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学校へ向かう道すがら、民家の屋根や壁面が崩れている光景に何度も出くわしました。
益城や阿蘇に比べればどうということのない光景でしたが、私は身を縮めながらそこを通り過ぎました。自販機を見つければお茶が無いか確認し、水が残っていないかを確認します。
揺れはしばしば私を襲いました。
強い揺れは減っていましたが、損傷した建物が不意に倒壊するかも知れません。
傘を手に、冬物のコートを着た私は空から何かが降って来ないか、何かが倒壊しないかをきょろきょろと見渡しながら学校へ向かいます。
ようやくたどり着いた学校では子供たちが野球をやっていました。
ああここは安全なんだ、と思いながらグラウンドを通り抜けると、屋根から落ちたコンクリ片のようなものが地面で破砕している光景を目にしました。
校舎の窓ガラスのいくつかは割れており、ぽっかりと穴が空いています。
安全なのはごく限定された施設だけだ。そう感じた私はそそくさと体育館へ向かいました。
体育館付近には既に大勢の人々がブルーシートや毛布を敷いており、テリトリーを設けていました。私はある部屋に自分の居場所を見出し、そこに横になりました。
倒壊するおそれのあるものは無く、辺りには大勢の人々がいます。
子供達に至ってははしゃいでいました。
私の全身を安堵感が襲います。
16日夕方のことでした。
14日の夜から数えて私は数時間しか睡眠を摂っていません。
私は脱いだコートを掛布にして眠りに落ちました。
数時間おきに地震が発生しましたが、私は少し目を開けただけでまったく気になりませんでした。
理由の一つは安堵感です。学校という聖域が崩れるわけがない。それに皆が安心しきっている。私が何に怯える必要もないのだ。その安堵感は私の心に健全なふてぶてしさを取り戻させました。
理由のもう一つは子供達の走り回る音です。はしゃぐ子供達はきゃあきゃあと騒がしく室内を駆け、学校中を走り回っているようでした。
耳元でずどんずどんと足音が立ち、震動が起こるのは一般的な感覚では腹立たしいことなのでしょうが、私はむしろ歓迎でした。子供達の足音と震動に余震が紛れてしまうのです。次第にどちらがどちらなのかも分からなくなり、私は深い眠りに落ちました。
ずいぶん長く眠っていたように思います。
途中、「プールから生活用水を汲むから手伝ってください」と大声が上がりましたが、ここでは家族連れの男性が大挙して手伝いに向かっていましたので私は休息を選択しました。私は一人ぼっちなので、荷物を預けられる相手がいません。
もし何か奪われたら、と考えたところでぱっちりと目が開きました。
私は誰かに荷物を奪われる可能性を失念していたことに気づき、大慌てで荷物をかき集めました。バッグは二つだったので、それぞれのベルト部分に腕を回し、それをコートで隠す形で再び眠りに就きます。
誰かが引っ張ったり触れたりしたらすぐに気づけるよう、用心しました。
私の荷物を見つめている者がいないかにも注意が必要でした。
私が自分が徐々に浅ましく変わっているのを自覚しながら眠り、そのまま朝を迎えました。




