人を呪わば
「ねえ、優香ちゃん、ちょっと話があるんだけど。」
小声で私にそっと、同僚の美由紀が囁いた。
「え?何?」
優香がそう答えると、
「帰り、時間ある?ちょっとどこか寄ってかない?」
というので、別に今日は予定は無かったので、OKした。
あらたまって、なんだろう。昼の休憩時間じゃあダメだったんだろうか。
「ごめんね、ほんとに今日大丈夫?彼とか。」
美由紀が申し訳無さそうに、優香の顔を覗き込む。
美由紀は同期で、少し地味でどこにでもいる普通の女性だ。
「大丈夫よ。今日は彼、仕事で遅くなるって言ってたから、会う予定は無いの。」
そう言うと美由紀はほっと胸をなでおろし、よかったと言った。
美由紀はどちらかと言えば消極的で人の顔色をすごく気にするタイプ。
よく言えば優しいタイプだ。
二人は軽く食事を取れる喫茶店に入った。
二人で別々の種類のパスタを注文し、食後にコーヒーを頼んだ。
「あのね、実は・・・。」
美由紀はもごもごと言いにくそうだった。美由紀は奥ゆかしいので、人に無理な頼みごとはできないはず。
「なあに?美由紀ちゃん。」
優香は極力優しい笑顔で答えた。
「実は、優香ちゃん、ネットで・・・その・・・酷いこと書かれてるの。知ってる?」
寝耳に水だった。
「え?何それ。」
優香はぽかんとしてしまった。
美由紀は恐る恐る、スマホを操作して、こちらに見せてきた。
「な、何・・コレ・・・。」
そこには、優香の個人情報がまるまる掲載され、根も葉もないことが羅列されていた。
学生時代に、デリヘルでアルバイトしていただとか、誰とでも寝る淫乱女だとか、
薬をやっているだとか、とにかくありもしないことを捏造されていたのだ。
顔写真こそは掲載されていないし、微妙に個人情報も変えてあるのだけど、見る人が見れば
これは優香のことだとわかってしまう。
「この間、たまたまネットを見ていて見つけたの。」
美由紀が眉根を寄せて、優香を見る。
「こんなの、デタラメじゃない。酷い・・・。」
優香は青ざめた。
「うん、もちろん、優香ちゃんの友達がこんなの信じるはずないよ。でも、他の人が見たら・・・。」
美由紀が心配そうに優香を見る。
「何で?」
優香はそう言う以外なかった。
まったく心当たりがない。こんな酷い書き込みをされるほど、恨まれるような心当たりは無いのだ。
「この前、給湯室で、山根さんが・・・。」
美由紀はまた言いにくそうに優香を見る。
「山根さん?」
優香はその名前を聞いて、陰鬱な気分になった。
大学の先輩で、何かと言えば優香につらく当たる先輩だった。
「ホント、あんた見てると、イライラしちゃう。」
それが山根さんの口癖で、優香にとっては怖い存在だった。
「山根さんが、なんて?」
優香が促すと、美由紀が重い口を開いた。
「トロイくせに、生意気。今度のプロジェクトに何であの子がいるのよ、って。
部長がかなり推してたから、あの子、部長と寝たのかしら?って話してたの。」
「酷い。そんなこと、あるわけないじゃない。」
優香が怒りに震えると、美由紀がうんうんと頷いた。
「そうだよ、優香ちゃんがそんなことするわけないもの。実力なのにね。
あ、でも、私が話したこと、山根さんには言わないでね。私もあの人、怖いの・・・。」
「わかってるって。心配しないで。」
美由紀がコーヒーを一口すする。
「だから、もしかしたら、私、山根さんなんじゃないかな、とか思っちゃって・・・。」
そう言われて見れば、そういう気がしてきた。
何かと言えば先輩は優香に突っかかってくる。
新人研修の時も同じ大学だから、優しくしてくれればいいのに、優香にだけとりわけ
先輩は厳しかったのだ。
私は先輩に嫌われている。優香は常々そう思っていたのだ。
でも、何故?
