夢遊病
「ねえ、お義母さん、昨日私の部屋の窓、閉めてくれたんですね。
ありがとうございます。」
朝一番、私は食卓に朝ごはんを並べながら義母にお礼を言った。
すると、義母はキョトンとしたのだ。
「いいえ、あなたのお部屋になんて入っていないわ。
閉めてないけど。」
「え、そうなんですか?」
夕べ夜半から降り始めた強い雨は今も降り続いている。
私は暑さで窓を開けて寝ていたので、朝起きて、しまった、と思い
慌てて窓を見たのだ。するとキチンとしまっており、鍵までかけてあったので
つい、お義母さんが気を利かせて閉めてくれたのだと思ったのだ。
「すみません、勘違いかもしれませんね。」
そうだ、きっと勘違いだ。昨日寝る前に閉めて寝たのを忘れているのかもしれない。
お義母さんは、味噌汁を一口飲んで、眉根をしかめた。
「孝子さん、なんだかお味噌汁、味が薄いわ。
ちゃんとお出汁とってる?それとも味噌を変えたのかしら?」
「ああ、この前、自治会の集まりで、食の事の講習会があって、
減塩のお話があったので、早速実践してみたんですよ。
塩分控えめにしたんですけど、お気に召しませんでしたか?」
「私は、毎月病院で健康診断を受けて、健康だから。
心配はご無用よ。今まで通り、私が教えた味でしてちょうだい。」
そう言い、一口つけただけで全部残してしまった。
何よ、人がせっかくお義母さんの健康のことを思って作ったのに。
健康なんて嘘よ。私、偶然この間見ちゃったんだから。
血圧がかなり高かったから、わざわざ減塩をしようと努力したのに。
私は、今、義母と二人暮らしだ。
主人は2年前に亡くなり、義父も早くに亡くなっており、身寄りの無い義母と
女所帯二人暮らしになったのだ。
最初は義母も、私に感謝して
「一緒に住んでくれて、ありがとう。心強いわ。」
と言ってくれていたのに。
最近は本当に重箱の底をつつくようなことばかり言うのだ。
年を取ればしつこくなるのは仕方ないのだろうけど、さすがに
今日のは応えた。義母の体を思ってのことなのに、否定されたのだ。
私は深く溜息をついた。
やっぱり所詮は他人なのだろうか。
掃除をすれば、やり方にいちいち口を出す。
廊下をモップがけすれば、そんな物で汚れが落ちるはずが無い、
昔ながらの雑巾がけをしなさい、だとか
洗濯をすれば、色ごとに洗濯を分けてしなさいだとか
いちいち口を出すのだ。
いい加減うんざりしていた。
そして数日後、私は、真っ裸で目が覚めた。
一番びっくりしたのは自分だった。
何故、裸なの?
そう思って、ベッドの下を見たら、ぐっしょり濡れた、パジャマと下着が
放り投げてあったのだ。
ああ、暑いから全部脱いだのか。
それにしても、その時の記憶が全く無い。
本当に窓の時といい、今回と言い、気持ちが悪い。
これって夢遊病っぽい物なのかな?
まあ、これくらいで夢遊病だなんて言わないか。
私は軽く考えていた。
だから病院へも行かなかったのだ。
そして、数日後、私はまた不可解な目覚めをしたのだ。
朝起きると、ベッドの中がやたらザラザラするので、布団をめくった。
すると、足や手が薄汚れていて、土が着いているようなのだ。
何故?不思議に思いつつも、ベッドのシーツを洗濯機に放り込み
お風呂のシャワーで足を洗って、お風呂場から出た。
すると、義母が、眉間に皺を寄せて立っていた。
「あなた、どうしちゃったの?夕べは。」
そう言われ、私は何のことかわからずキョトンとしていた。
「何のことでしょう?」
「何のことでしょう、じゃないわよ。覚えてないの?
あなた、急に夜中に起きてきて、裸足で庭に出て
チューリップの球根を庭に植えだしたのよ?
まだ時期的に植える時期じゃないし、明日やればいいじゃない、
って何度言ってもあなたは黙々と手で土を掘り続けたのよ?
