後も行く先々で質問をされ続けた。騎士が居る手前、ある程度分かりやすい説明を強いられては居るが、逆に言えば騎士に分かりやすいと思わせれば私の評価が下がる事は無いだろう。10代と20代の理解力の差は大きいのだ。

城下町を歩き回った結果、約束の教育と言う名目は果たされ、仕事を終えた私は金貨を12枚手にする。お互い不満無く仕事を終える事が出来るのは気持ちの良いものだ。


「丸1年は働かずに過ごせるな」


不味いものを不衛生な環境で食べる事を我慢さえすれば私の言葉は現実に成るだろう。

無論、そんな気は無いが。

十分な金を得たのだ。贅沢も許されるだろうから砂糖でも買って酵母の質を上げるかな。


陽は沈み始め、闇の帳が降りてくる。

早朝にでも市場へ行こう。

明日が楽しみだ。





早朝。

小鳥の囀りと共に目を覚ます。

窓を開け、換気をすると実に冷涼な風が室内を駆け回る。腕時計を見ると午前6時。市場が開き関係者達が仕入れを行うために忙しく動き回っている時間である。

酵母の瓶を数回振った後、砂糖を求めに市場へ向かう。

次いでに市場調査としようじゃないか。

何が誰にいくらでどの程度売れるのか。

実物貨幣なのだから日本円に換算出来ないのが手間なので早目に慣れておかなくてはならない。


大通りの市場に着くとコレが帝国の日常なのだと言うように様々な人種が忙しそうに歩きまわっている。

この大通りで朝食を売る出店の営業開始時間が6時から遅くとも8時。早くに営業する出店は昨日の晩にでも仕込みを完了させている筈だからこの混雑は遅めの時間に軽食を売る店だとか昼間の買い出しだろう。

さて、砂糖は何処だろうかとフラフラ歩いていると犬の獣人の子供とぶつかってしまった。

下を見ると身なりが小汚い。この時点である程度察したので右手をポケットに入れておいた。


「ああ、すまぬな子供」


「気を付けろよな、じゃーなっ!」


小走りで子供がその場から離れようとする。

立ち回りが早いな。

腰からぶら下げていた財布が無い事を確認すると私も心置き無く行動できる。


「いや待ちたまえよ」


左手で子供の襟首を掴み強く引いた後、態勢が後ろに崩れた所で足を踏み抜く。


大勢の前で子供が履いているサンダルを大人が革靴で強く踏んだ。


これで後には引けなくなった。


「いぎゃあっ!」


私は悲鳴を上げる犬の獣人の首根っこを掴んで裏路地まで引きずり問い詰める。


「さて、私の財布を返して貰おうか?拒否するなら君は後悔する事になる」


「なんの事だよ、放せっ!」


「君が素直に話すべきだ。私は朝から気分を害されて大変怒っている。君が私から奪った財布の中には金貨が詰まっているのだからな」


「旅人がそんな大金持ってるわけ無いだろっ」


「盗みを認めたな?そもそも私の労働の対価だ。君のそれとは違う」


私は右手から“激辛!熊撃退用スプレー”を取り出し、子供の鼻に噴射口を入れる。


「最後だ。それを返せ」


「嫌だっ!金が無いとお母さんが」


事情は察した。


「残念だ、とてもな」


このスプレーは非殺傷武器である。が、非殺傷なだけで大人が人目を憚らずに泣き喚く位には強い罰だ。

対するは犬の獣人。人より鼻の粘膜の面積が大きいと言われる犬である。

だが、慈悲は無い。


「ひぃっ」


犬の獣人の悲鳴が聞こえる。


プシュッ。


「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」


声に成らない悲鳴。私は鼻を押さえて蹲る犬の獣人から財布を取り戻す。

端から見たら私が悪人だと勘違いされそうなので金貨を1枚放り投げる。


「実験の協力に感謝する。これは謝礼だ受け取りたまえ」


これで、【自分の体を売って金を得る】商売が成立した。

もし、何らかの不幸で私が詰所に連れて行かれても言い訳が出来る。この金貨は未来への投資なのだ。

まあ、貧民街で子供が金貨を持っているわけなので他の貧民に殺されるかもしれないが、そこまでは知らん。


私が裏路地から出ると何人かの人達が顔を顰めて此方を見ていた。あの子供と何かしら縁を繋いでいた人々だろうか。それとも子供に対する仕打ちを責めているのだろうか。

子供を心配する反面、警備兵も医者も呼んでやらないのだから他人の為でなく自分の気分で私を責め立てているのは自明だった。何処へ行っても人間心理は変わらないものだ。

私が襲われた時、誰一人として私を助けようと動く者は居なかったでは無いか。

子供の味方をするでも無く、私の味方をするでも無い傍観者達が何を偉そうに私を非難するのかが判らなかった。

路傍の石。まだあのヒステリック女の方が筋が通っていた。

今日はついていない日なのかもしれないな。


私は視線を振り払うように歩き出す。

運が無い日は予定を早く終わらせて部屋に篭っているのが最も良い事を経験から知っていたからであった。


周囲を見回しながら歩いていると一つの出店に目が止まる。褐色の肌をした女が切り盛りする香辛料の店であった。

私は出店の前に行き女に尋ねた。


「此処には何が売っているのかな?」


「東方のマギです。それに野菜も少しだけ置いています」


東方が何処かは判らないが女の浅黒い肌の見た目から熱帯地域である事は容易に想像できた。

輸入品から何が日持ちするかを調べる事も出来る。


「野菜を見せて貰えるかな?マギは最も安い物を」


「野菜は此方になります。最も安いマギはこれですね」


出された野菜は玉ねぎ、ほうれん草、トマト擬きで香辛料の方はニンニク、唐辛子を練り合わせたペーストが片手で持てる程の陶器の壺に入れられていた。


「野菜は3房ずつ買おう、マギは1瓶で幾らかね?」


「銅貨30枚になります」


「では1瓶」


「全部で銅貨47枚になります」


私は嵩張っていた銅貨を丁度渡し商品を受け取った。他の野菜より5割高いのでそれが送料だろう。


「次は砂糖を買わなければな」


「砂糖でしたら此方でも取り扱ってますよ」


「先に言って欲しかった」


褐色の女はクスリと澄んだ声で笑う。


「貴族様位しか買っていただけないので」


ああ、私が安いマギを求めたので商売相手とみなされなかったのか。

褐色の女は出店の裏側に回り、白と青が美しい陶器の小壺を持ってきた。中を覗くと薄く茶色味がかった砂糖が壺一杯に入っている。


「これで幾らかな」


「銀貨30枚です」


「中身だけ欲しいのだが」


「陶器と含めての販売のみの取り扱いです」


「なら、一つ」


女に金貨を渡して釣銭を貰う。

砂糖菓子が高価な理由は想像が付いていたが此処まで高価だとは思わなかった。

探せば中身だけ売っている売店もあるだろうが先の茶会で見た物と同じ陶器であったので質の方は信用しても良いだろう。中身が挿げ替えられていないかを確認する為に受け取った陶器の蓋を開けて砂糖をひとつまみ舐める。きび糖に近い柔らかい甘味が口内に広がった。塩の精度が未熟なのに対して砂糖の精度がまともであるのは客層の差か。品質は金で買う他ないと言う部分は日本と同じである。

確認を終えると、もう此処には用が無い。

褐色の女の出店を後に宿屋に戻る事にした。


宿屋に戻ると殺風景な部屋が出迎える。

借宿なのだから多くを持たないべきだとは言え机とベットのみの生活感の無い部屋は大通りの喧騒とかけ離れたところにある。

私は机の上に置いてある試作品の酵母の様子を見る。酵母液は炭酸が発生し若干濁っていた。私は瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぐ。腐敗と醗酵の違いを分けるのは人体に有害か無害かなので、匂いと味覚で判断するのが最も簡単だ。


「問題はなさそうだな」


全ての瓶を確認したがどれにも腐敗の気配は無い。それぞれの瓶に砂糖を小さじ1ずつ入れて溶かし込む。これで醗酵はより進む事だろう。


酵母の作業が終わり外を見遣る。まだ昼前で日が高い。今日は良く無い日であるし宿屋に籠るか。

私は机に座ると聖書を開く。時間に追われる事も無く、嫌な事をしているわけでも無い。こんなにも緩やかな日々を送るのは初めてかもしれない。






聖書を読み耽っていると空腹を覚えた。時間は正午、外に出る気も無いので宿の食堂に降りた。宿屋の息子に注文をして席で待って居ると腹の具合がどうにも悪い。先日ティべリスと食べた鳥の血の所為だと直ぐに判断できた。

これだから鳥の生肉は嫌だったんだ。

私はオートミールとスープを運んできた宿屋の息子に飲料水を水桶に1杯汲んで貸し出し用の調理場の鍋に入れておく様に頼んだ。

用を伝える時に銅貨を数枚握らせれば大変喜んで仕事をしてくれる。


私は食事を終えてから近場にある牧置き場から一抱えの木材を調理場に運ぶ。火口にライターで火を付けた後牧を焚べて十分な火力を得た。

水を沸騰させた後塩と砂糖を投入し経口飲料水の完成だ。未知の食物の食中毒に対しては十分な対処を取らなければならない。

例え出来ることが水分補給だけだとしても。


私は鍋一杯の経口飲料水を自室に持ち込み、机の上に置いた。約10リットル程か十分な量である。早速コップに一杯分飲んでみると出来損ないのスポーツドリンク。普段飲んでいたスポーツドリンクの完成度の高さには到底及ばないが普通の水よりは良い筈だと信じ込む。

どの程度重症化するかわからない中で最悪を想定し備える事は重要だが難しい。

3日間症状が続くとした場合10リットルの水分は妥当であった。食中毒に罹ると筋肉量が落ちるので乾燥させた果物でも買ったほうが良かったかも知れないが、動く気にはなれなかった。


敵は脱水症状とそれに伴う筋力の低下。

それさえ対処出来れば重症化し難いのだ。


ふと、同じ食事をしたティベリスの姿が浮かんだ。奴は爺だったし体力的に考えて大丈夫なのだろうか。もしかしたら私の体がこの世界に対応していないだけで、彼らは鳥の生肉を食べても問題無のだろうか?あの年齢で食中毒なんかに罹って重症化したら最悪もあるかも知れないのだが。

いや、流石に専門医が付いているだろうから問題無いか。

先ずは自分。久々の食中毒なのだから楽しもうじゃないか。楽しもうとする心から自身の発展が望めるのだから。






3日経った。

激しい吐き気から始まり4時間で若干(おさま)ると今度は腹痛。吐いている内は水分が補給出来ないので最初の症状から6時間で水分補給をした。余りの痛みに立つ事も出来なかったので大きめの壺に用を足す事になったのは何とも言えない気分だった。


1日もすれば吐き気は殆ど無くなり、丸2日で腹痛も治まった。小まめな水分補給で鍋に一杯の経口飲料水は3日目の朝に無くなった。

若干足りなかったと思うべきか、丁度良かったと思うべきかは日記に書く事にした。


自身の食中毒の経過を日記に書き記し、最も良い治療を見つけ出す。医者では無いが家庭医学位は既に取得済みだ。自分で体験したのだから今後に活かせるだろう。

今も十分に力が入らない程度には弱っているが、1、2日もすれば回復するだろうし今の内に壺の処理と食事の調達をするかな。


壺の中身は裏手にあるトイレに流し壺自体はゴミ集積所に運ぶ。

良く手を洗い、体を清拭した後乾燥した適当な果物と大豆を買った。

とにかく吸収率が高く栄養価が高い物を口にしなければ空腹で倒れそうだった。

大豆をぽりぽりと齧りながら宿へ戻る。

部屋の換気にベッドや床の消毒が必要だったが塩素系の消毒液なんて売っているのだろうか?

