第21話 白い竜
「やはり、あなたでしたか。マザードラゴン。なぜこのようなところへ降りていらっしゃったのですか?」
勢いが衰え始めた炎の前で、ヴィオは白い竜に話し掛けた。
『……分かっているのでしょう、ヴィオ? 私が地上に降りるのは産卵の時だけです』
白い竜がヴィオの頭に直接話し掛けてくる。
「ああ……そうでしたね」
肩を竦めてヴィオが返事をする。
『なぜ、邪魔をするのですか? これから孵化してくる子には炎が必要なのですよ』
白い竜が窘めるようにヴィオに語り掛ける。
「……すみません。カノンの成長の為にちょうど良かったので」
ヴィオは丁寧に、けれども冷たさを含んだ声で白い竜に返答した。
『あなたは、あの異世界の少女に対する妄執に囚われ過ぎています。このままではいずれ御身を滅ぼすことになりますよ……』
白い竜が目に淡い光を湛えながら訴えた。
ヴィオは口の端に少し笑いを浮かべて返事をする。
「もちろん、そうはならないように注意しますよ」
白い竜が哀し気に顔を伏せる。
『卵があの少女の冷気に曝されてしまいました。この子はもう定められた炎の竜にはなれません……』
「それは、申し訳ないことをしました」
ヴィオは白い竜の傍らにある卵に視線を向けながら、単調に詫びる。
『ヴィオ、あなたは……』
白い竜は何かを言いかけたが、諦めたように周囲を見回した。花音の魔法の力で卵の周囲の炎はほとんど消えかけている。
白い竜が突然大きく翼を広げた。
『……この卵は、運命を変えてしまったあの少女に責任を持って育ててもらいましょう』
厳しい声でそう言うと、卵を抱えて白い竜が羽ばたく。
「な……」
ヴィオが突然のマザードラゴンの行動に瞠目する。
白い竜の強い羽ばたきが周囲の土を巻き上げ、ヴィオの視界を奪った。
一瞬のその隙に白い竜は空高く舞い上がる。
「待て!」
白い竜はヴィオを一瞥すると、卵を抱えたまま何も言わずに飛び去った。
◇
「……カノン。気を付けて、何か来る」
アルプが長く尖った耳をピクリと動かして、ほぼ鎮火した山の方へ視線を向けた。
「え? 何? ヴィオが戻ってきたのかな?」
花音が呑気に呟く。
「違う! 竜だ!!」
空を飛び、こちらに近づいてくる者の姿に気付き、アルプが急激に緊張感を高める。
「え!?」
アルプの険しい声で花音もようやく事態を飲み込む。
逃げる間もなく二人の前に白い巨大な竜が舞い降りた。その手には白い卵を抱えてるようだった。
「アタシが気を逸らすから、カノンは逃げて」
小さな声でアルプが呟く。
「けど……」
「いいから」
アルプはそう言って白い竜の前に歩み出た。
目の前の竜からは恐ろしいほどの魔力を感じる。
夜の女王の力を得た自分ですらこの竜には勝てないかもしれない……。アルプは冷静にそう分析しながらも、花音を守ることを諦めるつもりはなかった。
『争いにきたのではありません。後ろの少女に話があります』
白い竜は突然花音とアルプの頭の中に直接声を響かせた。
花音とアルプは一瞬誰が話しているのか分からず、キョトンとする。
『カノンというのはあなたですね?』
竜が憂いを湛えたような眼で花音を見つめる。
「は……はい」
白い竜が話しているのだとようやく気付いた花音は、恐る恐る返事をする。
『あなたの魔法によって、私の産んだ卵の運命が変わってしまいました』
「え?」
話の内容はよく分からないけれども、竜の声音に不穏なものを感じた花音は眉を顰める。
『もう本来の役割を果たすことが出来ません。この子はこのままただ朽ちるのを待つだけです』
「……死んじゃうってことですか?」
