吸血鬼
……何か、変だ。
完全なる闇の中、朦朧とした意識を通じて俺はそう感じた。
……首に違和を覚える。
……腕が、動かせない。
一体何がどうなっているのか。
ぼやけた思考で記憶を必死に思い起こす。
朝にはまず、ウェイトレス姿で現れたクレア様に驚かされた。
そして俺は今日一日、彼女と一緒に食堂の手伝いを行った。
あの言葉遣いにも関わらず、クレア様はすっかり食堂の人気者となっていた。
精霊の親だからか、冒険者達のおおらかな性格からか、いや、何より彼女の内面の本質的な部分によるものだろう。
そして夜にはそのまま制服を借りてきた彼女と、少し特殊な楽しみ方をした上で眠りについた。
そう、本来なら俺は今、クレア様の温もりを抱きながら、あのフカフカしたベッドの中にいるはずなのだ。
それが一体全体、この状況はどういうことだろう。
衣類を何も身に付けていないことには変わりないが、どうも俺は冷たく固い床の上に座らされているらしい。
嫌がる脳を強引に覚醒させ、重い瞼を無理矢理持ち上げる。
まず、視界に入ってきたのは己が下半身。
膝を折り曲げて、やはり全裸で地べたに座らされている。
両腕は背中に回され、そこで固定されているようだ。
僅かに視線を上げると、そこに確認できたのは荒い石造りの床。
それだけで、ここが全く記憶に無い場所だと分かる。
本当に、一体何がどうなっているのか。
状況を把握するため力を振り絞り、一気に首を持ち上げた俺は、そこで視界に入った存在に思わず目を見開いた。
そこには、闇の中に浮かび上がるように、非常に美しい少女が生まれたままの姿で佇んでいた。
石壁の上方に取り付けられた鉄格子から差し込む月明かりに照らされ、冷たくも幻想的な雰囲気を纏っている。
クレア様と張り合える程に透き通るような白い肌。
流れるように美しい黄金の、地に届かんばかりの長髪は、低い位置でツインテールに纏められている。
胸に関してはクレア様並の慎ましさだが、その他の身体の発育具合から察するに、歳は中学二三年相当だろうか。
その整った顔には気品を感じさせる薄い笑みを湛え、血のように紅い瞳で俺を見下ろしている。
眠りについた俺を、誰にも気付かれずにここまで運んだのだろうか。
一体、どうやって。
他にも仲間がいるのだろうか。
混乱の極地に達した俺が言葉も無く見つめ返していると、やがて少女の方が口を開いた。
「あなたもやっと気がついたようね」
鈴のようだが、底の窺い知れない冷徹さを含んだ声。
その言葉の意味を瞬時に察知した俺は、慌て隣へと振り向く。
悪い予感は的中しており、そこには全裸で鉄の首輪をはめられ鎖で壁に繋がれた、俺の守るべき人——クレア様の姿があった。
両腕は後ろに回され、鉄の拘束具で固定されている。
おそらく俺も同じ格好をさせられているのだろう。
そんなクレア様はいつもと変わらぬ無表情のまま、少女のものとは対照的な蒼い瞳で少女を見つめ続けている。
クレア様に外傷が存在しない事を確認した俺は、すぐさま謎の少女の方へと向き直る。
同時にクレア様にこのような仕打ちを行っている少女に対し、急激に怒りが湧いて来た。
だが、この状況で最優先すべきは、クレア様の身の安全を確保する事である。
今はとにかく、冷静に事を運ばなければならない。
「これは、どういう……」
言葉を選びながら発そうとした俺の声は、少女によって遮られる。
「喜びなさい。
貴方たち、妾のペットにしてあげるわ」
その少女の言葉の意味を理解した俺は、思わず「は?」という声を漏らしてしまう。
もしかして、とても特殊な趣味を持った女の子なのだろうか。
裸だし。
しかし、まさか人生で妾なんて一人称を使う女の子に、二人も出会うとは思わなかった。
脳内に妾系女子という新たなカテゴリを追加する俺をよそに、少女は言葉を続ける。
「前に飼ってた子が嫌な小娘に殺されちゃってね。
新しいペットが欲しかったところなのよ。
それでなんだか面白そうな霊獣の気配を感じてあの村に寄ってみたら、もっと面白そうなのが二匹もいるじゃない。
ああ、安心しなさい。
貴方達はきちんとつがいとして飼ってあげるわ」
前のペットが殺されたと言う部分や、おそらくピヨスケのことだと思われる霊獣の気配を感知したと言う部分が気になる。
だがとりあえず今は、一時的にでも彼女の要求に素直に従うべきだろう。
いや、クレア様の身の安全を守る為だからな。
クレア様と二人で美少女に飼われるというシチュエーションが、俺の趣味と見事に合致したとかそういう訳じゃないぞ。
うん、断じて違うぞ。
「わかっ……」
そこまで発しかけた俺の言葉は、今度はクレア様に遮られた。
「ふむ、貴様吸血鬼か」
えっ!