なんて事を考えながら宿の中に入ると見覚えのある赤髪のメイドが食事処の椅子に座っていた。こんな所に何か用事が有るのか。私は入ってすぐの席に腰を下ろすと適当に買った果実を齧りながら彼女を観察する。落ち着きが無く呼吸が荒い。良いところの従者にも関わらず袖に土汚れが有るのは何故なのか。味の薄い果実を完食すると胃腸が動き出すのを感じた。途端に腹が鳴る。


腹の音は大きく響いたようで赤髪のメイドが勢い良く此方を見つめる。

私を見た瞬間彼女の目が見開いた。


「失礼、久々の食事でね。確か、」


メイドのギボンだったか。と続けようとしたが、彼女はすたすたと此方へ向かってくると私の目の前で止まり頭を下げた。


「ティベリス様がお呼びです。早急にとの事でしたのでお迎えに上がりました」


「早急とは穏やかじゃないな。 茶会では無いらしい」


彼女を落ち着かせるためのジョークはどうやら気に入らなかったらしく鋭い視線が私を射抜いた。

まあ、浮浪者に自分の主人を馬鹿にされた様な気分だろうし忠誠心の高い者なら誰でもそうするだろう。


「お早く」


ギボンは短く答えると私を急かす。

私は、わかったよと言って席を立と彼女の先導のもと宿を出た。

ティベリスの館まで歩きで約20分か。この距離なら馬車も出ないらしい。いや、私に馬車を出す価値が無いと言うことであるに違いないが。

早急と言う割には何とも準備の悪いと心の中で愚痴を言っているとギボンは私に振り返り「失礼します」と言って私の肩部と膝の裏の関節部を持ち上げた。所謂お姫様抱っこである。

前道の通行人の視線が痛い。

私が羞恥に震えていると、ギボンは私の肩を強く支え「行きますよ」と言った瞬間に勢い良く走り出した。

頬を叩く風が痛い。


「うわーい、サラマンダーより速〜い」


上手く息が出来ないほど速力。少なくとも人間が出せる速度では無い。

余裕がある様に見せかけているが、私は白目を剥いている。


「流石にサラマンダーよりは速くありませんが一人担いだ程度で有れば馬の3倍は速いですよ」


居るのかよ。サラマンダー居るのかよ。

と言うか馬より3倍は速いって150km/h超えかよ。


「すっごーい、君は走るのが得意なフレンズなんだね」


如何にも混乱と病み上がりでの体力の減少とで知能が低下している気がしなくでも無いが冷静に考える余裕など無い。ティベリスの館に着くまで私はギボンが転ばない事を唯々祈るだけであった。






結果から言うと無事にティベリスの館に到着した。


私自身の精力を多分に消費したが、途中から初めてバイクに乗った時のような高揚感が出てきたのはギボンが腕をサスペンションの様に使い振動を最小限にしてくれたからだろう。

彼女の一歩一歩は力強く、地面に沿って飛んでいるかのようだった。機会があれば今後も頼みたいものだ。


ギボンは私を地面に降ろすと小さい中庭を通り、正面玄関(・・・・)から私を館に通した。

詰まる所、ティベリスは公式な面会としたいらしい。私はギボンの先導に続いた。根無し草に急ぎの面会など面倒事に間違いはないし、下手したら拘束される可能性さえある。問答には気を付けなければ。

ギボンの先導のままティベリスの部屋に通されると私は驚いた。

天幕張ったベッドの側には知性溢れる丸メガネをかけた男が一人。呻き声を上げているのはティベリスか。私はギボンを押し退けティベリスの元へ走った。


ベッドにはティベリスが青い顔をしながら横たわっていた。額に浮かぶ脂汗が憐れみを誘った。


「随分と弱っているじゃないか、ティベリス。私を館に引っ張って行ったあの力強さは何処へ行った?」


「ヒロシかよく来た。私はもう駄目だ。市井で流行る食傷虫に罹ってしまった。医学を勤めぬお前には解らぬだろうが、此れは貧富問わずに体力の無い者を殺す。此処まで来たら生存は難しいと私の専属医に言われてしまったのだ。私の人生に先はないだろうから最期に約束を果たそうと思ってな」


「約束?」


「昨日の食事で後も語らおうと言ったではないか」


私はティベリスの言を聞いて呆れた。何とも義理堅い奴というか、自分に真っ直ぐな奴というか。此奴の根源を垣間見た気がした。


「せめて花が咲く庭で菓子でも摘みながら語らいたかったがな」


ティベリスは苦笑して見せたが苦痛は隠せていない。


「違いない。ヒロシ、私が死ぬ前に聴かねばならない。昨日の語らいで言っていたお前の未来視は当たった。何故私が腹を痛めると解ったのか」


昨日の食事を思い出す。お互い腹痛に気を付けた方が良いとかなんとか言った気がする。


「それは、お互いに万全になってから話すのが良かろう。ティベリス、今はお前の勘違いを正さなければならない」


ティベリスは少しむくれて言い返した。

可愛く無い。


「ヒロシよ何を言っているか?老いたとは言え3、4日程度で記憶違いを起こす程呆けてはいないぞ」


「私は腹痛に苦しむと言った筈だ。お前が死ぬとは言っていない」


ティベリスの目が見開いた。


「もし、もしヒロシの言が正しいとしたら、そこに居るバーベンハイル家の長男の診断は間違っていた事になるな」


私は鼻を鳴らした。自信など無い。先程私が助かったのは若く体力が有ったからだと知っている。老人の体力で更には初期の対処が正しく行われていない可能性すらあるティベリスが、私と同様に助かる可能性は薄い。だが、此処は患者に勇気を与える場面では無いか。

気力さえ持てば助かる場合も多いのだ。ティベリスにも死ぬ迄足掻いて貰わなければ。


「フン、ひよっ子と同じにしてくれるなよ。私は先駆者だぞ?私の後に道が造られるのだ」


ティベリスは笑った。

担当医に死を宣告されたのだ。元から無い命だと思っているのだろうか。


「では、私の命をお前に預けよう」


ティベリスは目を閉じた。

好きにやれと言う事だろう。


「ギボン。大鍋に水を汲みいれて湯を沸かせ。沸騰してから5分以上沸かし続けろ。沸騰する迄の間で身体を清めろ。念入りにな」


「え、あっ。はいっ」


ギボンは戸惑っていた様だが、私の指示に従った。


「ひよっ子。患者にした処置を1から教えろ」


「急に現れてひよっ子とは失礼なっ!医学の心得が有るのならバーベンハイル家の長男であるこのケルビン・バーベンハイルを知らぬとは言わせんぞ!」


医学会での有名人の様だが、知らない。

当たり前だ。


「現場で無駄口を叩くなよ。そもそも患者の前で大声を上げるなど論外だ」


「グッ」


此れは私の八つ当たりだった。

私の茶飲み友達を絶望させた人間への子供の様な反抗心。

私の溜飲が下がるまではお相手願う事にする。


「早くしろ。まさか、自分の処置を忘れた訳では無いだろうな?」


ケルビンは舌打ちをしながら答えた。


「先ず熱い風呂に入れて身体を強く擦った後にラピの草とワインと牛の胆汁を混ぜ合わせた物を飲ませた」


「・・・ラピの草とは何だ?」


「フンっ。そんな事も知らんのか?下痢止めだ」


この国ヤバイ。病気したら即終了のお知らせが貴族の専属医から直々に宣告された。いや、私の国も医療が成熟していない時代は眉唾な施術を真面目に行う医者は多く居た。フグの毒に罹ったら地面から首だけ出して埋まるとか間抜けた事をしていた記録さえある。

多くの人の命を使い医療は前進してきた。この国に来るまでの私は幸運だったと言う事だろう。


「そのラピの草を処方した後、ティベリスは嘔吐しなかったのか?」


「したに決まっているだろう。正常な反応(・・・・・)だ」


・・・お家帰りたい。


「相判った。邪魔だけはするなよ殴るからな」


私はケルビンに踵を返しティベリスのベッドに向かう。先ずは現状を知らなければ。と、歩き出した瞬間に肩を掴まれた。


「おい、待てお前の施術を見せろ」


私は振り向きざまにケルビンの顎にアッパーカットを入れた。偶然だが綺麗に入り、ケルビンは脳を揺らされて崩れ落ちた。


「・・・邪魔したら殴ると言っただろうに。お前は鶏か?」


いや、彼は3歩も歩いていなかった。寧ろ歩いてさえいなかった。


「いや、ひよっ子か」


邪魔者は消えた。私はケルビンをそのままにしてティベリスのベッドへ向かう。


「ヒロシ、お前の傍若無人な態度は今後お前を困らせるだろうな」


ティベリスは苦笑していた。先のやり取りを見ていたらしい。目を閉じてたんじゃ無いのかよ。


「物事には優先順位がある。何よりも優先するべき事はその通りに行わなければならないだろう?それに、あの場は丸くは収まらないよ。お飯事(ままごと)をする様なひよっ子が施術の邪魔をするだろうしな」


「ヒロシとバーベンハイル家の施術はそこまで違うか?」


やはりだが、未知の施術は少し心配らしい。


「施術自体は大して変わらないよ、液体を飲んで寝るだけだ。奴の施術は症状を止める事に終始していたが、私の施術は原因の排除に有ると言うだけさ。ただ、その違いは大きい」


「今は頭が回らん」


「後で話そう。私が起こすまで寝ていろ。なるべく体力を消耗する事を控えれば2、3日で良くなるさ」


「では、そうしよう」


ティベリスは寝入った様だ。

寝付きが早いのはこちらとしても楽で良い。いや、熱い風呂に入れられて体力を消耗していたとも考えられる。排便で水分が失われるのにアルコールにプラスして風呂に入れるとか殺しにかかってるだろ。

ノックの音が聞こえたので入室を促すと入ってきたのは銀髪のメイド。湯が沸いた事を報らせに来たらしいので共に調理場へと向かった。調理場では半球の大鍋に入った水が煮え立ち、ブクブクと音を立てていた。大凡6リットルか、私はメイドに塩と砂糖を持ってくるように伝え、小さい鍋に煮湯を取り分けた。

すると急に腹が鳴る。

丸3日食事をとって居なかったのに加えてギボンに拉致されて此処まで来たのだ。回復食もまともに取れていなかったのを思い出し指先からまで力が入らないような感覚に襲われる。

厨房の周囲を見渡すと調理器具にある程度の野菜。


「ティベリスの食事という事にしておくか」


建前は立つので多めに作ろうか。味見が多くても仕方ない。うん、仕方ない。

身体を清めたギボンと銀髪のメイドが帰ってきたので私は受け取った塩と砂糖を大鍋に入れてギボンに5分以上かき混ぜ続けた後火から降ろす様に言いつけた後にコケッコーの飼育場へ案内する様に銀髪のメイドに言った。


最も肥えたコケッコーを捕まえた後、首筋をナイフで切り、血抜きをした後腹を裂いて内臓を取り出し、可食部を塩水で洗った後厨房に戻る。ギボンが沸かした熱い湯で清拭し体を簡易的に清めた。

小鍋に避けて置いた湯の中に肉を突っ込み暫くして取り出し羽を毟った後にナイフで皮面を剃り上げて取りきれなかった羽を無くす。更に火で軽く炙り、完全に羽を焼いた後に皮と肉と骨とを分けガラを細かく砕き、新しい鍋に水から煮始めた。

ギボンに肉を細かく刻ませてミンチ肉を作った後小麦粉を繋ぎに練り合わせ塩で味付け。

銀髪のメイドに温いスポーツドリンク擬きをティベリスにコップに2杯ゆっくり飲ませる様に言いつけてから先程取り分けた皮を別鍋で焼き上げて油をとった後、ガラの灰汁を掬い続けた。


