イリス
俺とクレア様が吸血鬼の少女——イリス=ブラッドベリーと出会ってから一週間程が過ぎた。
今は働き時の真っ昼間。
ボルギスの戦斧亭内に冒険者の姿はほとんどない。
イリスを含めた俺たち三人は、食堂にて仲良く席を囲っていた。
「イリスの髪って長くて奇麗だけどさ、地面に着いて汚れない?」
座ったことで今も床へと垂れてしまっている彼女のツインテールを眺めながら、俺はそう問いかける。
「ふふん。
妾が何の対策もしていないはずがないじゃないの。
この髪は薄い魔力の膜で覆って、きちんと保護してるのよ」
イリスはそう自慢げに話しながら、ツインテールの片方を机の上に載せた。
俺は腰を屈めながら、彼女の髪と机の接触面へと視線を集中する。
するとそこには、確かに僅かな隙間が出来ていた。
「おぉ、本当に浮いてる!
スゲー!」
この器用な魔力の使い方、是非トールさんにも教えてあげて欲しい所だ。
ちなみにクレア様はそんなやりとりをする俺たちを気にもかけず、手元におかれた美味しそうな料理を淡々と口に運び始めていた。
俺とクレア様がイリスに捕らえられていた牢獄は、冒険者村から少し西に位置する湖の畔に建てられた廃城の中にあった。
その廃城はとっくの昔に探索されつくし、倒壊の危険もあるせいで、今や冒険者もほとんど寄り付かない。
その湖のさらに西の先、アークフリューゲン王国の方角からやってきたイリスは、その廃城をここしばらくの根城にしていたらしい。
そしてあの夜俺たちを冒険者村へと送り返したイリスは、またその廃城へと戻るのかと思いきや、なんと翌日からボルギスの戦斧亭に部屋を借りて住み着き始めた。
しかも、俺たちが住む屋根裏部屋の真下の部屋に。
三階建てのボルギスの戦斧亭は、二階が駆け出し冒険者向けの安部屋、三階は比較的高級な作りの部屋となっており、彼女が住み着いた部屋はその中でも一番上等な場所だったはずだ。
そんなイリスは何処で仕入れてくるのか謎のボードゲームやらカードゲームやらを片手に、夜な夜な俺たちの部屋へと遊びにやってくる。
普段の彼女はその本性を微塵も感じさせず、まさに友達感覚で俺たちに接してくる。
寝る前に俺とクレア様の行為を見せろと言ってくるのが玉に瑕だが、まあ美少女に見られながらと言うのもそれはそれで悪く無い。
そんな訳で俺たち三人は、あっという間に打ち解けてしまった。
ところで、魔物である彼女が堂々とこんな場所に住むのはいろいろと大丈夫なのかと言う気もしたが、彼女はもともと脆弱な存在である人間と戦う事には興味が無いらしい。
それに彼女は魔王軍とも関係無いらしく、そのことを聞いた時には、「あんな群れなきゃ何も出来ないような連中と一緒にしないでよね」と少しご立腹だった程だ。
彼女曰く、趣味は強いものと戦う事と可愛いものを愛でること。
もしかして彼女が本当にペットにしたかったのはクレア様で、俺はそのオマケ扱いなのだろうか。
しかし、そうは言っても。
「イリスから手を出さないのは良いとして、もし冒険者達にイリスの正体がバレたら向こうは放っておかないんじゃないか?」
そう問う俺に対して、イリスは馬鹿にしたように答える。
「あの程度の連中に、妾の正体を見破ることなんて出来っこないわよ。
それに仮にバレたところで、相手はたかが人間じゃない。
この宿の連中なんか、皆殺しにするのに五秒もかからないわ」
なんとも物騒な事を言うイリス。
実際に彼女が俺になど想像も及ばないような強さを秘めていることは、彼女と出会ったあの夜に十分理解させられた。
だが、この宿には人間の中でも有数の強さを誇る冒険者が何人も宿泊しているはずだ。
それに、そもそも。
「でもイリス、人間の勇者に負けたんだろ?」
その俺の確認の言葉を聞いた彼女は、その奇麗な顔に少し不満の表情を浮かべた。
「負けてないわよ。
あれは戦略的撤退って言うのよ」
そこで一度口を噤んだイリスは、机に肘をつき拳の上に顎を乗せると、少し遠い目をする。
そしてしばしの間何かを考え込むような態度を取っていた彼女の眉間に、ピクピクと皺が寄った。
「あの小娘、思い出したらまた腹が立ってきたわ。
あの子、妾に勝てないって判断したら、よりにもよってこの物質界で星幽体化したのよ!
それまではせっかく楽しく戦ってたのに、あんなの反則よ!!」
言葉の意味は良くわからないが、突然興奮して捲し立てるイリス。
もくもくと料理を口に運んでいたクレア様が、そこでピタリと動きを止め、イリスの顔を見やると告げた。
「ほう。
この世界の人間の中に、それほどのものが存在するのか」
クレア様にはあれだけで意味が伝わったらしい。
肘を崩したイリスが、クレア様の方へと向き直る。
俺には話しが通じ難いと判断したのだろう。
イリスは「聞いてよね」とばかりにクレア様へと話を振る。
「あれ下手したら最下級天使になら匹敵してたかもしれないわよ。
まったく、どっちが化け物だってのよ」
天使と言うものがとてつもなく強力な存在だと言う事は、俺もついこの前クレア様から聞かされていた。
この世界崩壊の危機に神の使いである天使を送らず、人間の転生などと言う手段を取ったのも、強力過ぎる天使の力それ自体が世界を破壊してしまわないようにする為らしい。
俺がその王国の勇者についての一つの推論に対する確信を強めていると、クレア様も同様の結論に至っていたらしく、
「その王国の勇者とやら、神の手によって転生したものの可能性が高いな。
しかし自力での星幽体化を行うというのは、信じ難い成長具合だ」
と述べた。
そういうクレア様に対しイリスは、少し呆れたような顔をしながら言い返す。
「この世界が壊れちゃうってのも面白く無いけど、あんまり変なの連れてこないでよね。
貴方達が呼んだ子が原因で世界が崩壊しちゃったら、それこそ本末転倒にも程があるわよ」
魔物の価値観が俺に分かるとも考え難いが、少なくともイリスは世界崩壊を良くは思っていないのか。
彼女と同じような考えを持った魔物達なら、もしかしたらこの世界の危機の解決策に対して何らかの助力をしてくれるかも知れない。
まあ、今はその解決策自体が何一つ分かっていないのだけれど。
俺以外の転生者は既に何かを見つけているのだろうか。
イリスは許さないかも知れないが、件の王国の勇者の話を一度聞いてみたい。
もっとも、向こうにとって俺が役に立つとも思えないけれど。
そんなことを考えていた俺は、いつの間にか結構な量の料理をクレア様に奪われていた事に気付き、慌てて食器へと手を伸ばした。




