シアエガの家
最悪だ。この世の終わりだ。
私は、今、目の前の光景を信じられない面持ちで見ている。
ーとうとう、私の家も侵食されたー
20××年。何世紀もの間、眠り続けていた暗黒神、シアエガがついに目覚めた。
それは暗黒の地底からやってきた。その姿は、無数の黒い触手の塊で、その真ん中に、真っ赤な一つ目というおぞましいものだ。
私は以前より、大師からその存在を知らされてはいたが、よもや、私の生きているうちに、しかも、この街にシアエガが出現するとは思わなかったのだ。
きっとシアエガは、少しずつ目覚めていたに違いない。
この地に根を下ろし、密かに息を殺して、期をうかがっていたのだ。
私の使命は、シアエガから家族を守ること。
そして、大師と同士とともに、この地球を守ることだ。
今、目の前のシアエガは、とうとう私の家に現れ、その触手を佳代子に伸ばしている。
佳代子は寝床に横たわり、玉のような汗をかき、喘いでいる。
許さない!私は、佳代子を守る。この家族を守るのだ。
今、この手にある、聖水をかけんとシアエガと対峙している。
「邪神退散!」
私は叫ぶと佳代子に聖水を振り掛けた。
佳代子の声を借りて、シアエガは不気味に咆哮した。
「ぎぃやああああああああ!」
**************
私に、悪霊の影が見えるようになったのは、公園で、雅史、和人、そして、一番幼い裕也を遊ばせている時だった。雅史、和人は小学生のやんちゃ盛りで、公園を走り回って遊んでいた。
私も体力の許す限り、一緒に遊んでいたが、寄る年波には勝てず、ベンチで一休みしていた時のことだった。
裕也が、おびえた顔で、私に近づいてきたのだ。
「どうしたんだい?裕也。」
私が訪ねると、裕也は、公園の隅の小さな祠を指差して言ったのだ。
「あそこから、こわいおばちゃんがこっちをにらんでるの。」
そう言って、私の服の袖をぎゅっとつかんできたのだ。
裕也は、幼い頃から霊感の強い子であった。
私は、裕也を守るため、大師の元を訪ねた。
以前より、神通力を持つと、この界隈で有名な大師は、私を快く迎えてくれた。
私は、裕也を守るため、まずは霊を見る力を授かりたいと大師に願った。
すると、大師は、ある薬草を私に手渡した。
「これを毎日、煎じて飲むのです。そうすれば、あなたは霊が見えるようになり、私の元で修行をすれば、神通力を私より得ることができます。」
それ以来、私は大師より渡された薬草を毎日煎じて飲み、毎日、道場に通い、修行をしてきたのだ。
すると、私にも霊の影が見えるようになってきた。まだ修行が足りないのか、霊の影なら見ることができたのだが霊そのものは見えない。
そして、私は、霊感が強くてすぐに霊に取り憑かれてしまう裕也を守った。
雅史や和人にも悪い霊がとり憑くことがあったが、あの子達は平気だった。
よほど強い加護がついているのだろう。
でも裕也は違う。裕也は、しょっちゅう霊を見たと言って、私にしがみついてきた。
裕也は私が守るのだ。そのたびに、裕也の部屋に結界を張ったり、聖水をかけたり、塩をまいたりした。
そして、ここ近年、この近所で悪霊の影をあちらこちらで見かけるようになった。
そして、ついに悪霊は私の家の家族にも悪さをしはじめた。
最初は、隆だった。
隆は長年勤めた会社をクビになってしまった。
それからふさぎがちになり、ついに病に倒れ、寝込んでしまった。
顔色は悪く、土気色だ。隆の体にも悪霊の影はぴったりとくっついていたので、私は悪霊を祓った。
そして、隆の次は、雅史と和人。私はまた、果敢に立ち向かった。
聖水をかけ、塩をまき、結界を張り、あともう少しというところで、逃げられてしまったのだ。
雅史と和人をさらって逃げてしまった。私の力不足に、私は何日も泣いた。
いまだに二人は行方不明だ。
そして、裕也。あまりに霊媒体質のため、ついに学校に通えなくなってしまったのだ。
私は裕也を守るため、常に裕也の部屋に結界を張り、お清めをする。
もちろん家全体にも結界を張っていた。
にもかかわらず、とうとう悪霊は家の中にまではびこってきた。
これはもう、シアエガの力が強くなってきているに違いなかった。
聖水で清めた佳代子はしばらく、別の場所に居るようだ。
シアエガがはびこってきたので、もうここは安全ではない。