2時間も炊き続ければ良い出汁ができる。

ガラを取り、そこに適当な野菜をクタクタになる迄煮て最後に鳥のミンチを小さく丸めて投入。つくねに火が通ったら完成だ。

皿を2枚用意して盛り付けた。


「ほら、味見用だ」


皿をギボンに突き出し自分用にもたっぷり盛り付けた。

スプーンでつくねを掬い上げ口に入れる。普通のつくねスープだった。塩味は薄く作ったのでやや物足りない。まあ老人用だから良いか。


「・・・美味しいですね」


何故か不機嫌な口調だった。


「素材が良いからな」


「これをティベリス様に?」


「夕食用だ。温め直した方が美味い」


ギボンの顔が歪む。

少し怒っている様だった。


「ティベリス様はコケッコーで食傷虫に罹ったのですよ?其れを・・・」


「私は私がこの世で最も正しいと言う事を毛程も疑っていない」


「つまり?」


「私が最も正しいのだから無駄な気遣いなど不要だろう?」


「賢者気取りですか?哀れですね」


「お前の中でお前は最も正しく在る。だから私を不快に思っているんだろ?其れと変わらん」


「・・・今回は納得してあげます」


反抗期の娘でも持った気分だ。恐らく1回り程違うであろう歳の少女を納得させるなど訳ない事だった。

些細な反抗心は可愛げが有る。従順さだけが評価される小学生という訳では無いだろうから歳相応なのだろう。

その娘にお姫様抱っこで此処まで連れてこられた訳だが。どういう肉体構造してるんだ。


厨房のドアからノックの音が聞こえた。銀髪のメイドが厨房に入ってきたので、十分手を洗わせた後スープとつくねを2、3口分掬い味見をさせた。2人前でも残れば十分だろうし文句は言われないだろう。

メイドは喜んで食べていのでちょっとしたご褒美になった様だった。市井の食事を知っているので、私も気持ちは十分解る。


「ティベリスはどうしている?」


「今はお休みになられています。あのお薬は言われた通りに処方しましたのでご安心くださいね」


餌付けは成功したらしく会話の距離間が近い。薬では無くスポーツドリンクと言う事を訂正した。


「将来お前の夫が肉体労働者で炎天下に仕事をするようであったら、砂糖を抜いたものでも作って持たせてやると良い。熱射病は如何に強靭な肉体を持つ者であろうとも簡単に殺す。それを予防する為の飲み物だ。塩は高いが命よりも安い筈だ」


銀髪のメイドは首をこてりと傾げた。


「?あ、成る程。此処のお屋敷のメイドは男爵位以上の爵位を持ったお家の娘ですよ。粗相が有ってはいけませんから」


その言葉は市井ではまともな教育が受けられないと言う事を示していた。


「では、訂正しよう。お前の夫が夏の戦争に行くときにでも持たせてやると良い。十全な力を振るえなければ如何なる強者も弱兵と変わらん」


「戦争なんて起きませんよ、侵略の時代は終わり繁栄の時代が来たのです」


銀髪のメイドはクスクスと笑う。

それは間違い無く危険な感覚だった。


「私は10年以内に北から戦争が始まると考えている。北は寒く作物が育たない上に価値ある商品が少ない。今北に蔓延している飢えの気配は何れ人を狂わせるだろう。飢えの狂気をこの国の人間は知らないのだ、余りにも豊かなのだから。それに、」


私は銀髪のメイドを正面に見据えた。

一瞬、銀髪のメイドは目を見開いた。


「君は侵略した国の人間だからそんな事が言えるのだ。侵略された人間はそうは考えない。侵略時代の人間が全て死ぬまで怨みは続く。良く覚えておいた方が良い。相手を害した人間は直ぐにその事を忘れるが、害を為された人間はそれを忘れない。恐るべき報復と共に必ずやって来るのだ」


「メアリ、その男の与太話を全て信じてはいけませんよ。彼は旅人、狂言で金を稼ぐ事も有るでしょうから」


ギボンは銀髪のメイドに注意した。

成る程、狂言でも金を稼げるのか。確かティベリスも民衆の前で哲学を自慢げに話していたが、中々の集まり具合だった。お捻りでも貰っていたのだろうか?立場上金に困る事は無さそうだが、金が絡むと一般人は懐がキツく締まる。つまる所財布の紐がキツイ民衆に対してどれだけの金をせしめる事が出来るかと言う事で自身の論の価値を正確に測り、其れを売りに他の貴族に話す事で更なる利益を獲得すると言う事か単純に民衆が払った金額を得点として遊んでいるのだろう。実に公平で面白いゲームだった。

ある意味TRPGに近く、説得力さえあれば金になるという事はこの国の曖昧さを民衆が感じているという決定的な証拠に他ならなかった。学のある人間の話は全て価値が有ると盲目的に信じているなら社会が未成熟で有ると言わざるおえない。

それは民衆の上流階級への妄想が先行している証拠で先に有った大道芸の様なくだらない論でも上流階級の言葉なら価値が有るという妄想。でなければ民衆が金を払う事はないだろう。金を払という事はそれだけの価値が有るという事なのだから。


どう活用すれば良いのか?

人間は羽根のない二本足の動物だと知った所で何かしらの利益になるとは思えなかった。ティベリスがやっていた様に、民衆受けが良いのはやはりコメディなのだろう。騎士物語でも聞かせるか?


「言で金が稼げるのか?それは、良い事を聞いた。暇つぶしに貴族令嬢の悲劇の物語でも聞かせよう。お相手頂けるかね?」


「私はお医者様のお相手をする様にアウグストゥス様から言われておりますのでお相手致します。ギボン貴方もでしょ?」


「ええ、」


どうやらメアリ嬢とギボンはメイドとして付き合ってくれるらしい。年頃の女子達なのでロミオとジュリエッタを簡略化したもので良いだろう。丁度劇場で観る機会が有ったのだ。


「では話そう。これは、宗教の違いで血で血を洗う抗争を繰り返すことに巻込まれていた皇帝派閥モンテッキ家の一人息子ロミオと皇王派閥カプレーティ家一人娘のジュリエッタの恋愛悲劇・・・。」


私が話し始めるとメイド2人は静かに聞き入った。

即興で半分以下に纏め上げたロミオとジュリエッタだったが内容は変わらずに上手にまとめる事が出来た。

個人的には満足だ。

私はメイド2人に感想を聞くべく話しかけた。


「・・・どうだった?私の国では有名な物語の一つなのだが」


国土によって風習が違うので違和感を与えてしまっては金は取れないだろう。


「凄いです・・・ね。綿密に組まれた設定と若々しい感情の躍動を感じました。吟遊詩人が挙って歌い上げそうな受け入れやすさも。劇場で演じられてても可笑しくない程引き込まれる様な魅力が有りました」


メアリの感想は流石貴族令嬢と言ったところか、具体的だ。


「凄くは有りますが、これを民衆の前で話すのですか?1時間以上立たせてしまっては休憩のし過ぎです。仕事が終わらなくなってしまいます」


ギボンは労働者目線で実に為になる。物語を聞きに来る人間は仕事の合間に来るのが基本らしい。確かにティベリスも1時間以上語っては居なかった。

結果を先に言い、それに肉付けする形で理由を述べて周囲の人間との語らいに力を注いでいた。休憩時間なら結果と簡単な肉付けのみ聴けば大まかな全体像が解るし時間があるならそのまま考えれば良いと。

つまりは、


「長い物語は仕事が終わる夜で日中は短い物語か簡単な哲学を話した方がこの国の時間軸に合っているという事か」


別段、言で金を稼ぐ気はない。しかし元手が必要無いと言うのは大きく、詰まるところリスクは自分の時間のみなのだから口に糊する生活になった時の保険としての知識の取得は大変重要であった。今は金があるが将来金が有るとは限らないのだから。


「よし、良い知識になった。ありがとう。そろそろ食事を温めるか。水分を取ったのならティベリスの体力も少しはマシになっているだろう」


私は鍋に近付き竃に火を着けた。汁物が十分に温まった所で椀に移しティベリスの元へ持って行く。

ギボンが配膳を申し出たのでそのまま運ばせた。

部屋に着くとティベリスは目を開けて天井を見つめていた様だった。私達に気付くと上半身を上げた。


「ああ、ヒロシか。あの飲み薬で身体が多少良くなったぞ」


「アレは薬と言うよりは抜け出た水分を補充する物だがね。一応食事を持ってきたが無理なら食べない方が良い。食えそうか?」


私が見る限り、スポーツドリンク擬の効果は目覚ましく最初に会った時の弱々しさは多少の改善が見られた。食中毒で死ぬ人間は少ないが、ゼロでは無いのだ。これ以降も経過に気を付けるべきだろう。


「問題無いとも。暫く食事を摂っていないのでな、腹が減った」


効きすぎか?いや、プラシーボ効果かもしれない。少なくとも後3日は経過を見なければならないだろう。


「それは良い兆候だが、今後自分の体調は正確に述べてくれよ。今は体力が無いのだから下手打つと死ぬぞ。少なくとも3日は安静にしなければならない」


私はサイドテーブルを運び、メアリに配膳の指示を出した。


「食事は良く噛んで食べて欲しい。具体的には固形物は60回以上噛むこと、水分は軽く口に含み飲み込んだ後、30秒以上空けることだ。空腹時の胃に強い刺激が加わると吐くぞ」


私はティベリスのベットの横に椅子を着け座った。

ポケットの中にあったスマートデバイスを取り出し、モーツァルトを流した。高音を主とした澄んだ音符が部屋に流れ消えていく。リザクレーション効果があり、前頭葉を刺激するこの音楽を好む人間は多い。ティベリスが獣人だったらこの音楽はかけていなかっただろう。


「ヒロシよ、これは・・・」


「慰めになるだろう?」


ティベリスが何を聞きたいかは解っていたが、私が答える気がないことを知ったティベリスは俯き、言及を辞めた。私の様子を見ていたメアリ嬢は目を見開いて驚いているようだった。

メアリ嬢がティベリスの食事のサポートを行っている間、私は目を閉じ瞑想に耽っていた。

ティベリスの長い食事が終わると食後の白湯を用意するようにギボンに伝え、ティベリスと向かい合った。


「白湯を飲んだら就寝だ。私が帰る前に何かあるかな?」


「ヒロシ、お前は何者だ?大陸で最も技術が発達しているといわれるこの国の歴史を嘲笑うかのような技術と知識の数々。このティベリスさえも届かぬ場所に立つお前は何者だ?」


どうにもティベリスは弱って理性が働いていないようだった。これまで隠してきた疑問を直接的にぶつけるなど普段の彼の行動とは思えない。私はニヤリと笑い言った。


「ただの旅人さ、我が国では医療が盛んでね。今回施した程度なら総ての国民が14歳位で習うような簡単なことなんだ。私はそう言った稚拙な知識しか持ち合わせていないよ」


「2世紀以上続くバーベンハイル家が行った施術を鼻で笑える程の知識を幼稚と言うのか?」


「私は全てを見た訳ではない。君達の方が優れている事もあるだろうが今回の事に関しては彼の施術はおままごとに等しい」


「ヒロシ、私はお前の言うことを全て信じている訳ではない。しかし、お前の知識が私が及ばぬところにあるのは解るのだ。ヒロシよ、暫くこの国に居ろ。これはアウグストゥス・ティベリスの言葉である」


「私は旅人だぞ」


「この国に飽きたらどこにでも行けばよい。この国に居る間は私の庇護下に入れ」


「あい、解った。見返りは何にしたら良い?」


思わぬところで庇護を得られた。これである程度は安全にこの国で暮らせるだろう。


「私が困って居る時に助けてくれ」


「随分と曖昧だな」


「お前が何ができて何が出来ないのかが分からないので仕方あるまい?」


「私の判断で可能である限り力を貸そう。面倒は御免だからな」


「それで結構。今日は館に泊まっていけ。私の看護をしている以上医者として扱う」


宿屋の酵母が気になったが明日取りに行けばいいだろう。宿屋の代金はまとめて払っているのでトラブルもないだろう。


「分かった。明日から私が食事の提供と診察をするので指示には従ってくれよ?」


「言われずとも解っている。明日もよろしく頼むぞ」


「ああ、では良い夢を」


そういえばこの世界にきて初めて就寝のあいさつをしたかもしれない。孤独には慣れているが口にしてみると自分が一人だったと改めて気づかされる。


「ヒロシもよい夢を」


ティベリスの言葉を背に私は寝室から出た。


「ギボン、メアリと交代でティベリスの様子を確認し異変があったら直ぐに知らせてくれ.」


「就寝中のお部屋にメイドが入るのは禁止されています」


「ではドアの前に待機。物音に注意を」


「分かりました。貴方は?」


「私も待機する。明日の食事の準備をしているので何かあれば炊事場に。部屋は必要ない、それと明日は朝食後、宿屋に必要なものを取りに行くので用意を頼む」


「分かりました、それではそのように」


私は厨房へ向かおうと歩み始めると3歩後ろにメアリが付いてきた。初めに待機するのはどうやらギボンらしい。私が炊事場に着くと残りのスープの元に近づく。


「あ、ヒロシ様。そのスープはどうなさるのですか?」


「どうしようかと迷っている。流石に明日の食事にコレを盛り付けるわけにもいかないしな」


「あ、それなら」


急にメアリ嬢がもじもじとしだした。何となく察した私はスープを温める準備をする。


「折角だし余ったものは我々で食べようか。ギボンには交代の時に渡すので君は今からにでも」


メアリは恥ずかしいのか顔を赤く染め、こちらを見やる。


「は、はいっ!」


メイドとは言え貴族令嬢。お代わりははしたないという教育でも受けているのだろうか。

どうにもギボンとメアリはその年齢に対して細い。もう少しは健康的に脂肪を着けなければならないだろう。私はスープを温めている間にこの国についてのある程度の情報収集を行う。市井については自分で調べたので主に上流階級。貴族についてだ。


