青い春、行き先いずこ、迷い道
むしゃくしゃしてたので、きぶんてんかんでかいた。
いつもと変わらない放課後の教室。
「うぅ、また駄目だった」
幼馴染が目の前で肩を落としている。
「またなのか?」
顔が緩まぬように注意しながら、声を掛けた。それに反応してか、ずっと隣で育ってきた顔はどんよりとした眼差しをこちらに向ける。口を尖らせた。
「悪かったわね、またよ、また! ……うぅ、どーして、私が気になるって思った人って、彼女がいるんだろう」
そう言ってから、がっくりと項垂れた。
その姿を可哀想だと思うが、同時に安堵を覚える。まだ、幼馴染は誰の物でもないと。
途端に、ここ数日の間、落ち着かなかった心が軽くなり、重かった口も自然と軽くなる。
「おまえ、本当に、見る目があるのかないのか、判断し辛いところだな」
「……くっ。あんた、傷心の私を慰めようって気持ちはないの?」
「慰めようにも、こう何回もあるとなぁ」
「うっ」
「ま、今の調子じゃ、高校の間に彼氏なんて、無理だろうな」
「むぐぐ、こ、今度こそ! 今度こそ! 私に見合う人を見つけてやるから!」
こちらの言葉に発奮したのか、落ち込んだ顔が一転して燃えている。幼馴染らしい、良い表情。励ましたつもりはなかったのだが、結果的に励みになったようだ。
けれど、この事実に、胸が締め付けられるような切なさを覚える。
これが何から来るものなのかはわからない。
もしかすると、一般に恋と呼ばれるものなのかもしれないし、馴染みを取られたくない独占欲かもしれない。あるいは、関係が変化することを良しとしない感傷であったり、成長することを認められない幼心であったり、一人置いていかれるような不安であったりするかもしれない。
正直に言って、この気持ちが何から来るのか、わからない。
ただ、この心詰まる感覚は間違いなく本物であると、それだけはわかる。
少しぼうっとして、生気に満ちる幼馴染を見ていると、廊下から声が聞こえてきた。幼馴染を呼ぶ声。同じ部活の友人だったはずだ。
「ほら、呼んでるぞ」
「な! ま、まだ愚痴が消化不良なのに……」
「とりあえず、部活に集中したらどうだ? 明日から合宿なんだろ?」
幼馴染は睨みつけるようにこちらを見て、家に帰ったら覚えてなさい、と一言残すと、教室を出て行った。甘痒さと胸の締め付けだけが残った。
友人の横に並ぶと歩き出す。教室に置いてきた幼馴染の様子が気になるが、部活がある以上は仕方がない。部室に向かってしばらく歩いた所で、友人が話し出す。
「ね、今の人って、いつも話に出ている幼馴染の人だよね?」
「そっ。生まれた頃からの付き合いで、幼小中高って、ずっと一緒」
「へぇ、そういうのって、本当にあるんだ」
「それがあるのよ。ま、腐れ縁って奴ね」
そう、ずっと一緒だった。他の誰かに目をやる必要がない程に。
「ふーん、結構、話したりするの?」
「してる方っていうか、さっきみたいに普通に毎日してるわ。家族ぐるみで付き合いがあるから」
「えー、いいなぁ、そうやって気軽に話ができる男の人がいて」
「そう?」
口と顔では、別に大したことではないよ、と言いながらも、内心で少しだけ優越感に浸る。隣にいることが当たり前の存在がいることに……。
本当に、いつからだろう。
幼馴染を気にし出したのは。
高校に入ってから?
……とっくの昔だ。
惚れた腫れたが重大事の中学?
……それよりも前だ。
遊ぶことが一番の小学校?
……既にべったりだった。
物心つき始めたばかりの幼稚園?
……後ろをついて回っていたはず。
「あ。あれって、妹さんじゃない?」
「え? あ、ほんとだ。こんなとこで、どうしたんだろ」
ああ、思い出した。
言葉を覚え始めた妹が、幼馴染をにぃにぃと呼び始めた頃だ。
こちらに向かって歩いてくる、一つ下の妹。
仲の良い姉妹だと思う。けど、それ以上に、幼馴染との仲が、本当の兄妹のように見える時がある。
その妹が、今、友人に軽く会釈をした後、口を開いた。
「お姉。兄さんは教室ですか?」
「ん、あいつなら、まだ教室にいるんじゃない。……でも、どうしたの? 用事?」
「ええ、実は今日、おじさんとおばさんが遅いそうなので、晩御飯をと思いまして」
「ふーん、そうなんだ」
「はい。あ、お姉、早く行かないと、部活が始まるんじゃ」
妹が大切にしている腕時計を見て、急かす。中学卒業と高校入学の祝いとして、幼馴染からプレゼントされた物だ。しかも、その為に、バイトまでしている。
……はっきり言って、羨ましい。
「あ、ほんとだ! ほら、いそごっ!」
「あ、うん」
忙しい顔の友人に促され、走り出す。
「でも、本当に、家族ぐるみの付き合いなんだね。……よしっ! 合宿での話題は、それにしよう、うん!」
「え? いや、別に面白い話なんてないからね?」
背中に妹の視線を感じながら、友人に抗議する。そういった話はまだ早い。心苦しく思いながらも嘘を重ねて、ようやく幼馴染がこちらを意識するようになった所なのだから。
走り去るお姉とその友人を見送る。
はっきり言って、お姉はばかだと思う。
お兄に自分の事を意識させる為とはいえ、他の誰かを見ている事にするなど、ほんとうに愚かだ。
なぜ、お兄の気持ちを考えないのか?
なぜ、お兄の心を傷つけるのか?
お兄にとって、一番近い存在は、間違いなく、お姉だったのに……。
お姉はばかだ。
お兄の気持ちは昔から、お姉に向いていた。
一番近くで二人を見ていたからこそ、わかる。
そう、お姉はただ、真正面からぶつかれば、こちらに付け入る隙なんて、できなかった。
あんな嘘を重ねて、お兄の心を惑わせるよりも、既成事実を積み重ねて、外堀を埋めていけばよかったのだ。
……本当に、ばかだと思う。
今、お兄の心は、これまでになく、揺らいでいる。
ちょっとした刺激を与えれば、見つめる方向が変わりかねない程に……。
「……お姉」
おじさんとおばさんは、明日から旅行に出かける。
お姉が合宿でいないから、わたしに、お兄の世話を任せて。
これは、天と時に与えられた、最後の好機なのだろう。
だからこそ、これを逃さない。
「お兄は、わたしがもらいます」
見えなくなった背中に、小さく宣言する。窓に映った自分の顔は小さく微笑んでいた。
じゅんあいである。