第35話 崩壊
――ほんの一瞬、花音に気を取られた魔王に、ヴィオはラグナロクを突き刺した……。
その瞬間、空に……世界に……亀裂が走った。
“パキッ!!”
同時に花音の持つバイオリンの表板に乾いた音が響き、亀裂が入った。
「……うそ……でしょ……!?」
壊れたヴァイオリンを抱える花音の瞳から無意識に涙が零れた。
ポゥ……とヴァイオリンが淡い光を発し、光は次第に人の形を取り始める。
「ヴィオ!!」
花音は腕の中のヴィオに呼び掛けた――。
◇
――ヴィオが目を開いた。
紫色の美しい瞳に泣いている花音が映る。
ヴィオが小さな声で花音に話し掛けた。
「カノン……。もうすぐ元の世界に戻れるよ……。けど……お願いだから、もう僕の事……嫌わないで」
「何を言っているの……? ヴィオ?」
涙声の花音の問い掛けはもうヴィオには聞こえていなかった。
ヴィオは花音を見つめながら話し続ける――。
「……練習が嫌ならやらなくていいよ? コンクールが嫌なら出なくていいよ? ……けど……僕の事を忘れようとしないで……」
「ヴィオ……!!」
薄くなっていくヴィオの体を抱きしめながら、カノンは叫んだ。
ヴィオはカノンを優しく見つめながら言葉を紡ぐ。
「僕は……カノンが楽しそうに僕を弾いてくれるのが大好きだった……。もう一度、カノンの笑顔を見たくて……この世界を作ったんだ……」
周囲の景色がモザイクのタイルのように、剥がれ始めた。
カノンの腕の中で薄くなっていくヴィオと共に、世界が崩壊していくようだった。
「ごめんね、カノン。……そんな顔させるつもりはなかったんだ。……ほんと……笑って……欲しかった……だけなんだ……ごめ……ん……」
透き通るヴィオの指先が、カノンの涙をそっと拭う……。
その瞬間。
ふっ……と光って、粒子が飛び散るようにヴィオの体は消え去った。
「ヴィオッ!!!!!!!」
カノンの絶叫が何も見えない暗黒の空間に響き渡った――。
◇
ヴィオはこの世界にカノンを連れてきたばかりの頃の夢を見た。
「……そっか。じゃあ、行ってみようかな……」
そう言ってカノンは初めてこの世界で笑ってくれた。
それはヴィオが数年ぶりに見たカノンの笑顔だった。
そして何よりも、自分の言葉がカノンの笑顔を作ったという現実に、ヴィオは泣きたくなるほど高揚した気持ちになった。
……バイオリンは持ち主に弾いてもらう時にしか、持ち主と会えない。
この世界に来る前のカノンは、ヴィオと会うたびに苦し気な表情をしていた。バイオリンを弾くのが嫌で仕方ないという気持ちが痛いほど伝わってきて、ヴィオも硬い音色しか出すことが出来なかった。
ヴィオはバイオリンである自分が、カノンに対して何もできないことが悲しくて、悔しくて仕方なかった。
しかし、カノンがバイオリンを辞める、と決意したあの時、ヴィオの内部に力が沸き上がった。そして、カノンが死を意識した時、ヴィオは自分が不思議な力を手に入れたことに気が付いた。
カノンをこんな世界から連れ出してあげたい! そう思った瞬間、自分がこの新しい世界を構築したことに気が付いた。
カノンと話したい! そう思った瞬間、自分が人間の様な体を手に入れていることに気が付いた。
はじめは、カノンの理想の世界を作って、昔みたいにまた楽しくバイオリンを弾ける環境を作ってあげたかっただけだった。
カノンの心が回復したら、すぐに元の世界に戻してあげようと思っていた……。少しの間、楽しい夢を見ていただけだとカノンの記憶を操作するのは簡単だ。
けど、ヴィオの作った世界で様々な試練を乗り越えるたびに、カノンは素晴らしい演奏をできるようになって……なにより、とても楽しそうだった。
ヴィオは、楽しそうにバイオリンを弾くカノンを見ているうちに、もっともっとカノンの笑顔を見たくなった……ずっとカノンの笑顔を見続けていたいと思うようになっていった。
……そして、いつしかこの世界にこのままカノンを閉じ込めておきたいと思うようになってしまった。
その思いが魔王を生んだ――。
カノンと永遠に一緒にいたい、カノンを自分だけのものにしたい、花音の心も体も……魂も、全て……。
永遠に留めておくことなんてできないと分かっていたはずなのに……ヴィオは願ってしまった。
『だからこれは僕の受けるべき罰だ――』
『許されない願いを持った報い――』
……けど……カノンにはずっと笑顔でいてもらう予定だったんだけどな……
『……ホント、ダメだなぁ……最後に泣かせちゃうなんてさぁ……』
そう呟いたヴィオの紫色の瞳から、一滴の涙が零れて……闇に消えた。
……そのまま、深い闇の中にヴィオの意識も溶けていった――。
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