「君は普段どのような生活をしているのかな。今後ティベリスの庇護を得ることになったので意識を改めたいと思っているのだ」


「えーとですね。私は・・・」


どうにも、彼女は普段下働きというものをしないらしい。炊事や洗濯といった雑事は自分よりも下の階級のメイドに任せるとのこと。彼女の仕事はティベリス含む貴族への配膳等のみ。出来合いの食事や茶を運び、主人の命令を聞き、下の者に伝える。メイドは貴族の茶会の同行が許されるので、貴族のそばに控え、所作を学ぶらしい。上流貴族にでもなれば専用の教師をつけることが出きるし、知り合いの淑女から学ぶことが出来るが男爵以下は教師を雇い入れる金貨は惜しいらしい。


「それに、御下がりのドレスを頂ける場合もあります。上流貴族の方たちは1度着たドレスはお召しにならないのが基本ですので」


どうにも物が溢れているように感じたのは、上流貴族の見栄による所もあるらしい。服や装飾品等が中古で流れていたのは生活苦になった貴族が売りに来たのかもしれないと容易に想像がつく。

唯の旅人にあの第三王子の世話だけで金貨を投げ寄越したのは貴族間でも金貨に対する価値観がズレているということだろう。


「なるほど、なかなか面白かったよ。君は語るのが上手だな」


有力な情報をもらったのだから褒めるのを忘れない。当たり前だった。


「メアリと」


「ん?」


「メアリとお呼びください」


私はメアリ嬢に覚えられたらしい。知り合いなんだから有事の際には助けろという唾つけだろう。若いといっても流石は貴族令嬢だった。


「貴族令嬢に覚えて戴くなんて光栄だメアリ嬢」


「そういうことは普通ティベリス様のような方に言うものですよ」


メアリ嬢はクスクスと口元に手を当てて笑う。

どうにも私のちぐはぐな行動は道化師にでも見えるらしい。


「私は捻くれ者だから、雲の上にいるような人間には逆らいたくなるんだ。この国の貴族の懐は大きくて助かるよ。今の所死んで無い」


実際には天上人に対して失礼とも思われるように振舞うのは理由がある。

この国の天上人は生まれてから死ぬまで跪かれるという事に慣れきっている。そういう人間が何故態々市井に降りるのか?別段民衆に頭を下げられたい訳では無い。

跪かれる事に心底飽き切っているのだ。交流に出ても相手は格下。誰からでも跪かれ頭を下げられ笑顔で寄ってくるのは自分を利用しようという人間ばかり。そんな世界がつまらなくて堪らない。そんな世界が生まれてから死ぬまで続く。そんな生活をする大体の人間が感じる孤独感。それを癒す為に城下町まで下るのだと私は確信していた。

ならば私が演じるのはそこそこ脳のある旅人。天上人である自身とまるで対等と思わせる様な口調で失礼にも友人に話し掛けてくるように肩を叩く大馬鹿者。私の目論みは今の所当たっているし、リスクに応じた報酬も得ている。


「ティベリス様がご健在の時は貴方の事を嬉しそうにご子息にお話になられていましたよ」


スープも温まり2人分をよそってスプーンと共に持っていく。食器はシルバーしか見当たらなかった。


「本人には言っていないが、実は私もティベリスとの語らいは楽しく思っている。話し相手なんてこの国に来てからは居なかったからね、少し寂しかったんだ」


メアリ嬢は私に笑顔を向けながらスープの入った皿を受け取った。

一口スープを口に運ぶとまた別種の笑顔になる。


「ふふ、ありがとうございます。このスープも美味しいですし今日聞かせて戴いたお話も面白かったです」


私は笑顔で返す。


「世辞でもうれしいよ。スープは病人用だから味付けが薄いだろう?明日もメアリ嬢とギボンには普段と違う事をして貰わなければならないが疲れたら直ぐに言ってくれ。君たちが倒れてしまったらティベリスに合わせる顔が無くなってしまう」


「お世辞では無いのですけどね。今日はちょっと疲れちゃいましたけどヒロシ様と一緒に働くことが出来て楽しかったです!」


「私も君たちと働くことが出来て楽しかったよ。ティベリスが病に倒れていなかったらもっと良かったんだけどね」


「ティベリス様は無事に回復なさるのでしょうか?」


「今夜から明後日までが山だろう。それまではよろしく頼むよ」


「もちろんです。微力ながらお手伝いさせていただきます」


メアリ嬢の皿を見ると空になっていた。これ以上睡眠時間を削らせる訳にはいかないだろう。

空き皿を受け取ると自分の皿と重ねて洗い場にもっていく。


「夜食は食べ終わったようだしもう寝た方がいい。交代の時間になったらギボンが起こしに行くだろうからそれまではゆっくり休んでほしい」


「ええ、お言葉に甘えます。おやすみなさい」


「ああ、お休み。良い夢を」


メアリ嬢が厨房から退出したのを確認して私は皿を洗い始める。明日の朝食はスープを作るというのは決定だが、病人が食べやすい物を作らなければならない。刺激が少なく、栄養化が高い食材を組み合わせ。当然だが私はこの国の食材に明るくない。現在知っている食材は、と考えているうちに自分が副食で食べていた物を思い出した。


「・・・大豆か」


鳥のガラスープに豆乳を合わせたスープを作ろう。具は柔らかく煮た野菜とつみれ。

私は乾燥した大豆を取り出し、容器に開けて水に漬ける。確か10時間以上は漬ける必要があったはず。腕時計を見ると現在20時。今から漬けて明日の6時には浸漬完了か。布は明日にでもメイドの何方かに持ってきて貰おう。メニューが決まったので厨房の中を物色する。様々な野菜や果物が多様に収められているし、冷蔵庫のような冷凍施設もあった。冷凍施設は不可思議な場所で、氷が無いのに一定の気温を保ち続け出入り口に不可視の膜でも貼られているかのように出入り口から冷気の流失を確認することが出来ないと言った科学で証明できない現象が多々見受けられた。しかし、この世界は何処かちぐはぐに感じる。今日という日を振り返ってみると、水瓶や窯といった原始的なものに混じってこのような冷凍施設があるという事がどうにも腑に落ちない。食事に関しても血を使った食事という中世的なニュアンスを感じさせるモノに対して中にまで火が通っていない小麦の塊というのは何処か不自然で、薄く焼いたナンやガレットの様な火が通りやすい形状というのが見つけられていないというが疑問で仕方ない。しかし、考えてみると高層ビルが立ち並ぶ都会に100年以上前に作られた城が現存している事を当たり前の様に認識している私も可笑しいと言われたら反論できない。この世界に来てから考えすぎると自分の思考がどこかに行ってしまうという事が多い。私の認識が何かしらの変化を遂げているのだろうか?日記は日常的に付けているが読み返すと言ったことはあまりしていない。スマートデバイスに保存されている日記を読み返した方が良いのだろうか。思考は行動に変わる。矯正するなら早い方が良いに違いない。

様々な気付きをスマートデバイスに記録していると厨房にギボンが現れた。もう時間か。


「お疲れ様。スープが多少残っている。夜食にいかがかな?」


「ええ、いただきましょう。こんなに夜遅くまで働いたのは久しぶりです。メアリは夜更かしだと言って興奮していましたが」


私はスープを温め直す為に火を着けた。


「普段はもっと早くに業務は終了するのか?」


「ええ、普段はティベリス様が就寝なさったら業務は終了です。夜間は小間使い達が働く時間ですから」


「小間使い?」


「我々メイドには位があります。その位を持っていない者達をまとめて小間使いと呼んでいます」


「ついでに、ギボンとメアリ嬢の位は?」


「上から2番目です。メアリは貴族令嬢なので雑務などやらせる訳にはいきませんし私は市井のメイド学校を卒業した国が認める正式なメイドですので、トップであるメイド長が実力重視なので私を重用してくれています。普通なら年齢で序列を考慮するので私の年齢でこの地位に居るのは珍しいことなんですよ」


スープは少量だったためすぐに温まった。私は皿にスープを掬いスプーンと共にギボンに手渡す。


「どこに行っても社会構造の根本は変わらないんだな。私もこの国に来る前は年齢で役職が決まっていたよ。どんなに無能でも歳さえ食っていれば役職に就けた」


ギボンがこちらを向いた。何となくだが驚かれているようだ。


「貴方が社会に属していたと言うのは意外ですね、目上の人間にあんなに横暴に振舞えるなんて私には考えられません」


私は肩を竦めた。


「その社会が自分にどうしても合わなくて、結局はこうやって飛び出して旅してる」


「自由人ですね。少し羨ましいですが」


「自由とは他人を害さぬ(・・・・・・)すべての中にあると言う言葉があってだな」


ギボンがジト目でこちらを睨む。


「では、今日バーベンハイル家の長男を殴ったのは?」


ギボンの言う通り、確かに彼を害している。

私は彼女の突込みが面白くなり頬を緩ませて答えた。


「彼にとって私の行動は横暴ってやつだった。私にとって彼の行動は殺人だった」


「認識の違いですか?」


「知識の違いだ。例えば、館が燃えていたとする。消火する為には何が必要かな?」


「水ですね」


「あいつは油と思い込んでいた。彼は油が火災をより悪化させるという事を知らなかったんだ」


「国が認める医師の家系ですよ。」


「状況と目的の不一致は客観的な根拠に基き判断するべきだろ?放火したいなら油を注ぐのが正解で消火したいなら水を掛けるのが正解だ。では、何故それが正解と言えるのか?油が火を強くし、水が火を弱くするという事を知っているからだ。つまり消火したいのに油を注ぐのは間違えと言える。彼の処方した下痢止めは体の中に入った毒を排出する働きを阻害するので間違いだ。同時に水分を補給しなくてはいけない状況下で水分を輩出させる働きを持つワイン及び熱い湯に入れたという事も間違いだ。正しくは毒を体外に出し失われる水分を効率的に補給する事だった」


「それが知識の違いと言うのですか?」


「通常の腹痛よりも長引いているならそれだけ多くの毒が入ってきたか強い毒が入ってきたという事だ。排出しなければより長引くし、排出した分は補給しなければならない。処方の話を聞く限りでは、彼はそれを知っていたとは思えない」


「消火したいのに油を注いでいたと?」


「違いない。正しい知識は力だよ。君も大人になったら思い知ることになるさ」


ギボンが口を尖らせた。


「私は14歳です、もう成人しています」


「成人している事と大人であることは違うのだよ。成人とは唯一定の年齢になったというだけだ。大人になるとは別の部分にある。私から見れば君はまだまだ子供だ」


「では大人とは?」


「何が正しいかを客観的に判断することが出来て分析を元に論理的に行動できる人間だ。この国の事を考えると知識に関しては仕方ないにしても理性に関して君は未熟だとしか言えない」

 

