第11話 アルプ
「カノン~。本当にゴメンってば……。機嫌直してよ……」
「……」
花音は謝るヴィオを完全に無視して、黙々とサマンサの運んでくれた朝食を食べ続けた。
パリッと焼いたトーストにたっぷりのバターと黄金色のはちみつをトロリとかけたもの、トロトロのポーチドエッグ、噛むとじゅわっと肉汁が溢れだすウィンナー、ほっこり茹でたブロッコリー、暖かいコーンスープ。
とっても美味しい朝食だった。……が、着替え中を見られてしまったショックで、花音はとにかく無言で食べつつけた。怒りとも羞恥ともつかない感情が心の中を荒らしまくる。
昨日のことも相まって、花音はもはやヴィオの顔を直視できなかった。
「ね~。カノンってば~」
懇願するようなヴィオの声だけが花音の部屋に響く。
それでも花音が無視し続けていると、スルッとどこからともなく黒猫が花音の足元に近付いてきた。
「猫……?」
花音が猫に気付いて食事の手を止めた。
一体どこから入ってきたのだろう……? と花音が思った瞬間、猫が唐突に若い男の姿になった。
褐色の肌に金色の目をもつ男は、紫黒色の髪をさらりとかき上げて花音に近づいた。かき上げた綺麗な髪の間からは角が見えている。
……この人、人間じゃない!? そう気づいた花音だったが、体が萎縮してしまい咄嗟に動けなかった。
「女。マスターを困らせるな」
しなやかな指使いで、呆然とする花音の顎をグイ…と上げ、強引に花音の瞳を覗き込む。
「ちょっ……」
突然のことに花音は顔を真っ赤にして、手を振り払おうとした。……が、男の熱の籠ったような金色の瞳に捕らえられ、痺れるような感覚を覚えて体中の力が抜ける。
男の顔がゆっくり花音に近づいてくるのを認識して、花音は思わず目を瞑る。しかし、その瞬間……
「……アルプ。カノンを誘惑したら消すぞ……」
急にそれまでとは打って変わった、不機嫌そうなヴィオの低い声が響いた。
花音の唇を奪う寸前で、ピク……と男の動きが止まる。そして男は花音から手を放し、スッとヴィオの近くへ音もなく近づき、
「失礼いたしました……マスター」
とヴィオに頭を下げた。
花音が恐る恐る目を開けると、アルプと呼ばれた男がヴィオに頭を下げる姿が見えた。そしてアルプが頭を上げた時、その姿が今度は女になっているのを見て、花音は我が目を疑った。
見間違いなんかでは絶対なかった。
花音の顎を持ち上げ、迫ってきたのは細身ではあるががっちりした体形の男性だった。しかし、今ヴィオの隣に立っている人物は豊満な肉体の女性だった。顔つきも男の時の面影はあるが今は完全に美しい女性の顔だ。
「一体……その人は……何?」
あまりの衝撃に、花音は怒っていたことも忘れてヴィオに震え声で訊ねる。
「……夢魔だよ。夕べ、花音の部屋で捕まえたんだ」
「む……ま……?」
まだ少し残る痺れるような熱い感覚を押さえつけながら、花音は自分の脳内のファンタジー知識を漁る。
むま。夢魔……だろう。サキュバスとか……インキュバスとか……。人間の夢の中に入り込んでエッチな気持ちにさせるという悪魔だっけ……。
そこまで考えて、花音はぞっとする。……私の部屋に居たって……??
花音の顔色が赤から青に変わったのを見て、ヴィオがすかさずフォローする。
「大丈夫だよ! もう僕の使い魔にしてあるから。 カノンに害を及ぼすことはないよ」
しかし、花音はじとっとヴィオと、アルプと呼ばれた夢魔を交互に見る。……いや、今まさになにか害を及ぼそうとしてなかったっけ??
「わかったな、アルプ。お前はカノンを優先的に守れよ! 手を出しちゃだめだからな!」
手を出すって何!? 花音は心の中で叫ぶ――。
ヴィオの命令を受けたアルプはすぅっとその姿をツインテール少女に変え、
「畏まりました。マスター」
と、とてもかわいい声でそう言った。




