不本意ながら男に恋をした
「あっ、ヤバい!遅れる!」
俺は目覚まし時計を乱暴に止めると、布団を跳ね上げた。
しまった。目覚ましの設定時間を10分しくじった。
たかが10分、されど10分。
10分でも遅れれば、あの電車に間に合わない。
「大輔、ご飯は?」
「いらない!」
「何をそんなに急いでんの?まだ十分間に合うじゃない。」
母親と言い争ってる場合ではない。
この10分で、俺の朝の気分は上がるか下がるか決まるのだ。
「そうだぞ、大輔。電車なんて10分おきにあるから、一本遅れるくらい大丈夫だろ。飯食わなくて腹が減らないのか?」
親父はうちの高校の教師をやっているので、学校の始業時間は知っている。現に親父は俺の20分後の電車に乗っているのでそれでも間に合う事は知っている。
それじゃあダメなんだ。あの子に会うには、この電車じゃないと。
「行ってきます!」
俺は両親の声を遮って、カバンを引ったくると慌てて玄関を出た。
俺は今、恋をしている。
いつもこの時間の電車に乗ってくる女子高生。俺の高校とは別の高校に通っている子で、たぶんあの制服はK高校。俺の通う高校とはランクが違う、お嬢様お坊ちゃま学校だ。
彼女と同じ空間に居るというだけでもテンションが上がる。まだ話しかけたことはないが、おそらくこれからも話しかける勇気は無いだろう。完全なる片思い。相手は俺の顔も知らないだろう。
ダッシュすればまだ間に合う。彼女の笑顔を見るためだけに、俺は朝早起きをしてまでこの電車に賭けてるんだ。
駅のホームに着くと、電車の到着のメロディーが鳴り響く。
ヤバい、急げ!俺は階段を二段飛ばしに駆け上がる。
あまりに急ぎすぎて、前を歩いていた女子と接触してしまった。
「キャア!」
その女子は接触した拍子に階段を踏み外してしまった。
俺は、その女子を支えようとして手を伸ばして受け止めた。
「あっ!」
優亜ちゃん!電車の中で彼女がそう呼ばれていたので名前を知った。
俺は受け止めた女子が、彼女だとわかったとたん動揺して足がもつれてしまった。
「わあああああ。」
俺と彼女は、もつれるように二人で階段の下まで落ちて行った。
そこで俺たちは気を失った。
気が付くと、そこはベッドの上だった。
頭がフラフラする。たぶん脳震盪を起こしたんだろう。
「優亜!」
目を開けると、突然そう叫ばれて俺は体がビクっと痙攣した。
優亜?何言ってんだ?このオバサンは。誰?
「良かった、優亜。お母さん、心配したのよ?大丈夫?」
お母さん?優亜?
ゆっくりと体を起こすと違和感を覚えた。
軽い。手足を見た。細い。まるで女の子みたいではないか。
足元がすーすーする。制服のズボンはどこに行ったんだ?
「すみません、ここはどこですか?」
そうそのオバサンに尋ねると、
「何言ってんの?あなた今朝駅の階段で転んで気を失って救急車でこの病院に運ばれてきたのよ?」
何かがおかしい。
俺は慌ててベッドを降りるとフラフラと病室を歩いた。
「あ、まだ無理しちゃだめよ、優亜。」
オバサンが後からついてくる。
部屋の入り口付近に洗面所があった。
「う、嘘だろ?」
その鏡の中には、恋焦がれた彼女、優亜の姿が映し出されていた。
マジ?俺、彼女と入れ替わった?こんなことは漫画や映画の世界だけのことだと思っていた。
ってことは、彼女は今、俺の中に?た、大変だ。
俺は後ろから着いてくるオバサン、もとい彼女の母親を無視してナースステーションで尋ねた。
「あ、あの、奥田大輔君の病室は、どこでしょうか?」
「ああ、あの一緒に運ばれてきた男子ね?彼なら202号室よ?」
「ありがとうございます。」
「優亜ちゃん、大丈夫なの?」
おばさんがしつこく追いかけてくるので、
「大丈夫。ちょっとトイレ行ってくるから、部屋に戻ってて。」
と追い払った。母親は本当に大丈夫?と心配顔で部屋に戻って行った。
202号室、ここだ。
俺はそっと、開け放たれている大部屋のドアから入り、自分の体を探した。
「あっ!」
俺が通りかかると、そいつは声を上げた。
「か、返して。あたしの体・・・。」
そう言うと、俺の体だったそれはメソメソと泣き始めた。
何事かと大部屋の同室の病人達の注目が集まってきたので、俺は俺の体に入ってしまった彼女を外に誘い、がらんとした夜の待合室に連れて行った。
待合室につくと、優亜ちゃんはガラッと態度が変わった。
「おい、マジふざけんな。何でこんな地味眼鏡と体が入れ替わらなきゃなんないんだよ。」
じ、地味眼鏡?確かにそうだが、さすがに傷ついた。優亜ちゃんからすれば、俺は地味眼鏡以外の何者でもない。別に期待はしていなかったが。
「ご、ごめんなさい。」
「せっかくさぁ、いいとこのお嬢さんライフを満喫してたってのに、どうしてくれるんだよ。」
「へっ?」
何だか言っていることが意味不明だ。それに彼女はこんな乱暴な言葉を使っていただろうか?