私はギボンの食べ終わった皿を受け取る。この娘も夜食を全て綺麗に平らげたみたいだった。


「まあ、お前たちには時間がある。脳を鍛えれば自然と良い悪いが判断できるようになっているさ。常に新しい考え方を学ぶ事だ。君たちの常識は他人にとっての非常識であることだってあるのだ。態々狭い世界に閉じこもっている必要はない」


私はギボンの頭にポンと手を乗せた後に皿を流しに持っていく。

今日は疲れた。皿は朝にでも洗うとして適当に寝床でもこしらえるか。


「私はここで仮眠をとる。明日は早いのでお前も早めに寝ておけ」


私は椅子を壁際に持っていく。壁にもたれかかれば簡易的な寝床となるだろう。

横になることはできないが致し方ない。部屋に関してはティベリスの体調が安定するまでは借りないつもりだった。直ぐに動けないなど笑い話にもならない。

私が椅子に座り壁にもたれかかるのを確認するとギボンは椅子から立ち上がると私の元に来る。


「・・・どうした、部屋にでも戻らないのか」


「お客様を厨房に一人に出来る訳ないでしょう。小間使い達も朝早くから働き始めるのですから見知らぬ人間が居たら怪しみます。その点私が居れば問題ありませんので貴方が厨房で寝るというなら私も此処で寝なければなりません」


私が来たことを小間使い達は知らないという事だろう。確かに身分的に会う機会がないなら解るが、公的にティベリスと会見をしているのだ。小間使いとはいえ、万一を考えるなら連絡して然るべきだと思うが。


「そうか、解った」


彼女に対して遠慮はしない。優先順位は弁えていた。

ギボンが座っていた椅子を私の椅子の隣に置く。こいつ私の隣で寝る気か。

私は念のためもう一つ椅子を隣に置き、3列に並ぶように設置した。


「これは?」


「寝返りを打とうとして椅子から転げ落ちるのも嫌だろう?」


ギボンは納得して私の隣の椅子に座り壁にもたれかかった。


「私は夜中に何度か鍋の様子を見る。気にせずに寝ていてくれ」


ギボンはクスリと微笑む。


「言われなくてもそうしますよ」


要らぬ心配だったか。


「では、良い夢を」


「ええ、貴方も」


暫くするとギボンの寝息が聞こえてくる。寝付きは良いみたいだった。

ギボンが寝たのを確認すると私も瞼を閉じる。今日の振り返りをしている内に私も睡魔に飲まれて意識を失った。


腕時計を確認すると4時間ほど寝ていただろうか、竈の火は消え仄かに温かさだけが残る。左肩に重さを感じ振り向くとギボンが私の肩を枕にしていた。終電に揺られながら帰宅している時を思いだす。おっさんに枕にされるのよりは幾分か気分的にマシだが疲労感が拭えなくなるのは違いない。私は鍋の様子を見るためにギボンの肩を支え、そのまま椅子に横にさせる。上着を脱いだ後腹に掛けてやった。3列並んだ椅子は彼女の上半身を支えるのには十分な距離を持っていた。


鍋の中を覗くと黄金色に煮立ち、鳥の脂が浮く見た目に良いスープになっていた。

私は老人用にやや薄目になるように味見をしながら塩分を足していく。骨を取り出し野菜を細かく刻んだ後加える。野菜は食感が無くなるまで火を通す予定なので早めに投下したのだった。後はつくねと豆乳を入れ煮込むだけでこのスープは完成するだろう。調理場を改めに確認すると香辛料の類が無い。貴族の調理場に

無いとは思えないのでマギは下町にしか流通していないのだろうと予測できた。


私がスープの味見をしていると厨房のドアから30歳程度の恰幅のよい男性がのっそりと姿を現した。ぼさぼさの茶髪を揺らし、青色の瞳を擦りながらそれでも厨房に居る私を警戒している様である。男を観察すると右手を体で隠している。凶器だろうか。身の危険を感じるので早めに対応しておく。


「御機嫌よう、ティベリス様の要請を受けてこの場にいる者です。ギボン嬢が起きた時にご確認ください」


そういってギボンが寝ている場所を指し示す。男は私が指さした場所を見つめると驚いたような表情をして、私に振り返った後無言で頷いた。私は中断していた作業を開始する。水を十分に吸った大豆をすり鉢で液状にしていく。そうして出来た豆乳を別の鍋でゆっくりと沸騰させないように温め湯葉を作り串で引き揚げる。湯葉を作るのは3回ほどが限界らしく、それ以上はいくら温めても表面に膜が浮いてこなかったので掬った湯葉を小皿に移す。湯葉を掬った後の豆乳は味を見ながら鶏がらスープの中に入れて塩で味を調えた。小皿に移した湯葉は私の腹に収まった。時間は朝7時、後は食事の時間まで待つだけだ。私はギボンを揺り起こし男に説明をさせた後に湯浴みをさせた。私も湯浴みを済ませた後に改めて鍋を温め直す。十分にスープを煮立たせ皿に注ぎギボンを起こした後、共にティベリスの寝室に向かう。


「ティベリス様。失礼いたします」


ギボンがノックをした後に部屋に入る。私もそれに倣い入室した。


「ヒロシか今日も頼むぞ」


擦れた声でティベリスが話した。中度の脱水症状か。


「ティベリス、頭痛か吐き気はあるか?」


「両方ある、意識に靄がかかったような感覚だ」


嫌な予感がする。症状の急変を考えて準備するべきか。


「なるべく腕の良い鍛冶屋を紹介してほしい。必要な道具が出来た」


「何が必要なのだ?」










十分な水分と食事をティベリスに与え細かな水分補給を伝えたた後、医療器具の事を聞いた。結果として私が必要としていた注射器はこの国にあった。点滴用の袋には豚の膀胱を使用したもので針はガチョウの羽を使用しているらしい。私は鉄製の針と清潔な袋を求め鍛冶屋に3つ特注する事になった。ティベリスの家紋が入った手紙を見せると午前中に作成してくれることになった。

私は昼までに食塩、石灰石、アンモニア、蒸留水を集めソルベー法にて炭酸水素ナトリウムを生成し、蒸留水に炭酸水素ナトリウム0.2%と食塩を0.5%になるように加え電解質輸液を作成した。重量は天秤があったのでパーセンテージについては正しく出来たはずだ。

鍛冶屋に頼んでいた注射器を受け取る。針が太く恐怖感を覚えるが仕方ない。注射器3つを十分煮沸消毒した後、1つを持ち、貧困街へ行き汚い大人の男性に声をかける。怪しい異国人の返事に答えたのは手に持つ銀貨のおかげか。私は被験者を銀貨1枚で買った。


結果は思った通りになった。

 

もしもの時に必要な準備は出来たので、私は宿屋に酵母を取りに行った。

宿屋の息子に対して一連の事情の説明をした所、契約期間外であったにも関わらず私の契約していた部屋の荷物は預かって居てくれたらしく、荷物を受け取り、礼として銀貨を数枚握らせて部屋の契約を打ち切った。


私は館に戻ると厨房に向かう。

ティベリスの体調を確認するのは女中2人に任せているので私の手は空いていた。

そして、右手には宿屋に置いていた酵母が3種。ここは貴族の厨房でこの国に流通している食材の殆どがあると思っても良いだろう。私が確認する限りでは砂糖などの基本的な調味料は貴重な物にも拘わらず施錠されていないのだ、つまり盗まれても痛くないという事である。ティベリスの懐は大きいらしかった。存分に使わせて貰おう。

卵と酵母と砂糖を混ぜて小麦粉を適量。バターが無いことに途中で気付き壺に保存されていた動物の乳を温め酸味のある果汁を加えてカッテージチーズを作成しバターの出すコクの代わりとした。全てを練り続けグルテンが出てきたところでベンチタイムを挟みその間に窯に火を入れる。窯の中が十分に加熱されパンの生地が膨張した後にガス抜きをして8つの丸形に成型し窯に入れた。牧燃焼であるので焼き時間は約30分を目安に。


「よし」


手を洗った後、パン生地を練り続けた疲れを取るために伸びや簡単なストレッチを行っている最中にメアリ嬢とギボンが厨房に顔を出した。


「パンの焼ける良い匂いがします」


メアリ嬢はすんすんと鼻をひくつかせる。此方に顔を向けてきたので無言の問いに答えた。


「ああ、私の故郷のパンを焼いている。焼けたら味見でも如何かな?」


メアリ嬢は喜んだがギボンは顔を顰めた。


「本来、女中は食費を払って食事をするものです。貴方は客人扱いなので問題にならないでしょうが、我々がティベリス様の許可なく私事で食事をするのは」


この場には3人しかいない。メアリ嬢が喜んでいるのを見る限りティベリスの懐が狭くないという事を示しているように思える。つまりは、ギボンは規則を尊ぶ傾向にあるようだった。


「なに、ティベリスに正しい食事を与える事が出来るかの審査をして貰っているだけさ。私の国と随分流儀が異なるのだからそれも当然だろう」


「それは、」


「私には彼に対して正しい治療をする義務があるのだから、何が必要で何が不必要かを選別する権利がある筈さ。私が味見を必要と言っているのだから君達が気にする事は無いよ」


私は今後これが商売になるかを判断しなければならない。異国の料理に関する関心や警戒を天秤にかけたときにこの国の人間はどのような行動をするのか。味覚について差異は無いのか。先ずは単純で受け入れやすい料理から。この国の上位に居る彼女たちなら食事の偏りも少ないように思える。まともな判断を下せるだろう。


「職務を全うしてくれたまえ。君の食事でなくティベリスの食事の毒見さ」


私は窯の様子を見る。後20分もしたら焼きあがるだろう。

朝方に作ったスープの残りを温め、厨房の果物を漁る。オレンジの様な果実の味を確認した後、1mm程の薄切りにして皮ごと砂糖煮にする。20分程煮詰めると甘い香りが厨房に漂ってきた。


「それは、かなり贅沢な料理ですね」


メアリ嬢が調理中の小鍋を覗く。オレンジ5つに対して砂糖の小瓶を1つ全て使用したので砂糖の量は重量比で20%程。銀貨30枚分に果物分の料金を加算すると市民向きではない。この館に滞在する間の贅沢か。


「それは貴族としてかい?」


「ええ、砂糖は舞踏会などの大きな集まりに城や家紋などのその貴族の象徴に成型して出される物でそれ以外だと上級貴族のお茶会に出されるのが一般的ですので、貴族でも金貨を多く稼いでいるお家でないと出されることは少ないのです」


恐らくだが、砂糖は貴族にとって富の象徴であるように思える。私が砂糖を購入するときに商品として陳列されていなかったのはそういう理由だろう。つまり、砂糖菓子は未成熟。客先も貴族に限られるという事。

今まで存在しなかった甘い菓子。客先は金持ち。量産は容易い。今回の砂糖煮の砂糖の量は全体の30%という事は残りの70%が所謂水増し。とてもいい商売になりそうだった。思わず笑みが浮かぶ。


「そうか、君と話が出来るのは大変有意義な時間だよメアリ嬢」


こういった市井では解らない事は早めに解決する他無い。ティベリスの館に留まれるのは後1,2日程度しかないのだ。彼らが何を食べ、何を思うのか。少しでも多くの情報が必要だった。

後は貴族への繋がり。ティベリスだけでなく商人や他の貴族に幅広く顔を広め、販売経路を拡大させる事が当分の目標になるだろう。この毒見にも婦女子の口の軽さと自尊心の高さがきっと多くの人間にこの商品を広める切っ掛けになるに違いないという打算からだ。

そういえば、


「今ティベリスには誰が付いている?1人は常に傍に居て欲しいのだが」


私の問いにギボンがため息を吐きながら答えた。


「メアリが昨日の夜番の最中に廊下で寝てしまったのです。代わりにティベリス様の私兵が付いています」


あんなにはしゃいでいたのに。ギボンの小言が私の耳に微かに届いた。

メアリ嬢は顔を赤くして俯いている。


「代わりが居るのなら問題はない。次が有ったらベッドに入る前に連絡してほしいけどね」


説教は同僚がしたであろうから、なるべく優し気に注意する。折角の貴族とのパイプだ。波立てる事はしない方が賢明に思えた。

簡単な雑談をしているとパンが焼きあがる。窯からパンを取り出すと小麦の香ばしい匂いに干しブドウの様な果実の匂いが混ざり合い私の期待は膨らむ。パンを突くと外皮がパリッと砕けた。少し冷ましてから食べようかと思っていたが出来立てで食べた方が美味いだろう。パンの1つを取り球状のそれを半分に割って口に運ぶ。店に並べるには遠いが出来立ての魔力で素人の荒は誤魔化せている。改良の余地あれどこれが今の限界だろう。