裕也は大丈夫だろうか。
私は胸騒ぎがした。
すると、裕也が結界を張った部屋から出てきて、私の目の前に立った。
「裕也?だめじゃない。結界の中にいないと。」
「クソババア!」
そう裕也が叫ぶと、私の顔を拳骨で打ち据えた。
「死ね!死ね死ね死ね!」
そう言うと、嵐のように暴力を振るい、おなかを踏みつけてきた。
しまった!結界が壊れたか!シアエガの力が強大になりすぎて、裕也を支配してしまった。
「ごめん・・・裕也。ごめんね。」
私は荒れ狂うシアエガによって支配された裕也に詫びた。
裕也、おばあちゃんはお前をついに、守れなかった。ごめんよ。
****************
最悪だ。この世の終わりだ。
俺は、今、目の前の光景を信じられない面持ちで見ている。
血まみれになったばあちゃん。
これは紛れも無く、俺のやった所業だ。
「ばあちゃん・・・。」
小さく呟いてみるが返事は無い。
口からはおびただしい血が流れている。たぶん内臓が破裂している。
鼻に手をかざす。息をしていない。
震える手で、スマホを操作して、父親の携帯に電話する。
やはり出ないか。仕事中は、出られないよな。
俺は、押入れから掛け布団を出すと、祖母の遺体に被せた。
そして、母の入院している病院へ向かった。
「あら、裕也、どうしたの?」
母が痛々しい包帯だらけの顔をこちらに向けた。
「・・・殺した。」
消え入りそうな声で俺は呟いた。
「え?なに?」
「俺、ばあちゃんを殺した。」
包帯の間から出ている母親の顔が青くなり、目がみるみる見開かれた。
「ど、どういうこと?」
母が声を潜めた。
「母さんをこんな目に合わせたばあちゃんが許せなかったんだ。だから・・・。
********
俺は大のおばあちゃんっ子だった。
ばあちゃんはいつも優しくて、俺達男兄弟3人をいつも可愛がってくれた。
俺は末っ子で甘ったれでいつもばあちゃんにべったりだった。
きっかけはそんな大好きなばあちゃんを独り占めしたいという、幼稚な考えだった。
公園で兄の雅史や和人とばかり遊んでいるのを嫉妬したのだ。
「おばあちゃん、あそこからこわいおばちゃんがにらんでるの。」
そう言ってばあちゃんの袖を掴んだ。
そうすると、おばあちゃんはとても心配そうに俺を抱きしめてくれたのだ。
俺はそれが心地よくて、しょっちゅう嘘をついておばあちゃんに抱きしめてもらった。
それがこんな事態を招くなんて夢にも思わなかったのだ。
ばあちゃんはどうやら、俺を霊感の強い子だと勘違いしたらしく、とある宗教に入信してしまった。
それもこれも、俺を救うためだ。俺は子供心に嘘をついて悪いと思った。
だけど、今更嘘だとは言えない。
それからというもの、ばあちゃんは事あるごとに、俺に悪霊がついていると言っていろんな除霊を施した。
聖水だったり、塩だったり、をまいたり、結界を張って、俺を真ん中に座らせたりした。
最初のうちは、面白半分で付き合っていたけど、そのうちにだんだんとばあちゃんの行動はエスカレートした。
もちろん、俺だけではなく、兄達や父や母にも、除霊と称していろんなことをした。
正直、家族はウンザリしていた。ばあちゃんが言うには、シアエガという邪神が復活するから結界を張ると言っては、家の周りに聖水をまき、塩をまき、おかしな呪文を唱えながらぐるぐる回るのだ。
それは奇行にしか見えず、近所からは変な目で見られた。
「おかあさん、やめてください。」
よく母がそうばあちゃんをたしなめた。だがまったく聞く耳は持たなかった。
俺が中学一年生の時に、放課後、友人三人とこっくりさんをした。
その時の一人がこっくりさんに取り憑かれてしまったのだ。
10円玉が物凄い速さで盤上を回りだし、「〇〇をころす」と言ったのだ。
その友人は泣きながら俺に助けを求めた。お前のばあちゃんなら、除霊してくれるんだろうと。
俺達3人は、ばあちゃんに頼んでその友人を除霊してもらうことにした。
奇声を発しながら、ばあちゃんはその友人の周りをグルグルと回り、塩をかけ、聖水をかけた。
家に帰るまでそのままの姿で居るようにとばあちゃんに言われ、友人はその通りにした。
ところが、その日の夕方、その友人の母親がうちに怒鳴り込んできた。
