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食事処に入った私が見たのは、車中泊を繰り返していたと思しき数人の男性でした。店主との会話から察するに彼らは車中泊で数日を凌いだはいいが、物資の補給を怠ったため食に窮している様子です。
出される食事の種類は限られていましたが、それでもここには食事があるのです。私は大喜びで紙幣を差し出し、食事を掻き込みました。
聞けば店主の家も荒れに荒れており、生活はままならない状態とのことですが、食事にありつけない人々のためにわざと店を開けているとのことでした。
私はその心遣いに感謝しつつ、食事を終えました。
それから市内をぶらぶらと歩き、部屋へと戻ったのが4月17日の夕方のことでした。
仕事は流れてしまいましたので、一日の余裕が生まれました。
小説の続きを書こうかと思いましたが、どうにも落ち着かないのでこうしたレポート形式で現状をまとめることにしました。
振り返ってみると私はほぼ自分の不出来さに首を絞められていたように感じます。そして今の私は自分が恵まれた環境にいることを実感するに至りました。
水が通っている。
電気を使うことができる。
当座の食糧もある。
怪我もしていないし、住居の安全も確保されている。
万全とは言い難いですが、今も避難生活を強いられている方々に比べると十分すぎるほどの状況でしょう。テレビ等で被災地の悲惨さを見聞きしている方々にしてみれば拍子抜けかも知れません。
ただ、恐怖は拭えません。
ふと気を緩めると、「今も足元が揺れている」というあの錯覚に襲われます。次に大きな地震が来たらマンションもどうなるのか分かりません。
未だに私は靴を履き、冬物のコートを着たままです。私室ですら横になることを躊躇している有様ですので、このまま椅子にもたれて眠ってしまうかも知れません。
ライフラインが復旧した私ですらこの状態なのですから、避難生活を強いられている方々の憔悴は想像するに余りあります。15日深夜の地震はこうして事態が沈静化しつつある頃に発生したのですから、極度の緊張状態は続いているのではないでしょうか。
特に結びがあるわけではありませんので、この辺りで終了とさせて頂きます。
いささか身勝手なレポートとなりましたが、何かございましたらご遠慮なくお申し付けください。記憶違いや齟齬等があるかも知れません。
また、ありふれた文句で恐縮ではございますが、救助・救援活動が恙なく進み、一人でも多くの方が一日でも早く元の生活に戻られることを願うばかりです。




