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第14話 夜想曲

「お呼びですか? マスター」


少し不機嫌な声がしたかと思うと、闇の中から若い男の姿でアルプが現れた。


「食事中だったのですが……」


そう言ったアルプの体には、濃い女の匂いが纏わりついていた。


「緊急事態だ。カノンが林に入ってしまったので護衛しながら、連れ戻してこい。……一応言っとくけど、カノンに手は出すなよ」


「……承知いたしました」


不機嫌そうな声ではあったが、アルプはヴィオの言葉に素直に返事をして、また闇に溶けて行った。







アルプは花音の気配を追って、林の方へ向かった。


あの小娘のせいで、食事の時間を邪魔されたかと思うと非常に腹立たしかった。せっかく人間を誘惑した所だったのに……。


アルプは夢魔だ。人間の情欲を自らの糧とするため、人間を誘惑し襲う。相手が抱かれたい、抱きたいと思う姿に変身して。


夢魔の中には人間との姦淫を食事と言う意味だけでなく、純粋に楽しむために行う者もいた。


しかし、アルプはただ食事のための作業としてのみ行った。腹が減らなければ決して進んでやりたい作業ではなかった。


腹を満たすためだけの行為だからこそ、途中で邪魔をされたことに対する憤りは大きい。またくだらない人間を誘惑しなければならない……。


カノンの気配を見つけて、アルプはチッ……と舌打ちをした。


マスターが執着している人間の少女。いつもオドオドしている割に、マスターにだけは強気に出たりするから余計に腹が立つ。


自分に任せてくれれば、あんな小娘すぐに誘惑の魔法でマスターのモノにしてあげるのに。


「はぁ……。まったく非効率だなぁ」


アルプはそう独り言ちながら闇に眼を凝らして、水辺で佇む花音を見つけた。


今のところ、危険なモンスターなどは近くには居ないようだ。さっさと連れて帰ろう。


「おい、カノン。手間を掛けさせるな。早くマスターのところに戻るよ」


アルプが闇から姿を現してそう言うと、花音はビクンッと肩を震わせて慌てて振り向いた。


若い男の声がアルプだと分かると、花音は明らかに安堵した顔になって


「ビックリした……」


と呟いた。


花音のその態度に、腹立ちと少々の嗜虐心をくすぐられたアルプは、突然花音に近づき逃げられないように花音の腕を掴むと、グイッと自分の体の近くに花音を引き寄せた。


「お前……安心してる場合か? 俺は夢魔だぞ、何されるか分かってる?」


アルプが低い声で耳元に囁いた言葉に、花音が分かりやすく動揺の色を顔に浮かべる。それで少し気が晴れたアルプは、カノンの腕を離して言った。


「ふん! お前みたいな小娘になんか何もしないよ。さあ、早く戻るぞ」


「……い、嫌! 私はもうちょっとここに居たいの。戻るんなら勝手に戻ればいいじゃない」


完全にアルプに翻弄された事に恥ずかしいやら腹立たしいやらの花音は、プイッと水辺の方へ歩いて行く。


「……ったく、めんどくさいこと言うなよな……はぁ、これだから子供は嫌なんだ」


花音はその言葉にまたムカッとしながらも、無視を決め込む。


「なら、好きなだけ居ろ。帰りたくなったら呼べ」


無理に連れ帰るのも面倒に思ったアルプはそう言うと一本の大きな木の枝の上に飛び上がり、そこに座って目を瞑った。


そして、花音には見えなかったが、その周辺にモンスターが入り込まないよう結界を張ったのだった。


「……ふん」


花音はアルプが枝の上で昼寝でもするかのように目を瞑った様子を見て、視線を湖の水面に落とした。


三日月が湖面に映し出されて、幻想的な雰囲気を醸し出している。


湖面で揺れる三日月を見ているうちに、むしゃくしゃした気分は薄れ、不意に花音はバイオリンを弾きたい気持ちになった。


初めてこの世界に付いた日の夜のようなワクワクした気持ちではなかったけれども、久しぶりの欲求だった。


……ヴィオが近くに居なくてもできるのかな?


そう考えながら、頭の中にいつもの自分のバイオリンを思い浮かべる。


すぅっと、何の問題もなくバイオリンが花音の手に収まった。手に馴染むバイオリンの感触が花音の心を穏やかにしてくれる。


「同じヴィオなのに……変なの」


花音はなぜか可笑しくなってクスッと笑った。


そして、すぅっとバイオリンを構え、弓を持ち上げる。


花音は、緩やかにショパンの夜想曲ノクターン第2番を弾き始める。


元々、ピアノ曲である曲だが、花音はバイオリンで弾いた時の切ないような震えるような音色が好きだった。


花音のバイオリンの調べが辺りに響き始めると、湖面が揺れるのをやめて鏡のように三日月を綺麗に映し出した。


風の音も虫の音も止まり、花音の奏でるバイオリン以外のすべてが息を潜めたかのように静寂をつくる。


急に花音の魔力の高まりを感じて、アルプが驚いて目を開けた。


先ほどまでの花音からは想像もつかないほどの強い魔力がバイオリンの旋律と共に放出される。


美しい旋律がすべてを二度と目覚めぬ深い夜の眠りに誘うかのように、周囲を覆い始めていた――。












~曲~

ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2(サラサーテ編曲)

作曲者:フレデリック・ショパン



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