自分の手を見てみなさい、きっと爪もひどいはずよ。」
そう言われて見ればそうだ。爪の間にも泥がたくさん入り込んでいて
しかも指先が痛い。
「しかも、あなたったら、裸足で庭に出てるもんだから、そのままの足で
家の中に上がりこんで、泥だらけのままベッドに入ってしまったのよ。
私がいくら声をかけても、聞く耳を持たなかったんだから。
ちゃんと足を洗いなさい、手を洗いなさい、って何度も言ったのに。」
義母はヒステリックに叫んだ。
「す、すみません。でも、何も覚えていないんです。」
私がそう言ってうなだれると、義母は
「あなたはおかしくなってしまったんじゃないの?病院へ行きなさい。」
そう言われ、私もこれは重篤だと感じて、義母の言う通り、あくる日
精神科を受診したのだ。
「ストレスから来る物でしょう。」
そう言われ、とりあえず、その場はお薬で様子を見ましょう
との事で、その日は薬をもらって帰宅したのだ。
私が帰宅すると、義母が待ってましたとばかりに玄関まで
すごい勢いで駆け寄ってきた。
「あなた、私のお金を盗ったでしょ!」
いきなり、そう私を非難した。
「盗ってませんよ。そんなことをするわけがないじゃないですか、
お義母さん。」
「嘘おっしゃい!私の枕元の小物入れに入れてた2万円が無くなってるのよ!」
「盗ってません!私がそんなことをする人間に見えます?」
「だって、あなたは今精神病じゃない!夢遊病なんて精神病よ!
あの球根を植えて寝たあとに、私が寝入った時に盗ったでしょ!
便利だわよね、全部夢遊病の所為にすればいいんだから!
返しなさい!今すぐ!」
「盗っていません!」
「いいえ!盗ったわ!返してよ、返せ!」
私は絶望的な気分になった。
義母はたぶん、ボケているのだ。
痴呆が始まったようだ。
私は勿論、お金なんて盗ってないし、だいいち母の枕元に
小物入れなんてないし、お金は全て私が管理している。
義母は機械に弱いから、いつも私がATMでお金を下ろして
お金は全て金庫に入れてあるのだから。
私はこれから、痴呆が進む義母の面倒を見なければならないのだ。
興奮が冷め遣らないので、仕方なく私は義母に2万円を渡した。
そして、その次の日、義母は業者を呼んで自分の部屋に鍵をつけて
しかも、部屋に防犯カメラまで設置させたのだ。
当然支払いは私に回ってきた。
「うちには泥棒がいるからねえ。」
義母は私を正常ではなくなった目で見ている。
もう我慢の限界だ。
今まで義母のことを思い面倒を見てきたのに、いくらボケているからって
この仕打ちはあんまりだ。
はらわたが煮えくり返り、またどうしようもない将来への不安が襲ってきたのだ。
次の日の朝、悔しさでほぼ眠れず、おそらく2~3時間くらいしか眠っていなかったが
なんとか眠い目を擦りながら、朝食の支度をした。
「お義母さん、ご飯ですよー。起きてください。」
私は鍵のかかった、義母の部屋をノックした。
中から返事が無い。
「ご飯、冷めちゃいますよー。」
もう一度声をかけたが返事はなかった。
寝てるのかしら?珍しいわね。
いつも早起きで、私より早く起きてることもあるのに。
まあたまには寝坊することもあるかな。
私は諦めて、自分ひとりで食事をとった。
ところが、義母は正午になっても起きてこなかった。
これはおかしい。
私は心配になってきた。
「お義母さん、どうしたんですか?具合でも悪いの?」
私は不安に狩られ、ドンドンとドアを叩いた。
相変わらず返事はない。
どうしよう、もしかしたら、中で倒れてるのかしら。
私は緊急事態だと思い、鍵をつけたドアノブをハンマーやバールなどで破壊した。
「お義母さん!」
ベッドの上には、冷たくなった義母が横たわっていた。
目は充血し、舌が長くべろんと口から飛び出していた。
首には、電気コードが巻きつけられていた。
私はすぐさま、救急車と警察を呼んだ。
義母は私が発見した時にはすでに脈はなく、病院で死亡が
確認された。
首をコードで絞められたことによる、窒息死だとわかり、
早速捜査が開始され、私はすぐに任意同行を求められた。
「まさか、私がやったって言うんじゃないですよね?
