天才吸血魔法少女イリスちゃん(物理)
地面に到達する直前に、突如体重を失ったかのようにふわりと着地するイリス。
俺とクレア様を乗せたはピヨスケは、その後を追うように冒険者の男の側へと舞い降りる。
俺はピヨスケから飛び降りると、倒れ臥したままの男へと駆け寄った。
「大丈夫ですか!
しっかりして下さい!」
俺の呼びかけに、男はうっすらと目を開く。
よかった、まだ生きていてくれた。
上空からでは分からなかったが、トロルの棍棒による一撃によって歪んだ金属鎧だけではなく、全身に無数の擦り傷や切り傷が出来ている。
間近で見て初めて分かる戦闘痕の生々しさ。
今すぐピヨスケに乗せてこの危険な場所から遠ざけるべきだろうが、彼の身体は動かしても大丈夫な状態なのか。
俺がその判断に迷いかけた瞬間、男が突然咳き込むと共に大量の血を吐き出す。
まずい!
俺がそう思うと同時、人型に変化したピヨスケが俺と男の間に割り込んでくる。
「パパ!
任せて下さい!」
ピヨスケはそう言ってしゃがみ込むと、男の身体に両手を触れる。
そしてピヨスケが極度に集中するような顔をすると、その視線の先、男に触れた彼女の掌が、暖かそうな柔らかい白色光に包まれ始めた。
その様子を驚きながら見つめる俺に、いつの間にか隣に立っていたクレア様が語りかけてくる。
「回復魔法の一種だな。
霊獣として順調に成長しているようだ」
いつの間にかピヨスケは、そんなことまで出来るようになっていたのか。
俺がひとまずの安堵と感心を抱いていると、ピヨスケに治癒されている男の顔が苦しそうに動いた。
そして男は絞り出すように言葉を漏らす。
「……あ……あんた達……早く……逃げ……」
俺が男の顔の動いた先へと視線をやると、そこではトロルがその手に持った巨大な棍棒を大きく振りかぶり、杖を前方へと突き出して立ち塞がっているイリスに向けて、今まさに叩き付けようとしている所だった。
醜悪な巨人を思わせるトロルの全体像。
その巨体が俺の視界を埋め尽くすかのような錯覚すら抱かされる。
上空から眺めていた時とは比較にならない程の迫力。
冒険者の男に付けられたのであろう傷から、ところどころ青黒い血液が滲んでいる病んだ乳白色の肌。
突如増えた俺たちと言う獲物を見つめるギョロリとした赤い眼球と、不揃いな歯並びの巨大な口が、殺戮を楽しむように大きく歪んでいる。
そのおぞましい姿は、俺から生物としての根源的恐怖を引き出す。
イリスも魔物だとは言え、か弱い少女の姿をした彼女が、本当にこの化け物に対抗できるのか。
そんな不安に駆られる俺の心になどおかまいなく、ついにトロルの棍棒がイリスへと振り下ろされた。
「防御壁」
そのイリスの小さな声が聞こえるのが、僅かに早かっただろうか。
トロルの猛烈な一撃が、バチバチと言う衝撃音とともに、見えない障壁に阻まれる。
トロルの巨大な棍棒とイリスの見えない障壁の接触部には、激しい閃光が迸っている。
もちろん俺も驚いたが、冒険者の男の驚愕はその比ではなかったらしい。
「……あ、あれほどの防御魔法を無詠唱で……あの魔法使いは一体……」
トロルが何度も棍棒で障壁を殴り続ける激しい衝撃音の中、掠れるように発されたその男の言葉を聞き逃さなかったのは、イリスの超人的な聴力を持ってしてのことか。
彼女は杖をトロルへと翳したままこちらへと振り向くと、自身を誇るような顔で名乗りを上げた。
「刮目しなさい!
妾こそ冒険者村で今最も注目の美少女魔法使い、イリス様よ!
貴方、助けてあげるからこのトロルの討伐料は全額よこしなさいよね」
そのイリスの言葉を聞いた男はどこか納得したような表情を浮かべ、
「あんたが……あの噂の……」
と呟くと、強力な増援を得た事で気が抜けたのか、そこで意識を手放してしまった。
俺は慌てかけたがピヨスケの、「大丈夫、気を失っただけです」という言葉で安堵の息をつく。
というかイリス、噂にまでなっていたのか。
一方、当のイリスは何だか不満顔だ。
「なに良い所で気絶してるのよ。
妾の活躍はこれからだってのに」
彼女はそう言うと、空いた左手で自身の頭に乗った三角帽子を投げ捨てる。
そして、
「まあ魔法使いの真似事をしなくてもいいのは楽だけど」
と言うと、なんと右手に持っていた杖までをも放り捨てた。
「え、なんで!」
俺がそう叫ぶのと同時に、もはや何度目になるかも分からないトロルの棍棒による打撃がイリスを襲う。
魔法に寄る障壁が失われたことで、そのトロルの破壊的な一撃は当然の如く、未だ俺たちの方を向いたままのイリスへと炸裂した。
そこで、信じられない現象が起こる。
大型自動車の衝突実験を思わせるような、とてつもない衝撃音。
トロルの巨大な棍棒が、芯を外して豪速球を受けたバットのようにへし折れる。
粉砕された細かな木片が、激しい水飛沫のように周囲へと撒き散らされる。
だが、イリスは直立不動のままそこに健在だった。
最初に立っていた位置から一歩たりとも動いていないばかりでなく、棍棒で殴打されたことに気付いてもいないのではと思わせる程にその表情すら変化していない。
それどころか、仕掛けたトロルの方が逆に後ずさっている。
両者の質量比を完全に無視した、明らかな異常事態。
咄嗟に庇ったクレア様とピヨスケを背にしたまま呆然とする俺を気にかける事も無く、イリスはトロルの方へと振り向く。
そして彼女は、何が起こったのか分からないと言った様子を見せているトロルに向けて、周囲の温度が物理的に冷え込むような声音で一言呟いた。
「さっきから煩いのよ貴方」
その言葉に、トロルがビクリと震えるような仕草を見せる。
人差し指を突き出したイリスの右腕が、再びゆっくりとトロルに向けて翳される。
その人差し指が丁度トロルの頭上の位置へと向けられた所で、彼女の腕が止まる。
そしてイリスがその指を、空中を引っ掻くように折り曲げた瞬間。
トロルが、両断された。
それには一切の音を伴わず、豆腐でも切るかのようにただあっさりと。
左右に分かれ崩れ落ち始めるトロル。
一拍遅れてその切断面から、青黒い血しぶきが吹き上がる。
眼前で繰り広げられた、戦闘とすら言えない戦闘の顛末。
俺の双眸が捉えたのは吸血鬼の真祖、イリス= ブラドッドベリーの本来の力の片鱗。
この世界に君臨する絶対的強者としての彼女の姿を、この日俺たちは心底に刻み込まれることになった。