吸血鬼ってトールさんが言ってたあの!?
それはとても聞き覚えのある単語。
そういえばこの少女、食堂にいたあの子じゃないか。
纏っている威圧感が今朝とは比べ物にならないせいか、今まで全く気付かなかった。
けれど。
「吸血鬼って、太陽の下には出れないんじゃ……」
そんな俺の疑問に、少女は鼻で笑いながら答える。
「真祖たる妾に、日光なんて効く訳がないわ」
その意味が良くわからなかった俺に、隣からクレア様が説明を補足してくれる。
「通常の吸血鬼は、他の吸血鬼が人間等の血を吸うことによって生まれる。
しかし真祖は、この世界に誕生したその瞬間から吸血鬼としてあり続ける。
言うなれば吸血鬼の純粋種だ。
ちなみに通常の吸血鬼とは比較にならない魔力と肉体能力を有しており、純粋に物質的生命とは言い難い龍族を除けば、物質界最強の存在と言える」
なるほど。
つまり、目の前にいるこの少女は、この世界最強クラスのモンスターと言う訳だ。
え、それってもしかしなくても、俺たち本当に絶体絶命なのでは。
最悪を通り超した状況に、冷静さを欠いて行く俺。
少女は一度その笑みを深めると、俺からは目を逸らし、クレア様の下へと近づいて行く。
「や、やるなら俺を先に!」
慌てて発した俺の言葉を、少女は気にした風もない。
「あら、最初からそのつもりよ。
こっちの可愛くて甘そうな子は食後のデザート」
だめだ。
俺の言葉なんて事態の引き延ばしにもなっていない。
なにか打開策を考えろ、考えろ、考えろ!
必死に思考を巡らせる俺の前で、少女は相変わらず無表情なクレア様の顔へと自身の顔を近づける。
そして、一度クレア様の頬を舐め上げると、その小さな口を自らの唇で塞いだ。
少女の膨らみの少ない胸が、クレア様の同じく膨らみの少ない胸に押し当てられる。
クレア様と少女の柔らかそうな腹部同士が、その密着度を高めて行く。
やがて少女はクレア様の全身を弄りながら、自身の身体全体を擦り付け始めた。
クレア様は無抵抗なまま、なすがままにされている。
目の前で絡み合う、二人の裸の美少女。
普段の俺なら歓喜の声を上げる所だが、今はそれどころではない。
それにこれは二人の同意の上の行為ではなく、それどころかよりにもよってクレア様が蹂躙されているのだ。
しかし考えても考えても、この状況を脱するための方策は、何一つ浮かんでこない。
そして、一通りクレア様の肉体を堪能し終えたのか、少女は彼女の口から唇を離す。
二人の口と口の間に引かれた唾液の糸。
それが切れ落ちると、少女は抱きしめていたクレア様の身体を離し、俺の方へと向かって来た。
少し上気した少女の顔には、依然として笑みが浮かんでいる。
だが先ほどまでの気品は薄れ、そこには代わりに淫靡な雰囲気が宿っている。
十分に俺へと近づいた少女は、俺の両肩へと手を添え腰を落とす。
明確な情欲を宿した血のように紅い瞳が、俺の顔へと徐々に近づいてくる。
心臓の鼓動が高鳴る。
これほどの恐怖の中で、それもクレア様が見ている前で、それでも情欲を刺激されてしまっている自分が情けない。
俺は沸き上がる背徳感に、必死の抵抗を続ける。
少女の小さな口が少しだけ開く。
そこから彼女が吸血鬼である事を示す、鋭く尖った犬歯がチラリと覗く。
そう、少女の口は俺の口へとは向かわない。
彼女は頭の位置をスッと逸らすと、そのまま俺の首へと噛み付いた。
傷みは、感じなかった。
むしろ、心地よさすら感じる。
血と共に、命を吸い出されて行く感覚。
身体の力が少しずつ少しずつ抜けて行く。
ああ、クレア様、俺はここまでみたいです。
あれだけあなたを守りぬくと大言を吐いていたのに、結局俺には何の力もありませんでした。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
せめて、俺が俺でいられるうちに。
最後にあなたの姿を見せて下さい。
そう思いながら、俺は隣のクレア様へと視線を向ける。
だがぼやけた俺の視界に映った彼女は、なぜかあの邪悪な笑みを浮かべていた。
少女が、ピタリと吸血行為を止める。




