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幽霊又吉-江戸恋話-

作者: 土方隼人



 又吉またきちは今日も大工の仕事をほっぽらかし、朝から丁半賭博(とばく)に興じていた。

「ちきしょうめ、今日はつきが悪いや」

 又吉はその日、博打に負け大損をした。そして、その腹いせに居酒屋で大酒を喰らっていたが、たまたま隣に居合わせた客に喧嘩を吹っ掛た。そして、相手五人に大立ち回りを演じた挙句、長どすでぶすりと腹を刺された。


「もうすぐ俺の一周忌か」

 又吉はいつも居る柳の木の下でつぶやいた。

 そう、又吉は喧嘩の末、命を落としてしまったのだ。そして、成仏出来ずに幽霊として一年もさまよっていた。

「しかし、なぜ俺は成仏出来ねえんだ」

 又吉は確かに喧嘩の上刺されて死んだが、自分の不甲斐なさはよくわかっていたし、喧嘩を吹っ掛けたのは自分だったので又吉を刺した相手にさほど恨みはなかった。

「俺は独り者だし、死ぬまで好き放題生きてきたんだからこの世に未練はないはず。一体いつまでさまよっていりゃいいんだ」

 又吉は陽が落ちると柳の木の下から街道にふらりと姿を現し幽霊らしい事をしようと思ったが、誰一人として又吉の姿を見て驚く者はいなかった。なぜなら又吉は幽霊といっても足があり、恨めしい顔もしていなかった。人を脅かすどころか通行人に道を尋ねられる始末だった。

「ちぇ、幽霊に道を尋ねるやつがあるかよ」

 そんな幽霊又吉ではあったが、このところ秘かな楽しみができた。それは一人の娘が夕暮れ時になるとこの街道を小走りに走り抜けることであった。

「きっと呉服問屋にでも奉公してんだな。何かの使いでここを通るんだろう」

 又吉はそう思った。しかし、ただそう思っただけではなかった。その娘の凛とした姿と、それに相反する愛らしい顔つきに又吉は心を奪われた。


 その日も又吉は娘が来るのを柳の蔭から覗いていたが、すっかり日が暮れてしまった。

「今日はもう来ねえようだな」

 又吉が諦めようとした時、いつもの小走りの足音が近づいてきた。

「お、来やがったな」

 薄いさくら色の着物を着たその娘は裾が開くのを手で押さえながら又吉の前を通り過ぎた。と、その時、三人の侍が娘の前に立ちはだかった。

「おい、娘、少し待て」

「は、はい。何の御用でございましうか」

「しばし、我らに付き合え」

「しかし、急いで帰らぬと大旦那様にお叱りを受けます。どうぞご勘弁を」

「なに、我らの言うことが聞けぬと申すか」

 その侍たちはこの辺りでも評判の悪い旗本直参の武士だった。旗本の権力を笠に着て好き放題していた。

「おやめ下さい」

 侍の一人が無理やり娘の腕を引っ張った。

「いけねえ助けねえと。しかしやつらは刀を持ってやがるしな。いや待てよ、俺は幽霊だったんだ」

 又吉は勢いよく侍たちの前に躍り出た。

「やいやい、娘一人に立派なお侍が何しやがる。そんなこちゃあ腰の刀が泣いてるぜ」

「なんだ貴様は、町人風情で我ら旗本直参にもの申すか」

「て、やんでい。侍だったら侍らしくしろってんだい」

「この無礼者め、無礼打ちにしてくれる。そこに直れ」

 そう言うと侍の一人が刀を抜き、又吉に切りかかった。

「なに、何故切れん」

「おいおい何をしている、わしにまかせろ」

 そう言ってもう一人の侍が刀を引き抜きざまに又吉に振り下ろした。しかし、刀は虚しく空を切っただけだった。

「こ、こやつはいったい。ば、化け物だ」

 侍たちは刀を(さや)に戻すのも忘れ一目散に逃げていった。

「ありがとうございます。危ないところをお助けくださいまして」

「なに、たいしたことはねえ。それより怪我はないかい」

「はい、大丈夫でございます。私、恐ろしくて目をつむってしまいましたが、刀を持ったお侍様を相手にいったいどのように……」

「いや、俺はすばしっこい事だけが取り柄でね、逃げ回ってたら、ばかばかしくなったんだろうよ」

「あの、私はおりんと申します」

「俺は又吉てんだ」

「又吉さんはこの辺りにお住いで」

「ああ、そこの柳の下に」

「えっ、柳でございますか」

「あ、いや、柳町の長屋住まいだ。この辺りは大工で使う道具屋があるもんで、たびたび訪れるんだ」

「又吉さんは大工さんを。どうりで肌が陽に良く焼けて男らしい」

 又吉はおりんの言葉に照れくさくなり頭を掻いた。


 それから十日に一度ほど二人は会うようになった。会うと言っても柳の下に腰掛け、すぐ下に流れる水路に映る提灯の明かりを眺めながら言葉を交わすだけであった。それでも又吉にとって今まで感じたことのない穏やかな時間であった。

