序章
序章 魔女の死
戦場が、そこには有った。
周囲に散らばる無数の破片、その全ては、たった一人が造り上げた物だ。
魔女。魔都の主にして統治者、悪魔と契約することで魔法を創り出せるようになった者である。
無数の破壊の力を使い、彼女は自らに襲い掛かるモノを破壊した。
だというのに、いま彼女は死に掛けていた。
胸を手刀に貫かれている。魔女として最も大事な物である心臓を鷲掴みにされていた。
「やってくれる、悪魔が」
胸元を鮮血で染めながら、なお彼女の声は美しかった。
真紅のドレスに身を包んだ、いまだ年若く見える女だった。腰まで伸びる黒髪は輝かんばかりの艶を持ち、その肌は絹を思わせる白さと肌理の細かさを誇り、琥珀色の瞳は絶対の窮地にあるというのに未だ意志の強さを感じさせた。そんな彼女へ、讃える声が贈られる。
「さすがだ、ヘカテの名を継ぎし魔女よ。死を前にして我を罵ることの出来る胆力は賞賛に値する」
「スカーレットと呼びな、チンピラ悪魔が。アタシは魔女を継承はしてやったが、名前まで押し付けられたつもりは無いんだよ。その名前は先代の、先代だけのもんだ」
魔女、スカーレットは、自らの心臓を抉り出そうとする腕を自身の意思と連動して動く魔法により創り上げた仮想力場により食い止めながら、自らの胸を貫く者ではなく、いま声を掛けてきた、自分達から離れた安全圏に居る者にこそ憎悪の視線を向けていた。
それは白のローブを身に着けた褐色肌の男だった。左腕が無い男である。純白の髪と紅き瞳を持ち顔立ちは整っている。だが、酷く虚無的な印象を受ける男だった。それは人間などではなかった。スカーレットの言葉通り、悪魔である。悪魔は、なおも言葉を続ける。
「失礼した、魔女よ。先代の名で呼ばれることは矜持が許さぬか」
「はぁ? とんちきな事を言ってんじゃないよ。アタシはアタシってだけのことさ。誰かの続きだの成すべき命題だのに縛られんのは真っ平ごめんだってんだよ。意味や目的が無けりゃ生き続けられないほどお上品じゃないんでね、アタシは」
「なるほど、だからこそ生き飽きた先代魔女の全てを継承しながらも死に取り憑かれること無く未だあり続けていた訳か。もっとも、それもすぐに終わるが。いい加減、諦めよ」
刺し貫かれた胸元から血を止め処なく滴らせるスカーレットへと向かって、悪魔はむしろ優しげとさえ取れる声でそう告げる。
「身体機能を魔法によって補い続けるのにも限界はあるだろう。このまま抗い続けても死は免れぬ。ただ、死へと続く苦しみが増すだけだ。言っておくが、心臓を掴んでいる腕を破壊することは叶わぬ。魔力の発生源である心臓へは、その腕を介して私が干渉し続けている。術として起動し法として顕現するために必要な式は、魔力に融け込む前に私が解くことが出来る。分かるな? つまりは、今の状況を覆せるだけの魔法は使えぬということだ」
「うっさいよ、分かりきったこと言ってんじゃないよ」
毒吐きながらも、スカーレットのいま置かれている状況は余裕のあるものではない。魔法を使うために必要な力である魔力の発生源である心臓を鷲掴みにしている手によって、魔法を起動させる為に必要な設計図たる式は心臓内の魔力に届くことなく阻まれている。そのうえ心臓自体も鼓動を打つことを阻まれている今、血によって全身へと運ばれる新たな魔力は供給されることは無い。心臓を鷲掴みにされる瞬間に辛うじて起動した二つの魔法、胸に食い込んだ腕を固定している仮想力場と身体機能の維持を保つ魔法によってなんとか生きてはいるが、このままでは魔力も尽き殺されてしまうのは時間の問題だった。そうだというのに、スカーレットは笑いながら更に毒吐く。
