換気扇
「お母さん、ごめんなさい。ごめんなさい。開けてー。開けてー。」
お風呂に入っていると、また換気扇から悲痛な子供の泣き叫ぶ声が聞こえる。
このアパートの構造上、どうやら各家庭の換気扇ダクトが繋がっているらしく、
結構、よそのお風呂場の音が筒抜けなのだ。
あとお風呂場でタバコを吸う人間も居るようで、せっかくのバスタイムに
タバコの臭いが入ってきていやな気分になるので、すぐに換気扇を回して追い出す。
どこかで虐待が行われているようだ。
あまり付き合いもないし、どこにどんな子供が住んでいるのかもわからない。
ほぼ毎日のように、時間帯に関係なく聞こえてくる。
かわいそうだが、どこの子供が虐待にあっているのかわからずに、いつも
無力な自分にもやもやしてしまうのだ。
通報しようにもどこのご家庭かわからない。
きっとお隣には聞こえてるはず。お隣の人は手を拱いて聞いてるだけなのかしら。
私は見えないお隣さんに苛立ちを感じた。
でも、この近所に住んでる子供と時々出会うけど、暴力を受けている感じの子は居ないなぁ。
暴力はせずに閉じ込めるだけなのかな。それなら私も、小さい頃わがままを言って
押入れに閉じ込められたり、外に追い出されたりしたことはあったな。
躾の範囲内なのだろうか。それにしても毎日というのはどうなんだろう。
みんなそういう漠然とした、踏み込んでいいのか悪いのかのラインでモヤモヤしてるんだろうか。
ある夜、その日も相変わらず子供の泣き叫ぶ声はしていた。
「お母さん、許して。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめ・・・ごぼぼごぼ。ブクブクごぼ。
おえぇぇぇ。ごめ・・・・・ごぼぼぼぼ。」
私の心臓は早鐘のように鳴った。
これは尋常じゃない。このままではこの子は殺されてしまう。
私はすぐにお風呂から飛び出し、ろくろく体も拭かずに服を着て外に飛び出した。
そして、同じ階の呼び鈴を片っ端から鳴らした。
「すみませーん、お宅に小さいお子さんいらっしゃいます?お風呂で溺れてる声が
換気扇ダクトから聞こえるんです!」
どこの家庭も知らないという。
よく聞くと、その階は老夫婦二人暮らし、中学生の男の子がいるご家庭、
もう二軒は夫婦二人暮らし、全部でこの階は5世帯なので
小さい子が居るご家庭は無いということなのだ。
でも、毎日聞こえる、あの虐待されてる小さい子供の声は?
最後に一番端に住む老夫婦の家を訪ねた。
私が事情を話すと、老女は言いにくそうに私に話した。
「実は、お宅が住んでいるあの部屋、以前若いお母さんが
小さいお子さんを虐待していて。その・・・ある日
逆上したお母さんが、ついに子供を湯船に沈めてしまったんです。
私はあの部屋はもう貸さないものだと思ってたから。
あなたがお引越しされて来た時は驚いちゃって。
不動産屋さん、何も言わなかったんですねえ。」
私は全身が粟立った。
それじゃあ私が聞いていた、あの声は・・・・。
私はその日からお風呂に入るのが怖くなった。
ここを引っ越さなくては。
でも、まだ契約が・・・・。
何日間かお風呂に入ることができず、でももう限界になってしまったので
私はシャワーだけ浴びて早々に出るつもりで浴室を開けた。
シャワーの栓をひねってしばらくすると、換気扇がまわしてもいないのに
くるくると回りだした。今までにないような、異様に早い回転で回りはじめ
しまいには換気扇の蓋をゴトゴトと揺らすほどになった。
私はすぐに異常を感じ外に飛び出ようとした。
すると換気扇の蓋が落ちて、中から真っ白い手が出てきた。
「キャーーーーーー!」
私は全身全霊で叫んだ。
「どうして助けてくれなかったの?」
真っ白な顔の女の子の首が覗いていた。
私は服を着て、財布を持ち、電車に飛び乗った。
私は今、実家で暮らしている。
取るものもとらず着の身着のままで飛び出してきたので、今私の部屋が
どうなっているのかはわからない。
契約の時に何も言わずにいたことを不動産屋に突きつけると
契約期間はまだあるけど、敷金礼金も返してくれて解約してくれるとのことだ。
私はまだ、あの真っ白な顔の女の子が忘れられずに
実家の換気扇ですら怖くて仕方が無いのだ。
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