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涙の色

今日、僕は、はじめて世界を見る。


産まれた時から全盲だった僕はまだ、世界を見たことがない。

海と空は青い。

血は赤い。

雲は白い。

山は緑。


言葉だけなら知っているが、青や赤や白や緑がどんな色なのかを見たことがない。

世界から目が見えない人が消える。

この眼鏡によって。


眼鏡で画像を認識し電気信号で直接脳にその映像を伝えることによって、目が見えるようになる画期的なこの眼鏡がついに僕の手元に届いたのだ。


眼鏡のフレームがスイッチになっており、それに触れることにより、電源が入る。

電源はソーラーであるため、多少フレームが太くなっており、違和感はあるが、最近ではこういったフレームの太い眼鏡が流行っているようなので、少しおしゃれな眼鏡をかけている程度にしかわからないほどである。


最初は刺激が強すぎるため、明度はかなり暗めに設定してあるそうだ。映像を認識することに慣れて来たら、徐々に明度を上げ、ほぼ普通の人と同じように見えるようになるとのことだった。


僕が初めて目にしたのは、両親の顔だった。両親の目から、何かが流れているのを指摘すると、それは涙というものらしい。涙の色は透明。水も。

初めて見るそれらの液体は、きらきらと光を反射して美しかった。

「悲しくないのになぜ泣いているの?」

と聞くと、それはうれし涙というものらしい。

僕も、初めて両親の顔を見ることができて、感極まってその液体が目から流れている。

それからというもの、見るものすべてが僕の初めてであり、僕はもう一度、この世に生まれたての僕として産み出されたのだ。


それからというものは、家族であちらこちらに旅行した。

春には花を、夏には海を、秋には紅葉、冬には雪を。

ああ、世界はこんなに素晴らしい。

僕はこの眼鏡に感謝した。まだ販売されて間もないので、高額であったが、両親が僕のために大枚をはたいて買ってくれた。本当に両親には感謝してもしきれない。


しかしながら、世界が見えるということは、人も見えるということだ。この眼鏡をかけていても、見た目は全盲なのには変わらない。僕は初めて、人の冷ややかな表情や、悪意のある表情も見ることになる。人は、今までこんな目で僕をみていたのか。しかし、それすらも何ということもないほど、目が見える喜びは何百倍にも等しい。


そして今僕は、とんでもない光景を目の当たりにしている。

駅のホームで電車を待っていると、突然、女の子が電車の前に飛び出したのだ。

「危ない!」

僕は思わず叫んだ。

電車に乗り込もうとする人々が一斉に僕の方を振り向いた。

「女の子が!女の子が、線路に落ちました!」

そう叫ぶと、慌てて駅員がかけつけてきて、線路を確認した。

しばらく駅員があたりを探していたが、やがて怒ったように僕の方に歩いてきた。

「誰もいませんよ。ちょっとこちらまで。」

そう言うと腕を引かれ、僕は駅舎まで引っ張られていった。

僕がいたずらで、嘘を言ったと思われていた。

嘘じゃない。本当なんです。

そう言おうとして、線路を振り返ると、ヨロヨロとホームによじ登ってくる人影が見えた。

あの女の子だ。

首はおかしなふうに曲がっていて、全身がズタズタで傷だらけ、腕もちぎれて、皮一枚でつながっている。

僕は息をのんだ。笑ったような気がした。


「ミエルンデスネ」

僕の耳に空気を震わせて響いた時にようやく、彼女が人ならざる者だということに気づいたのだ。

騒がせたことと、電車を遅らせたことにより、僕はしばらく拘束され、両親が僕を引き取りに来た。

「ごめんなさい。でも、嘘じゃない。」

両親は僕の言うことを信じて、何も咎めなかった。

もしかしたら、眼鏡に異常があるのではないかと言うことで、眼鏡は修理に出されたが、異常なし、ということで返却された。僕にはそれがわかっていたような気がする。眼鏡の異常であってほしかった。


あの日から毎日、彼女は電車に飛び込んでは、ホームに這い上がってくる。すでに、僕にとって、それは日常になりつつあった。慣れてしまえば、もう無視するしかない。だけど、僕は彼女が哀れになってきた。

何故、彼女は電車に飛び込み続けるのだろう。


とうとう僕は我慢できなくなって、彼女に話しかけてしまった。

「どうして毎日電車に飛び込むの?」

僕がそう言うと、彼女は死ねないからだと言う。

もう君は死んでいるから、還るところに還るべきだと言うと、行き方がわからないと言う。

これが俗にいう地縛霊というやつなのだろう。

「どうして死のうと思ったの?」

と聞くと、彼氏に振られたからだと言う。

僕は、腹が立った。どんなに彼氏が好きだったかは知らないが、彼女が死ぬことによって、どれだけの人が悲しんだことだろう。僕は、生まれた時から、暗闇で何もわからずに不安でそれでも生きてきたというのに。

彼女は本当は生きたかったと言った。後悔が彼女をここにつなぎとめているのかもしれない。


僕は家に帰って考えた。

この眼鏡をかけると、世界が見え、そして人ならざる者が見えた。

この眼鏡は映像を僕の脳に届けることができるのはもちろん、違うものも電気信号となって僕の脳に届けることができるようだ。彼女だけではなく、実はあれから僕はあらゆる場所で人ならざる者を見ることができるようになった。その多くは、ただ意味もなく漂っている者ばかりだが、彼女は違う。

ずっとずっと後悔している。過去の思いを断ち切れずにいる。

そして、僕はある試みを思いついた。


「僕の眼鏡を貸してあげるよ。」

彼女は驚いた顔をした。

「眼鏡なんてかけられるわけないじゃん。私、死んでるんでしょ?早く死にたいのに。」

そう言われながらも、僕は半ば無理やり彼女に眼鏡をかけた。

ボロボロに体は、みるみる元の彼女の姿に修復され、妙な具合に折れ曲がった首も元の位置に戻った。


「僕は、ここで待ってる。だから、本当に伝えなきゃいけないことを伝えるんだ。」

僕がそう言うと、彼女はしばらく線路を見つめていたが、駅の改札へと走り出した。


僕は何をすることもなく、夕方まで駅のホームの椅子に腰かけ、彼女を待っていた。

彼女は帰ってきた。


「ありがとう」

彼女はそう言って、僕に眼鏡を返してきた。


「あのね、お母さんとお父さんに会ってきた。ごめんね、って伝えた。」

彼女は泣いていた。

「ちゃんとさよならって言ってきたよ。お父さんとお母さんのこと、ずっと忘れないからって。お父さんとお母さんが少しでも長生きできるように見守ってるからって。」

彼女の涙も、透明できらきらと光っている。

夕日は赤い。

手を振る彼女は、もう線路に飛び込んだりしない。

赤い夕日に彼女が溶けて行った。


「ただいま」

家に帰ると、両親が遅かったねと心配した。

「今日はね、また素晴らしい物を見ることができたんだよ。」

何を見たのと両親が訪ねた。


「愛、かな?」

両親はきょとんとしていた。

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