そんなことするわけないでしょ!だいいちあの部屋には、
鍵がかかってたんですから。私が入れるわけないじゃない!」
「でもね、窓は開いてたんですよ。」
刑事たちは私を疑っている。
「そうだ、お義母さんは防犯カメラをつけてたんですよ!
それを見たら真犯人が写ってるはずです!
刑事さん、防犯カメラを見てください!」
私は必死に叫んだ。これで私の無実が証明されるはず。
刑事たちは溜息をついた。
「見たいですか?」
意味ありげに私に言う。
「当然。これで私の無実が証明されるんですから。
早く真犯人を捕まえてください。」
刑事は仕方ない、という顔で私にパソコンで録画された画面を
見せてくれた。
私は信じられない光景を目にする。
なんと、私が窓から義母の部屋に侵入し、寝入っている義母の首を
電気コードで締め上げ始めたのだ。
苦しそうにもがく義母。
私は鬼のような形相で義母の首を締め上げる。
やがて義母の体から力が奪われ、生の気配が消える。
すると私はのろのろと義母から離れ、防犯カメラに近づいて
ぞっとするような微笑を浮かべながら話始めたのだ。
「孝子ちゃんを苛める人は退治したよ?
恵美子はいつでも孝子ちゃんの味方。」
私は驚愕した。恵美子という名前は、私が5歳の時に死別した双子の姉の名前だ。
私は5歳にも関わらず、姉の死んだ時のことは今でも鮮明に覚えている。
とても悲しかった。母によれば、1週間くらいご飯も食べられなくなり
点滴で過ごしたというのだ。
それほどショックで信じがたいもので、受け入れがたいものだった。
防犯カメラの映像はさらに続いた。
「2年前にも、孝子ちゃんを苛めるおじさんを退治してあげたよ。
あのおじちゃんは孝子ちゃんがいるのに、若い女の人と浮気して
孝子ちゃんを泣かせたよね?それを孝子ちゃんが責めたら
孝子ちゃんのことを、ぶったよね。
絶対に許さないって恵美子は思ったの。
だからね、おじちゃんが寝た時を狙って首を絞めて
殺してあげたよ。
おじちゃんは重かったけど、こっそりお庭に運んで
埋めたよね。おばあちゃんには、おじちゃんは釣りにでかけて
行方不明になったって言った。
そして、岩場に行って、おじちゃんの長靴と釣竿を置いて
海に落ちたと見せかけた。
孝子ちゃんは優しいから。あのおじちゃんが埋まっている
あの場所に、おじちゃんが大好きだったチューリップを
植えようとしたんだよね?そんな優しい孝子ちゃんの気持ちを
おばあちゃんはどうしてわかってくれなかったのかな。
孝子ちゃんに酷いことしたんだから、当然の報いだよね?」
私がカメラに向かって問いかける。
「ちょっと待って、なんで防犯カメラなのに、音声が入ってるの?
こんなのでっち上げじゃない!」
そう私が声を荒げると、刑事は言った。
「盗聴器がしかけられてたんです。誰の指紋が出たと思いますか?」
刑事は意味ありげに私を見る。
「ま、まさか。私?」
刑事は首を黙って縦に振る。
在り得ない。
私は無意識のうちに盗聴器を取り付けたりしたのか。
「あなたのインターネットでの購入履歴も残っています
音があるときだけ、録音が起動するタイプのものを
購入されてますね。」
私は夢遊病ではなく、二重人格者だったということか。
私のもう一人の人格の恵美子は私の無意識の中で生き、
夫を殺し、義母の部屋につける盗聴器を購入し取り付け、義母を殺した。
「おばあちゃんは、すごく楽しそうに孝子ちゃんの悪口を
ご近所の人を呼んだり、電話でご近所の人に話してたよ。
本当に許せないよね。死んで当然だよ。よかったね、孝子ちゃん。」
私はただただ、呆然とするばかりだった。
「今朝、家宅捜索で庭からご主人の白骨化した遺体が確認されました。」
私は世界がぐるぐると回りはじめた。
これは夢よ。
夢なの。
早く起きなさい、孝子。




