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デブと男の同棲生活

作者: 緑苔ピカソ

 またあの子が視界に入ってしまった。

 いつもそうだ。昼下がりの長い休み時間、特に用も無くぼーっとしている時。つい彼女に目がいってしまう。

 彼女は数人の女友達と話していた。どんな楽しい話をしているのか分からないが、時々歓声を上げながらはしゃいでいる。その度に、茶色掛かった2つ括りの髪が揺れる。

 それから、桜の様に鮮やかな笑顔が咲く。


「よっ、公成(こうせい)

「うわっ! 何だお前か、ビビらせんなって……」

「どうしたんだぁ? 溜め息なんか吐いて」

「え? いや、なんでだろ」

 俺の目の保養を妨害したのは、クラスメイトの(つとむ)。中学から付き合いのある親友だ。

「さっきからあっちばっかり見てるじゃん。お前もとうとう美坂(みさか)咏子(えいこ)様の魅力に憑りつかれちまったのか?」

「はぁ? なんだよそれ」

「あれ、違う?」

「まぁそうだけど」

「なーんだ、単純」

 そう。同じくクラスメイトの美坂咏子というあの女子が、俺の意中の人だ。

 美人で清潔感があり、明るい性格でたまに天然。男女問わず人気があり成績も優秀、という文句無しのスペック。俺が惚れるのも無理はないだろう。

 とはいえ、そこまで才色兼備の四字にぴったり当てはまっていれば、当然敵も多い。

「じゃあお前もファンクラブ入れよ。俺の紹介があればそれなりに良い待遇が受けられるし」

 こいつが言う様に、彼女には時代錯誤のファンクラブすら存在している。もはや学校中のアイドルなのだ。

「あー、パス」

「何で!?」

「ほら、俺そこそこ顔良いからさ。頑張れば結ばれちゃうかもだろ?」

「あーはいはい、イケメンはよろしゅうございますね。だけどお前も知ってるだろ? 美坂さんの男の好み」

「ああ……あれ、マジなのか」

 美坂さんの好みのタイプに纏わる噂は、学校中に広まっている。

「そう、冗談抜きにデブ専。本人から聞いたから間違いない」

 デブ専。つまり豚みたいに太った男が好きなのだ。

「そこへいくとお前はガリガリだからな。まず眼中に無いだろうよ」

「そこなんだよなぁ……」

 頬杖をつき、また美坂さんの方を見やる。

 やっぱり俺には高嶺の花なのか? いや、俺だってそこまで悪くない男の筈だ。

 でも、彼女の描く理想像と俺は違う――

「そうだ!」

「うおっ! 何だよいきなり」

「痩せてるのなら太ればいいんだよ!」

 俺は胸を張って思いつきを答えた。

「えぇ? ちょっと待てって。お前なぁ、いくら美坂さんが諦めきれないからってそこまでするか?」

「するだろ。しない方がおかしい」

「いやいや。そもそもだな、お前がデブになったからと言って、美坂さんが好きになってくれるとは限らないんだぞ?」

「なってくれるに決まってるだろ。俺、イケメンだもん」

「その自信はどこから来るんだよ……」

 努は呆れ顔で俺を見た。クラスで一番お調子者のお前にだけは呆れられたくないと思いつつ、早速行動を始める。

「お、おい。どこ行くんだよ」

「どこって、あの子のとこ」

 顎をしゃくって、彼女を示す。

「あの子って……太宮(おおみや)!?」

「そっ」

 努は唇を戦慄かせて、絞り出す様な声を出した。

「お……お前、まさかあいつに『どうやったらそんなにデブになれるんですか?』とか訊くつもりじゃないだろうな?」

「そんなキツい言い方しないけど」

「ちょっとは手段選べ! 大体、デブになる方法位想像付くから!」

「甘い甘い、こういうのは経験者に聞くのが一番なんだから」

「はぁ……お前ほんと、突発的に馬鹿になるな」

 こいつが騒ぐのも無理は無いのかも知れない。太宮はこのクラスでは『沈黙のデブ』というあだ名で通っており、陰口を叩かれながらももその寡黙さから恐れられている存在なのだ。

