だるまさんがころんだ
だぁるまさんが、こーろんだ。
僕が振り向くと、もうあの子は居なくなっていた。
夕暮れの中、僕は一人取り残され、寂しくなったのだ。
その日は、神社で蝉を取ったり、かくれんぼをしたりして
シンヤと遊んでいた。夕方になって、シンヤのお母さんが呼びに来た。
「ちぇ、習字、サボろうと思ってたのに。」
シンヤは習い事を嫌っていた。だけど、シンヤのお母さんは、シンヤに
いくつかの習い事をさせていた。スイミング、ピアノ。
その習い事が無い日だけ、僕と遊んでいて、今日も僕は
てっきり習い事が休みの日だと思っていたのだ。
もっと遊びたかった。近所にはシンヤしか遊び友達が居なかったのだ。
名残惜しそうにシンヤが何度も振り返りながらお母さんに連れられていってしまった。
僕はつまらなくなってしまった。どうせ家に帰っても誰も居ない。
僕のうちは両親が共働きで夕方遅くにならないと、帰ってこないのだ。
ゲームだって、テレビだって、一人では、あまり楽しくない。
でも、帰ろうかな。そう思った時、神社の大きなイチョウの木の下に、
いつの間にか僕と同い年くらいの女の子が立っていた。
近所では見かけない子だな。
「君、どこからきたの?」
僕は声をかけてみた。
女の子は黙って、方向を指差した。
よその町から来たのかな。
女の子が僕に近寄ってきた。
遠目にみても、とても綺麗な子だったけど、近くで見るともっとお人形さんみたいに
綺麗だった。クラスの女の子たちとは大違いだ。
「だるまさんがころんだ、しよう?」
その女の子は、僕にそう言った。
「だるまさんがころんだ?二人でやってもあまり楽しくないよ。」
僕は笑った。でも、その女の子は、だるまさんがころんだ、をやりたいと言ったのだ。
まあ、いっか。この子と遊べるだけでも楽しいし。明日シンヤに自慢しよう。
すごく可愛い女の子と遊んだって。羨ましがるぞ、あいつ。
「じゃあ、僕が最初、鬼やるね。
だぁるまさんがー、こぉろんだっ!」
僕が振り向くと、彼女は嬉しそうに体の動きを止め、僕をいたずらっぽく見た。
だんだん、彼女が近づいてくる。
「だぁるまさんが、こぉろんだっ!」
これって、僕が彼女の動く所を見たらどうなるんだ?助けにくるやつ、
居ないじゃん。僕は今更になって、このゲームが成り立たないことに気付く。
でも、彼女が嬉しそうだから、気付きながらも僕はもう一度言う。
「だぁるまさんが、こぉろんだっ!」
「アキラー。」
僕の声と、僕を呼ぶ声が重なった。
あ、お母さんの声だ。
僕が振り向くと、そこには女の子の姿は無かった。
どこに行ったのだろう?
その代わりに、お母さんが僕に近づいてきた。
「アキラ、ご飯できてるよ。帰ろう。」
お母さんが僕の手を握った。
「お母さん、今まで僕、女の子と遊んでたんだけど、見なかった?」
僕がそう言うと、一瞬お母さんの顔が引きつった。
「アキラ、あまりここで遊んじゃダメよ。」
僕がその母の言葉の意味を知るのは、それから数年後だった。
僕がその不思議な体験のことを思い出して、もう一度母に聞いたことがあるのだ。
母の話によると、母の友達が、母が小学生の頃、行方不明になったそうだ。
その友達のご家庭が複雑で、お母さんと、結婚していない旦那さん、内縁の夫と
その女の子の3人暮らしで、その子はいつも血のつながらないお父さんに
虐待を受けていた。家に帰ればお酒をたくさん飲んだおじさんが暴れるのだと
母に話していて、可哀想に思っていた。だから、彼女は神社で遅くまで、
空腹に耐えながら、寒さを境内でしのいでいたというのだ。
「もう少し我慢すればね、おじさん、寝ちゃうから。
寝たすきにこっそり家に帰るの。おじさんはね、私が嫌いだから、
顔を見ればぶつのよ。」
なんとも痛ましい話だ。
「お母さんもおじさんも嫌い。お母さんはおじさんが居ればいいの。
私なんて、要らない子なんだよ。」
そう言って涙ぐんでいたそうだ。
そんなある日、その女の子がぷっつりと学校に来なくなった。
行方不明になったというのだ。
内縁の夫は虐待をしていたので、警察から事情聴取されたり、
大いに周りは疑いの目で見ていたけど、結局女の子は本当に
行方不明になっていて、それ以来懸命の捜索にも関わらず、
二度と見つからなかったそうだ。
「あの子ね、時々変なことを言ってたの。
あの神社で友達ができたって。女の子の友達。
そんなに辛いのだったら、私の所へ来る?って
誘われてたんだって。それからすぐ、行方不明になったのよ。」
そうか、だから、あの時母は僕に、あそこであまり遊んじゃいけないって言ったんだ。
そんなことでさえ、母と過ごした僕の記憶は鮮明に残っている。
父は僕が高校2年の時に亡くなり、母はその後、女手ひとつで僕を大学にまで
進学させてくれて、僕の就職が決まるのを見届けて、つい1週間前に亡くなってしまった。
僕は本当の一人ぼっちになった。
僕にはもう、恩返しをする父も母も居ないのだ。
