青い沈黙
俺にはもう、彼女の存在は重荷でしかなくなった。
もちろん、最初は俺のほうから告白して、猛烈にアタックした。
というのも、当時彼女には付き合っている男性が居たのだ。
俺は、あの当時、どうしても彼女をこの手に奪い取りたかった。
略奪愛というものに、焦がれていたのかもしれない。
俺はついに、彼女を略奪することに成功したのだ。
手に入れ難かったものを手に入れるという、そういう優越感だけのためだったのかもしれない。
勝手な言い分だが、俺は今となってはそう当時の自分を分析する。
いざ、付き合ってみると、彼女は非常に尽くす女で、いろいろと俺の面倒を見たがった。
着ている服のダメ出し。ほぼ毎日作られるお弁当。そして何より束縛がきつかった。
少しでも帰りが遅れれば、いろいろと詮索する。俺にも付き合いというものはあるのだ。
そう言っても、私と付き合い、どっちが大事なの?と言い出す始末。
会えない日は特に大変だった。1時間おきに送られてくるメール。
返事をしないと、あくる日に泣きはらした目で俺を責めるのだ。
もういい加減うんざりしていた。最近、偶然、会社の先輩女史と話をしていて、
同じアーティストが好きなことが判明し、俺達は意気投合した。彼女と会話するのは
楽しかった。サバサバしていて、ウィットに富んだ頭の良い女性だった。俺はだんだんと
その先輩女史に惹かれるようになった。たぶん、先輩女史もまんざらではないはず。
俺は思い切って彼女を、飲みに誘ったのだ。
彼女は、サバサバしたイメージとは違い、酔うとしたたかセクシーで、俺はますます
彼女に好意を持った。俺はその日、彼女と関係を持ってしまったのだ。
そのあくる日のメール攻勢は大変なものだった。飲みに行ってる間はまったく連絡を取らなかったから、もう勝手に妄想がふくらんだ俺の彼女は、「女といたんでしょ!」の一点張り。まあ、その通りなんだけど。帰宅してからは、彼女が部屋に押しかけて、俺にあらゆる罵声を浴びせた。
「もう、無理。別れよう。」
俺はとうとう禁断の言葉を口にした。
「勝手ね。奪っておいて。」
もっと責められるかと思った。彼女は静かに涙を流し続けた。
責められて当然で、俺は最低で、返す言葉も無い。
彼女はその日を境に、連絡を絶った。
俺は拍子抜けした。
これからどんなに責められるかと構えていたのだ。
何なら携帯も着拒否にするとか、いろいろ考えていたし、つきまとわれるのなら引越しも考えていたのだ。その日からぷっつりと彼女からの連絡は途絶えた。俺はほっとすると共に、その沈黙が恐ろしくもあったのだ。
俺は、その後、会社の先輩女史と本格的に付き合い始めた。大人の女性の魅力は俺をとりこにした。やはり経験の豊富な女はいい。綺麗ごとばかりじゃ、付き合いは続かない。俺を適度に自分の腕の中で泳がせてくれる彼女との付き合いはとても心地よかった。なんにしても、趣味が合うのはいい。
「今日はね、秘密の場所に連れてってあげるよ。」
俺は上機嫌で車を運転して、山道を彼女を助手席に乗せ、ドライブしていた。
あの場所は俺が見つけた。夏にはもってこいの場所。
「洞窟?」
山の路肩の広くなっている場所に車を停め、30分山道を歩いてようやくたどり着いた。
「ここはね、夏でもひんやりと涼しいんだ。穴場だよ。それに、この中に絶景があるんだよ。洞窟湖ってやつ。水がすっげえ綺麗なんだ。」
俺が説明すると、彼女は目を輝かせた。
俺は彼女の手を引き、洞窟を進んだ。
そう言えば、前の彼女ともここ、来たっけ。
そして、洞窟湖について、俺達はライトを透明な湖面に当てた。
青く澄んだ水。
俺はそこで、少し違和感を感じた。
湖に何か浮かんでいる。
「!!!」
俺達はあまりの光景に声が出なかった。
水面に何かが浮かんでいる。長い黒髪。
女だ。俺はその女が身につけている服に見覚えがあった。
あれは誕生日に俺がプレゼントした白いレースのワンピース。
元カノが水面に浮かんでいたのだ。
きっと元カノは気付いていたんだ。
また俺がここに、新しい彼女を連れてくることを知っていた。
長い沈黙を、破るためだけに待っていたのだ。