 しかし、又吉はおりんに会うたびに胸の奥が痛むのを覚えた。もちろん自分が幽霊であることをおりんは知らない。言えば全てが終わってしまうだろう。だが、このまま秘密を隠し通せるのか、隠し続けていいものか。


「又吉さん、なんだかこのところ肌の色が白くなったような気がします」

 おりんがぽつりと言った。

 おりんにそう言われると確かにそんな気がした。又吉は自分の腕をしみじみと眺めた。

 しかし、それは気のせいではなかった。おりにに会うたびに少しづつ肌が白くなって行くことに気がついた。

「はて、随分肌が白くなったようだが、いったい何故だろう。ま、まさかこいつは」

 それは肌が白くなったのではなかった。又吉の魂が薄くなって来ていたのだ。

 又吉は自分が幽霊としてさまよっている理由がやっとわかった。又吉がこの世に残した未練とは「恋をすること」であった。

 今、又吉はおりんに出会い初めて恋をしていたのだ。もし、このまま又吉が恋を成就させれば、それは同時に成仏することを意味していた。

「このままおりんと会い続ければ俺はこの世から消えて無くなるということか。おりんと会わなければ幽霊としてさまよい続けられる。しかし、柳の蔭から走り去るおりんの後ろ姿を見ているだけなんて俺には耐えらんねえ」

 その頃おりんはおりんで悩みをか抱えていた。おりんの奉公先である近江屋の若旦那がすっかりおりんのことを気に入ってしまい、嫁にしたいと言い出したのだ。大旦那もおりんのことを気に入っていたので話はとんとん拍子に進んだ。

 しかし、肝心のおりんがいい返事をしなかった。


 おりんは又吉に悩みを打ち明けることにした。

「又吉さん。今日は大事な話があるの」

「実は俺も話してえことがあってよ」

 先に口を開いたのはおりんだった。そして、奉公先の若旦那とのいきさつをすべて話した。

「おりん、そんな幸せな話は滅多にありゃしない。近江屋の若旦那と一緒になればどんな贅沢だってできるんだぜ」

「だけど私は又吉さんと」

「それ以上言っちゃいけねえ」

 又吉はおりんの話を途中で遮った。

 そして、今度は又吉が口を開いた。

「おりん、実は俺は幽霊なんだ」

 その言葉を聞いておりんはしばらくぽかんとしていたが、いつもの冗談だと思い又吉を上目使いで睨んだ。

「やめて下さいよ。真剣な話をしているときに」

「違うんだおりん。俺の手を握ってみてくれ」

 今まで男の手を握ったことなど無かったおりんは恐る恐る又吉の手に自分の手を伸ばした。

「どうして、握れない」

 おりんの手は又吉の手をすり抜けた。

 又吉は自分が死んでから今日までのことを話した。そして、これからやって来るであろう自分の運命も。

「おりん、俺はお前に会って初めて恋をした。そして唯一の心残りだったことが成就しようとしている」

「だけど、もし成就したら……」

「おりん、俺はもう決心したんだ。俺の望みはお前が幸せになることだ。それを見届ければ俺の思いは成就し、成仏できる。それしか道はねえんだ」

 そして、おりんの祝言の日取りがひと月後と決まった。


「くそ、目がかすんできやがった、歩くのがやっとだぜ」

 又吉はさらに成就がすすみ、魂はかなり薄くなってきていた。だが、何としてもおりんの幸せな姿を未届けなければならない。又吉は祝言の行われている近江屋へと急いだ。

 近江屋からは賑やかな笑い声や歌い声が広い庭まで響き渡っていた。

「おりん、祝言の最中にどこに行くのだ」

「はい、杯のお酒が回りまして、少し夜風に当たって参ります」

 そう言っておりんは外に出た。

「又吉さん、又吉さん何処なの」

 又吉はそれがおりんであることは遠目にもわかった。月明かりに照らし出された純白の花嫁衣装がまぶしかった。

「おりん、ここだよ」

 そこにはすでに足は消え半透明になった又吉がたたずんでいた。

「どうだいおりん、本物の幽霊みたいだろう」

 又吉は自分の胸の前で両手首をくの字に曲げ幽霊ぽい仕草をしておどけて見せた。

 その仕草におりんのこわばった顔はほころび、笑みがこぼれた。

 又吉は最期におりんの笑顔が見たかったのだ。

「おりん、お前はやっぱりその笑顔が一番だ。俺は生きてる時にお前と……」

 又吉は言い終える前に姿が見えなくなっていた。そして、かすかに又吉の雰囲気だけが残されていた。

「又吉さん」

 おりんは夜空を見上げた。そして、ひときわ明るく輝く星をいつまでも見つめていた。


 おしまい




「短編小説の書き方講座」提出小説


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[良い点] 短編として、うまくまとまっていますね。 さすがです
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