隠れる男
「ピンポーン」
玄関のチャイムが鳴った。
私は、訪問者を確認するため、インターホンのカメラを見る。
すると、そこには誰もいない。
やれやれ、悪戯か、そう思って応答ボタンを切ろうとした瞬間
画面の端にチラっと青い半そでシャツの腕が覗いたのだ。
なんで隠れてんのよ。怪しい奴。
どうせ胡散臭い商売の奴だ。
そう思い居留守を決めることにした。
しばらくすると、その青い半そでシャツの男は諦めてカメラに
うまく写らないよう去っていった。
まったく、世の中、胡散臭いやつが多すぎる。
田舎だから、大丈夫なんて考えは甘かった。
田舎だって泥棒は入る。
まさか、泥棒の下見で、留守の時を狙うつもりじゃないでしょうね?
しっかり金銭の管理をしておかなくては。
家には現金を置かないようにしよう。
しかし、あの青い半そでシャツ、どこかで見たことがあるような。
気のせいかしら。
女の一人暮らし、自分だけが頼りだ。
しっかりしないと。
2年前に主人が45の若さで、ガンで死んだ。
暮らしには困らない程度の貯蓄と、保険金がおりたので、
私は今、働いていない。
家のローンも子供も居なかったので、若い頃共働きをして、
すでに完済していた。
決して広い家ではないが、一人暮らすには広すぎる。
主人が死んでからは、ショックでなかなか立ち直れなかったけど、
家に塞ぎこんでいては、たぶん自分が壊れてしまう。
そろそろ、前向きに生きなきゃ。
気晴らしにパートにでも出てみようか。
最近ではそう考えることができるほどには、復活したのだ。
次の日の夕方、またチャイムが鳴った。
私は訪問者を確認するため、インターホンのカメラを見た。
また、あいつだ。青い半そでシャツの男。
またインターホンに写らないように、隠れている。何故?
あの青い半そでシャツ。
そうか、あれは生協の制服だ。
宅配。頼んだ覚えはないわ。
私はインターホンで応答した。
「はーい。どなた?」
「・・・・・・・・・・・・。」
無言だ。普通宅配なら、宅配と言うだろう。
「どなたですか?」
私は怖くなって声が少し震えた。
「・・・・・・・・・・・。」
やはり無言だ。
これは、開けてはいけない。
私の本能が、自分自身に訴えている。
私は静かに、男が去るのを待った。
全身が粟立ち、自分の呼吸の乱れを悟られないように、
じっと立ち去るのを待ち続けたのだ。
しばらくすると、男はまたカメラに写らないように去っていった。
何なの?何の嫌がらせなのよ。
私は、頭をフル回転して、恨まれるようなことが無かったかを
自分自身の中で、一生懸命記憶を手繰り寄せた。
ほとんどご近所付き合いもなく、揉め事もない。
全く見当がつかなかった。
誰なの?誰なのよ。
それから私はチャイムが鳴る度に飛び上がって驚いた。
新聞の勧誘や、宗教の勧誘だったら、心底ほっとした。
いつもなら門前払いする人たちとも、嬉々として話した。
安心したかった。
見えない恐怖に脅かされ、誰かと話したかった。
誰でも、誰でもよかった。
そして、そいつは、また訪れた。
月が妙に赤い夜だった。
チャイムに恐る恐る、インターホンを確認する。
青い半そでシャツ。
あの生協の制服。
また片腕だけしか写っていない。何故隠れるの?
「だ、誰なの?あなた!何でこんな嫌がらせするの?
用事があるんなら、さっさと言いなさいよ!」
私は耐え切れず、ヒステリックに叫んだ。
「・・・・返せ。」
男は一言、そう言った。
返せ?
お金かしら。そんなもの、借りた覚えもないわよ。
「どこかと、勘違いされてるんじゃないですか?うちは高橋ですけど?」
そうよ、この男は誰かと勘違いしている。
わからせてやらねば。
「・・・・・・・・・・・。」
また無言だ。
「どうして、いつもカメラから隠れているの?