今日も空虚な気持ちのまま電車で会社まで通う。
僕は混む時間帯が嫌いなので、随分と早い電車に乗る。
最近、空虚な僕の生活に小さな変化があった。
それはいつも早い時間に同じ頃、電車に乗る女性が気になって来たこと。
彼女はとても綺麗だった。思わず目が何度も彼女を追ってしまう。
だからついに今日、彼女と目が合ってしまったのだ。
なんと、信じられないことに、彼女がにっこり微笑んで、ぺこりと
頭を下げて、挨拶をしてくれた。
僕は舞い上がってしまい、立ち上がってぺっこりと腰を折った。
そんな僕を見て、彼女が笑った。なんて素敵な笑顔。
僕はその日一日、浮かれてしまった。
「何だよ、お前、今日にやけて気持ち悪いぞ。」
同僚にそうからかわれてしまった。
それから数日後、また素敵な偶然が起こった。
僕は読書が趣味で、ハード本は高いから、なるべく図書館で借りるように
しているのだけど、僕が図書館に行くと、あの電車で出会う彼女にばったりと
出くわしたのだ。僕は、ここは声をかけるべきだろう、そう思い思い切って
声をかけてみた。
「こんにちは。いつも電車で、お見かけしますね。」
僕のこと、覚えてくれてるだろうか?僕はおっかなびっくりでさぞや不審者だろう。
「そうですね。私、混むのが苦手で。」
彼女はそう恥ずかしそうに笑う。
「実は僕もなんです。図書館には結構来られるんですか?」
「ええ、ハード本は高くて。とても手が出ませんから。ケチなんですよ、私。」
そう自虐的に笑う彼女に僕は恋をした。
何もかも、僕と価値観が似ている。
これはもう、運命だ。
僕はその日から、彼女へ猛アタックをした。
彼女の名前、携帯のアドレスを聞き出し、一緒に映画を見に行ったり、
食事に誘ったりした。
しかし、彼女がどうしても一つだけ教えてくれないことがあった。
それは彼女の住所だった。
まだまだ僕は警戒されているのだろうか。
僕は思い切って彼女に言ってみた。
「今日、僕の家に来ないか?」
すると、彼女は恥ずかしそうにOKしてくれた。
やった!ついに彼女を僕の家に招くことができた。
その日、僕は彼女を抱いた。
僕はもう決めていた。彼女の肩を抱きながら僕は言った。
「結婚しよう。僕は決していい加減な気持ちで君とこうなったのではないよ。
最初から、運命を感じていたんだ。」
すると、彼女は悲しそうに僕を見て、ゆっくりと首を横に振った。
「どうして?僕のことが、嫌い?」
また悲しそうに首を横に振る。
「じゃあ、何故・・・・。」
「私は、こちらの人間では無いから。」
彼女は不思議なことを口にした。
「こちらの人間ではない?どこか遠くに住んでいるの?
距離なんて、問題じゃないよ。」
僕がそう言うと、彼女は小さな声で呟いた。
「だるまさんが、ころんだ。」
僕は遠い記憶の中から、鮮やかにあのイチョウの木の下の女の子を呼び起こした。
「ま、まさか、君、あの時の・・・・・。」
彼女は頷いた。
「アキラさんは、こちらには来れないの。あの時、お母さんがアキラさんを
呼びに来たでしょう?それは、こちらに来るべき人じゃないからよ。」
彼女はそう言った。
「でも、ショウコちゃんは違った。お母さんもお父さんも嫌いだって。
お母さんもお父さんも、ショウコちゃんを迎えに来なかった。
ショウコちゃんは、私の所へ行きたいって何度も何度も言うから。
ショウコちゃんが幸せになるのなら。そう思ったの。」
それは母からいつか聞いた、行方不明の女の子のことだろう。
「君の居るところって、どんなところなの?」
僕はたずねた。
「こことは違う世界。迎えに来る人が居ない、孤独な人たちの
住む町よ。私もそうだったから。この町は、次元に漂っている、
蜃気楼みたいなもの。だから私も、蜃気楼なのかもしれない。」
彼女はそう答えた。
「僕にももう、迎えに来る人はいないんだ。」
「でも、お母さんが。」
「母は死んだよ。」
「そうだったんだ。」
「僕には、もう君しか居ないんだ。
これは、僕がそちらに行く、理由にはならないのかな?」
彼女は、大粒の涙をいくつもこぼして、僕の胸の中で泣いた。
「本当にいいの?」
「ああ。君さえいればいい。」
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「新藤君、今日も休みだね。」
「無断欠勤するようなやつじゃないのになあ。」
「どうやら、行方不明らしいよ。」
「え?マジで?なんで。」
「さあ~。何でもうちの課長が訪ねて行ったら、生活感はあるんだけど、
本人はもう何日も不在らしい。」
「失踪かな。何か悩みでもあったのかな。」
「そんな様子なかったけどなあ。むしろ、彼女ができて
幸せそうだったよ。」
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だぁるまさんがー、こぉろんだ!
あ、ゆきちゃん、動いた。
ほら、手を繋ぐよ。