 そうはいっても、太宮は学年で1、2を争うレベルのデブだ。しかも頭が良いという噂も聞くから、太っていく手順を合理的に説明してくれそうでもある。

 こんな訳の分からない事に協力してくれるかというのが一番の問題点だが、まあやってみるしかないだろう。

 愕然とする努の横を通り過ぎ、太宮の席へ向かう。彼女は読書中だった。

「なぁ、太宮さん」

 彼女はじろりと俺を見上げた。黒縁眼鏡の奥から、威圧感のある目で俺を睨んでいる……いや、ただ見ているだけだろうか。

「いきなりで悪いんだけど、太宮さんにお願いがあって」

「…………」

「……あの、いいかな?」

「さっさと話せ」

 思わず震えあがりそうな程のハスキーボイスだ。しかもこのぶっきらぼうな言葉選び。

 だがこの程度では怯んでいられない。

「俺さ、見ての通りガリガリじゃん。でも本当はもっとこう、肉を付けたいんだよね。筋肉を付けるっていうより、脂肪を蓄えたいっていうか」

「…………」

「それで……失礼は重々承知なんだけど、太宮なら、こういうの詳しいんじゃないかなって……」

 冷や汗が垂れる。やっぱこれ、ヤバい。お前はデブだって宣言してる様なもんじゃないか。

 しかもこんなサイコパス臭のする奴に向かって言うなんて、どうなるか分かったもんじゃ――

「どこまで本気で言っている?」

「え、えっと、10割本気……です」

 太宮はそこから急に黙り込み、宙を睨んで何かを考えている様子だった。

 これはもしや、俺の相談に乗ってくれているのか?