もしかして、すごく裏表のある人間だとか?
「裏も表もねえよ。」
俺は自分の考えていたことに間髪入れず返事をされたので驚いた。
「まあ、無理もねえな。こんなややこしいことになるなんて、思いもしなかったからな。俺は優亜じゃねえよ。」
「は?」
俺の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。
俺だって?優亜じゃない?
「信じられないかもしれないが、俺と優亜は、一年前にすでに体が入れ替わっている。」
えっ?何?えっ?俺は口をパクパクさせている。そんなの嘘だ。
「か、からかってるの?」
俺はやっと言葉を発することができた。
「からかってなんかいねーよ。俺と優亜は幼馴染で、お前と優亜みたいに階段から落っこちて体が入れ替わっちまった。つまり、優亜の中身は、今俺の体だった本体の中に居る。」
「そ、そんなの・・・」
「信じない、ってか?」
「当たり前じゃん。」
「お前、優亜のこと、好きだったんだろ?俺は随分前から知ってたぜ。」
「えっ?」
俺は自分の体が熱くなるのを感じた。しかし、何でこうもいろいろ言い当てられるんだろう。
「それは、俺がサトリだからだ。」
サトリ?聞いたことがある。確か、人の心が読める能力とか。
「そう、その通り。だから、お前が優亜、俺に気があるってことは知ってたんだよ。」
その場から逃げ出したかった。俺の口からそんな恥ずかし気なことなど聞きたくなかった。
「俺はサトリの能力があるみたいだけど、優亜には他の能力があったみたいだな。」
「えっ?」
「本人が意図せずして、中身が変わってしまう能力。変わり身とでも名付けておくか。」
「そんな、バカな。」
「それは俺のセリフだ。何度も元に戻る方法を試してみたがダメだった。痛い思いをして階段から落ちたりな。」
「そ、それじゃあ、俺が恋していたのは。」
「そう、その通り。確かお前と出会ったのは、半年前だったからすでに俺は優亜の中に居たってわけ?」
俺は優亜ちゃんの体のまま、へなへなとへたり込んだ。俺が恋していたのは中身が男の優亜ちゃんだったなんて。
「まあ、そんなにショックを受けるなよ。考えても見ろよ。お前は今日から美少女になれるんだぜ?しかもいいとこのお嬢様生活が送れるんだ。憧れの優亜ちゃんになれたんだぞ?喜ぶべきだろ。」
「俺の声でそんなこと言わないでくれ。」
「あはは。でも、お前、今日から話しかけることもできなかった彼女の裸が見れるんだぞ?あんなことやこんなことを。」
「や、やめろ!」
「なんだよ、チェリーボーイは初心だな。」
「うるさい!ま、まさか、お前、彼女の体に居たってことは?彼女に何かしたのか!」
俺の心は怒りに震えた。
「まあ、それはフィフティーフィフティーってことで。あいつも俺の体で結構楽しんでるみたいだし?」
「やめろ、やめろ!汚らわしい!」
「汚らわしいって・・・中二かよ。お前だって、自分を慰めたりすることあるだろ?それにあいつ・・・。」
「彼女は?」
「あいつさぁ、俺の体と入れ替わって、俺の彼女、盗っちゃったんだよね。」
「・・・えっ?」
「つまり、あちらの世界に目覚めちゃったってこと。女の子同士のね。でも、まあ、体は男のわけだし?表面上は何も問題ないんだよなあ。」
「ま、マジで?」
俺はめまいがしてきた。もう何が何だか目まぐるしすぎてわからない。
「おい、フラフラして大丈夫か?」
俺は自分の体だった、得体のしれない男の腕に支えられた。
「うん、大丈夫。」
大丈夫じゃないけど、早く逃げたかった。この非現実から。
「なあ、俺達、付き合わねえ?」
「は?」
「お前にとっても、悪い話じゃないと思うんだがな。お前の体は見た目お前だから、傍から見ればお前みたいな地味眼鏡が絶世の美女と付き合ってるって悪くないだろう?」
「いやだ!」
何で、俺が自分と付き合わなくちゃならないんだ。ただでさえ、自分にはコンプレックスがあるのにそのコンプレックスを目の当たりにしろというのか。そんな地獄はいらん!