「悪くない。出来立てが良いので君達も食べると良い」


女中2人にも出来たばかりのパンを勧める。私は小鍋に作ったジャムを小皿に小分けし、机の上に置いた。

スプーンで一匙掬い上げ半分に割ったパンの断面に乗せる。冷えたことでゼリー状になったジャムがパンの熱で溶けて広がった。普段は余り好んで食べないが甘味を絶たれた今、貴族が砂糖を尊ぶのにも多少の理解が出来る。パンと同じようにジャムを勧める。どちらも好評だった。時代は変わっても婦女子に対して甘味の力は強力なようだった。


「ティベリス様だけでなくユーリお嬢様にも持って行って差し上げたいですね」


メアリ嬢がぴこぴこと駆け寄ってくる。

言うまでもないが関わったことのない人物である。


「ティベリスの娘かな?」


「いいえ、お孫様に当たります。今年で齢7になりますがお部屋からあまり出てきませんので」


聞いた限りでは断定できないが反抗期や思春期でないのなら幾つか原因が浮かぶ。

私には関係ないがティベリスに請われる可能性も有るので頭の中に留めておくことにした。


「毒見は済んだから持って行って差し上げると良い。与え過ぎると太るので控えめに」


私の話を聞いた瞬間女性2人が固まる。彼女達の時間が一瞬の内に止まってしまった様だった。

固まったメアリ嬢の代わりにギボンが口を開く。


「冗談ですよね?」


「いや、間違いない。過度な摂取は人の腹を樽の様に膨らませる」


私は何かに怯えた彼女たちを見据えハッキリと言葉を伝える。齢14程度の無知な女を脅すのはオーガズムに似た快感だった。


「・・・少しなら大丈夫って事ですよ」


ギボンがメアリ嬢に耳打ちしたが如何にも不安げな声が印象的に残る。

私は微笑みながら言った。


「勿論。少しなら大丈夫・・・だがその少しがどの位だったのかは忘れてしまってね。君達が試してくれるなら好きなだけ作って差し上げよう。過程を観察すれば被害者は減る事だろう」


「貴方のそう言った所嫌いです」


ギボンが恨めし気に私を見る。私の株価は暴落しているだろうが私の自慰の為だ。致命的な失敗さえしなければ別段構わない。欲求が理性を上回る事だってあるのだ。


「私は自分が大好きさ。こう言った部分も含めてね」


ギボンは膨れっ面になり、それを見たメアリ嬢は驚いたように口に手を当てた。


「ギボン、貴方」










メアリ嬢にジャムと温かい紅茶にパンを持たせティベリスの部屋に向かう。ギボンにはお嬢様用に同じものを持たせたので勝手にやってくれるだろう。

メアリ嬢が入室するとティベリスの声が聞こえた。ティベリスは声に出しながら本を書く癖があるようだった。


「邪魔する。経過はどうかな?」


「ああヒロシか、特に問題はない。快調に向かっているのがはっきりとわかる」


鶏肉からの食中毒であったのでサルモネラ菌であると予測を着けたが正しかった様だった。これがボツリヌスによるものであったのなら祈る他無かった。

2,3日症状の経過を確認し十分な所まで回復した。この食事を無理なく食べる事ができるのならこれ以上の長居は不要になるだろう。


「それは良かった。簡単な間食を用意したので試して欲しい」


「ああ、食事ではないのか」


「急に普段の食事に戻すとまた吐く事になるからな。私が館から出た後も3日程かけて段々に普段の食事に戻していく様にしてくれ」


「ん?」


「うん?」


なにか問題があっただろうか。


「ヒロシ、お前はいつ館を出るつもりなのだ?」


「この間食が終わったら宿屋に戻る予定だが」


「・・・完治し正式に礼をするまでが治療である」


面倒だと思うが外の面子を保ためか。これ以上私がティベリスに出来ることなど無いが食事が無料になるのは魅力的だった。私の貧乏精神が唸る。


「では引き続き世話になる」


「ああ、我が館を存分に楽しんでいってくれ。万全になればまた語らおう」


予想外の宿泊になった。私はこの件の主因である2,3日で回復する筈の食中毒を重症にまで引き上げたあの医師の薬について気になっていたのだ。ティベリスの症状は回復に向かっている事ははっきりと判るので、私のここでの仕事は食事を作る事のみになった。ガスも水道も無いし肉は捌かなければならないので大変な手間があるが、時間はある。


「この館に資料室はあるか」


「有る。お前に付いている女中に聞くと良い」


以外にすんなりと許可が得られた。言うまでもないが信頼を得られたと言うわけではない。教えても問題がない資料しか閲覧は許されないのだろう。その部分は弁えなければ自分の首が飛ぶ。


「分かった、礼を言う」


知識は力である。それを閲覧する権利を得る事が出来たという事はそこそこの信頼を得る事が出来たに違いないだろう。重要な資料は自室に置いてあるだろうし存分にこの国の程度を測りたいと思う。


「では、メアリ嬢。案内をよろしく頼むよ」


「はい、わかりました。私の後についてきてくださいね」


ティベリスの食事を終えたのを確認し食器を厨房に下げる道すがらメアリ嬢に資料室への案内を頼む。

メアリ嬢にドアを開けられてティベリスの部屋から退室するときに声がかかった。


「そういえば、資料室に孫がいるかもしれん。もしも出会うことが有ったら相手をしてくれ」


「ああ、分かった、」


三代でこの館に住んでいるという事だろうか、私はティベリス以外には会ったことは無い。そもそもティベリスが苦しんで居る時に家族の気配を感じないとはどういう事か。死に瀕していたのであれば私が部屋に呼ばれた時点で出会っていても可笑しくないのではないだろうか。

しかし、余計な部分を突いて蛇が出たら困るので私はこれ以上考えるのを辞めた。


「先の水分は1時間に2,3口は飲むように。油断するとまた同じことを繰り返すからな」






メアリ嬢の案内で資料室に到着した。目視で100㎡程度で図書館を想像していた私にとって思ったより規模は小さい。壁際と通路を作るように本棚が並び高さは大人の男性の背よりも3倍は高く可動式の階段が目に付いた。部屋の天井には彫刻が彫られ通路を作るように配置されている本棚の近くには人物像やピアノが置かれていて美しい彫刻と相まって調和された空間になっていた。美術館の様な重い静寂が資料室を包み、この部屋に粘性があるのではと錯覚する程の空気がゆっくりと私の頬を舐める。


「見事な空間だ」


歴史ある建造物の中に入ると膨大な時間に圧倒されるように、この資料室の空気は私の心を包んだ。


「ここは王都のティベリス様の屋敷の中でも特別に作られた部屋です。王宮に携わった優秀な建築家や彫刻家を呼んで金貨を惜しまずに作らせた場所ですから。資料室以外にも庭園も特別に作らせたみたいですよ」


ティベリスのこだわりの部屋らしい。考える専用の部屋だろうか実に贅沢な話である。

私はメアリ嬢の説明を聞きながら部屋を見渡す。部屋の中央に長机と複数の椅子が置かれていた。人の気配は無い。ティベリスの言っていた孫というのも見つからなかった。

つまり、人の目を気にせずに好き勝手読める。私に必要な知識はこの国の法律と医学知識等多岐に渡る。

3日の内食事を作る時間と睡眠時間を計算し、計画的に行動しても時間が足りないだろう。次も許可が出るとは限らないのだから時間が惜しい。


「さて、先ずは法律関係か」


メアリ嬢に法律に関しての本を一緒に探すように指示をする。メイドは資料室に入る機会は無いようで、資料の在りかは解らないとの事だった。管理人が居ると思ったのだが居ないらしい。情報漏洩のリスクを考えると当然かと思ったがそれでも管理人が居ないというのは盗難の可能性があるのでリスキーに思う。

後でティベリスに聞かなければならないだろう。

知らずに法を犯してしまう可能性がある以上、この件に関しては徹底的な理解が必要だった。貴族間の暗黙のルールは平民の異邦人だからという事でごまかすことも出来るだろうが、明文化されている法を持ち出されたら厄介である。王に権力を集中させる為に執行猶予は一切ないだろう。


「さて」


先ほどまでは人の気配は無かった。なかった筈なのだが私の目の端に水色の髪をした少女が見えた。

知らない人間が来て警戒しているのだろうが机の下に隠れるのはどうなのだろうか。

私は隠れている少女をのぞき込む。少女はびくりと反応しそのまま固まった。私は机の下に体を覗き入れ少女をつまみ抱き抱える。


「あ、うぅ」


少女が呻く。私はそのまま椅子に座り隣にに少女を座らせた。

私の中で子供の扱いとは動物を扱うようにという基本があるのだ。怒らず身体接触を多くして自身が無害であることを無言で教え、少し優しく扱ってやれば良い。子供は嫌いだがティベリスの言葉があったので必要な事と割り切る他無い。私は俯く少女に質問をする。


「私は医者としてこの館で厄介になっている、ナイハラ・ヒロシという。君の名前を教えてくれるかい?」


なるべく優しい声で。顔を見られる可能が無くても笑顔で。人を疑う事が出来るような年齢の場合はこの手は通じないが、子供が他人を評価をするときの判断材料は自身への好意か悪意のみだ。それ故にそういった感情に関して子供は特に敏感であると確信する。


「・・・ユーリ。アウグストゥス・アルカ・フォン・ユーリ」


私は子供を注意深く観察する。体躯はやや小さく肌は日に当たった事が無いかのように白い。貴族らしいと言えば良いのだろうか、髪には良く気を付けている様子で在ったが俯いているからだろう、前髪で眼が隠れている為顔に関して仔細な観察が出来ない。顔から性格を分析する人相学を使うことが出来ないという事であったので彼女自身の性格に合った会話は出来ないだろう。世話になっているティベリスの娘であるので扱いはなるべく丁寧に行う。

彼女がティベリスの言っていた孫に違いなかった。


「そうか、小さなアウグストゥス。君は何故資料室に?私が知る限り君ほどの年齢の貴族は家庭教師でも雇って勉学に励んでいる時間だと思うが」


「・・・7歳だから」


何歳から教師を付けられるのかは分からないが、まだ教育の段階にないのだろう。随分余裕のある事だ。

いや、そもそも女子に学は要らないという考えだろうか。男性しか政治や商いにかかわる事が出来なかった時代は確かにあった筈だ。


「ここに居るのは暇つぶしか?」


「そう」


そうらしい。正直、この国は物が溢れているとは言え成熟していない。貴族令嬢が城下町を自由に歩ける筈が無いし、この館に幽閉されている状態では確かにつまらないだろう。玩具でも与えて釣る事にする。

貴族への繋がりはなるべく持っておいてた方が良いのだ。


「では君にこれを貸そう。これで遊ぶと良いだろう」


私はスマートデバイスを開いた。様々なアプリケーションが入っているので興味を引くには十分だろうが単純で難易度の低いゲームアプリを選択する。世界的に人気を博し、永年愛されている『超おっさん兄弟』である。


「まずは私が手本を見せよう」


何かを教えるには説明しながら実際にやって見せ、その後にやらせる。基本的な教育方法であった。

ある程度のステージをクリアして彼女にスマートデバイスを渡した。


「わかった。やってみる」


彼女の操作を見ながら上手くいった所で適当に褒める。彼女がゲームに熱中するのに時間はかからなかった。残念ながら私の勉強は後回しになる。私が知る限り子供の前で泥臭い努力をするべきではないからだ。大人は結果を評価されるべきであり、他人に努力を見せて褒めて貰おうとするのは子供だけだという考えからである。


