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大きな地震に遭うのは二度目でした。
約10年前に発生した、『福岡県西方沖地震』が私が初めて経験した地震であり、自然災害の恐ろしさに気づかされるきっかけでした。
なので、4月14日の21時30分頃、勤務先で大きな地震に見舞われた時も比較的冷静でした。
ガタガタと揺れる机、バタバタと倒れるPC、ピンボールのように転がっていく椅子。
ああ、あの時と同じぐらいかなあ、と机の下でそんなことを思いました。
オフィスビルが倒れるんじゃないか、とか。
電話がつながらない、とか。
まだ揺れている気がする、とか。
地震が収まってもなお恐慌状態に陥った同僚たちの姿を見ながら、私は黙って自販機から水を確保し、親類に「大丈夫だよ」とメールを送りました。「前もあったから大丈夫」と。
もちろんこの時点で益城を中心に大きな被害の出たエリアがあることは知っていました。
ネット中継で伝えられる火事や行方不明の報せを聞く度に胸が痛みます。親類がその辺りに住んでいる同僚は落ち着かない様子でした。
ですが私の勤務先は市内中心部で、自宅もかなり中心部寄りです。
熊本には縁もゆかりも無い身の上ですので、親類の心配をする必要も無い。
津波が市街地まで到達するおそれも無さそうですし、余震もせいぜい震度3から4でしょう。
しかもオフィスでは電気も水も何事も無かったかのように稼働している。
あまりにも薄情な話ですが、この時の私の懸念事項は「自分の生活」だけでした。そしてそれはほぼほぼ大丈夫だという見通しが立っていました。
なので、オフィスを出る頃には私の危機感はすっかり薄れていました。
福岡の時もそうでした。
さんざん「余震が」「余震が」と騒いだのに、来たのは3や4といった程度です。
大きな被害を出したのは最初の本震と津波だけで、それさえ凌げれば後は平気だ。
それがこの時点での私の本音でした。
おでんはこぼれていましたが、コンビニは平常運転でした。
「こんなこともあるんだよなあ」と店長さんがぼやいていましたが、商品は陳列棚にきっちり並んでいました。地震からほんの数時間後のことです。
私は土曜日から日曜日にかけて予想される大雨に備えて、少しだけ多めにパンとラーメンを買って帰りました。
マンション5Fの部屋に着くと、案の定本棚の中身が飛び出し、キッチンのグラスや調味料はシンクの中に落ちています。
念のため靴を履いて部屋に入りましたが、ガラスなんて一片も落ちていません。
部屋の中は文庫本が飛び散って酷い有様でしたが、水も電気もガスも健在でした。
私はのんびりと部屋を片付け、お風呂に入り、書きかけの小説をしたためました。
翌4月15日も普通に出勤しました。
津波は起きていないし、火事の情報も決して多くはない。家屋の倒壊も思っていた程ではない。
市電もバスもタクシーも動いていましたし、ライフラインも生きているところがほとんどです。
案の定、欠勤する方はごく僅かでした。
益城の被害の大きさと、その辺りに住む同僚たちが避難していたり、出勤できないレベルで道路が崩れているという情報は胸を締め付けましたが、それは私の生活を脅かすものではありません。
ほら何てことはない。
本震と津波さえ凌げれば大丈夫なんだ。
私は気を大きくしていました。
私だけでなく、同僚も気を大きくしていました。彼らの心配事の大半は余震なんかより「部屋の片づけ」に移っていました。
「余震に気を付けて」なんて白々しい言葉を周囲に掛けながら終業を迎えました。
地震は起きましたが、そんなことより小説でした。
何せ今夜は金曜日です。時間はたっぷりあります。少し夜更かしして新作を書いてもいい。
そんなことを思いながら筆を取り、お風呂に入り、眠りました。
そして1時30分に飛び起きました。
たぶん、頭よりも先に身体が起きたような気がします。