優香にはわからなかった。でも、これがもし先輩の仕業なら・・・。許せない。
その日から、先輩の目が気になって仕方なかった。
常に自分を見張っているような気がする。気のせいかと思い、チラっと先輩を見ると、
結構な確立で目が合うのだ。
私が何をしたって言うのよ。優香は日に日に精神的に疲弊してきた。ミスも増えた。
「ちょっと、あんた何やってんのよ!」
ついに山根の逆鱗に触れるミスをしてしまった。
「す、すみません。」
優香は怯えた。誰の所為だと思ってんのよ。
「大丈夫?優香ちゃん。」
昼休みに美由紀が心配して、優香を屋上に誘い出して言った。
優香はつい、堰を切ったように泣き出してしまった。
優香は美由紀にすがりついて泣いた。
ネットの誹謗中傷はますます酷くなっていった。
あらゆる罵詈雑言を書き込まれて根も葉もない噂を流される。
「部長と寝てまで出世したいのかよ。」
その書き込みを見て、優香は確信した。
この嫌がらせはきっと山根がしているのだ。
優香の様子の変化に、彼が気付かないはずがなく、どうしたのかと優香にたずねた。
優香が打ち明けると、警察に相談しよう、ということになり、警察に相談したが、
掲示板の主催者に削除してもらうとか、プロバイダーに書き込みを削除してもらうだとか、
一切介入する気の無い態度に失望した。
あんな膨大な量、どうやって削除させろというの?優香は途方にくれた。
見なければ良いのだ、それしかない。
優香はネット離れし、SNSも全て退会した。
ところが、しばらくすると、真夜中に無言電話がかかってきたり、郵便受けに
「死ねばいいのに」という内容の嫌がらせの手紙が入るようになった。
これはもう、脅迫だ。
だが優香は以前の警察の対応を思い出した。
無言電話も誰かわからない番号には出なければいいことだし、着拒否すればいい。
そんなことはもうとっくにやってる。着拒否しても、公衆電話や違う番号からかけてくるのだ。
手紙の内容だって「殺す」ではなくて「死ねばいいのに」だ。これは脅迫にはならないのではないか。
そうあれこれ考えると、警察に相談する気が失せてしまう。
彼が心配して泊まってくれることも多くなった。
優香はついに意を決して山根を呼び出した。
「もうあんな嫌がらせはやめてください!私が何をしたって言うの?」
「はぁ?何のこと?」
山根は半分笑いながら、優香を見る。
「とぼけないでください!ネットにありもしないことを書き連ねて!
私が知らないとでも思ってるんですか?嫌がらせを続けるようなら、
警察に訴えますから!」
優香は叫んだ。
すると、山根はふうっと溜息をついた。
「どうぞ、何の根拠があってそんなことを言ってるのか知らないけど。」
いやに自信たっぷりだった。自分は絶対に罪に問われないとでも思ってるのか。
優香は悔しくて涙が出てきた。
「ホント、あんた相変わらず、おめでたいわね。」
山根はそう捨て台詞を残して去って行った。
おめでたい?何よ、バカにして。
仕事が終わり、帰宅してすぐに彼にメールをした。ところが、返信がなかった。
今日は残業なのかな。そう思い、優香は返事を待っていたのだが、いつの間にか眠ってしまった。
朝になり、服を着たまま眠っているのに気付き、慌ててシャワーを浴びた。
そして、携帯のメールをチェックしたが、彼からの返信は来てなかった。
おかしい。家に帰ったら必ずメールをチェックして返信してくるはずなのに。
まさか、浮気?
優香はその日、不安な気分で出社した。
結局、終業までチラチラと時々こっそりメールをチェックしたりしていたのだが、彼からの返信は
全く無かった。どうしたんだろう。不安は限界まで膨らみ、優香を満たした。
こんな時に、彼に振られるとか。絶対にイヤだ。在り得ない。
だって、彼は一番に私のことを考えてくれていて、心配して私のそばにいたのに。
不安でどうしようもなくなって、彼の部屋を訪ねた。
部屋のチャイムを押してみたが反応が無かった。
彼との共通の友人で、彼の会社の同僚に電話してみた。
「ああ、あいつ、今日無断欠勤したんだよ。あの真面目人間が。在り得ないだろ?
だから、様子を見に行こうと思ってたんだよ。優香ちゃんにも連絡、ないの?」
その言葉に優香は妙な胸騒ぎがした。
アパートの管理人さんに言い、鍵を開けてもらった。
そこで、優香と友人は冷たくなった彼の姿と対面したのだ。
彼は浴室で全裸で倒れていた。
元々、血圧が高くて、頭痛持ちだったのだ。
死因はくも膜下出血。
優香はあまりのショックに涙が出なかった。
どうして?そればかりが優香の頭の中を駆け巡る。
彼の通夜で呆然としていると、遠くから泣き叫ぶ声が聞こえた。
その声はだんだんと近づいてきた。
「美由紀?」
優香は自分の彼の葬儀に何故、彼を知らないはずの美由紀が来るのかがわからなかった。
「あんたが死ねばよかったのよ!」
そう言うと美由紀が優香に掴みかかってきた。
通夜の会場は騒然となった。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね~~~~~!」
そう言いながら、美由紀が優香の首をしめてきた。
周りの人間に取り押さえられ、手足をバタつかせながら、暴れてつまみだされる美由紀を
ただ優香は呆然と人事のように見送った。
警察の話によれば、美由紀は偶然、優香の彼を電車で見初め一目惚れし、勝手に熱をあげてしまい、
後々、その彼が優香の彼だということを知り、逆恨みをして、ネットでの誹謗中傷や、無言電話、手紙などで
嫌がらせをしたとのことだった。
美由紀の部屋には、カッターでめちゃくちゃに切り刻まれた優香の写真や、わら人形に優香の名前が書いてありたくさんの釘が打ち付けられていたとのことだった。
「人を呪わば、穴二つ、とはよく言ったものね。あなたにはお気の毒だったけど。」
そう言って、山根が優香の肩にポンと手を置く。
驚いて振り向くと、山根は優香に微笑んだ。
「ホント、あんたってばお人好しですぐに人の言うこと信じて。おめでたい。
彼のこと、残念だったわね。お悔やみ申し上げます。でも、きっとあんたにはまた、
優しい男が現れるからね。しっかり彼の分まで生きて。」
山根さんは、ずっと見守っていてくれたのか。
鈍い優香はようやくその時になって気付いたのだ。




