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GOOD MORNING  作者: 琴羽
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第1章(6)

「うぉ、うおええええええええ」

目が覚めると、かつて味わったことのないほどの吐き気が襲ってくる。かつてと言っても、たった二日間の経験の中での話だが……

いつの間にあの居酒屋から帰ってきたのか、俺の身体は段ボールハウスの中で横たえられていた。

「まさか、あんなに飲まされるなんて……!」

昨日の夜の出来事を思い出そうとすると、それだけで喉元まで吐き気がやってくる。いったい何時まで飲んでいたのかは覚えていないが、飲めない彩を除いてすべてのメンバーがつぶれていたことだけは覚えている。

その後、どうやってここまで帰ってきたのか、記憶を探っても答えは出ない。

「あれが、本当の地獄だったのかもしれない」

「ったく、大の大人が情けないなあ」

聞き慣れた声がして、段ボールハウスをはいずり出ると、目の前には仁王立ちをした少女――制服姿の彩が俺を見下ろしていた。

「……………………彩か?」

「どっからどう見ても私でしょ。酒につぶれて二日酔いのホームレスなんて、近所の人に通報されてもおかしくないよ?」

「うるさい……頭が、ガンガンする……」

身体に力が入らず、そのまま地面の芝生に倒れこむ。

「うわあ、昨日のパパといい勝負かも。けどそれでもパパはちゃんと今朝は仕事に行ったんだからね?仕事がないからってぐーたらしてたら、ただのニートと変わりないよ?」

「うう、耳が痛い……」

「ほら、さっさと立つ!私だって今から学校なんだからね!?」

彩に手をつかまれ、無理矢理立ち上がらせられる。いちいち力が強いものだから、抵抗する余地もない。

「とりあえず、目覚ましがてらこの辺りを歩いてくるよ」

「ほんと、しっかりしてよね」

彩は大きなため息を一度ついた後、「じゃあ、私はそろそろ行かないと遅刻だから!」と言って、全力で走り出していった。初めて出会った時と同じように、突然現れては嵐のように去っていく彩の背中を見ていると、心なしか気持ち悪さが抜けていくような気がした。

「やっぱりあいつは、騒がしい方が似合ってるな」

その背中が見えなくなるまで見届けた後、俺もグラウンドの方へ向かって走り始めた。

月曜の朝、この町で暮らす大半の人は通勤や通学で駅に向かうせいで、この河川敷を歩くことはほとんどない。すれ違うのは、健康のために散歩をしている老人たちばかりだ。

当然、グラウンドにも誰一人いない……そう、思っていた。

風を切る音が耳に響く。

グラウンドの片隅で、一人黙々とバットを振る男の姿が、遠目にだが目に入った。その姿に興味を惹かれて、俺はそいつのもとまで歩いていった。

「よお。確か東野恭平で合ってるよな?」

近くまで行って声をかけても、東野は俺のことを一瞥しただけでバットを振り続けるのをやめようとしない。エースピッチャーだなんて言われていたが、このスイングを見ればバッティングも他のメンバーより頭一つ出ていると素人の俺でも分かる。

「こんな朝早くから自主練なんて、ずいぶんと熱心なんだな」

「これくらい、当たり前のことだ」

俺の声に答えながらも、ペースを崩すことなく振り続ける。その一振り一振りに、東野の魂が込められているようで、こっちにまで気迫が伝わってくる。

けど、近くで見てみて改めて感じる。

――こいつ、本当に小さい。

160センチ台前半くらいだろうか。日本人男性の中でも、だいぶ小さい部類に入るだろう。筋肉はしっかりと付いているが、全体的に体の線は細くあまりガッシリとした印象は受けない。

「おい、新入り。どうせ暇なんだったら、少し練習に付き合ってくれよ。どうしても一人じゃできないのがあるんだよ」

そう言って東野は大量の野球ボールが入ったカゴを指さした。どうしたものかと迷っていると、東野の表情はみるみると苛立っていく。これからのチームメイトともめるのも面倒だったのもあって、素直に言うことを聞くことにした。

カゴに入った大量のボールを小さく放り投げ、東野がそれをひたすらネットに向かって打ち続ける。そんな練習を30分以上もの間、ずっとお互いに何の会話もなく黙々とこなしていく。

