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籠の鳥はつまらない

 それは何処だったかしら。私は何歳だったのだろう。


 うちではないお屋敷の大きな庭で、新緑の爽やかな匂いに包まれていた。


 お屋敷はうちよりもキラキラしていて、とても広かった。


 建物に入るまでも、入ってからも、少し歩くと帯剣している兵隊さん達がそこここにいた。幼児の私が恐怖を感じるのも当然だっただろう。


 そこに連れて行かれた理由など分からなかったし、知らない物や知らない人達ばかりで心底恐ろしかった。なにより、手を繋いで私を引いて行く男の人が一番怖かった。


 その人は、時々屋敷に来て、私を怖い顔で見て帰って行く人だ。


 今日は屋敷から馬車に乗り、ここに着くと手を引いて慣れた足取りでどんどん奥へ進んでいく。今までこんなに長く一緒にいた記憶はなかった。


 ナニーに叱られるとは思ったけれど、歩いていてはついていけないので、私は一生懸命に走った。


 途中で私より少し大きなお兄さんに出会い、男の人の足が止まった。


 男の人はお兄さんに頭を下げた。その横で、手を繋がれた私は荒い息をついていた。身体がとっても熱かった。


 金色の髪をしたお兄さんは私を指差して、きつい顔で男の人に何か言った。


 それから私は走らなくて良くなった。男の人の歩く速度がゆっくりになったからだ。


 少し恐怖が薄れた。周囲を観察する余裕が僅かにできたのは、お兄さんのお陰のような気がした。


 そして、自分のいるそこが、とてもキラキラしていて広い所だと気付いた。今ならそこの雰囲気を何と表現すれば良いのか解る。あれは「荘重で壮麗」と言うのだ。


 それは、生まれて初めて屋敷の外に出た日だった。


 男の人に連れられた私は、そのまま建物を突っ切って、裏庭へと出た。


 そこが裏庭なのかは今となっては首をかしげるが、当時はそう思ったのだ。


 更に奥へと向かうと、わざわざ用意されていたようなテーブルに座らされた後、男の人の手が離れてその場で待っているように言われた。


 周囲にいる同じ服を着た大人達には私が見えていないかのようだった。


 今まで怖くてたまらなかった手なのに、離れると不安になった。


 男の人の姿が見えなくなってしばらくすると、白いお髭がいっぱいのおじいさんがやって来て、私の前に座った。


「少し早かったかのう。どれどれ、お前さんは母親によう似ておるな」


 そう言って、おじいさんは青い瞳を愛おしげに細めた。


「お前さんの両親はわしの生徒だったんじゃよ。どれ、手を出してみなさい」


 言われたとおりにすると、手を握られた。ひんやりした手が快かった。


 と、思った瞬間、握られた部分がおかしいと感じた。


 私が不思議に思って首をかしげるのを見たおじいさんは楽しげに声を上げた。


「これはこれは。お前さん、母親と同じ力を有しているようじゃ。リンスターの炎は顕現せんじゃろうが、ふむ、面白いのう」


 何を言われているのか分からない。だけど、悪いことを言われている雰囲気ではなかった。


「魔術の素養があり、親和性が高い。本人の魔力は低いが許容量が大きく、敏感。まだ早いが、わしが自ら教えてやりたいものじゃ。将来はわしの元に来るが良い。まあ、わしが生きておればな」


「不吉なことは言わんで下さい、叔父上」


 今度は白い髪にまだ黒いものが残っているおじいさんが現れた。印象的な青い瞳が白いお髭のおじいさんと同じだと思った。そして、その背後には僅かに離れてあの男の人が立っていた。


 お髭のおじいさんが立ち上がったので、私も同じように立ち上がった。


「事実でございます。陛下こそ、もうそろそろ、いつどうなるかも解らん歳でございますぞ」


 後から現れたおじいさんがむむっと渋い顔をした。


「それで、力の程は?」


「ジェラルド家の力は見当たりませぬな。どちらの王子もまだ幼い。過剰な企ての必要もございますまい」


 黒髪の混ざるおじいさんに、悪戯を見咎められた少年のような表情が浮かんだ。


「余計な野望はお持ちにならぬがよろしいでしょう。四年前はそれで痛い目におうたではありませぬか」


「そのような物言い、叔父上だけぞ」


 どこか拗ねたように言い募るおじいさんは、この話はここまでとばかりに男の人を振り返った。


「公爵令嬢が壮健に育っていて満足だ。大事にするがいい。ほれ、前も言ったろう、わしと妃は二十三歳差じゃ」


 男の人はおじいさんに頭を垂れた。


 私は小さかったので、男の人が怒った顔をして口をきつく引き締めているのが見えた。とっても怖かった。








 あれ?


