弓兵に興味はありませんが
お買い物の続き、伯爵家訪問です。
マーレイ伯爵のタウンハウスは王都の中心地にほど近い場所にある。実は、その近くに私が以前父から譲られた屋敷があるらしい。これは、先程義弟が教えてくれた。元々は広かったらしいのだが、数代前に周辺を開発し、庭がほとんどなくなってしまった。それから、歴代の当主は郊外の屋敷をメインに使っていたのだそうだ。
それに比べて、マーレイ伯爵のタウンハウスは庭が広かった。郊外の公爵家の庭ほどではないけれど、様々な武術の訓練を行える程度には広い。
例の弓術の練習用の場所も、的の周囲が高い壁と屋根に覆われており、誤って隣家へ飛んで行かないようになっていた。狭い中でも工夫されているのが分かる。
庭が実用的に作られている。この屋敷の庭は愛でるものではないらしい。
訓練場のようになっている庭に張りだしたテラスでのんびり座って、私達はお茶と軽食を楽しみながら弓を引く男性二人を眺めた。
父と第二師団長である。
おかしいなあ。
私って、弓を教えてもらいに来たはずなんだけども。
タン! という快い音が響くと、的に当たったことが分かる。
先程から第二師団長が射た矢は、的に吸い込まれるようにほぼ真ん中に突き刺さっている。父はそれほど上手ではなく、結構的を外していた。
今は五度目の勝負を終えた所だ。
勝負にならないと諦めた父は義弟を呼ぶと、色々説明を始め、矢は番えずに小さな弓を引かせてみる。
そんな親子を見ながら第二師団長が何か口を出している。二人が何事か言い合った後、第二師団長の方がまた的を狙い始めた。
今度は矢を数本手に持っての連続の早打ちだ。見事に全て的に命中している。が、腕を見せびらかせているようでもなく、何故か遠目に拗ねているように見えるのは気のせいだろうか。
義弟は二人の様子など気にも留めてない様子で、何度も弓を引く練習をしている。しばらくして、様になって来ると、今度は矢を番えさせていた。矢を放つ所まではまださせてもらえないようだ。
ずるい。私だって教えてもらいたい。
私の隣で美少女も弓を引きたくてうずうずしているのが感じられた。
不意に、第二師団長が私を呼ぶ。あ、何気に父が彼を睨んでいる。
「先生、行ってもよろしいでしょうか」
二人で確認を取ると、彼女は穏やかな微笑みで頷いてくれた。
美少女は補助や指導者など要らないようで、自分の弓を掴むとさっさと立ち位置を決めて矢を射始めた。
可憐なのに颯爽としていて格好良い。
「弓を引いたことは?」
聞かれて、私は首を横に振った。すると義弟と同じように、小さな弓を渡された。やはり義弟と同じように、私もそれの弦を何度も引いては弾く。
「姿勢が綺麗だ。でも、右腕の力だけで引こうとしないで。何度も引いて、自分の楽な安定するポジションを探すんだ」
始めに持った時は気にならなかった重さが、ずっと構えていると左腕に負担になってくる。構える弓が徐々に下がって来るのが分かる。すると、弦をはじく右腕も辛くなってきた。
どれくらい経ったのだろうか、一旦両腕を下ろして、肩の力を抜く。深呼吸した後、もう一度弓を構えなおした。
左腕を正面に突き出す。真っ直ぐ、肩と水平に、心持ち上を向けるつもりで。そして無理な体勢にならないように、流れに逆らわず、右腕でゆっくり弦を引く。
あっと、思った。今までより軽く感じたのだ。瞬間、弦を放した。
「うん。今の感じだ。女の子は力で引かないから形がきれいだ」
忘れないうちにもう一度引いてみたが、先程ほどは軽く感じなかった。
でも、何となく感覚がこれでいいと言ってる気がする。
「矢を番えてみよう」
第二師団長の指示通りに、何回も矢を番っては力を緩めるを繰り返す。
気が付くと結構な時間が経っていた。ちらりと向こうを見ると、義弟もまだ矢を放たせてもらえていない。
「休憩しよう。その前に、一度だけ放ってみようか」
私の後ろに回って補助してくれる。
「さっきみたいに肩の力を抜いて引いてごらん。顔を上げて、視線は的を見る。左腕は水平に。そう。落ち着いて腕の形を変えずに、力を入れないで自然に手を放してごらん」
左腕は僅かに上を心がけて右腕を引く。右手の指が弦と矢から離れた。
風を切る音の後、ガッと的を外れて後ろの壁にに跳ね返される音がした。さすがに、そう簡単に的に当たる訳がない。義弟だってまだ一度も矢を射ていないのだ。
でも、気持ち良かった。私の手から矢が放たれる瞬間の高揚感を何と説明すれば良いのだろう。
「ふむ。初めてなのにきれいに向こうまで飛んだ。君は弓術に向いてるのかもしれないな。姿勢も良いし、力の入り方も良い。道具をねじ伏せようとするのではなく、流れに任せている感じがする」
先生のいるテーブルへ戻る途中で、考え込みながら口にされた言葉に、私は足を止めて瞳を輝かせた。だって、すごく褒められてる気がしたから。
「近衛兵団の弓術の訓練場で練習すると良い。彼の弓の腕は君の父上より上だぞ」
次の台詞に、今度は眼を瞬かせる私。
何のことを言われたのかすぐには理解ができなかった。
第二師団長の言う「彼」が従者君のことだと悟るのに少し時間がかかった。不思議そうに私が見上げると、彼は口を押さえて困った顔をしていた。失言してしまったことを後悔しているような様子だった。
「お知り合いですか?」
尋ねると、口ごもりながら第二師団長は答えてくれた。
「まあ……俺の教え子だ」
「大兄様、以前はそんなこと言わなかったじゃない。あの赤毛の人でしょ?」
美少女が話に入ってきて、私はさらに混乱の渦に巻き込まれた。
何故この兄妹が知っているの?