「しっかしよくやるよ。この腕、お前の腕なんだろ。腕一つを犠牲にして、自分は安全な場所に居て他人に殺らせるたぁ、腐ってるね、お前」
自身の胸元を貫く腕に視線を向けながらスカーレットは悪態を吐くと、今度は周囲に散らばる自身が破壊した破片へと視線を向け更に毒吐く。
「どこから集めたんだか、あんなの。下手すりゃ、神殺戦争の時の生き残りだろ、あいつら」
スカーレットの視線の先、そこには無数の異形が存在した。
ダイヤモンド以上の硬度と鋼鉄以上の柔軟性を持った窒化炭素の牙を具えた怪物、凶獣と呼ばれる者達の中にあって最強種である、爬虫類を思わせる凶龍種の巨大な頭が、ある物は炭化し、ある物は首から切断され、そして凍結させられ砕かれ未だ冷気を放つ物さえある。それのみならず、未だビクビクと跳ねる切り裂かれた無数の触手は、人を襲うことさえある自在に動くことのできる植物、凶樹のうちで最強種である妖樹種の枝である。
その全ては、今スカーレットの心臓を鷲掴みにしている相手の身体の一部であった物だ。
「まったく、次から次へとビックリ箱じゃあるまいに……これだけの無茶をさせるのに、どれだけの代償を払わせたんだい」
スカーレットは自身を貫く者を見詰めそう呟く。それに悪魔が言葉を返した。
「ほぅ、これは意外だ。自らを殺そうとしている者を哀れむか魔女よ。それほどに慈しみの心を持っているとは思わなかった」
「バカにすんじゃないよ。単なる疑問だよ。こんなことして、こいつにどんなメリットがあるのかって思っただけさ」
その言葉の響きは先ほどまでとは変わらずとも、聞く者が聞けば分かる哀れみが滲んでいた。だからこそ、悪魔は告げる。
「馬鹿な女だ、魔女である者よ。我らを最初に眼にした時に、広域殲滅型の魔法を使えば良かったのだ。そうすれば、こうはならなかっただろう。より大きな破壊と死を嫌ったな、女よ。お前の敗因は唯一つだ。魔女でありながら人間であった、それが貴様の敗因だ」
その言葉に、魔女は大きく笑った。
「嬉しいね、褒めすぎだろ、お前。つか馬鹿か? 自分の住んでいる場所で広域殲滅型の魔法を使うヤツがどこに居んだい。自分の家に潜り込んだネズミは叩き潰せば済むもんだよ」
「……死を前にして錯乱しているのか? 魔女よ」
「はんっ、どうしたい、警戒してんのかい? 女じゃなくて魔女って呼び方が戻ってるよ。あぁあぁ、それは正しいさ、クソッタレな悪魔野郎。でも、もう手遅れだけどね」
その言葉が終わるよりも早く、それは悪魔へと襲い掛かっていた。蛇のようにうねり疾風のような速さで悪魔に巻きつき動きを固定する。それは、魔女が切り飛ばし先ほどまで床で跳ねていた妖樹種の枝であった。筒状炭素結合体によって構成されている妖樹種の枝の強度は鋼鉄などをはるかに超える。自らを潰さんばかりに巻きついてくるそれに動きを封じられながら、けれど悪魔は淡々とした口調で疑問の声を上げる。
「……どういうことだ? どうやって魔法を使っている、魔女よ。貴様の心臓は我が左腕を介して封じている。どんな埒外の技を使っている?」
「手品の種明かしを求めてんじゃないよ。まぁ好いさ、教えてやるよ。別に大したことじゃない。確かに今お前に心臓を封じられているせいで心臓を介して魔法を使えないし、心臓から血を介して新しい魔力がアタシの身体に巡ることは無いよ。だったら簡単だ、心臓以外で、今ある魔力だけを使って魔法を使えば良いってことさ。その為の媒体は、たっぷりと溢れさせてくれたからねぇ、お前らが」
それは、今も流れ続けているスカーレットの血である。魔力の発生源である心臓を封じられたスカーレットは、自らの血に宿る魔力に干渉し魔法を発動したのだ。だがそれは、
「悪足掻きだな、魔女よ」
悪魔の言葉通り、悪足掻きでしかなかった。
