とある王室師団員の憂鬱(王室師団員視点)
ある日、突然、王室師団長が辞めると宣言したらしい。
王室師団は、この国の五大師団の一つであり、王都守護の要である組織だ。
各方面に展開する第一師団、第二師団、第四師団と、魔術に特化した者を多く抱える第三師団。それに王都守護の王室師団を合わせて五大師団とする。
各師団長の権限はもちろん大きいのだが、直接王室を守護する関係か、王室師団長の権限はそれを越える。国王からの直接の采配がある王室師団長は、五大師団を統括する将軍と同等ではないかと言われているのだ。それ故に、王室師団長は武力の誉れが高く、国内でも有力な貴族の血筋に生まれた者がその任に当たる。これまで例外はない。
現在の王室師団長はリンスター公爵で、十一年前の隣国との戦争の英雄だ。
十一年前、大通りの戦勝パレードで目にした時は、歓声の中で輝いて見えた。一時は第三師団半壊により敗退の憂き目に遭っていた我が国を、リンスター公爵を継いだばかりの青年が勝利に導いたと大人達が噂していた。その日から、彼は僕たち少年の憧れの存在になった。
入団時に遠目で見た時、思っていたよりも若い人かもしれないと思った。
もちろん陛下と王国の盾となるべく近衛兵団の募集に応募するのだが、若い近衛兵の多くがそれは建前で、実際の所、王室師団長に憧れて入ってくる。
王都守護の任に就く兵団は他の兵団と異なり、個人の能力よりも、その出自の確かさの方が重要だとされる。任務地の移動もないし、王都出身者が圧倒的に多い。
王都の中央通りの東端に店を構えて百八十年。由緒正しいパン屋の三男坊である僕は、身元の確かさでは自信があった。
僕は近衛兵団の入団試験に落ちるなど、欠片も考えたことがなかったし、事実、数ヵ月後には兵団員になって使いっぱしりで走り回っていたのだ。
つまり、「らしい」というのは、当時、僕は下っ端で、まだ近衛兵団に入ったばかりだったからだ。そんな雲の上の出来事の顛末を知るべき立場にはなかったし、本来なら生涯知ることもなかったはずだったんだ。
それが、僕の立場は、ある日を境に変わってしまった。
「貴君らには伝令兵の任についてもらう」
入団して三ヶ月経った頃、兵団から新人の僕達五人が集められた。
突如告げられたのは、近衛兵団長からの前例のない辞令だった。
大体、一兵卒の新人が兵団長の執務室に呼び出されることも、その一兵卒が伝令に就くことも、前代未聞の珍事である。
華美すぎないがそれなりに立派な執務室に整列させられた俺達は、各軍団長からの視線を浴びながら、直立不動で兵団長の言葉を待っていたのだ。
そこへ下りた突飛もない命令に、僕達は絶句するとともに、気絶しそうになった。
僕達の混乱など、自分達の比ではないとでもいうように兵団長と各軍団長が見やる。
「伝令兵に属するが、実際の任務は、師団長と我々との橋渡しだ。そう固くなることはない」
兵団長がごほんと咳払いした。
「公爵家の事情で師団長が今までのように王宮に伺候できなくなった。故に、連絡係が必要なのだ」
簡単に兵団長は言ったが、固くなるなというのは無理だった。
王室師団長は公私の私の部分はともかく、師団長としての評価は高い。仕事熱心だし、休暇を取ったことがないのではないかと言われていた。
それが、遠縁の子供を引き取った後から、様子に変化があった。
これは噂の域を出ないのだが、その子供はリンスター公爵家に血を連ねる者が使えるという魔力を暴走させた。結果、自宅の屋敷を全焼させ、その後も周辺を燃やしつくさんとばかりの勢いだったという。内密に近衛騎士のみではなく、第三師団の魔術部隊が動いたとも囁かれている。
もしその噂が本当ならば、公爵家の事情とやらも推して知るべしである。巨大な破壊の力を制御できない少年を野放しにすることなどできる訳ないのだ。