暫くの時間が経ち、夕日が窓から差し込む。

夕食を作り始める時間である。私はスマートデバイスに夢中になっているユーリの肩を叩いた。


「小さなアウグストゥス遊びは終わりだ。私はティベリスの夕食を作るので此処で失礼する」


「ん。返す」


ユーリはスマートデバイスを私に手渡した。わがままを言わないのは大変よろしい。

私は手を振りながら資料室を後にした。







厨房へ戻った私は手を洗った後、早速夕食を作る。とにかく胃に負担をかけずにいたいのでまたスープになる。

流石に似たような食事が続くと良くないので、トマトと野菜のスープにする。朝方焼いたパンにジャムと紅茶にスープを合わせて極力バランスの良い献立を考えた。本当はパンのグルテンは余り胃腸に良くないのだが、炭水化物が必要だった。厨房を探しても芋や米は無かったからだ。


「さて、始めるか」


私は袖を捲り上げ、二の腕あたりで固定する。気合を入れる為のルーティンであった。

出汁は鶏がらの澄んだスープで鶏肉を1口大に切った物と、トマトとセロリと玉ねぎのみじん切りを柔らかくなるまで煮込む。1時間もせずにスープは出来上がった。私が調理している間に厨房に人が入ってこなかったので自身の食事を作る。食中毒の辛さは鳴りを潜め食中毒特有の胃の炎症も収まっていた。ティベリスの食事に合わせてまとめて作っていたが、私には塩味が足りない。スポーツドリンク擬きでも塩分を使用している為、スープは如何しても塩味を薄くしなければならないが食事の満足度は下がっていたのだ。


私はパン生地を捏ね始めた。以前に焼き上げたパン生地とは違い植物油も練り込む。パンのベンチタイム中にトマトと玉ねぎのみじん切りに先日私が買ったマギを使ってソースを作る。仕上げに乾燥したバジルと塩コショウでトマトソースの完成。別の鍋でカッテージチーズを作りチーズの塊を親指の先程の大きさに千切る。ベンチタイムの終わった生地を円状に薄く延ばすのに延べ棒を探したが、延べ棒が無かったのでピザ回しで生地を伸ばした。発酵は過不足なかったようで正しく伸びた。発酵が不十分だとピザ回しでは伸びにくく過分だと生地が破れるのだ。


私がピザ回しをしている最中にメアリ嬢が厨房へ入って来た。メアリ嬢は厨房の前で一瞬立ち止まり驚いた様子であった。


「ヒロシ様は何をなさっているのでしょうか?」


「ああ、私の病気が治ったので食生活を基本的なものに戻そうかと思ってね。簡単な食事を作っている」


「えっ。ご病気がおありだったのですか」


「ああ、ティベリスと同じ病気だった。彼に比べて若い事と適切な治療で比較的早期に良くなったんだ」


「それって、病気を抱えながらティベリス様の看病をしていたという事ですよね?」


ああ、そうだ。と言いながら2枚目を回す。女中組との夕食のピザである。女中2人は別館の調理場で提供される食事があるようだったが、ここで調理された食事も摂っている様だった。

ピザの具材はトマトソースをベースに鶏肉とチーズのものが1枚。トマトベースとチーズに香草のものを作った。香草はバジルのようなもので植物の新芽のように柔らかく瑞々しい香りがしていた。


「君たちが手伝ってくれたから私の負担は少なかった。だから感謝しているよメアリ嬢」


伸ばし終わったピザ生地に具材を載せていく。スープを作った時の残り火に薪をくべて火を大きくした後、鉄板を上に敷いた。鉄板にそのまま生地を載せると接着してしまう為、植物油を鉄板に馴染ませる。普通は窯で強い火力で焼くことでサクサクと歯ごたえ良く仕上げたいが熱の籠る石窯は無い。強火で予熱した鉄板の上に具材を載せたピザを置き、上に乗せた具材に火を入れる為に半球形状の保温器具であるクロッシュで覆う。焼き上がりは15分前後だ。


「所で、ギボンは何処かな。君たちは2人で動いていると思っていたのだが」


ティベリスの食事の前に揃って試食をするのが仕事の一つであったように思っていたが。

メアリ嬢は明らかに目線を反らして言った。


「えぇ、ちょっと。えっと、今日はギボンは試食に来ないかもしれません」


「そうか。では後で食事を持って行ってあげてくれ。私が少女の部屋を訪ねる訳にはいかないだろうからね」


何かがあったのだろう。体調不良であるなら即答できる質問であった事から、恐らく部外者の耳に入れると厄介になる何かがあったに違いない。気にならないと言えば嘘になるが、厄介事だった場合の対処は出来ないだろうから不必要に聞き出す事はしない。


「そうします。ありがとうございます」


メアリ嬢は丁寧なお辞儀をすると私の横に寄って来た。私は相槌を打ちピザの焼き上がりを確認する。クロッシュを開けると生地の上のソースと具材はぐつぐつと煮えたぎりチーズが柔らかく溶けていた。ピザ回しで作った生地の端部はパンの様に膨らみ具材の乗っている部分の底は端部よりも薄い為サクサクと香ばしい。本来の高火力短時間で仕上げる窯の仕上がりよりも具材の瑞々しさに劣るが家庭で作る拘らないピザである事を考えれば、そこそこの出来栄えであった。1枚目のピザをまな板に取り出しナイフで8等分にした後乾燥したバジルを振りかけた。


「よし、1枚目が出来た。メアリ嬢、皿を」


はい、という言葉と共にメアリ嬢から木皿を受け取る。ティベリスとの食事で提供された皿は陶器製だったが、使用人が使う食器は基本的に木製のものが多い。例外は紅茶を飲むためのティーセット類と砂糖を入れる容器くらいであった。

私はメアリ嬢から受け取った皿に1欠けのピザを乗せると手渡した。


「こう食べるんだ」


私は扇状になったピザの端部を持ち、縦に折った後に頂点を齧る。トマトベースのソースの酸味と円やかなチーズの旨味を乾燥バジルの香りが引き立てる。個人的には良く出来たと思う。


「食事を手で食べるのは新鮮ですね」


メアリ嬢が私の真似をしてピザを齧る。おいしいと言って笑顔を見せてくれるのは料理人にとっては喜ばしい事であろう。


メアリ嬢の言葉はある程度予想が付いていた。ティベリスとの食事である程度察していたが貴族の間ではフォーク等の食器を使わないのは下品という事なのだろう。貴族は手で食べるのはパン位で正式な場ではリンゴや梨でさえもナイフとフォークで食すると言う。

テーブルマナーが浸透しているある種の弊害ではあった。他国の文化を取り入れてきたからこそ、この国の貴族は『自国の文化』を重要視しているのであろう事は直ぐに解る。


「ああ、どちらかと言うと平民の食事だからね。食事と言うよりもパンを食べていると考えれば良いだろう」


メアリ嬢も女中の間にテーブルマナーを覚え、淑女としての仕草を勉強しているからこそ、この食べ方には抵抗感があるのだろうか。


「淑女として食べるには良くない食事だったかな?」


貴族であるのに礼節を弁えないというのは周囲の貴族から良くない感情を買う事もある。今までの食事はスープを主とした物で食器を使っていたので気にならなかったが、手で食べると云う行為は貴族と平民間の差別意識があった場合にはとても面倒である。


「いいえ、パンをスープに浸して食べたり、上に主菜を乗せて食べるのは紳士淑女でもマナー違反ではありませんよ。皿にこの様な形で乗せられているのであれば違和感は無いです」


多種族国家なので。と言う言葉が言外に聞こえる。様々な種族を合併する上である程度の異文化を受け入れる下地は出来上がっているのであろう。恐らくそれが貴族の『器』なのだ。

寛容的で余裕を見せる事が貴族の『マナー』なのかもしれない。


「そうか、ティベリスにも後で作ろうかな」


私の目的は豊かな生活である。豊さとは精神的にも肉体的にも保全されている状態であると確信しているので私に必要なのは『人間関係』と『金銭』である。どちらか1つでもかけては理想とは成らないだろう。


根無し草である私に対して寛容的な態度を取ってくれているティベリス対して高い技術力を見せつけてきたのは今後の()()を稼ぐ為に他ならない。ティベリス自身も『利用されている』という事には気付いているだろう。では何故私との交流を絶たないのか。言うまでも無いが今後の利益を考えてである。貴族が旅人を庇護下に入れようとするなどあり得ないが、そこに多大な利益が付いてくるのであれば別の話になる。知識は力であるとこの国の貴族は良く理解している事が確定的になったのはティベリスと言う貴族が城下町で演説を打っていたからである。ティベリスに話しかけられるのは予想外で在ったが、『打算込みの友人関係』に持って行けたのは私の行動力が幸いしたという事だ。実際に私がティベリスに治療を行ってから彼の庇護下に入るように言われたのだから私の予想は外れていないだろう。


「よろしければユーリ様にも食べて頂きたいですね。甘いもの以外は小食でありますので」


これは彼女なりの優しさなのだろうか。


「それは治療が終わって万全になったティベリスに食べさせてからかな。私が許可されているのはティベリスの治療に関する事だけだからね」


後々責任問題になりそうな事はティベリスの許可がいるだろう。今回の食中毒で料理人への処罰が解らない。処罰への程度が知れなければ食中毒が起こり難い食事しか提供できない訳だ。

加えて、ユーリ自身がこの館で発言力が有る訳ではない。ユーリ以外の好感度を上げるために彼女に対して優しくする事は利益になるが、不用意な事をして彼女に何かがあった場合は私自身の立場を危うくする。

不必要なリスクを冒さないのは処世術の基本であった。


「そうですか・・。ティベリス様は許可なさると思いますが」


言外に急かされているのは解る。が、ここで折れる意味はない。


「私としても残念ではあるが、館の主を抜いて食事は提供出来ないからね」


私が折れないと解るとメアリ嬢は頷き、素直に引いた様子であった。

言外の要求からは彼女自身の教養の高さを感じる事が出来た。同時に性格が少し頑固であるようにも見える。大人しい見た目であるが無い面も外見と同じとは限らない。私自身知らぬ内に、メアリ嬢についての印象が外見からによるものになってしまっていた。

時間をかけて縁を築いていた訳では無いので無意識の内に印象が変わってしまっていたのだった。


「まあ、近々ユーリ嬢にも振舞えるさ。ティベリスとはお喋りの約束もしているしな」


私は片手に持ったピザを齧る。マギの唐辛子のような辛さが微かに舌を刺激した。

2枚目のピザも焼き上がり、切り分けた所でギボンが厨房に入って来た。メアリ嬢から今日は来ないかも

と聞いていたが存外に早く用事が終わったのであろう。ギボンを注視すると女中専用の作業着のような服の襟元から赤く色付いた首が見えた。白いカフスが汚れていないことから雑務の中でも汚れない仕事であった事が解る。首が赤くなるのは運動などをして興奮状態にあった為だと思うのだがそれにしては汚れが無さすぎる。


「ごめんなさい。少し遅れてしまいましたね」


ギボンが頭を下げ、謝罪をしてきた。彼女の仕事に関しては言及はしない事にしているので私は気にしなくていいよ、と片手を上げ切り分けた2枚目のピザを新しい皿に乗せる。


「丁度、焼き上がったところだ。試してみると良い」


ギボンに皿を手渡すと、私は自分のピザを齧る。メアリ嬢に見せたのと同じようにギボンにも見せた。焼きたてのピザ生地の甘く香ばしい匂いがふわりと香る。


「トラヤヌス様が館に戻られましたのでティベリス様との面会後に着付けを行います。メアリ、貴女も来なさい」


ギボンがメアリ嬢に指示をする。館に三代が住んでいるという事は聞いていたので、恐らくティベリスの容態を心配し戻って来た息子か娘であろう事を察した。そして、自身の立ち位置を再確認する。言うまでも無いがティベリスが寛大に接しているのは私に利用価値があり、尚且つある程度の信頼を勝ち取ったという事であるがその子供はどのように考えるのかは判らない。顔から人物の性格を判断する人相学はある程度使用しているが、単一の使用には耐えないのだ。