「無駄に命を縮めるだけだ、魔女よ。心臓を抉り出されることを止めている魔法、そして止まった心臓に代わって身体の機能を保させている魔法、それらを維持している残された魔力を削るだけだ。同じ魔法を使うのならば、誰かこの場の助けになる者を呼ぶ魔法でも使うべきだったな。それをしなかったのは、まさかとは思うが自分以外の誰かを巻き込むことを恐れたのでは無いだろうな、魔女よ」
つまらなそうに、悪魔は尋ねる。その問い掛けに対する答えは、笑みと共に告げられた。
「バ~カ」
血を失い更にその肌の色を白くしながらも、なおスカーレットは強笑を浮かべる。それは酷く傲慢で、そして艶やかな笑みだった。
「こいつは意地だよ。最強の魔女なんて言われてるこのアタシが、たかだかネズミ二匹相手に他人の手を借りれるもんかい。要らないんだよ、そんなもん。きっちりアタシ一人で、片を付けてやるよ」
「そうか……」
スカーレットの言葉に、悪魔は溜息をつくように呟く。そして、
「やはり貴様は人間だ、女よ。無駄が多すぎる。そんなことでは、魔女ですらない。死んでしまえ」
落胆の声と共に、自らの左腕に込める力を更に強めた。心臓を掴み出そうとする力が更に高まる。襲い掛かる激痛と刈り取られそうになる意識、その全てを笑いながら飲み込み、スカーレットは高らかに啖呵を切る。
「舐めんじゃないよ悪魔風情が。まさかこれで終わりだとか思ってんのかい? 本命は、これからさ」
その言葉と共に、床に滴り落ち血溜りとなっていた血液が一気に床を疾る。瞬時にそれらは枝分かれをすると首だけとなった凶龍種の傷口へと潜り込み、次いで赤黒い何かを傷口から一気に溢れ出させた。噴出するソレは凶龍種の首を高く高く持ち上げさせる。それはまるで、切り落とされた頭の傷口から新たな首が生えてきているかのような光景だった。その光景に、悪魔は興味深げに声を上げる。
「死体流用魔法か」
「ああ、そうさ。キモいとか言うんじゃないよ、そっちが使っている魔法だって、同じ様なもんだろ」
スカーレットは、自らの血とそれに融け込んでいる自身の魔力を使い起動させた魔法、死体に干渉し自らの道具として使用する魔法である死体流用魔法を使い、自らの敵へと渾身の一撃を放つべく凶龍種たちの頭を悪魔へと一斉に向けた。
人など容易く噛み潰せる牙を覗かせ、その凶悪な口を開く。そして光がその口腔へと灯ったかと思うと、更にその輝きは眩しさを増した。
龍の砲光。凶龍種を凶獣たちの中にあって最強とせしめている力である。有効射程距離が最大で数十メートルという欠点は持つが、焦点温度十万度を超えるその荷電粒子砲は直撃すれば焼くのではなく蒸発爆散させる威力を誇る。それが六つ。その全てが悪魔へと向けられ開放の時を待っていた。絶命の力を向けられた悪魔は、心地好さげに目を細めると賞賛の声を上げる。
「素晴らしい、死体流用魔法で龍の砲光さえ再現するか。ただ噛み付きぶつけるしかできなかったこちらとは次元が違う。女よ、貴様のその技は魔女と呼ぶに相応しい」
「女を褒めるんならもっと気の利いた言葉を覚えてからにしな。それより、分かってんだろ? 死にたくなけりゃ、今アタシの心臓に干渉してるこの邪魔臭い腕をどうにかしな。今なら、半殺し程度で許してやるよ」
「……残念だ、本当に残念だ」
悪魔の声は、真実無念極まりない響きを滲ませていた。それに訝しさを感じたスカーレットが続けるべき言葉を出せずにいると、悪魔は更に言葉を続けた。
「自らを殺しに来た者の命すら惜しむようでは、あまりにも人間だ。超越者たる魔女の力に比べ、汝の心はあまりにも人間過ぎる。それでは、意味が無い、まるで意味が無いのだ女よ。やはり汝は、ここで死ぬべきだ」
「……それはつまり、命が惜しく無いってことだと受け取って良いんだね」