「確かに、お前は地味眼鏡ではっきり言ってダサい。それは俺の実力で何とか改善してやる。だけど、俺もそれなりにご褒美は欲しいわけよ。」
「言ってる意味がわからん。」
「つまり、絶世の美女と付き合ってるってステータス。」
「そんなの、幼馴染ならとっくに叶った話だろ。」
「いやあ、あの中身知ったら、お前はあいつのこと好きにならないと思うわ。あいつ、ゲスいから。」
「嘘だ。」
「嘘じゃねえよ。大昔から知ってるから、あいつの腹黒さは知ってる。顔はタイプなのに、あのゲスさは参るよな。げんなりするわ。平気で人の彼女盗るしさ。」
「いやだ、とにかく断る!」
俺は、自分自身の体を乗っ取った男の手から離れ、病室へと戻った。
それから二日後、俺たちは退院した。
とりあえず、体が入れ替わったからには、新しい家での生活に慣れるしかない。母親は様子の変わった娘の態度に訝しがりながらも、連れ帰った。
彼女の家は、大豪邸だった。絵にかいたようなお嬢様生活。
俺は極力、女性らしく振舞おうとしたがぎこちなく、周りの彼女の友人と思われる女の子たちはだんだんと疎遠になっていった。
「ねえ、優亜が変になるのって、これで二度目だよね?」
彼女の親友、梓だけは俺から離れなかった。
いたずらっぽいアーモンド形の目。好奇心に満ち溢れた猫みたい。
「そ、そう?」
「うん、一年前、ぜんぜん別人みたいに女の子らしくなった。」
なるほど、あいつは女子に成りきっていたのか。それに比べて俺は。
「でも、梓は、今の優亜のほうが好きかな?以前の優亜に戻ったみたいで。私、男っぽい優亜のほうが好きだよ。」
「えっ?」
そう言うと、梓は俺の唇を奪った。嘘っ、マジで?俺のファーストキスが奪われた。
俺が驚いていると、彼女は悪戯っぽく笑った。校門を出ると、男が待っていて梓に手を振った。
「あ、由貴哉、迎えに来てる。」
梓の彼氏か。俺は、ペコリとそいつに挨拶をした。
「何~?変なの。幼馴染なのにそんな他人行儀な挨拶しちゃってさ。」
え?幼馴染?ま、まさか。こいつが彼女?なんてチャラい男なんだ。
このチャラ男の本体が、今俺の体の中に。
「そうだよー、優亜。なんかお前、感じ変わった?」
こ、この中に優亜ちゃんが。そして、俺の体に由貴哉と名乗るこの男の本体がいて、優亜ちゃんの体を持つ俺が居て。なんだか頭が変になりそう。
「優亜!」
俺は聞き覚えのある声に振り向く。それもそのはず、17年間聞き続けたコンプレックスの塊のその声。
え?誰?
そこには懐かしの地味眼鏡は存在せず、オシャレ眼鏡チャラ男が存在していた。
こ、これが俺?
