実業家にはなれません!
私は私の頭の文字列に思うことがある。
これが何だとか、何故私にだけにあるのかとはもう考えていない。だってあるんだからしょうがない。
文字列が変化するルールについて全て理解しているとは言い難いが、大まかには分かっているつもりだ。
要因となる出来事が起こることによって未来への道が増える。だけど、その道筋が現れる訳ではない。つまり、突然遠く離れた所に旗を立てられて、あそこまで行けるよ、道が続いてるよ。と言われてるような感じだ。その旗までの間に海があろうが、密林があろうが、砂漠があろうが、岩山があろうが関係ないのだ。
序列が手前にある方が、自分が歩いている道の先に近い旗なのも解る。現れた旗の方に行きたくなければ行かなくて良い選択も当然あるはずだ。けれど、道筋が見えないから、選択肢の正誤は判断できない。
ただ、この文字列、職業だけではないのが曲者だ。表示されている単語が恣意的というか、小説っぽいのではないかと思った。
だって「悪役令嬢」なんて職業ではないし、一種の周囲の評価だもの。私自身がどう見られているかであって、私自身の人柄や属性、職業ではない。
「没落公爵令嬢」と「没落貴族」だってそうだ。周囲の評価であって、爵位そのものがなくなっている訳ではない。要は権力の座から遠のくということだ。
つまり、そうなって以降のことは自分たちの努力でなんとでもなるし、没落した後に冒険者にでも革命家にでも商人にでもなればいいのだと気がついた。
回避する必要はないのだ。その後に自分で好きに生きて行けばいい。「没落貴族」は私だけの問題ではないので回避したいところだけど、父と義弟なら何とでもしてしまうと思う。
と、懲りずに再度家出の準備をしながら発見してしまった事実に、本当に恐ろしいことが何かを私は悟ってしまった。
私にとっては、「王太子妃」から始まる「王妃」「国母」の三段変化が一番恐ろしいのではないだろうか。だって、恐らく王太子妃の流れに乗ってしまったら、その後は自動的に行きつく所まで行きついてしまうに決まってる。
もちろん公爵家に生まれて公爵令嬢としての責務があることは理解しているので、政治情勢や家の都合で望まぬことを強いられることはあると認識もしているし、その時になれば覚悟もするのだろう。
しかし、叶うことなら、ご免こうむりたい。
十一歳の私がそう考えたって、誰も非難しないはずだ。
だから、私は思わず父に「私をお嫁に行かせないで!」と、抱きついてしまった。
そうしたら、後日、父からたくさん書類をいただいてしまった。
それは私の物らしい。
でも、何だか中身がおかしい。
何とか地方どこそこ州某地所が三つに、王都にあるここではない方のタウンハウス一軒、大型の船舶が二隻に、出資している商会五つと貿易会社が一つ、王都内に持つ賃貸物件の建物が二十以上……全部この一週間で名義変更済みの書類だった。
変更後の名義は私だ。
どういうことですか? お父様?
私は嫁に行きたくないと言ったのであって、面倒事を押しつけろとは言ってない。
これは私が結婚しなくても独りで生きていけるようにとの親心? そうなの? 親心なの?
しかし、領地一つならともかく、これでは既に嫌がらせの域だ。
呆然とする私の脳裏に先日から浮かぶ文字。この文字を見つけた時から、疑問には思っていたのだ。
「資産家」
まあ、そうだよね。
今現在、おそらく国内でも有数の資産家になってしまいましたわよ、私。
十一歳の小娘にこんなものをどうしろというのだ、父よ。
頭を抱える私は、書類一式を持って、頼れる相談役の元へ向かうしかなかった。
「これを機に、資産運用を学べってことじゃないのか?」
図書室で本を広げて座っているところに突撃した私へ、義弟が書類の中を確認しながら言葉を続けた。
「公爵家の資産以外のものだ。義父上の個人資産だったんだろうな。個人資産としては凄まじいぞ。昔から得体のしれない人だったけど。ほんっと、あの人って怖いよね。夜の街で何してたんだか」
義弟が恐ろしいことを色々口にする。
「お父様の個人資産なの?」
「そう。十歳になってから公爵家の内政を手伝い始めたけど、これらを見たことないし。直接聞いてみれば? 実は個人資産の一部で義父上からすれば大した量ではないのかもしれないし……うわ、これすごい。二隻の船籍は自由都市なのか。貿易会社もだな、ああ、これは三番目の伯父上に出資したものか。商会の方も? こちらも伯父上達への出資だ」
書類を読むだけで様々な情報を読み取って行く義弟が凄いのか、読み取れない私がバカなのか。
いや、私に非はないはずだ。これでまだ十歳の彼が異常だと思う。
義弟は、この屋敷に来るまで教育を受けたことがなかった。
文字は母親の知り合いが教えてくれたとは言っていたが、間違いも多くて、正しく覚え直すのも大変だったろう。
空いた時間があれば、内容にかかわらず義弟が本を読んでいるのは、文字を覚えるための努力だったことを私は感じ取っていた。
それが、二年以上経つとこれである。今や、私は義弟の足元にも及ばないレベルだ。
「やってみればいいのに。面白そうだ」
全ての書類に簡単に目を通した義弟の第一声がこれである。
「面倒は嫌なのよ。どうしてあなたじゃなく、私へ突然こんなもの渡してくるのかしら」
義弟は少し考えながら言葉を紡いだ。
「義父上に何かあった時、義姉上に残る物がなかったからじゃないかな。基本、女性って持参金の設定はしてるけど、個人資産は持っていないってのが通例だろ? 結婚しなければ、持参金は公爵家の物のままだし、義父上に何かあれば今のままでは公爵家の物も義父上の個人資産も俺に残ることになる。もしかして、何か、そういう話をしたんじゃないか?」