人間の第一印象で7割以上が決定する。面接での基本だが正しく使える人間は少ない。

これは相手の性格に合わせて自分が最もよく見えるように振舞うという難易度の高いものだ。人間の知性を最上とするティベリスの性格に私の行動が存外に良い方向に当てはまったのは偶然的な事であった。

成長の過程でティベリスの影響をある程度受けている筈だが、真面目な親から真面目な子供が生まれるとは限らない。所謂、客先との対話は探り合いだ。私のような地位のない人間が金を稼ごうとしている人間に問っては特に。つまりこれはティベリスと同じ地位にいる人間との初めての探り合いになる可能性があった。


相手に自分を如何によく見せるか。社会に出ていた頃の懐かしい思い出が蘇る。

人間関係は社会に居座る限りいつでも付き纏うものだ。特に建造物に対して高い技術力を持つアクィタニア帝国は通りや城壁、水道橋に至るまでアクィタニア帝国人の実利精神を思わせる建造物が多い。広場での大道芸の一種と思われる『演説』はアクィタニア帝国の領土拡張と共に広がった気宇(きう)から成るという事はティベリスとの会話やメアリ嬢との会話の中からも感じ取る事は容易であったし、つまりは『あらゆるものは精神である』と言う、実利的なアクィタニア帝国人の精神が垣間見えるものであった。

ティベリスが私を傘下に入れた理由には、異邦人であれども長所があればこれを活用する事が賢いと云う考えからであろう。

国の醸成に必要な知識をあらゆる所から取り入れようとするその気質は時代を経る毎に失われていった人類の数少ない良い点であろう。


「一応聞いておくが私がその方に会う機会は無いと思って良いか?」


まぁ、つまり気になる所は之である。

ギボンはため息と共に言葉を吐き出した。


「恐らくティベリス様を通じて紹介されると思いますよ。ティベリス様の実質的な後継者ですからね」


当たり前でしょう。と呆れられたのだろう。


「・・・解った。準備しておく。浴槽を借りるぞ」


準備?とギボンが呟く。流石に調理後の匂いの付いた体で向かう訳にもいかないし、少し情報を操作する必要も感じていたのだ。


「そういえば、その方は男性か女性のどちらかな」


「・・・名前で解るでしょうに。女性ですよ」


女性であるメアリ嬢とギボンが着付けの手伝いをするのだからある程度の予想は付いていたが、名前からの情報からは男性のイメージであった為に聞いたのであった。女中の着付けは業務である為、性別は考慮しなかったり、性の目覚めの為に異性の従者を着付けや浴槽での奉仕で使うというのは旧時代では普通に行われていた事であるが、この国ではそういった事は無いのだろうと予想できた。


「私には馴染みがないのだよ」


肩を竦めながら苦笑する。私自身こういった慣れ不慣れの問題には滅法弱い。

性別の如何に関しては男女で好かれやすい性格が違うので相手方の情報は少なからず必要で在った。

男性は力強さを好み女性は感情を好むのはどの世界でも共通である。


「さて、試食を早めに終わらせようか。ギボン、1切食べる位の時間はあるだろう?」


残念ながら焼きたてのピザを全て平らげる時間は無いだろうから残りはこの厨房に放置する他ないが仕方ないだろう。


メアリ嬢とギボンが仕事に向かうのを見送った後、私はピザを2,3枚食べた後に湯浴みをする為浴槽へ向かった。この世界の石鹸は質が悪いので自前のミョウバン石鹸を使う。ユーリの存在からトラヤヌスは夫人と言う事になるだろう。正直なところ、女性の年齢層の中で最も気を遣う年代だった。言うまでも無いが細心の注意を払う必要がある。

ミョウバン石鹸で体を念入りに洗い髪にも香り高いリンスを付けた。浴室から出ると水分をタオルでふき取り、手首と首元と顔面に香水をつける。相手が女性なので柑橘系の刺激的な香りにダージリンティーとネロリのフローラルな香りが特徴の香水を付けた。

髪は無臭のワックスで固め首元にゴールドクロスのネックレス。

腕時計はベルトがボルドー、ケースがゴールドのシンプルな物。塩水でうがいした後に強刺激のミントタブレットを3つ口に放り込んでシルバーの伊達メガネを掛けて準備は完了。

気分は3割増しで男前だ。


・・・気分だけだが。


口角を上げ下げして顔の表情筋に刺激を与えていると初めて見る年配の女中が私を呼び、ティベリスの部屋に案内された。


「ティベリス様、トラヤヌス様。お医者様をお連れ致しました」


ティベリスの私室には長い青髪の女性。部屋の端にはギボンとメアリ嬢が控えている。身形からこの人がトラヤヌスだろう。女中が先に挨拶をしたのがティベリスからで在った為、未だティベリスの力の方が強いであろうことは察する事が出来る。

ティベリスは恐らく茶を飲むためだけの白く丸い机の周囲にある芸術性の高い椅子に座っていた。

トラヤヌス夫人の帰宅を喜ぶ為の席であろう。

私はティベリスの近くに寄り言葉をかけた。


「ごきげんよう、ティベリス。調子はどうかね?」


「ヒロシか、良く来た。先ずは席に座ると良い」


ティベリスに促されてから席に座る。面接の基本である。

着席すると私の前に女中が茶を置いた。香りから紅茶である。


「して、何用かな?」


ここ数日の間、比較的出入りが多いティベリスの私室であるが、今までは利用するための『友人』として呼ばれ、今は貴族の命を預かる『医者』として入室している。()()()が必要であろうことは容易に考えられる事であった。


「私の娘を紹介しようと思ってな。このアウグストゥス・ティベリスの庇護下に入ったのだから最低限の顔合わせは必要であろう?」


ティベリスの娘であるトラヤヌスは庇護下に入ったという言葉に強く反応し、目を見開いた。

ティベリスがフルネームで名乗る事に意味があったのであろう。家名を出した以上、領主家として庇護下に入れると言う意味である事を強調した形になる。


「此れが娘のアウグストゥス・アルカ・トラヤヌス領主である」


トラヤヌス領主が軽く会釈し私に話しかける。


「アウグストゥス・アルカ・トラヤヌス領主です。初めましてですね異国のお医者様。父がお世話になっています」


座りながらの挨拶。()()()か。

恐らくティベリスの気遣いだろう。私的な用事とすることで私の無礼な態度をトラヤヌスに前もって見せている。こう考えると公式の場での無礼は罰則がある可能性が高い。


「初めまして、ナイハラ・ヒロシです。今は医者をやっていますがこの度ティベリス前領主からのお声掛けで庇護下に入れていただくことになりました。恥ず事無きよう努めます」


微笑みながら会釈する。顔合わせと言う事なので第一印象を良いもの人する事を心がけた。

ティベリスが少し驚いた顔でこちらを向く。


「ヒロシ、お前はもう少し無作法な印象だったのだが」


「ご婦人の前なのだから格好を付けているだけだ。トラヤヌス夫人への顔合わせと言ったのはお前だろう?誰にでも無礼な態度を取る訳では無い」


まぁ。とトラヤヌス夫人の小声が聞こえた。彼女が私に注目している事を確認した後、私は苦笑する振りをした。

女性は感情的で自己中心的だ。()()()()という所を見せつける事で今後の行動に対して口出しをさせないようにする。

庇護下に入ったのは利用し合う前提の()()であると印象付けをすることで、彼女の感情の矛先を私に向かせないようにする事が目的であった。

ティベリスの()()()()()()。つまりは対等であるという事を印象付ける事で、庇護下に入ったのは部下になる為ではないという事を言外に悟らせる目的があるのだ。


「バーベンハイル家の長男を殴り飛ばしたのは?」


ギボンにも同じことを言われた。今回問題になってくるのは此れだという事は理解している。

つまりは弁解の機会を得ているのだ。ティベリスとしても主治医に対しての暴力となれば黙っているわけにもいかないのだろう。恐らく、トラヤヌス夫人への説明も含めている。


「簡単に説明しよう。人は水を飲まなければ死ぬと言う事は知っているな?」


「当たり前だ。3,4日程度の間に水を飲まなければならない」


「ワインには体外に水分を放出する働きがある。飲酒後に手洗いに行きたくなるのは此れが原因だ。熱い湯もいけない。発汗で水分が奪われる。つまり、唯でさえ水分が不足している中、体外に水分を排出していたのだから当然死ぬ。お前は頭が回らないと言っていたな?酷くなると意識がなくなり、痙攣が起こり最後に腎不全で眠るように死ぬ。バーベンハイル家の治療は客観的に見て殺人的だ。私は水分補給に徹した。重症になるようなら注射器での点滴を行う必要があったが、そこまで症状は進行しなかったな」


本音を言えば点滴はしたくない。輸液を作成したが、人体実験をしていると言っても被験者は1人で長期の経過報告も無い。点滴は滴下数と言う1時間当たりに輸液する量が決まっている。例えば今回の食中毒での脱水症状に対しては1000mlの点滴を腕か足に行うが1時間当たり500mlの輸液。つまりは2時間かけて輸液を行う。これは食事がとれずに脱水が進行し、麻酔掛った状態に対しての最終手段だ。人体実験の被験者が足りない以上、進んでやるわけにはいかなかった。


私は両腕を広げ余裕を見せつける様に笑みを作る。

少々芝居がかってはいるが説得には雰囲気が重要だ。確固たる自信を見せつける事と断言する事。今回はそこに重きを置く。


「私がしたことは正当だよ。貴族に毒を盛って殺害しようとした人間を殴って止めた。そして、ティベリスよ、お前は幸運だ。他ならぬ私が行った医療行為は極めて正しく論理立っている」


ティベリスは俯き顎髭を弄りながら何かを考えている。トラヤヌス夫人についても唇に左手の人差し指を当てて目を閉じていた。少なくともこの茶会の席に沈黙が訪れた事は確かである。

暫くするとティベリスは私に問いかけた。


「それを証明できるか?お前が話すことは確かに論理立ってはいる。このティベリスが認めよう。だが、バーベンハイル家はこのアクィタニア帝国が認めた貴族。それも医療行為のみで貴族位を得た名門だ。お前の言葉はアクィタニア帝国貴族の否定に他ならない」


つまり、同様の症状を同じ方法で対処し生存率を上げる事が出来るのかと言う問い。

逆に言うならばバーベンハイル家の治療行為を行い生存率を下げる事が出来るかと言う問いである。

私は考える。ティベリスの言葉の後に強烈に匂い立つこれは、金の匂いだ。

それも濃厚で、濃密で、上等な。

溢れる笑みが止まらない。要は宗教や根拠の無い医療を行う藪共に現代医療の革命を起こせと言う事だろう?

ティベリスを眼前に据え、溢れる笑みのまま問う。


「5年貰う。ティベリス、私に投資しろ。5年後にお前の名前を歴史に刻んでやる」






5年後、医学と呼ばれる新しい学問が生まれる。人は神が作り出したものと言う教会の主張を根底から覆すものであり、この学問は、生命の元があると断言しそれを進化論と呼んだ。

また、科学と医療を高度に融合させた学問であった。

その学問は、今までの魔術や精霊、根拠も効果も無い治療を完全に否定した。

この学問の基礎は症状を観察し実験を行い推論すると言う方法を提唱し、それは『論文』と呼ばれた。

現在隠居生活中の大貴族、アウグストゥス・ティベリスが提唱したものとされているが本人は否定している。


ここまで見て頂いた読者様へのお詫び。


本作品の作者である、煙道 紫です。

作品を書いている途中で気付いてしまったのですが、この作品のタイトルに関しまして別段、異世界転生していない事と幼女のヒモになっていない事の2点についてタイトル詐欺であった事をお詫びいたします。

投稿日に読み返し、気付きました。本当に申し訳ありません。

その2を投稿予定でありますのでそちらの方で対応させていただきます。

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[良い点] 読みやすく、とても面白い その2があるようなので楽しみ
[良い点] 続きが気になる 個人的に読んでて心地よい 主人公のキャラクターが好き [気になる点] 可能であれば主人公の過去がわかるともっと面白そう [一言] 投稿はした事ないのでわかりませんが 2を投…
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