 瞼を開くと怖い男の人と同じ顔が目の前にあった。


 違うのは、眉間にしわがないこと。口元が綻んでいること。目じりが下がっていること。瞳に輝きがあること。眼差しが柔らかいこと。少し歳を重ねていること。


 今のは夢というよりも、記憶だったのだろうか。


 第二師団長の「母親にそっくりだな」という言葉に感化されて思い出したような気がする。


 白い髭の威厳あるおじいさんが同じことを言っていた。


 私を見て母と似ていると。母と同じ力だと。


 そういえば、初めて人から褒めてもらったのが、あの時だった。発言の内容は理解できないものの、口調や眼差しから才能があると言われていると感じたのだ。


 夢の内容に頭を悩ませていると、落ちている本を拾ってテーブルに乗せた父が私を抱き上げた。


 図書室のソファーで本を読みながら眠ってしまっていたらしい。


「部屋へ戻りなさい。夕食は部屋へ運ばせる」


 父の肩へと腕を回して身体を預ける。怪我をして昨日の今日。移動の度に父が抱きかかえるので、そろそろ抱き上げられることにも慣れてきた。


「お父様。私、小さい頃に白くて長いお髭のおじい様に会ったことがあるの。私がお母様に似ているとおっしゃっていました。あの方はどなただったのでしょうか」


 抱き上げられていた私には、父の身体に力が入ったのが分かった。


「いつのことだ?」


「さあ? 三歳か四歳か。ほとんど覚えておりません。ただ、白いお髭のおじい様が、青い眼を細くして笑ってくださったことだけが残っていて」


 説明するそばから、先程見た夢の内容があやふやになって行く。ただ、おじいさんの優しい微笑みが脳裏に残っていた。目が覚めた時には全てしっかり覚えていたはずなのに。


 父が逡巡した後、口を開いた。


「覚えているのはそれだけか?」


「……お父様もいらっしゃったような気がします」


 随分記憶が薄れてしまった。おじいさんのこと以外は鮮明に思い出せない。


 父は観念したように息を吐き出す。


 話題にしなかった方が良かったのかしら。父の様子を見て、そんな風に感じた。


「二代前の国王陛下の弟君だ。先代、当代の陛下に弟君がいらっしゃらなかったので、我々は王弟殿下とお呼びしていた。二十年前は名宰相であられた方だ。引退してからは魔力を持った者たちを指導なさっておられた」


「お父様も教えてもらっていましたの?」


 躊躇いながらそう尋ねると、父は奇妙な表情になる。


「そうだ。君の魔術の先生もだ」


 やはり、ここで終わらせてしまった方がいいのかもしれない。でも、聞きたいと思った。


「お母様も?」


「ああ。随分可愛がってらした」


「どうして、私にその方の記憶があるのでしょう」


「俺が連れて行った。ジェラルド家の力の有無を確認するためだ。あの方は、そういうのが得意だったから……そういえば、あの時、殿下にえらく叱られたな」


「王弟殿下にですか?」


「いや、当時は六歳だったかな。王子殿下に大人と子供は足の長さが違うのだと道理を説かれた」


 何の話かは分からなかったが、それまでとは違って、父が随分楽しそうに笑った。


「お父様。私、王弟殿下にとても褒めていただいたような記憶がありますの」


「君は殿下に気に入られていたよ。大きくなったら、魔術を学びにおいでと誘われていた」


 先程から気になっている。父の言葉はすべて過去形だ。


 だから、解ってしまった。


 もう、あの優しい笑みを見ることはないのだと。


 おそらくずっと昔に亡くなった人。今の今まで忘れていたおじいさん。


「突然王弟殿下の話題で驚いた」


「夢を見たのです。誰かに連れられて広いお屋敷を抜けて、庭に出た所で素敵な白ひげのおじい様に出会った夢です」 


 話している間に私の部屋へ着いた。


 父はそっとベッドに私を下ろしてくれる。


「それは屋敷ではなく、王宮だ。君はまだ四歳にもなってなかったのではないだろうか。良く覚えていたな」


「お父様……」


 私は離れて行く手をその場に留めるように握りしめた。


 大きくてごつごつした手。手の平には剣だこがあるのが分かる。


 その手の持ち主の青灰色の瞳が細くなる。私を怪訝げに見返してくる。


 時折、父の目が私のうわべだけを見て、奇妙な色を浮かべることがある。それは本当に瞬きの間、とても短い一瞬。浮かぶのは微笑みたいような、苦悩するような矛盾した表情だ。


 そんな時、感じるのだ。私を見ていないと。


 誰を映しているの? 私の上に誰が見えるの?


 先日、父の友人の呟きから答えをもらっていた。


 私はお母様に似ていますか? お母様を思い出してしまいますか?


 聞きたくて、でも口にできなかった問いかけ。


 私は母のことを知らない。誰にも何も教えてもらったことがない。何故なのか考えたことがなかった。


 父にとって、母はどのような存在だったのだろう。


 問いかけは、しかし、発することができなくて。


「どうした?」


 逆に尋ねられて、私はその手を放した。


「移動に松葉づえをくださらないかしら。これでは動きたい時に動けません」


 父は少し笑った。


「娘を抱くのは、俺が楽しい」


 父親らしい感じがするじゃないかと言って、更に笑う。


 でも、そういうことは従僕がしてくれるはずだし、引き摺りはするものの私自身歩けない訳でもない。一々父を呼び出すのもどうかと思うのだ。


 私はわざとらしく大きなため息をついた。


「お父様。私、負傷してはおりますが、赤子ではないのですよ? 歩くなとおっしゃるなら、歩きません。必要なら、ちゃんと人を呼べます。二十四時間、ずっと人をつけて、何かある毎にお父様を呼びに行かせるのは止めていただけませんか。大体、お父様、今日はお仕事全くしてらっしゃらないですわよね?」


 立て板に水を流すかの如く言い募る私の言葉に、父が少し項垂れた。


「明日はもう少し自由にさせてくださいませ。お友達に居心地が良いと思っていただきたいもの。あんなに監視されていては緊張するに決まってますでしょう」


 更に肩を落とす父がいる。そして、絆されてしまう私がいる。


「必要な時はすぐにお父様をお呼びして、助けていただきます。明日も屋敷にいていただけるのでしょう?」


 最後にそう付け加えて私はにっこりとほほ笑んだ。



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