「……伏見ふしみ公成。お前、独り暮らしだな?」

「あ、ああ」

 確かにそうだが、何で知っているんだろう。怖い。

 だが次に太宮が発した言葉は、俺をもっとビビらせた。


「なら、私と同居しろ」


「……はい?」

 確実に冗談ではない。顔が真剣そのものだ。

「強制はしない。しかし本気ならばそうするべきだ」

 彼女は確信の籠った声で、淡々とそう言った。

 ……待て待て待て。俺と太宮はそんな深い仲じゃないどころか他人に等しいんだが。まともに喋ったのだって今日が初めてだ。

 それでいきなり同棲を迫られるなんて、ちょっとおかしいんじゃないのか? 何か下心があったりして。

 彼女の目を見て、心を読もうとしてみる。

 ……いや、マジだな。

 ……よし、じゃあこっちもマジでいくしかない。俺は覚悟を決めた。

「お願いしますっ!」

 太宮は重々しく頷いた。


 ここから俺のデブトレーニングが幕を開けたのだった。




 その日の放課後。俺は太宮の命により、彼女の家に引っ越した。

 といっても太ったらすぐに戻ってくるつもりなので、とりあえず必要な荷物だけを箱に詰めて運んだだけだ。

 しばらくは留守にしていても怪しまれない様に、同じアパートの住民には『体の具合が悪いので帰省します』と嘘を吐いておいた。

 準備は万全。太宮の物置部屋で荷物を整理し終わった俺は、部屋の片隅で一息吐いた。

「ふぅ……」

 今日からここで夜を過ごす事になるのか、などと思いながらゴロゴロしていた時。

「開けるぞ」

「えっ、あ、はい」

 いきなり太宮が入ってきた。俺は思わず立ち上がる。

 彼女は部屋を見回し、きちんと片付いているのを見て満足そうに頷いた。顔は険しいままだが、多分満足しているのだと思う。綺麗好きなんだろうな、この人。

「ご苦労だったな」

「あ、いえいえ」

「とはいえ、初日からこんなにカロリーを消費していては先が思いやられる。今日はたっぷり食べろよ」

「あっ、はい。えっと、今日の晩飯は何?」

「宅配のピザと寿司だ」

「おお」

 めちゃくちゃ豪華な取り合わせじゃないか。このやたら広いマンションで暮らしている事といい、その金はどこから湧いてくるんだろう。

「あのー、食事代とか家賃とかは、いつ払えばいいかな?」

「金の事は気にするな。同居に関してはこちらが言い出した事だ。私が責任を持つ」

「あ、ありがとう」

 かっけえ……! まともに喋ってみるとこの人、姉御肌で良い人じゃないか。

 俺は浮かれた気分で、太宮に続いてリビングダイニングに移動した。

 その机の上に乗せられた箱を見て、俺は驚愕した。

「な……!」

 向かって左側。巨大なピザの箱がざっと30は積まれている。

 右側。恐らく店で一番大きいであろう丸い皿が、こちらは20程であろうか。

 俺は震えた。

「お前は小食な方じゃないかと思ったから、少し遠慮してこの位にしといたが、どうだ?」

「あの……これ、太宮さんは、どの位食べるのかな?」

「私は別で中華料理セットと弁当を注文しているが」

 俺は更に震えた。駄目だ。こいつヤバい奴だ。

「あ、あの、その……俺、無理です……」

 俺は涙目で、許しを請う様にそう言った。

「そうか。じゃあ私も食べてやる。お前はどの程度なら食べられるんだ?」

「え、えっと。ピザ2枚と、寿司……1皿の半分位?」

「は?」

 その時の太宮の冷徹な目といったら! そこらのヤクザにも劣らぬ、泣く子も黙り、大の大人も震え上がる様なあの目といったら!