「修練場で一緒にいた人でしょう? あの人、結構修練場で訓練してるの見るわ。あなたと一緒にいるのを大兄様と見かけたこともあるもの」
私が混乱していることを察したのか、彼女が説明してくれた。
特に隠している訳でもなく、公共の施設で会ってるのだから、誰が見ててもおかしくないのだ。つい、必要以上に驚いてしまった。
私は再び歩を進めながら、言葉を紡ぐ。
「お友達になりましたのよ。でも、私の父親が誰かは彼には秘密にしていますの。何だか面倒なことになるような気がしてしまって……だから、お父様には秘密です」
「まあ!」
どうしたのかしら、美少女の瞳がものすごい勢いで輝きを増している。
「秘密の恋人ね! 素敵だわ」
声を小さくして彼女が奇妙な発言をした。
こ、恋人? 私、お友達って言ったはずですが。
「お前は義母上の変な本の読み過ぎだ。……互いに素性を知らないという訳だな。既に種になってるような気がしてならないが」
第二師団長が引っかかりを感じさせるような、おかしな表情をしていた。
あ、そうか。彼は従者君を知っているんだっけ。この言い方、予想はしていたけれど、やはり従者君は大貴族のご子息なのかしら。
私達が先生の元に戻ると、彼女は手際良くお茶を淹れてくれる。テキパキしながらも優雅で、これぞ淑女の見本とでもいうような仕草だった。
彼女が良いと言ったとはいえ、これほど長く席を外しているつもりはなかった私は謝罪を口にした。
すると、嬉しそうに彼女が微笑む。
「身体を動かすのがお好きでしたのね。とても楽しそうでした」
常に険しく見える顔が柔らかく綻ぶ様は艶やかにすら見えた。
「先生の授業が退屈とか、好きじゃないとかではないのですよ」
咄嗟に、言い訳じみた口調で返すと、彼女は更に笑った。
「大丈夫です。存じておりました。マナーの授業はお好きではないですものね」
「先生が好きではないということではありませんのよ?」
「うふふ。それも存じ上げております。ですが、授業はこれからもちゃんと受けていただきます」
などとやり取りしていると、同じようにテーブルへ座った美少女の兄を責める声が耳に届いた。
「大兄様? お話、聞いてらして?」
私が目を向けると、第二師団長がマナーの先生から視線を妹へ移動させた所だった。
「少し休憩して、後で二人で練習してくると良い。お前が教えて差し上げられるだろう?」
「大兄様が教えてくださるのではないの?」
「あれを刺激するのは、そろそろやめておく」
そう答えて、彼は父の方を一瞥した。私達も彼に釣られて視線を向ける。すると、父がこちらに顔を向けて睨んでいるのを見てしまった。
睨んでいる相手は第二師団長らしい。
どうしてあんなに険しい顔をしているのかしら。二人は親しい友人なんだよね?
改めて思った私は、そのことを尋ねてみた。実際に親友だったって話は剣術の先生から聞いただけで、他の人からは聞いたことがない。
「まあ、隣に住んでて同じ年なら親しくもなる。君の父はうちの本邸の隣の領地に住んでたからな。ただ、何年も会っていなかったから、ここ数年の変わり様には良い意味で驚いている」
彼は私に笑った。
父が変わったのか、私が父を見る目が変わったのかとは考えたことがあるが、やはり父が変わったのか。
マナーの先生も第二師団長の意見に同意するような表情をしていた。
おそらく、八歳の時に父に年齢を聞かれたのがきっかけだったように思う。あれから私を取り囲む様々なことが変化した。そういえば、マナーの先生と食事の授業を全くしなくなったのもあの頃からだ。
不意に腑に落ちた。
先生はいつも一人だった幼い私のために、授業としてだけど、わざわざ一緒にご飯を食べてくれていたのだ。気づいてしまった私は恥ずかしくて嬉しくて、彼女を見ることができなくなってしまった。だって、今の今まで先生の優しさを知らなかったってことだもの。
落ち着くために、私は立ち上がると美少女の腕を掴んで、弓の練習に誘った。マナーの先生への照れ隠しだ。
もちろん美少女は二つ返事で付き合ってくれる。
私達は大人二人を置いて駆けだした。
あれ?
そういえば、第二師団長って二十九歳だったっけ? 確か剣術の先生がそんなことを言っていたような……。
あれあれ?
もしかしてお父様の年齢も、分かっちゃったかも。
色々収穫があって、とても楽しい一日だったため、私は将軍の息子に出会った時のことを忘れていた。
けれど、帰りの馬車で、本日気になった脳裏の文字に意識を向けると、どうしても「没落公爵令嬢」に気持ちが持っていかれてしまう。
何とかそれには目を背け、新たな文字を考える。文字列の後ろの方、女騎士の隣にいつの間にか浮かんでいた「狙撃手」の文字。
それって、何する仕事なのかしら。