なんて、僕らも真面目に考えていた頃がありました。
勿論、引き取った少年のことも要因の一つではあるのだと思うが、どうやら大きな理由は御息女の公爵令嬢の方だったらしい。これは僕達伝令が集まって導き出した結論である。
この国は十一年前の戦争を最後に、各国と友好的な関係を築いており、近衛兵団が出場せねばならないような緊迫した状況も、今の所起こる気配がない。つまり、王室師団長への伝令は、専従という形なので他の職務負担がなく、空いている時間は訓練や自由時間に充てることができ、非常に恵まれたものだった。精神的な負担を除けば、の話である。
僕らはそれぞれの上司から伝令を受け取るが、一番つらいのが、今すぐ登城するようにと、伝えることなのだ。状況によっては師団長の機嫌が一気に悪くなるからだ。
これも噂に過ぎないのだが、師団長は辞職する理由を聞かれて「子育て」と答えたそうだ。子供達の傍にいたいから師団長を辞したいと言った時、周囲の人間は初めて公爵令嬢の存在を認識したらしい。
そりゃそうだ、師団長の仕事ぶりは家庭を持っている男のそれではなかったし、社交界じゃあるまいし敢えて私生活を詮索する者もいない。
嫡子としての公爵令嬢なので、私生児ではないらしい。
奥さんがいたことにもびっくりだが、どうやら令嬢を生んで亡くなっていることにも皆が驚いたようだ。師団長が公爵になる前の話らしく、当時は戦時中で敗戦の色が濃い状況で混乱しており、それ故に、誰にも知られなかったのだろうと推測できる。
その辺りの経緯を誰も知らなかったので、その時は師団長の辞任発言で上を下への大騒ぎだったのだそうだ。僕らは入団したばかりで、上の方でそんなことが起こってるなど、全く知らずに過ごしていた。
噂に過ぎなかったその話が、きっと真実なのだろうとは、師団長を見ていれば分かる。
令嬢を前にした師団長は、僕の知っている英雄の面影などどこにもなくて、娘を溺愛している親にしか見えないからだ。とうの昔に、僕の師団長像はガラガラ音を立てて崩れ去っている。
そんな師団長と令嬢の邪魔をしてしまうのは、いつもタイミングが悪い僕である。僕は、昔からそういう間の悪い部分を持っていた。
何しろ以前、陛下からの緊急の短期遠征の命令を携えて行った時の、帰ってきてからの師団長の機嫌の悪さは史上最悪だった。
それから、僕らはもちろん、上司や兵団長、陛下までが子供達との時間を邪魔してはいけないと肝に銘じたものである。
今回の三週間の引き籠りもそうだ。
そろそろ登城していただきたいのだが、前回ご令嬢との外出を邪魔してしまったためか、損ねた機嫌がまだ戻っていないようだ。
ここまで我田引水も酷いと、いっそ、本人の主張通りに職を辞してもらってはという意見も出てるだろう。師団長自身、それを狙っているのではないかと感じることが多々ある。そういえば、国王陛下を含めて、上司の方々が「真面目な人間が振り切れるとたちが悪い」と愚痴ってるのを耳にしたことがあった。あれって、こういうことなんだろうなと、今更ながらに思う訳である。
師団長自身が真面目かどうかは人によって一家言あるとは思うが、職務に対しては忠実で優秀の評を得ていたのは確かで、いざ戦時ともなると、頼れる人だというのも確かなのだ。
それに、国王陛下や、宰相閣下などには、恐らく政治的な意図も絡んでいるのだろうと思う。
本人が辞めたいと言ってるからと、はいどうぞという訳に行かないのは子供にだって解る道理だ。
皆さんの苦労が推し量れるようになってきた今日この頃。
しかし、僕は、新たなる窮地に陥っているのだ。
三週間前、市中で散策中の師団長とご令嬢を王城にお連れした僕に待っていた任務は、近衛兵団の修練場でご令嬢を見守ることだった。