「……私をお嫁に行かせないでってお願いしたの」
呟くように私が答えると、義弟は噴き出した。その後もヒイヒイお腹を抱えて笑っている。
「さ、さすが、義姉上……その時の義父上の顔が見たかったよ」
そんなに笑うことないじゃない。
「じゃあ、さ、そういうことなんだよ。嫁に行かなくてもいいようにってことだろ、これって」
「やっぱりそう思う?」
「まあ、親心? ってやつ」
「迷惑な親心もあったものだわ。こんなの、どうすればいいか分からないもの」
「いいんじゃないの? もらうだけもらって管理は義父上に任せれば。どうせ放っておいても差配人達と会社の経営者が利益を上げてくれるよ。資産持ってる人間は冒険者になれないって決まりがある訳じゃないし、あって困る物ではないよ。それでも困ったらいらないものは売ってしまえば良いんだし。個人資産だから好きにできるよ」
そうねえ。冒険者になるならお金はあっても困らない。
義弟の台詞に納得して、私は書類を受け取った。
あれ? そういえば、彼はいつにも増して饒舌だ。
受け取った書類を胸に抱いて、座っている義弟を見下ろした。
「さっき、面白そうって言った? もしかしなくても、とても興味がある? 運用してみたい?」
俯いた義弟の淡いブラウンの頭の左右から見える耳が、ほんのり赤くなってる気がする。
「あなたが運用して、利益をおこずかいにしちゃえば?」
ばっと上げた顔には既に赤みがなかった。逆に白くなっているような……。
「あんた恐ろしいこと言うな。これだけの資産、年間どれだけの収益が出ていると思ってるんだ」
年間の収益なんて予想もつかないもの。
お金なんてあったって、今の生活では使うこともないし、元々私の物ではない訳で。
返してくる口調はきついが、やはり興味はあるようで、義弟は沈思黙考してしまった。彼が答えを出すのを待っていられない私は、焦れてつい口を開いてしまう。
「じゃあ、利益を二人で折半?」
義弟は麗しの顔をしかめて、頭を抱えた。
結局、彼は頷かなかった。試してみたそうなのに、頑固だ。因みに、私は面倒そうなので気分としては熨斗つけて叩き返したいところだ。熨斗の部分は持っていないので、突き返すことしかできないだろうけど。
ということで、後日、朝食の席で話題にしてみた。
「親心といっても、あんなにたくさんいりません。細々と暮らしていけるだけの資産で十分です。上級魔術師になれなかったら田舎に引っ込んで、楽して暮せられたらそれでいいのです。過分な贈り物は迷惑なだけですのよ? お父様」
そう告げると、父は困惑顔で私を見た。
「だって、後々、管理が大変でしょう?」
益々困惑したように、視線を泳がせる父。この様子で、名義変更後の管理まで考えての譲渡ではなかったと推測できてしまった。
返答に窮した父の視線が、我関せずと昼食をのんびり食べている義息へと向かう。
「現在、俺の庇護下にあるので、君の資産運営に関しては成人するか結婚するまで俺の責任の元にある。その後は、君か君の夫になる者が管理しなければならないのは確かだ。……とりあえずの所、君には信頼できる弟がいるのだし、未成年の間は二人で管理してはどうだ? 二人とも良い勉強になる」
その言葉に、義弟の手が止まった。
僅かな沈黙の後、上げた顔には艶やかな笑みが張り付く。
「今、丸投げされたような、恐ろしい言葉を聞いた気がしますが……幻聴という訳ではないのですね」
「手伝ってあげればいい。そういうの好きだろう?」
良い考えだとでもいうように、父が彼へ笑みを向けた。
「たかだか十歳の子供に何を求めているのですか」
微笑みは絶やさずに、呆れたような声音で応える。器用だなと、私は彼の態度に感心してしまった。
「俺の息子は、俺とは違って、過ぎるほど優秀だからな。応えられないものはないと思っている。何歳であろうとも」
うわ、すごい賛辞だ。こんなこと言われたらプライドの高い義弟が否を口にできるはずがない。
彼が、珍しく父の前で赤くなっている。
「実際、興味はあります。でも、どうなっても知りませんからね」
「俺でも保ってるんだ。お前ならどう転んでもおかしなことにはならないさ」
だから、あんたは嫌なんだと、呟く義弟の言葉は私にしか聞こえなかったと思う。
薄々気づいてはいたけれど、義父が苦手なのね。でも、私が見たところ、おそらく父も義弟のことが苦手としているようだ。不思議な関係である。
ちょっと気まずい雰囲気だったので、これで決まりとばかりに、先日有耶無耶になった利益の分配率の話を振ってみた。
「で、折半でいいでしょ?」
少し考えた後、義弟は言った。
「一割でいい。今までの実績と比較して、新たな利益分の一割を報酬としてもらう」
彼の宣言に父が笑った。
「そりゃ、すごい自信だな。ひとまず、お前達に差配人と商会の経営者を紹介しよう」
案外やる気になっている義弟に、父は嬉しそうだ。
でも、お父様。何気に私を含めていますね。
政略結婚同様、私は経営者や投資家もスルーしたいのです!
……基本、怠け者なので。
いろいろ考えた結果、義弟は腹黒には育たないと思いました。
子供時代に主人公のそばにいて腹黒くなれるわけがない。
いろいろ不遇な幼少期を送っているので、世を拗ねてはいますが、案外まっすぐな子に育ちそうな勢いです。ツンデレ要員のつもりではいますが。
主人公は裏表のある義弟を腹黒と思っていますけどね。
そして、義弟のスペック高すぎのような気がします。




