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第5話 魔法の演奏



ヴィオの作ってくれた夕飯はとても美味しかった。


いつの間にか鍋に投入されていた香草のお陰か、肉食だというアルミラージの肉はまったく臭みがなく、ホロホロと蕩けるような美味しさだった。鍋のスープには骨から抽出したダシがよく出ていて、ごはんがあったら最後におじやにしてもう一杯食べたいくらいであった。


想定していたよりもずっと快適な野営場所で、滋味に富む料理に舌鼓を打ち、すっかり疲れも癒えたところで、ヴィオが言った。


「さてと。じゃあカノンの魔法、やってみようか」


花音は目を輝かせる。


「あ、けど……」


花音がはたと気が付いた。


「肝心のバイオリンはどうするの? ヴィオがバイオリンなんだよね?」


花音の疑問を聞いて、ヴィオは肩を竦める。


「カノン。僕のバイオリンの時の姿をイメージしてみて」


「イメージ……」


花音はいつも弾いているフルサイズバイオリンの姿を思い描く。


すると、花音の両手が光りだした。


「わわっ! え!? スゴイ! 何これ!!」


次第に光は形を取り始め、いつの間にか花音の左手にはフルサイズバイオリンが、右手には弓が握られていた。


花音はしばらく呆気に取られて自分の手に握られたバイオリンを眺める。しかし、疑う余地もない。手に馴染んだその感触は紛れもなく花音が毎日弾いている『ヴィオ』そのものであった。


「うそ……こんな簡単に……?」


「そ。この世界ではカノンはいつでも僕の本体を呼び出せるってワケ。けど、花音の空想力があるからこそだよ。そんなにすぐに具現化できるのは」


ファンタジー病を拗らせている花音にとっては、空想力を褒められるのはとても嬉しかった。……が、その前にヴィオがわりと重要なことをさらっと事も無げに言ったことの方が気になった。


「『僕の本体』って?」


「ああ、花音が持っているそのバイオリンのことだよ。で、今カノンの前に居る僕、『人間の姿の僕』は、本体であるバイオリンの僕が生み出したアバターみたいなものだと思ってくれればいいのかな?」


「ふーん……アバターね」


ヴィオがなんでそんなネット用語?を知っているのか、聞こうと思ったが、なんだか嫌な予感がしたのでやめておく……。


花音は、ヴィオが確実に花音がオタク要素を持っていることを把握している気配を感じていた……自爆する可能性のある深入りはやめておこうと、そっと決意する。


そんなことを考えながらも、花音は自分が起こした奇跡のような現象に既にワクワクが止まらなくなっていた。


「そうだな。今みたいに実際やってみるのが、分かりやすいよね。じゃあ『パッヘルベルのカノン』を弾いてみようか」


ヴィオは花音の一番好きな曲の名前を言った。自分の名前と同じ曲『パッヘルベルのカノン』。


ヴィオが自分のことを何でも知っているようで、花音は少し気恥ずかしくなる。


「分かった。カノンね」


気恥ずかしさ隠すため、少し急いでバイオリンを構える。


その瞬間、花音はハッと気付いて泣きそうな気持になった。……こんなにワクワクしながらバイオリンを構えたのは何年ぶりだろう。


あまりにも久しぶりで忘れていた感覚が蘇る。


一曲一曲を大切に弾こう、という純粋な気持ち。


ワクワクと気恥ずかしさとほんの少しの切なさで、花音の精神は昂っていた。


花音は昂った精神を落ち着けるため、目を瞑って大きく深呼吸をする。


静かな夜の草原で、パチパチとはぜる焚き火の音と、微かに聞こえる虫の音だけが聞こえてくる。




すぅっと頭が冷えた感覚に包まれた時、花音は静かに目を開いて、ヴィオの弦に弓を滑らせた――。




やや遅めのテンポで冒頭部を弾き始めると、すぐに不思議なことが起こった。



その場で楽器を弾いているのは花音だけなのに、いつの間にか通奏低音(バス音)が周りに響いていた。


不思議な感覚だったが、花音はそれを自然に受け入れ、第一バイオリンの主旋律をバスの音に乗せて演奏する……。


花音が二小節を弾き終わると、どこからともなく第一バイオリンの旋律を引き継ぐように第二ヴァイオリンの音色が重なりはじめる。そして旋律は第三バイオリンへ受け継がれていく……。