「うちの息子に何をしたんですか!うちの息子まで、あなたがたの宗教もどきに巻き込まないでくれます?」
そう癇癪を起こした。
「あの女には悪霊がついている」
ばあちゃんは、そう言ったが、さすがに俺も怒るのは当たり前で、悪霊などついてはいないと思った。
ばあちゃんは何でも悪い事は悪霊のせいにするのだ。
ばあちゃんは悪霊の影が見えると言ってはばからなかった。
あくる日、こっくりさんは、実は俺が10円玉を動かしてたんだと、もう一人の友人が笑いながら言った。
「お前のばあちゃん、ここがおかしいのか?」
その日から、俺に対するイジメがはじまった。
頭がおかしい婆さんの孫。理由はそんなところだ。
くだらないゲームのようなものだ。俺は、自然と学校には行かなくなり、引きこもった。
兄達は、高校を卒業するとすぐに家を出た。お祓いと称して、塩や聖水をしょっちゅうかけられたからだ。
ばあちゃんの奇行に堪えられなかったのだ。
ばあちゃんは、兄達が悪霊にさらわれたと思っている。
家族はヘトヘトに疲弊していた。ばあちゃんはボケているようではなかった。
ただ、あの宗教がばあちゃんを変えてしまった。
そして、ついに我が家にとって最悪の事件が起きた。
ばあちゃんは、邪神シアエガが眠りから覚めて、母を襲っていると言って、母の顔に熱湯をかけたのだ。
「沸騰した聖水でなければ、シアエガには効果がないのよ!」
父に取り押さえられた、ばあちゃんの目はもう人ではなかった。
俺は許せなかった。
母をあんな酷い目に合わせたばあちゃんが。
****************
ばあちゃんの布団の周りに、父と母と俺が立ちすくんでいる。
「どうしよう。」
母は目から涙を流し続けている。
俺は少年院送りか・・・。うなだれていると、父が信じられない言葉を口にする。
「隠そう。」
俺と母は父の顔を見た。
「うちの会社に粉砕機がある。」
母は、信じられない面持ちで口を覆う。手が震えている。
「そんな・・・あなた!」
「じゃあ、お前は、裕也を犯罪者にしたいのか?」
「・・・」
「母さんにはうんざりしていたんだ。母さんのおかげでうちはめちゃくちゃになった。あんな宗教に入らなければ。母さんのいつも飲んでいた宗教団体から渡された薬草ってのが、幻覚作用があるともっぱらの噂だ。母さんはあの得体の知れない新興宗教団体に、幻覚を見る薬草を渡されて騙されてたのさ。」
その時、急に電気がバチンと落ちた。
「・・・停電?」と母。
「いや、よそのお宅は電気がついている。ブレーカーが落ちたんだろう。見てくる。」
父はそう言うと懐中電灯を片手に、ブレーカーのある玄関に向かった。
ニチャリ・・・。
暗闇から音がする。
「何?」と母。
ニチャリ グチャ・・・グチャグチャ
何の音だろう。
ズルッ、ズルッ。
いずれにしても粘着質な音が暗闇に響く。
その時、ぱっと電気がついた。
「やっぱりブレーカーだった。」
父が帰ってきて、ふと足元を見ると違和感を感じた。
祖母が横たわっているはずの布団が妙に平べったいのだ。
俺は、勇気を出して、布団をめくりあげた。
「あれ?ばあちゃんの死体が無い。」
そこには、血溜まりがあるのみで、死体はきれいに消えてしまっていたのだ。
確かに全員で、ばあちゃんの死体を確認したはずだ。
忽然と、ばあちゃんの死体が消えたのだ。
「嘘でしょう?おかあさんの死体、どこにいっちゃったの?」
ニチャリ。
またあの音だ。
俺達は音のするほうに顔を向けた。
押入れがうっすらと開いている。
押入れはしまっていたはずだ。
ニチャリ、グチャリ。
何かを咀嚼するような音。
目を凝らすと、そこからばあちゃんのものと思われる足が飛び出していた。
俺は鳥肌がたった。
なんで?
父は勇気を出して、家長らしく、押入れに向かい、一気に引き開けた。
そこには無数の触手にからまった、ばあちゃんの死体が、バラバラになっていた。
「ひぃっ!」
父が、あまりの光景にしりもちをついた。
すると、その触手の中心の真っ赤な目がかっと開いたのだ。
************
「大師様、いかがなされましたか?」
大師に給仕をしていた女が、大師が紅茶を飲む手を止めたので、たずねた。
「贄が四体、捧げられたようです。」
そう笑う大師の口元は、窓から見える漆黒の夜空を切り裂く下弦の月に似ていた。