怪しい人ね!警察を呼ぶわよ?」
私は、脅して帰ってもらおうとした。
「幸子」
私は自分の名前を呼ばれて、ぞっとした。
何で?私の名前を知っているの?誰なの。
「・・・・・・返せ。・・・・返せよ。俺の・・・・・体。」
私はその言葉を聞いて、急に意識が遠くなった。
目の前が真っ白になった。
あの、蒸し暑い日。
湯気の立つ、浴槽が赤く染まる。
閉じ込めていた記憶が一気に堰を切った。
「正也・・・。」
その頃の私はまだ若く、夫も若く、夫の単身赴任は
耐え難いほど寂しかった。
夫が居ない家で、来る日も来る日も、一人で眠り、一人で朝を迎える。
遠方への単身赴任のため、夫は年に2回しか帰ってこなかった。
寂しさゆえ、私は生協の宅配のお兄さんを誘ったのだ。
「ご苦労様。」
そう笑顔で迎え、その男性が来る日は、わざと
タンクトップにホットパンツ、と露出度の高い格好で出迎え、
私から誘惑したのだ。
その男の名前は正也。私より5つも年下だった。
私と正也は自宅で、ほとんど毎日逢瀬を重ねた。
毎回、体を重ねるだけの関係だったから、まさか
あんなことになるとは思わなかった。
主人が単身赴任を解かれるので、別れを切り出したのだ。
体だけの関係だから簡単に別れられると思っていた。
相手は5つも年下だし、こんな年増はあっさりと別れてくれる、
そう思っていたのだ。
ところが、正也は別れないと言った。
それどころか、別れるのなら主人に関係をバラす。
そう脅してきたのだ。
私は困り果てた。正也がこんなに本気になるとは思わなかったのだ。
正也は泣きながら私に訴えた。
「旦那と別れて、俺と結婚してくれ。」
殺すしかないと思った。
正也を自宅に誘い、関係を持ったあとに、お風呂を勧めた。
「先に入ってて。私もあとで行くから。」
そう言うと正也は嬉しそうに笑った。
ごめんね。正也。
死んで。
私は髪を洗っている正也の背後から包丁を背中に突きたてた。
驚いた正也は、痛みに苦しみながら、滑って転倒してしまった。
私はその正也の腹にまたがり、もう一度念入りに胸に包丁を突きたてた。
おびただしい量の血がバスルームに飛び散る。
動かなくなった正也をバスルームで解体した。
その頃、丁度ホームセンターでパートをしていたので、解体する道具は
いくらでも調達できた。
「高橋さん、DIYはじめたんですか?」
当時の同僚達に言われ、
「ええ、ちょっと手作りに目覚めちゃって。」
私はしれっと答えたのだ。
正也を解体するのに3日かかった。
女の力では、手足と頭を切断するのがやっとだった。
身元が割れそうな手と頭は今も、使っていない冷凍庫に密かに保管している。
私はすべてを思い出し、冷凍庫から頭と手を出してきた。
体と足と腕は別々の場所に埋めて来たから。
私が再度インターホンを覗くと、案の定、腕だけ覗いていた。
なるほど、隠れてたんじゃないんだね。
頭が無いから覗けないのか。ごめんね。
「これを取りに来たんでしょ?」
私はドアを薄く開け、手と頭を渡そうとした。
「・・・・違うな。俺が返して欲しいのは・・・・。」
そう言うと凄い速さで何かが侵入して、私の目の前が真っ赤になった。
それが私の最後の記憶になった。
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「お隣の玄関から、すごい量の血が流れてるんです。」
そう通報してきたのは、その一人暮らしの女性の家の
隣に住む住人からだった。
何度呼びかけても応答が無いので、やむを得ずドアを打ち壊して
中に入ってみると、玄関とその周りの廊下中が血の海になっているが、
死体らしきものは見当たらない。
廊下を転々と血が滴っており、その先に大きな業務用冷凍庫があった。
捜査員がその冷凍庫を開くと、変わり果てた女性の体から、首と手が、
切り取られており、そのかわりに、凍った男の顔と手が挿げ替えてあった。
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オマエノカラダヲモッテカエシテモラッタ。
了