第23話 ウーロボロス
花音たちは国境の村まで戻ってきていた。
村長に山火事の原因であったドラゴンは山から離れたことを報告し、その日はもう遅かったので村に泊まらせてもらうことになった。
「おい、お前。カノンから離れろ!」
村に着いてからも花音から離れない竜の子供に対して、ヴィオが突っかかる。
竜の子供はヴィオをジロリと睨むと、カノンの胸にぎゅっとくっついたまま、
「ヤダ!」
と答えた。
「くっ!!」
羨ましい……。
ヴィオは花音に大手を振って抱いてもらえる竜の子供になりたいと切に願った。
「ヴィオ……なんで子供相手にムキになってるの? それに『お前』じゃないでしょ。ちゃんと名前をつけてあげないと」
花音が呆れた口調でヴィオを諭す。
「ふん! 名前なんて大層なものいらないだろ……」
まだグチグチ続けるヴィオに向かって竜の子供が口を開いた。
「……ウーロボロス」
「え?」
「僕の名前は、ウーロボロスだよ」
「なんだと……?」
ヴィオが驚いたような顔をする。
「ねぇ、ウーロボロスってなんだっけ?」
花音は聞いたことがあるような気がして、ヴィオに聞く。
「……自らの尾を咥えて円環を創る竜のことだよ。永続性を象徴するモノだ」
何か考え込んでしまったヴィオに代わって、アルプが答える。
「……誰がその名前をつけたの?」
花音は腕の中で眠そうにしているウーロボロスに聞く。
「うーん……分からない。卵の中にいた時に誰かがそう言ったの」
「ふーん。そっか」
花音は、マザードラゴンが飛び去る前に卵を撫でた時のことを思い出す。なんとなく、あの時に名付けたのだろう……という気がした。
「ふん。ウーロボロスとはな。似合わないからお前は『ウーロ』でいいよ」
ヴィオが考え事から復帰して、またウーロボロスに突っかかる。
「うん。それでもいいよ」
ウーロボロスは花音に撫でられて、気持ちよさそうにあくびをしながら答える。
「この子の方がヴィオよりも大人だよね……」
花音はヴィオを困ったように見ながら溜息を付く。
「けど、ウーロって呼ぶ方がかわいいから私もそう呼ばせてもらうね」
「うん! いいよ、ママ」
キャッキャウフフする二人を見て、またヴィオが何かを言おうとしたが、
「おやめください、マスター。これ以上、あの竜に絡むとますますカノンに嫌われますよ」
とアルプが窘めた。
「くっそー。あのガキんちょ。マザードラゴンの嫌がらせとしか思えない……!!」
「まあ、カノンがあの調子ではしばらくはマスターの分は悪いですね」
アルプは冷静にそう言いながら、いつも通り紅茶を入れてヴィオに手渡す。
「はい、カノンも」
「ありがとう、アルプ」
花音に紅茶を手渡す為にアルプが近づくと、ウーロがスンスンと鼻を鳴らした。
「おねーちゃんって、何? 明るいのと暗いのが混じってるね。僕も赤いのと青いのが混じってるからちょっと似てるね」
「……ウーロ? どういうこと?」
突然ウーロが語りだしたことを理解できず、花音が小首を傾げる。
「もしかして、私の内の属性のことでは?」
アルプが言うと、ウーロはこっくり頷いた。
「さすがはドラゴンだね。魔力の放出が無くても属性を見分けられるのか」
アルプが感心したように呟く。
「へー、属性かぁ……。ね、私の属性はどういうの?」
花音がワクテカしながら、ウーロに訊ねる。しかし、ウーロの答えは花音の期待したものではなかった。
「ママはねー。何にもないよ」
「えー……」
花音ががっかりして不満げな声を出す。
「カノンは属性が無いからこそ、色々な魔法を使えるんだよ」
ヴィオが慰めるように言う。
「ふーん……そうなんだ。じゃあ、ヴィオは?」
まだ不満げながら、花音はついでに……といった調子でヴィオの属性も聞く。
「んっとねー、ヴィオはぐちゃぐちゃ」
「おい、何ヒトの事、勝手に呼び捨てにしてるんだよっ」
ヴィオがまたウーロに突っかかる。
「ぐちゃぐちゃって……なにそれ?」
花音はヴィオに聞く。
「僕は全ての属性を持っているからじゃないかな」
しれっと答えるヴィオに花音が思わず声を上げる。
「えー! ズルい! なんでヴィオばっかり!!」
「まあ、いわゆるチートキャラってやつだから」
「……そういうこと、自分で言う?」
自分をチートとほざくヴィオに花音は脱力する。
「ママぁ……ボク眠い~」
会話の途中でウーロがぐずり始めた。
「眠いの? いいよ、抱っこしててあげるからこのまま寝ていいよ」
花音が優しくウーロを撫でながら、話し掛ける。
「ぅおい! そもそも、カノンはお前のママじゃないからな!!」
ヴィオが言うと、ウーロが不機嫌そうに言い返した。
「ママはママだもん!!」
「バーカ。違うよーだ」
ヴィオに否定されてウーロが泣きそうな顔になる。
「こら! ヴィオ! 小さい子をイジメない!! ……ウーロ、ゆっくり寝てね」
「うん……」
カノンがヴィオを叱るとウーロボロスは安心したように目を瞑って、すぐにスース―寝息をたて始めた。
「カノンはなんで大人しくこんな奴のママ役をやってるんだよ!?」
ヴィオが口を尖らせて、花音に文句を言う。
「だって、私のことをママって信じてるんだよ?……私はママじゃない、なんてこんな小さな子に言えないよ……」
花音はそう話しながら、自分の母親を思い出す。
(私も小さい頃、こうやってお母さんに撫でてもらってたっけ……お母さん、元気かな)
不意に花音はホームシックにかかったような気持ちになる。
「……ねぇ、ヴィオ」
「なに?」
「もしも、私が元の世界に帰りたくなったら……戻れるものなのかな?」
急な花音の言葉にヴィオは一瞬言葉を失う。
「……カノン、帰りたいの?」
ようやくヴィオが絞り出した言葉は少し震えていた。
「え? あ、ううん。もしもの話だよ。もしもの」
ヴィオの様子を見て、花音が慌てて言い直す。
ヴィオが空になった紅茶のカップを“カチリ”とソーサーに戻して、静かに口を開いた。
「……もちろん帰れるよ。カノンが一番最初に来た草原から元の世界に戻れるよ」
そう答えながらも急に沈み込んでしまったヴィオを見て、花音はなんだか胸が痛くなった。
「そっか。……あの、別にすぐに帰りたいって訳じゃないからね? ちょっと聞いてみただけだから」
「……うん」
けれどもいつかはやっぱりカノンは帰ってしまうのだろう……と、ヴィオは頷きながらもその予感を拭えなかった。
「わ、私、奥の部屋にウーロを寝かせてくるね!」
なんだか気詰まりを感じて、花音はウーロを抱いて席を立った。
「……どうぞ」
花音が奥の部屋へ移動した後、アルプがヴィオのカップに紅茶のおかわりを注ぐ。
「ああ」
ヴィオは心ここにあらずのように返事をして、ぼうっとしながら紅茶を一口飲む。
「……カノンの事、止めないのですね」
アルプが静かに訊ねた。
「……止められないだろ」
ヴィオはため息をつきながら答える。
「そうですか」
それっきり、会話が止まる。
国境の村の夜は静かに更けていった――。