何故に修練場?と思わなくもないが、公爵家ウォッチャーになって二年の僕には予想の範疇だ。
こちらのご令嬢は、公爵令嬢としては規格外な存在だった。
可愛らしい外見に反して才気が凄い。幼い頃からの英才教育の賜物か、十一歳にして、魔術も剣術も人並み以上に嗜む。さすが師団長のご令嬢だ。
感情を面へ表さない公爵令嬢然とした様子と、剣術によって身についた無駄のない動きの立ち居振る舞いには、十歳も年が離れているのに、自然と背筋が伸びる。
それでも、時折見せる子供らしさに安堵すると共に、嬉しさを感じる自分がいた。時々、師団長も同じことを考えているのだなと感じることがある。そんな時の師団長の眼差しは何処までも優しい。
そんなご令嬢だったので、兵達の訓練に興味があると言われても、特段変なことだとは考えなかった。
修練場で訓練していた者たちの中で、一番階級が高そうな兵士に断りの挨拶を入れ、僕は少し離れて任務を全うしていただけなのだ。
師団長もいないし、何か面倒事が起きるなどとはこれっぽっちも想像していなかった。
おや?っと思ったのは、ご令嬢の横に赤毛の少年が立った時である。
近衛兵団には入団の募集対象には制限がある。
身元がしっかりしていることもそうだが、十八歳を過ぎていることも条件の一つだ。勿論、僕は十八歳になった年に、我先にと申しこんだ。
つまり、少年は兵団員ではない。
外郭にある修練場には、家族が差し入れを持ってやって来ることもあるので、害があると決めつけるわけではない。だが、ちょっと得体のしれない物を感じた。
ご令嬢を遠目で見守っていた僕は、すぐにでも対応できるように彼女との距離を縮める。
しばらくして、ご令嬢と話していた少年が、こちらに近づいてくる。
軽く構えた僕に、彼はいたずらっ子のように舌を出しながら、赤毛の前髪を掻き上げた。僅かに頭がずれる。……鬘?
その下に金色の髪が見えた。
「少し遊ばせてよ」
独特の深い色合いの青い瞳をきらめかせて、楽しそうに言葉を紡ぐ少年に、僕は硬直して動けなかった。
その日から、僕の第一王子の使いっぱしり人生が始まった。
確かに師団長の伝令係は時間に自由が効く。殿下に呼ばれれば大抵御前に参上できる。だけど、ただでさえ精神削られて残り少ない僕の神経が、これ以上耐えられるとは思えない。
僕の悲鳴は誰にも知られることなく、葬り去られたのだった。
そして、現在に至る。
「今日もいないのか」
金髪碧眼の「昼の王子」と呼ばれる第一王子は、いつもの姿でいる時ほどの明るさはなく、もっさりとした少し長い赤毛の鬘からのぞく瞳が寂しそうに修練場を見る。
しょんぼりと肩を落とす彼を見ていると、さすがに可哀そうになってくる。
何の因果か、リンスター公爵令嬢に「従者君」と呼ばれている少年の正体を知るのは自分だけという、名誉なのか不幸なのか分からない栄誉に浴した僕は、いつの間にやら第一王子の使いっぱしりまで兼任するという、恐ろしい事態に巻き込まれていた。
「ご令嬢もお忙しいのでしょう。殿下にご伝言を申し遣っております」
王子の深い青の瞳がきらめいた。
「何て?」
「その……がんばります!とのことでした。申し訳ございません、何をかは分かりかねます。ご令嬢は父君の」
僕の言葉を王子が止めた。
「俺が俺を誰か告げていないのに、彼女が誰であるか、他人の口から聞くものではない」
にっこりと王子が笑った。
「忘れられてないのならいい。また、時間が空いてしまったな。ほら」
そう口にして、先を潰した剣を僕へ差し出してくる。
蒼白になった僕に、殿下は無情にも告げるのだ。
「今日も付き合え」
こうして、僕は今日も八歳年下の王子に情けなく打ちすえられ、いつしか同期の中で剣の腕に頭角を現し昇進して行くのだが、それはまだ未来の話である。
うう。
……僕の人生、どこで間違っちゃったのだろう。