その言葉と共に、凶龍種たちの口腔内の輝きは更に力を増す。絶滅の力を込め、全ての砲光は解き放たれようとしていた。まさに、その時だった。
悪魔の動きを封じていた妖樹種の枝が爆散した。悪魔の背中に突如発生したモノの生み出した圧力に耐え切れず、木っ端微塵に吹き飛ばされる。悪魔は戒めを破り自由を得た。だが、その得た自由を行使するよりも早く、
「砲光に飲まれて消えなっ! 悪魔野郎っ!」
スカーレットは全ての砲光を解き放つ。光速に近い速度で、全てのそれは一斉に悪魔へと襲い掛かる。それにより跡形もなく悪魔は爆散する、はずだった。だが――
「美事だ、魔女よ」
賞賛の言葉と共に、悪魔は全ての破滅の力を受け止めていた。小さな太陽を思わせる、大人が一抱えほどしなければならないほどの巨大な光球が六つ、悪魔の周囲には浮かんでいた。その全ては、スカーレットが凶龍種の死に絶えていた頭を利用して放った龍の砲光である。その全てを受け止め固定したのだ。三対六枚の、純白の翼が。
それは悪魔の背中から生えてた。いや、より正確に言うのならば、背中から直接生えているかのように見えるが、実際は何も無い虚空から生えている。悪魔の動きを封じていた妖樹種を爆散させたソレは、龍の砲光にすら干渉し得たのだ。圧倒的とさえ言える力を見せながら、けれど悪魔の言葉には紛れも無い賞賛の響きが滲む。
「魔力の発生源である心臓を封じられ、それでもなお、残存する魔力のみでこれだけの魔法を駆使してみせるか。素晴らしい、実に美事だ。汝は力量だけならば、最高の魔女と言えるだろう。だが、それも死ねば意味がなくなるが」
そう告げ終わると同時に、悪魔の周囲に固定された光球が一斉に解き放たれる。その全てはスカーレットの操る凶龍種の頭へと襲い掛かり、跡形もなく爆発四散させた。
それは魔女の死が決定した瞬間だった。もはや全ての万策は尽き、死は免れない。その中にあって魔女は、嫌悪の視線を悪魔へと向けていた。
「お前、正気かい――」
その言葉はこれから自身を殺す者への呪いの言葉ではなく、忌まわしくもおぞましい者へと向ける言葉だった。
「天使を、喰ったね」
「いかにも」
平然と、悪魔は応える。
「三体ほどな。お陰で、我が完全に消化しきる前であれば、こうしてそれら取り込んだ天使の力を行使する事が出来る」
「誇らしそうに言ってんじゃないよ――」
おぞましさの響きを更に深め、スカーレットは吐き捨てるように言う。
「設計思想が異なってても、根本的にお前ら悪魔と天使は同じモノだろうに。共食いしてるようなもんじゃないか」
「だから? それが?」
変わらず平然と悪魔は応えを返す。
「自らの目的を達成する為に、最も効率的であり効果的な手段を取ったにすぎぬ。お前とて、我と同じ方法で魔女の力を継承したのだから理解していよう。だというのに、無意味な感傷だ、魔女の力を持つ女よ。そんな瑣末事に拘る程度だから、貴様は人間なのだ。魔女としての力を持ったまま、人間として死ぬがいい、女よ」
その言葉が終わると同時に、スカーレットの胸に食い込む腕に込められた力は一気に増す。それを最早スカーレットは防ぎきることが出来ない。心臓を掴み出そうとする腕を食い止めていた仮想力場を維持する魔力はすでに無く、もはや僅かな時すら保つ事は無い。だというのに――
「はっ、思ってもみなかったね、こんな最期は――」
スカーレットの表情に浮かぶ物は恐怖でも憎悪でも嫌悪ですらなく、苦痛に歪んではいたが、むしろすがすがしい笑顔だった。
「まさか、人間として死ぬことになるとはねぇ……はっ、思ってた以上に、最高の死に方だよ、それは」
その言葉を最期に『魔女』としてのスカーレットは、心臓を抉り出され死に絶えた。