龍帝
周囲をいくつもの険しい山に囲まれた、少し開けた地。
視界に入る構造物は全て岩石で出来ており、天を覆う暗雲による薄暗さも相まって、まさに灰色の世界と言う形容が相応しい。
その中央の少し盛り上がった高台に威厳ある青龍が、眠るように静かに横たわっている。
俺たちを先導していたデフェンシオは、その青龍から少し距離を置いた位置へとピヨスケを促すと、そのまま何も言わずに飛び去って行ってしまった。
舞い落ちる花びらのように優雅に着地したピヨスケから、最初にイリスが飛び降りる。
俺はそれに続いて地面に足をおろし、クレア様が降りる手助けをする。
最後にピヨスケが再び人型へと姿を変えるのを確認し、俺たちはイリスを先頭に青龍の下へと歩き始める。
向かう先でただならぬ存在感を放っている青龍を視界に納め、俺は終始無言で観察を続けながら歩を進める。
あのデフェンシオをさらに二周り程も上回る巨躯。
距離をつめる事で露になる、隆起した筋肉を覆う青い大きな鱗。
そのどれもが聖なる剣のように美しく、一枚一枚から悠久の年月が感じられる。
頭部から後方へと伸びる数多の角状器官には、覇王を思わせる貫禄が宿っている。
しかしその攻撃的な外観に反して、この龍からはあまり恐ろしさと言うものは伝わってこない。
近づく俺たちに気付いたのか——いや、ずっと以前から分かっていたのだろう、青龍が閉じていた眼をゆっくりと開く。
その虹色の宝玉を思わせる瞳が、見下ろすように俺たちの姿を捉える。
だがそこに敵対するような感情は浮かんでおらず、むしろ対峙する者を尊ぶ優しさすらもが伝わってくる。
しばらく後、ふとイリスの歩が止まる。
青龍のあまりの巨大さに遠近感が狂うが、まだ人間同士であればそれなりに声を張らなければ意思の疎通が難しい距離だろう。
だがイリスはまるで相手がすぐ側にいるかのように静かに、けれどもやけに固い口調で語りかける。
「貴方と会うのはちょうど三千年振りくらいかしら、龍帝スロヌス」
やはりこのスロヌスと言う龍が、龍帝と呼ばれる存在なのか。
龍族内での序列はほぼ完全にその戦闘能力で決定するらしいが、このスロヌスからはデフェンシオとも、この場に到達するまでに見て来た多くの龍達とも違う、独特の雰囲気が感じられる。
これが一つの種の頂点に立つものが纏う威厳と言うものなのだろうか。
俺がそう考えた時、頭の中にスロヌスのものであろう、重厚だが穏やかな声音が響く。
——それくらいになるか、イリスよ
それはイリスへと向けられた言葉だったが、俺の身体の芯にまで、いや心の奥底にまで塗り籠まれるような声だ。
スロヌスの視線が一瞬イリスから離れ、俺たちへと移る。
——連れているのは霊獣の子と、人ならざる人が二体か
——どれもなかなか面白い存在のようだが
スロヌスから攻撃の意思は感じられないし、もしあったとすれば俺の力など完全に無意味だ。
それでも俺の身体はほとんど無意識にクレア様とピヨスケの前に出る。
そんな俺の姿を見たスロヌスの目つきがいっそう和らいだような気がした。
そのスロヌスの様子をどう捉えたのかは分からないが、イリスは先ほどの言葉には答えずに問いかけ返す。
「貴方にちょっと聞きたい事があるのだけれど」
今回俺たちがこの龍の国に来た目的、ドラゴンに奪われたと言うルクスルナ教国の秘宝について単刀直入に訪ねるつもりか。
だがイリスが本題を口にする前に、スロヌスの声が割って入る。
——済まぬが教国の宝とやらについては、与り知る所ではないぞ
何故イリスが喋る前からその内容がバレてるんだ?
一体全体どうなっているのだろうという思いを抱いた俺は、続いてイリスから飛び出した言葉に驚愕した。
「ケーゴの思考でも読み取った?」
え、俺心読まれたの!?
龍族にはそんな能力もあるのだろうか。
内心焦りまくる俺には構わず、イリスは言葉を続ける。
「確かに妾達がここに来たのはそれが理由よ。
でも、今の貴方の姿を見てそんなことはどうでも良くなったわ」
そこでイリスは一度言葉を区切ると、声音を酷く冷え付かせ、言った。
「……貴方、どうしてそんなに弱くなってるのよ?
この場に着くまでに感じていた気配でもまさかと思っていたけれど、こうしてこの目で直接あなたの姿を見た今でも信じられない気分だわ」
彼女の言葉に含まれていた感情は落胆だろうが、俺にはそれがとても恐ろしいものに感じられた。
スロヌスが、僅かにその目を細める。
俺は一瞬気分を害したのだろうかとも思ったのだが、すぐにその認識を改める。
スロヌスの虹色の瞳から感じ取れる感情は、威嚇ではなく慈愛。
「何よその目は」
イリスは若干不愉快そうにそう言う。
強者と交戦することが何よりも好きな彼女は以前、この世界に自分と互角に戦えるものがほとんどいないことを軽く嘆いていた。
数少ない好敵手であるスロヌスの弱体化が本当なら、当然それは彼女に取って面白い事では無いだろう。
そんな彼女へと、スロヌスが柔和な口調で語りかける。
——貴様とやりあった後、しばらくしてから娘が生まれてな
——我が力の大半はあの子が持って行ってしまったよ
それを聞いたイリスが一瞬言葉に詰まる。
そして、少しうさんくさそうに言葉を紡ぐ。
「……生まれた子供が親から力を奪うなんて、そんな龍族の習性聞いた事も無いわよ?」
そのイリスの問いかけに対してスロヌスは、僅かな沈黙の後その視線を俺たちの後方へと移し、
——その子は特別だ
と零した。
それと同時、俺の背筋にゾクリという悪寒が走る。
慌てて背後を振り向くよりも早く俺の耳に、凛とした鈴の音のような、若い女の声が響く。
「父上、そのもの達は客人か?」