「いや、1皿食えます! すんません!」

「はぁ……まあいい。食べよう」

 投げやりに呟くと、太宮は髪を括り直し、手を洗った。

 俺がそれに続いて手を洗い席に着くと、彼女は気合の入った顔で目の前にあるピザの箱を睨む。

 そして一言。

「いただきます」

「あ、いただきます」

 言うが早いか、太宮はその箱を素早い動作で開き、大きなピザを千切りもせず、それにかぶりついた。

 俺が今までに見た事も無い位、それはそれは豪勢な食いっぷりだった。俺は呆気にとられて、彼女を見つめた。

「……それ。1皿食うんなら、さっさとしろ。夜食が腹に入らなくなるぞ」

「あ、はいっ。え? 夜食、とかもあるんですか!?」

「当たり前だろうが。不摂生な生活、食習慣によってデブは形成されていくんだから」

「は、はぁ……」

「何自信失くしてんだよ。早く食え」

「は、はいっ!」

 俺は急いで寿司の蓋を開け、端から順番に寿司を取り、用意されていた醤油皿に付け、口に入れた。ひたすらその作業を繰り返した。

 食わなきゃいけないんだ。兎に角食って、食って、食いまくらねば。




 太宮コーチの元での生活は中々ハードだったが、それでも1週間もすれば徐々に慣れていった。

 1日の流れは大体決まっている。

 まず、朝食はコーヒー1杯のみにしておく。

 これはダイエットにも見えるかも知れない。しかしコーチによると、ここで食べなかった分、昼夜の飯の栄養は余分に蓄えられる。なのでこれもデブトレーニングの一環なのだ。

 そしてコーチが用意した3つのお弁当を鞄に入れ、出掛ける。

 最初のお弁当は、学校に着いてから昼飯の時間までに食う。いわゆる早弁だ。2つ目のお弁当は当然昼飯の時間。最後のお弁当は昼飯から放課後までで、これが中々キツい。

 なんとコーチは入学以来、この時間配分を自然に守って飯を食っていたというのだから驚きだ。

 そして休み時間は、コーチが持ってきた甘~いおやつをこっそり食べる。

 放課後は定食屋と喫茶店をハシゴ、家に帰ったらハチミツをたっぷり掛けたホットケーキを中心にカロリーを蓄える。

 晩飯時にはもう一度定食屋に行き、帰ったら宅配で頼んでおいた物をがっつり食べる。

 ちびちびと間食をしつつ時間を空け、夜中はカップラーメンをひたすら啜り、そのままの勢いで眠る。

 これを毎日毎日繰り返す。

 余計な運動はせず、コーチとのテレビゲームの時間を趣味として楽しむ。

 掃除はコーチが昼間に呼んでいる業者の人に任せ、家の中であっても歩く時間はなるべく減らす。

 これを念頭に置いて生活するのだ。

 正直、ガリガリの俺にとっては地獄だった。それに耐えられた理由は、コーチ――太宮と過ごす時間にあった気がする。




「うわー、また負けた!」

「伏見はシューティングは上手いのに、格闘となるとまるで駄目だな」

 コントローラーを投げだした俺を、太宮が少し得意気な目で見やる。

「太宮が上手すぎるだけだろ? あーもう疲れた」

 と、うんざりした様に振る舞ってはいるが、俺は内心楽しんでいた。

 俺もそこそこゲームはする方だが、太宮は確実に俺以上の腕前を持っている。だから一緒にやっていて楽しい。

 それに。彼女と対戦して、勝った時の誇らしげな反応や、負けた時の悔しげな反応を眺めていると。

「もう一戦交えないのか? 夜はこれからだぞ。おーい、伏見?」

 ……心が温まる。

「なあ、太宮。天体観測しないか?」

「は? 急に何を言い出すんだ?」

「俺、趣味なんだよ。望遠鏡こっちに持ってきてるから、ベランダ出て一緒に見よう」

「ふむ。別に構わんが」




「うわぁ、綺麗だな……」

 あまり乗り気じゃなかった太宮だが、スコープを覗きだした途端、今度は俺と替わってもくれなくなった。

 目を輝かせて星を眺める彼女は、まるで幼い少女の様だ。勿論、言葉遣いと容姿を除けばの話だが。

「たまにはこういうのもいいもんだろ?」

「ああ。だがこれがお前の趣味っていうのは、不釣合いというかなんというか」

「うっせーよ」

 太宮は小さく微笑んだ。今までに見せた事の無い表情だ。

「……太宮ってさ。ほんとは表情豊かなんだな」

「ほんとは、って何だ?」

「教室にいる時はいっつもムスッとしてるからさ。そういう人なのかと思ってたよ」

