12赤の雫
―――やれやれ。とんだイイコだ。
未知の声が囁いた。いや、以前にも聞いたことがある声だ。
―――またヴィエとはぐれてしまうだなんて……。それともフィロアが迷わせたか?
そう、一度、こいつの声は聞いたことがある。
ここが静寂の世界だと言った奴だ。知るべきはいずれ知れるとも言った嘘つきだ。
ぼくの状況はわからない。ただ、どんどん混乱していっているのだけがわかる。
―――やれやれ。もう少しマシな表現はないものか……。サウス。そう呼べばいい。本当はセンスの良い呼び名を少年、おまえ自身に考え出して欲しいのだがね。嘘つきではなく。
そいつ、サウスと名乗った声のヌシはつまらなそうにそう言った。
―――そうそう、ラモーナは無事だよ。リック少年、君の姿に怯えただけだから……、少年のおかげであの子の病は癒えることになる。代わりに君がかなり苦しいハメになるだろうけど……。
苦しい? 今以上に?
―――今以上だとも。魂につけられた傷は時間しか癒せない。そして少年、君の寿命はまだ長い。苦しむとも。死ねぬ状況で。『……』を集めるといい。マシになるから。そして最後まで創りあげられたなら、誰にも真実を告げず成し遂げたなら、リック・クレイン、少年自身の真実を見つけられるだろう。
サウスの言葉は父さんのお説教を思い出させた。
常に『生きろ』と励ましてくれた父さんの。
「なに? 何を集めればいいの? サウス。……サウス? サウス!」
サウスの気配はもう感じられなかった。
もう、彼はそこにいなかった。周囲は静寂の空間。
サウスの周囲には他の者はいないらしい。
ただ、ほのかに暖かい闇の中に紅い雫が見えた。
ぼくは雫に手を伸ばした。
紅い雫形の石がぼんやりとぼくの手の中で紅い光を放っている。
なぜかぼくの頬をつたう水があった。
涙。
ぼくは自分がどうして泣いているのか、どうして動けないのかがわからなかった。
=見よう。与えられた力を使え。=
声が聞こえた。
それは手にとった雫の声。
なぜだかそうだと、わかった。
ぼくは視線を前に向けた。
それはセオドーラの蒼い車。古びた家の前に停まっている。
「いやぁあああああああ」
古びた家から響いてくるかん高い悲鳴。繰り返される狂ったような絶叫。
「セオ! 抑えていてくれ! 鎮静剤を打つ!」
レギス医師の声。
ぼくはそっと家の中に意識を滑り込ませた。
ラモーナが悲鳴を上げ続けながら泣いていた。
見ていたくないのに視線が離せない。
ぼくはティモシーの意識に入り込んだらしい。
クレイン家の執事セオドーラに抑えられたラモーナ少女は先生レギス医師の手によって鎮静剤を打たれ、ようやく静かになった。
「先生?」
ぼくは先生を見つめた。
先生が怖いことを言いそうで怖い。
ラモーナはどうなるというんだろう……ろくなことは言わないに決まってる。
先生はゆっくりした動きでぼくのほうを向いた。
「街の病院に連れて行くべきだ。この症状なら医療補助が出るだろう。金銭面での負担は少ないはずだ」
街の病院!
ぼくは何度も首を横に振った。
仲介業者から時々街の話を聞いている。
健康でない人間に、しかも金のない人間に街は決して優しくはない。
「先生。ラモーナはかわいい妹です。そしてラモーナはこの家が好きなんです。それにこんな悲鳴の……発作は初めてなんですよ」
ぼくはラモーナにモルモット同然の暮らしなど過ごさせたくはない。
もるもっと? 街?
「レギス、できれば彼女はこの土地で過ごさせたい。わかるだろう?お前にだって妹がいるのだから」
クレイン家の執事の言葉にぼくは彼を見た。
あきらかに街の病院がするであろうラモーナへの対応を知っているのだろう。
ぼくは彼に感謝した。
「お前にもな……」
先生の言葉にクレイン家の執事はにっこりと笑った。
「ええ。だからあなたに早く帰ってきて欲しかったんですよ」
先生はため息をもらし、赤い髪をむぞうさにかき上げた。
「ゴシュジンサマ、のためだろ」
皮肉たっぷりの言い方から先生がその相手を嫌いなのがわかった。
ぼくのこと……。
先生はいい人だ。よっぽど嫌な相手なのだろうか?
「レギス……」
困ったようなクレイン家の執事の呟き。先生はその呟きを何気に聞き流した。
「先任のドクターによるとラモーナと同じ病気だと聞いていますよ。レギス、これは先天的な病です。本人に罪はないでしょう? なぜ、ラモーナに対して優しくできるようには出来ないのです?」
再びクレイン家の執事の言葉は聞き流された。
=これは現実。実際に今、起こっていること。リック・クレイン、お前の見つけたい真実はなんだ?=
ぼくの見つけたい真実……?