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熊本地震  作者: icecrepe
3/11

脱出には非常階段を使いました。

冷静さを失っていた私は5Fから転がり落ちるように走ります。

たぶん、3Fに着くまでに3秒かかりませんでした。

一度だけ転んで手をすりむきましたが、それどころではありません。

歯をガチガチ鳴らしながら正面玄関へ向かうと、オートロックが死んでいます。

私はドアをこじ開け、たぶんマンション内の誰よりも早く外へ飛び出しました。


生き埋めの恐怖を免れた私がまず考えたのは水のこと、避難のこと、親のことです。

うち最優先にすべきは避難です。

地震で死ぬ場合、倒壊や落下物、津波、火災が原因になります。

火災のことは頭からすっぽり抜け落ちていましたので、津波と落下物とビル倒壊だけが私の恐怖のすべてでした。

津波はかわせません。来たら死にます。

ならとりあえず落下物をかわさなければならない。

私は電線の真下を避け、手近なマンションの駐車場へ逃げ込みました。


私が住んでいるのは住宅街でしたので、瓦や看板に殺される危険性は低いと判断しました。

その代わり、電線は多く走っていました。

人は車にはねられても生き残れますが、断線した電線に触れればほぼ間違いなく死にます。

私は左右も見ずに道路を横断し、四方のうち二つをマンションに囲まれた駐車場のど真ん中に居座りました。

大丈夫。大丈夫。

電線はここには垂れてこない。ビルが倒れても先に気づける。

だから大丈夫。

私は自分にそう言い聞かせ、すぐさまスマホを手に取りました。


福岡での震災の際、私の携帯電話は数時間に渡って通話不能の状態に陥りました。機種が古かったせいもあるかも知れませんが、メールは十時間近く遅延したことを覚えています。

当時は公衆電話でかろうじて実家にコンタクトを取ることができたのですが、今やそんなものが道路脇に設置されていることはありません。

私は回線がパンクするより先に電話を試みました。


父の電話にかけたのですが、出たのは妹でした。

実家は九州にありますが、熊本からはずいぶん離れています。だというのに、揺れたそうです。上ずった妹の声はすぐに聞こえなくなり、父が出ました。

14日の地震の時には「どうせ無事なんだろ?」とヘラヘラ笑いながら電話に出ていた父が、この時ばかりは真剣そのものでした。


今どこにいる。

怪我はないのか。

何を持っているのか。

そうした問いを投げつける父は、私が屋外の駐車場へ逃げ出したことに胸を撫で下ろしているようでした。


14日の時より震度は小さい。6ぐらいだ、と父は告げました。

ですが私は信じませんでした。

14日の地震では停電なんて起こりませんでした。冷蔵庫も動かなかったし、お札も落ちませんでした。

それにこの世の終わりのようなあの轟音。


絶対に震度7はある。嘘だ、と私は怒鳴りました。

そこで余震です。

5か、6か。いずれにせよ激しいものでした。

私はハエのように駐車場にへばりつき、叫び出しくなるような恐怖に耐えました。


続いて、電話口には母が出ました。

心配している様子でしたので、私は安心させるために冷静さを装いました。

大丈夫だよ、もう外だから大丈夫、と。


その頃にはあちこちのマンションから人々が避難し始めていたので、私は次の行動を考えなければなりませんでした。

正式な避難所もありますが、そこは少々離れています。

それに白状してしまうと、私は14日の地震の時点では真面目に避難場所を調べることを怠っていました。正確なアクセスを知らないし、夜中の2時に余震の中でたどり着けるとは思えません。


近くに公園があることを知っていました。

四方30メートルから50メートルほどの小さな公園です。

人の流れはそこへ向かっているようでした。


正直なところ、躊躇いました。

公園なら足元が抜けることはありませんが、代わりに樹木や電線が倒れてくるかも知れません。

津波が来た時に高台へ登ろうとしても、人々が障害物となってしまいます。


ですが人々は続々と公園へ向かっています。

どうしよう、どうしよう、と考えている間にも余震は続きます。

悲鳴はほとんど聞こえませんでした。

本当の恐怖に襲われた時、人は悲鳴など上げないのでしょう。非常階段を下り、道路へ出た人々は決死の形相で走っています。


ひとたび電話が切れればおそらく数時間は通話できなくなるであろうことを知っていたので、私は母と喋りながら避難する人々に合流しました。


ふと、自販機を見ました。

どれも電源が落ちています。

もしかしてずっとこのままなんじゃ、という危惧が頭を過ぎりました。


公園が見えてきたところで母が尋ねました。

服は着ているの、と。

私は丈夫な靴とデニムを穿いていることを話しましたが、母はこう続けました。

あなた寝間着の代わりに作務衣を着るでしょう、と。


私は確かにスカスカした作務衣一枚でした。

ですが特に困るとも思っていませんでした。

今夜は冷えるのよ、と母が告げました。

そこでようやく、身を切るような寒さに気づきました。


ですがもう、部屋に戻ることなんてできませんでした。


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