「ああ。別に構わないよ、クラスの連中にどう思われていようが」

「そう、か? 俺は今の太宮を積極的に見せていった方が得だと思うけど。まあ俺だってクラスで浮いてた時期あるし、そうやって頑なになるのも分かるっちゃ分かるよ」

 太宮は望遠鏡から離れ、俺を見据えた。

「さりげなく私がクラスから浮いている事にするなよ」

「あ、ごめんごめん。あはは」

「…………」

 軽い溜め息を吐いて、太宮は空を仰いだ。黒縁眼鏡の奥で、澄んだ瞳がどこまでもまっすぐに空を見つめていた。

「太宮」

「何だ」

 彼女は俺の方を見なかった。

「ありがとう」

「礼を言うにはまだ早いだろう。寒くなってきたし、部屋に戻ってカップラーメンでも食え」




 ようやく授業が終わった。しかし、俺の気だるい気持ちはまだ抜けなかった。

 この頃何故か、登下校中の歩く距離が日増しに長くなっている様な気がする。体が重くなっているからだろう。かなり苦痛な運動になってしまった。

 3日前に体重が100キロを超えてからというもの、今まで心配してくれていた周囲の人間もとうとう諦め、見放す様になってしまった。努だけは未だに説得してくれるが……。

 さて、こんな事を考えていても仕方ない。さっさと帰ろう。

 太宮に声を掛けようと立ち上がった、その時。

「あの、伏見君」

「えっ?」

 振り返るとそこには、美坂さんがいた。少し緊張した面持ちだった。

「あっ、ごめんね、いきなり話し掛けちゃって……」

「あ、いやいや、全然」

「ありがと。あのね、ちょっと話したい事があるの。でも、ここじゃ言いにくくて……ついてきてくれない?」

「あ……うん」

 気付いてしまった。ようやくその時がきたのだと。

 太宮の方を振り返る。彼女はにっこりと笑い、小さく手を振った。

 彼女と同棲する前の俺が見たらびっくりする様な、自然な笑みだった。




 美坂さんが立ち止ったのは、体育館倉庫の前だった。

「えと、入って」

「うん」

 俺は扉を閉め、彼女の方に向き直った。

 太宮や今の俺と同じ人間とは思えない位、とてもほっそりした少女である。

「えっと……今まで、あんまり伏見君と話した事無かったよね」

「そうだね」

「でも、最近は文化祭の取り組みとかでよく一緒になって、話す様になって。それで気付いたんだ。伏見君が……」

「…………」

「伏見君が、好きだって」

「……そう、なんだ」

 彼女は涙がいっぱい溜まった目で俺を見つめた。

 俺はずっと、この子に憧れていた。俺には高嶺の花なんじゃないかと思う様な、美しいこの少女に。

 きっと今が、俺の人生のピークなんだろうと思った。

 でも、今の俺は。

「ありがとう。でもごめん」

「……え」

「俺……他に好きな人がいるから、美坂さんとは付き合えない。でも、美坂さんの事は友達として好きだよ。だからこれからも宜しく」

 彼女の目から、涙がとめどなく溢れ出していた。震える唇も、歪んだ眉も、彼女は一切隠さなかった。ただ、立ち尽くしていた。

 それから、桜の様に可憐な笑顔が咲いた。

「ばか」

「……ごめん」

「ほんとはずっと、好きだったのに。あんたが痩せてた時から――ずっと」

 それだけ言うと、彼女は倉庫を出ていった。

 入れ替わる様に、小さな枯葉が風に運ばれてくる。




 家に帰ると、太宮がいた。飲んでいたコーヒーのコップを机に置いて、俺の方を振り向く。

「おかえり」

「あ、ただいま。飯行ってなかったんだ」

 いつもなら定食屋に行っている時間だ。

「ああ。やっぱりその、気になってな。で、どうだった? 上手く事は運んだか?」

「いや」

「え? 告白されたんじゃなかったのか?」

 俺は彼女の向かい側に腰掛けた。気付かれない様に、小さく息を吐く。

「されたけど、俺が断った」

「……は?」

 太宮は数秒、ぽかんとした顔で俺を見つめた。その後、いつも教室で見せる敵意の籠った無表情へと変化する。

「お前は……何なんだ? からかってんのか? あの子の事も、私の事も」

「そんな気持ちは無い。真剣に、断った」

「……馬鹿だな、お前」

「それ、美坂さんにも言われたよ」

 彼女は呆れ顔で立ち上がった。

「もう行くぞ。腹が減って仕方がない」

「太宮」

 彼女は止まらない。ドアに向かって歩き続ける。