ここにきて、花音は一緒に誰かが演奏してくれていることに気が付く。目に見えない何かが花音の旋律に合わせて共に曲を奏でてくれているのだ。


驚いてヴィオ……人間の姿の方のヴィオを見つめる。ヴィオが軽く頷くのを見て、花音はそのままバイオリンを弾き続ける。


すると今度は花音の周りを柔らかな光が包み始めた。花音のバイオリンの音色に合わせるように光が煌めき震え、広がっていく。


光が届いた部分の草原の草が曲に合わせるように揺れたかと思うと、次々と丈を伸ばし花を咲かせ始めた。どこからか蝶が二匹飛んできて、花音の周りをひらひらと踊るように舞う。


少し離れたところから、水が溢れだし次第に池を形作る。池から小川が流れだし小さな小魚が泳ぎだす。


いつの間にか足元には地リスのこどもが何匹も走り出てきて、お互いじゃれ付きながら遊びまわっていた。


まるで花音の演奏に合わせて、生命が湧き出していくような感覚に包まれる。


池の周りにはいつの間にか木が生え始めていた。幹を太くし、枝を伸ばし、意思を持つように成長していく。木の枝が伸びると鳥達が飛んできて枝に留まり、さえずり始める。


曲が終盤に近付く頃、花音たちの周りは草原ではなく、小さな森になっていた。



花音は最後の音が途切れないようにゆっくりと長く弓を滑らせ、先端まで辿りついたところで滑らかにすぅっと弓を弦から離した。


――と同時に、バイオリンと弓がふわっと光って、光の粒子のように消えていった。




花音の演奏が終わった。




パチパチパチ……と、たった一人だけの拍手の音が響いた。


「やっぱりカノンの『カノン』は最高だね」


ヴィオが嬉しそうに言った。


「……今のが、私の魔法?」


花音は信じられない気持ちで周りを見渡した。




――演奏前は草原だった場所が、森になっていた。


あいかわらず焚き火はパチパチと燃えていたが、頭上には鬱蒼とした木の枝が茂り、空が見えなくなっていた。


「そう。カノンが希望に満ちた『カノン』を弾いたから、生命の循環を想起させられた精霊達がこの森を作り出したんだ」


ヴィオが慈しむような眼で花音を見つめながらそう言った。


「精霊……?」


「うん。この世界を構成する元素だよ。魔法はこの精霊達に働きかけることによって起きる事象なんだけど……」


「うん、うん」


分かるような分からないような気がしながら花音はヴィオの話を真剣に聞く。


ヴィオはそんな花音の姿を微笑ましく思いながら、話を続けた。


「カノンの魔法はケタ違いにすごいってコトを僕もはじめて知ったよ」


ヴィオの言葉を聞いて、「そうなの!?」と花音はパッと顔を綻ばせた。しかし、その一瞬後には、すぐにハシャいでしまったことを恥じるかのように顔を伏せた。


が、またその直後に顔を上げると恥ずかしそうに笑って言った。


「ヴィオ……、ありがとう。久しぶりにすごく楽しくバイオリンを弾けたよ」


嬉しそうに頬を上気させた花音の最上級の笑顔を急に向けられて、ヴィオは心臓が止まるかと思った。


思わず抱き締めてしまいそうになるのをグッと堪える。……この笑顔をずっと見たかった……ヴィオは幸せな気持ちを噛み締めた。











~曲~

パッヘルベルのカノン(『3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調』第1曲)

作曲者:ヨハン・パッヘルベル


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