――なんで、こいつはこんなに本気なんだろう。

たかが草野球で、どうしてここまで本気になれるのか。機械のように何度もボールを放りながら考えていた。

こんな月曜の朝から仕事にもいかずに、こいつはいったい何がしたいのだろうと。

すると突然、東野はバットを振るのをやめてぽつりとつぶやいた。

「俺はフリーターだから、仕事には囚われねえんだよ」

なにを思ってそんなことを言いだしたのかと計りかねていると、東野はさらに言葉を重ねた。

「俺には、野球しかねえんだ」

「突然どうしたんだよ」

「おまえもうちのチームに入るんなら、知っておいてほしいと思っただけだ。半端なことをして邪魔されても困るかなら」

そう言うと再びバットを構えて、ボールを投げるように要求する。会話はこれでおしまいだと、そんな態度にも見えた。

それからしばらくの間、また無言で同じ練習を繰り返した。

さらに30分ほど続けると、ようやく満足したのかバットを下ろして大きく息を吐いた。

「悪かったな、付き合わせて。もう少しすればトモノブさんが来てくれるから大丈夫だ」

東野はベンチに腰をかけて、ボトルに入ったドリンクを豪快に喉に流し込みながら、カバンから携帯を取りだして眺めている。

――とりあえず、俺はもう帰ってもいいだろうか?

隙を見て抜け出そうとした瞬間、東野の「はあ!?」と言う声がグラウンに響いた。気になって東野の様子を見てみると、ずいぶんとイライラした顔をして携帯の画面を覗き込んでいる。

「おい、新入り……」

ドスの利いた低い声で呼ばれる。

「トモノブさんが仕事で来れなくなった……代わりに今日一日、練習に付き合え」

有無を言わせない強い口調で、そう命令する。

断れないことを悟り、俺はおとなしくうなずくことにした。

どうやら、今日は一日なにもできそうになさそうだ。



「はあはあ……すごいんだな、あんた。正直ここまでとは想像してなかった」

「当たり前だ。そこらのやつとは鍛え方が違うんだよ」

昨日あれだけ酒を飲んで騒いだ後だと言うのに、早朝から陽が沈み始めるまでの間、休みなく練習を続けていた。

練習の相手をしていただけだと言うのに、俺の身体はすでに全身から悲鳴を上げている。

「お前もうちのチームに入るなら、せめてこれくらいの練習に耐えられるようになれよな。この間のまぐれヒットで調子に乗られると、チームメイトのこっちが迷惑なんだよ」

「分かってるよ……」

周りのチームメイトに比べて今の俺がどれだけ力不足かと言うことは、昨日の練習で嫌と言うほど思い知らされた。このチームがどれほど本気で野球に取り組んでいるのかは分からないが、今のままでは足を引っ張って迷惑をかける。

俺は別に野球がしたくて、このチームに入ったわけじゃないが、それは練習をしない言い訳には使えない。

――やっと手に入れた居場所を、俺はまだ失うわけにはいかないんだから。

「ちっ、そんな顔をするなよ。別に俺はあんたを追い出そうなんて思ってないし、戦力になってくれるのなら歓迎するさ」

東野は片手で野球ボールをいじりながら、ベンチに座って空を見上げる。東野の顔はまっすぐで、不純な感情が一切伝わってこない。本当に、心の底から野球が好きでしょうがない。きっとこの男は、ただそれだけの男なのだろう。

「俺、あんたのことを勘違いしていたかもしれない。初めて見た時はずっと不機嫌そうな顔をしていたから、怖い人なのかと思ってた」

「ふん、悪かったな……俺はただ、お前が入ってくることが少しだけ怖かったんだ。お前が来れば、良くも悪くも今のチームの形は必ず変わっていく。それが、不安だったんだ」

本当に、怖い人だっていうのはとんだ勘違いだ。東野はただ、このチームのことが大好きでしょうがないだけなのだろう。

「俺、このチームに馴染めるかな……?」

「さあな、そんなことは知らねえよ。ただ……うちのチームは素人お断りだ。そんなくだらないことで悩んでいる暇があったら練習しろ」

「結局、また練習に行きつくわけか……」

わざと大きくため息をついて見せると、東野は不敵に笑った後、勢いよくベンチから立ち上がった。

「ほら、仕事終わりのバカたちが来たぞ。練習再開だ」

初めて見た時の冷たい表情からは想像もつかないほどのさわやかな顔で、東野は俺のことを手招きする。

そして、仕事終わりに駆け付けた仲間たちのもとへ向かって、駆けだしていった。


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