「俺があの子を振ったの、お前のせいなんだからな」

 ようやく立ち止った。

「気付いたんだよ。俺はあの子と付き合ったって、お前がいた空白を埋められないって。俺にはお前しかいないんだって」

「何言ってんだ、馬鹿。正気か?」

「ああ正気だよ。笑いたきゃ笑え。でもしょうがないだろ? 本気でお前の事好きなんだから」

「こんなどうしようもないデブを恋愛の対象にするな、デブ」

「今は俺もデブなんだからいいだろ。それに俺はデブだろうが何だろうが構わない。俺が好きなのはデブじゃなくて、太宮由香(ゆか)だ」

 彼女は振り返った。指が小刻みに震えている。

「なあ……本当に、これは何なんだ? お前の突拍子もない思いつきに、私はまた振り回されてるのか?」

「これは思いつきなんかじゃない。ずっと温め続けてきた気持ちだ」

「……ほんと馬鹿だな」

 彼女は大きな体を揺らして近付いてきた。少し嬉しそうにも見える。

「じゃあ、私からの願いを聞いてくれるか」

「え? 何?」

「2人でダイエットしよう。元の体重の半分位痩せるまで」

「え!?」

「別にいいだろう? お前が好きなのはデブじゃなくて私だし、私だってデブじゃなくてお前が好きだから」

「え、えっ!?」

 彼女はくすくす笑って、「まぁそう焦るな」と言った。

「無事にダイエットが成功したら、その暁には恋人になりたいんだが。どうだ?」

「え……ちょっと待ってくれ、理解が追いつかない……」

「理解が追いつかない? イエスかノーかだ、早くしないと見放すぞ」

「えっ、ちょっ! 分かりました、イエスイエス!」

「よしよし。……ひとまず、同棲生活は今日で終わりだな」

 彼女はそう言って寂しそうに笑った。

「ああ……でもまた同棲出来るんだろ?」

「はぁ? 調子に乗るんじゃない、このデブ男」

 俺は太宮にかなり強く押され、予想以上の威力にその場で派手に転倒したのだった。




 俺は普段から甘い物好きではあるが、今日のアイスクリームは格別に美味い気がする。

 きっと、由香と一緒だからだろう。

「ふむ、中々悪くない味だな」

「うん、美味い美味い」

 午後1時過ぎ。遊園地のカフェテラスでは穏やかな時間が流れている。

 4月から俺達は大学3回生になる。思えば出会って約5年の歳月が流れていた。

「しかし、遊園地というのはカップルが多いんだな。お前も私と同棲していた頃は、美坂咏子とこういう所に来る妄想をしてたんじゃないのか」

「もうそんな昔の事忘れたよ。同棲を止めてからダイエット成功までに妄想してた事ならあるけど。勿論相手は由香」

「なーに言ってんだ、この気障男」

と言いつつも、嬉しそうな表情をする彼女がたまらなく可愛い。


 同棲を止めてから3ヶ月少々で、俺達の体重はやっと平均的なものになった。

 由香は痩せていくにつれて段々と可愛さを増し、最後にはなんと美坂咏子にも劣らぬ美少女へと変貌を遂げた。

 俺と由香の噂を聞き、最初は馬鹿にしていた周囲も、皆手のひらを返す様に俺を羨んだ。人は見た目じゃないと思っている俺だが、それで誇らしい気持ちになったのは事実だ。

 一方の美坂咏子は、新学期が始まる前、父親の仕事の関係で転校した。俺が彼女を振った事とは無関係だろうが、それでも後ろめたい気持ちになった。

 だが、由香と一緒にいればそんな気持ちは忘れてしまう。彼女にはどれ程助けられた事か。

 だから俺も、彼女を大切にしなければならない。

「……公成、見てあれ」

「ん?」

 俺は彼女が小さく指差す方を見た。チビな男と、規格外に太った女が寄り添って歩いている。

「あのカップルか?」

「そう。あの男って、お前の友達じゃないのか」

「え? あっ、努か!」

 そうだ、あのチビは中高と一緒だった努だ。大学が離れてからろくに連絡も取っていない、あの男だ。

「どうしよう、彼女といるのに声掛けるのはまずいかなぁ」

「そういうもんかな。……え?」

「どうした?」

 由香は信じられないといった様な顔で、努の隣を歩いてる女を凝視していた。

 昔の由香位太った女性だが、一体どうしたというのだろう。

「あれ……」

 由香は震え声で呟いた。


「あれ……美坂咏子だ」




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