俺が口をパクパクさせていると、横で梓が小突いた。
「へー、優亜の新しいカレシ?可愛いじゃん!」
可愛い?そんなの初めて言われた。
俺本体が得意げにニヤニヤ笑っている。
「奥田大輔でーす、ヨロシクね!」
軽い、軽すぎる。俺、そんなキャラじゃない。
「じゃあ、俺達、今日デートだから。」
由貴哉の体の優亜ちゃんは、梓の体を引き寄せると、人目もはばからずキスをした。
俺は信じられない面持ちで、彼女たちを見送る。
「じゃ、俺達もデートとしゃれ込みますか。」
そう言うと俺の体を借りた由貴哉が無理やり腕を組んできた。
「ちょっ!やめ!」
「いいじゃん、俺達恋人同士だろ?見ろよ、周りの男たちの羨ましそうな顔。ちょー気分いいな。それに、お前、優亜より可愛いし。」
「は?何言ってんの?俺、男!」
「今、見た目は女だから何も問題ないのでは?」
俺は、その後、ズルズルと由貴哉のペースに乗せられて、すっかり俺の本体と優亜は付き合っているというのが公然の事実になって行った。
俺本人より、由貴哉は俺生活をうまくやっているようだ。
結局、由貴哉って何でもできるやつなんだな。
俺は、ちょっと由貴哉に嫉妬した。しかも、こいつは何でもお見通しのサトリなのだ。パーフェクトな人間っているんだな。
俺は徐々に、由貴哉に興味を持っていった。
そして、俺はある日、核心に触れられることになる。
「なあ、お前、俺のこと好きだろ?」
こいつに隠し事はできない。だって、こいつはサトリなのだから。
「知ってるんなら、聞くなよ、バカ。」
そう俯くと、唇が重なった。
「なあ、自分とキスするって、どんな気持ち?」
「また、知ってる癖に言う。」
「お前、かわいいな。」
これはもう俺ではない。由貴哉そのものなのだ。
狂ってるのかな、俺。俺は正常な男子だったはず。
男で、しかもこれは見た目は自分だぞ。ナルシストかよ。
ナルシストも真っ青だよ。
ああ、こんなことはまずい。知ってる。でも、気持ちはもうどうにもならない。
その夜、俺は自分に抱かれる。
目が覚めると、そこは俺の部屋だった。
あの豪邸ではない。
「えっ?」
俺は一糸まとわぬ全裸の自分の体を確かめる。
「も、戻った?」
俺はいつもの時間に電車に乗る。
すると、凄い怖い形相でこちらを睨んでくる少女に出くわした。
紛れもない、彼女、優亜である。
そして、いきなり俺は彼女に平手打ちをくらった。
「お前、エッチしただろ!」
「あっ!」
あれは夢ではなかったのだ。
「由貴哉から聞かなかった?私の体はそういうことしたら元に戻っちゃうの!だから由貴哉が私の体に居た時には絶対しちゃダメって言ってたのに!」
「優亜ちゃんは知ってたの?俺たちが入れ替わってたの。」
「気安く人の名前を呼ぶんじゃねえよ!眼鏡!由貴哉に聞いてとっくに知ってたわ!」
そう言いながら、優亜ちゃんは中指を立てて来た。
「で、でも、自分の体に戻れたのだから、結果オーライでは?」
俺が恐る恐る言うと、優亜ちゃんの膝蹴りが尻に入った。
「バーカ!女の体じゃあ、梓と付き合えねーだろーが!」
彼女はそう毒づいた。でも、俺は知っている。梓が俺と知らずに優亜にしたキスのことを。
たぶん、梓はどちらでも行けるタイプなのだと思う。
「いや、大丈夫だと思う。」
「はあ?ふざけんな!」
そう言ってもう一度俺にビンタをすると気が済んだのかそのまま立ち去った。
茫然と立ちすくむ俺の目の前に男が立ちはだかった。
由貴哉だ。
「よう、オハヨウ、ハニー。」
「なっ!」
俺は昨夜のことを思い出して、赤くなって俯いてしまった。
何で男相手に赤くなってんだ、俺。
すると由貴哉が無理やり腕を組んできた。
「ばっ、バカ!人が見たらホモだって思われるだろ!」
「は?今更?」
馬鹿野郎、昨日までは、ギリ、ホモじゃなかったんだってば。
そして、今日、俺たちは奇妙なダブルデートをするに至っている。
男同士、女同士で・・・