花音は思わず、白い竜に質問をしてしまった。
白い竜は花音の問いには答えず、ふっと卵に視線を落とした。
『その運命をもう一度変えられるのは、この卵に魔力を注いでしまったあなただけです』
そう言って、白い竜は卵を優しく地面に置くと、慈しむように一撫でした。
花音はその光景を見て、胸が詰まる様な気持ちになった。
『この子の運命が変われば、いずれは……』
白い竜はそう呟くと、花音を見つめた。
「いずれは……?」
花音は言葉の続きを待ったが、そのまま白い竜は大きく翼を羽ばたかせると、空へと飛び上がった。
「カノン!!!!!」
その時、聞き慣れた声が花音を呼んだ。
「大丈夫!? 何かされてない!?」
血相を変えたヴィオが花音の肩を掴んで、焦ったように聞いてきた。
その間に白い竜はそのままはるか上空へと飛翔していってしまった。
カノンは空を見上げた視線を戻すと、ヴィオを見つめて答えた。
「私は大丈夫だよ……けど」
そう言って白い竜が置いていった卵に目を向ける。
ヴィオはその視線の先を目で追って、置いてある卵を見つけると少し険しい顔をした。
『……この卵は、運命を変えてしまったあの少女に責任を持って育ててもらいましょう』
先ほどの白い竜の言葉を思い出す。
なるべきものになれなかった竜の卵は、精霊達の力のバランスを崩してしまうため、普通はそのまま孵化させずに殺すはずなのに……。
今回のマザードラゴンの行動の意味が分からず、ヴィオは不安を掻き立てられる。
「この卵は危険だ。僕が壊すよ」
ヴィオが花音の肩から手を離し、卵の方に歩みだそうとした。
「待って!」
花音がヴィオの手を掴んで、引き留めた。
さっきのマザードラゴンの様子を見ている限り、あの卵が危険なものだなんて花音には考えられなかった。
「ダメ、壊さないで……」
花音に縋るような目で見つめられて、ヴィオは心が揺らいだ。
……カノンが僕にオネダリしてる!!!
高揚感でヴィオの顔が赤くなる。
「け、けど、カノン……」
「お願い……ヴィオ」
もう一度ヴィオに頼み込む。
「カノン……そんなに……」
「……卵が孵りそうですよ」
アルプがジト目で二人を見ながら、冷ややかな声で告げる。
「え!! 本当!?」
花音がヴィオを押し退けて、ヒビが入り始めた卵の前へ走り寄った。
「ちょっ、花音。危ないってば!!」
花音はヴィオの言葉を無視して卵に近づくと、小さく話し掛けた。
「頑張って! もうすぐ外に出られるよ!!」
その瞬間、卵に大きくヒビが入った。
“パキパキ……”
と音を立てて卵が割れると、中から紫の体色を持つドラゴンが這い出てきた。
「カノン! ちょっと離れて!!」
ヴィオが花音の腕を引いたが、花音は目の前で生まれてくるドラゴンから目が離せなかった。
「これがドラゴンの赤ちゃん?」
「赤ちゃんだって、ドラゴンには変わりないよ。危ないってば」
ヴィオは卵の前から離れない花音にハラハラしつつ、ドラゴンが突然暴れだしてもすぐに対処できるように空いている手に魔力を籠める。
ドラゴンは大きな体をぐいーっと伸ばすと、パッチリと大きな目を開いた。その目はヴィオと同じ美しい紫色をしていた。
「わ! 見て! 目を開いた!」
花音が嬉しそうに叫ぶ。
ドラゴンは声の主を探すように視線を上げた。
そしてその大きな紫の瞳に花音が映った瞬間……
『ママ!』
花音とヴィオとアルプの三人の頭の中にかわいらしい声が響いた。
「「「え?」」」
三人が顔を見合わせる。
「「「ぇぇぇぇぇぇぇえええええええ!!!???」」」
三人の戸惑いの声が辺りに響き渡った――。




