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魔導師たちの弟子  作者: 篁八咫
第一部
9/15

情勢

 ポルステン皇国は、北をタングース山脈、西をイデカ大河、南と東を海に囲まれた、細長い形をした国土を持っている。

 山は鉱物採掘所、河の周辺は穀倉地帯、海は漁業域と商いのための海路を皇国にもたらし、皇国は繁栄の極みにあった。

 自国に殆ど不満はない、と皇族やその臣下も他国への侵略に興味はなく、また、ココ王国とキューブリック共和国との関係が友好的でさえあれば、北の魔物以外に防衛を考える必要もなかった。イデカ大河の大きな川幅も、両国との戦争を防ぐ自然の砦として、皇国はココ王国ほどの軍備をもたない。

 しかし、今、その情勢は崩れさった。ココ王国でも、キューブリック共和国でもない、海の遥か向こう、ウォークランド帝国から侵略の気配あり、との情報がもたらされたのだ。

 慌てた軍部はその拡張を進言し、また現在、ほぼ全ての兵を中央に集めその再訓練に当たっている。

 一方で、文官による帝国への対抗手段の一手として打たれたのが、今回のココ王国との会談だった。

 使者が援軍の約束を取り付けることができるかどうか。それがこの国の命運を決めることは傍目にも明らかだった。


 「困りましたね…」


 短く刈り上げた頭をなでながら、青年は溜息をついた。

 優しげな細い顔に、同じく細い目が茶色の眉と合わせてハの字に歪む。

 ポルステン皇国第三皇子、ゼフィール・ポルステンは、滞在しているコッコラ街大使館の執務室で密偵の報告を受けていた。

 会談に参加する予定だったココ王国第二王女ソフィアが何者かによって(かどわ)かされたらしい。

 その何者かが一体どこの所属であるか、というのが皇国の行く末を大きく左右するのを、ゼフィールは理解していた。

 

 自国でまともな神経をしているものが、このようなことをするわけがない。

 裏切りでもなければ、自国の領土が減ることを許容してまで利益を得ることはできないだろう。

 そして、裏切り者であれば、それは内通者の国の手のものだ。

 自国に王女の誘拐を企てるものはいない。

 

 「ぼくらがそんなことするわけない、ってのは言い訳としても下の下ですね…」

 ともかく、王女救出と犯人の拿捕が成功することを祈りましょうか。 

 ――ここは、風と水の精霊の地ですし。


 しかし、もしものことを考え、国境の防衛強化について皇国へ文をしたため始める。

 

 ココ王国の王様は、娘を溺愛しているとのことですし、まったく、どこの誰だか知りませんが、面倒なことをしてくれましたね…

 …これが、ココ王国の策でなければいいのですが…


 ここまで考えて、ゼフィールは願ってばかりもいられない、と帝国の情報を密偵に求める。


 「帝国についての情報は?」

 「それが…連絡の途切れた者ばかりで、残った者も、侵攻の気配あり、としか」

 「そうですか…ふぅむ」

 

 単純に考えれば、王女誘拐で得をするのは帝国だ。

 ココ王国が怒り狂ってポルステン皇国と戦争を始めればしめたもの。

 両者が争っている間に侵攻すれば、ことを有利に運べるだろう。

 しかし、全く逆に考えれば、ココ王国にもその手がある。

 王女誘拐許すまじを旗頭に、ポルステンに侵攻すれば帝国との板挟みとなったポルステンから領土を得るのは容易いだろう。

 王国が持つ巨大な軍隊は、戦好きのお国柄をよく表している。

 隙を見せれば襲い掛かってくる、というのは、あながち杞憂でもないだろう。

 また、ココ王国の南にあるキューブリック共和国にも、ココ王国と同様のことが言える。

 そもそも共和国と言っても、王を象徴化しただけで大半の評議員は土地を持った貴族であり、一族の繁栄のため土地はいくらあっても足りないという国だ。

 容易い、と思えば戦争をしかけてきてもおかしくない。

 ぱっと思いつくだけで、国境を接するすべての国が主犯たりうる。

 

 ぼくがどうなるにせよ、我が祖国もただでは済みませんね…


 仮にどの国の策略であっても、ココ王国から難癖を付けられてコッコラ街から出ることもなできず、祖国ポルステン皇国へ帰ることなくその生涯を終えてしまう可能性もあった。

 それでも、やはり皇族として、ゼフィールは祖国の趨勢に想いを馳せた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ソレドア大陸の南部の一部を除き、その大半を国土とするウォークランド帝国、その西岸。

 遠く海の向こうにあるはずのヨロレイヒア大陸、或いはポルステン皇国までが、まるで見えているかのように、じっと海を見て佇む男がいた。

 背中にかかるほどの紫のぼさぼさ髪が潮風に当てられるのを厭わずに、彼はひとり、彫りの深い顔に笑みを浮かべた。

 笑んだ唇から覗く歯には、人間とは思えぬほど長い牙があり、今、その牙は血に濡れていた。


 "というわけで、ふふ、いや失礼。概ね上手くいきました"


 彼は、今、風の中級魔術『遠隔話法(ウィンド・ウィスパー)』によってヨロレイヒア大陸と交信していた。


 「ふっ…で、ココとポルステンは戦争になるか、んん?」

 "さて、それはココ王国次第、というところですね。ふふ、いや失礼、最後で邪魔されてしまいまして"

 「おぉ、そこには、お前の邪魔ができる輩がいるのか、んん」

 ”さて、いや失礼、私にもそれはわかりません”


 笑みが深くなるのを自覚したが、相手は微妙な反応だ。

 しかし、続けて


 "ただ、魔法陣をえらくたくさん持っておられるようでしたので、その中身によっては、というところですね。私としても、もう少し遊んでみたかったのですが"


 と、その声は愉快げで、こちらもさらに笑みが深まる。


 「魔法陣、な。人間どももご苦労なことだな、んん」

 ”ふふ、いや失礼。全く同感ですが、私としてもあれだけ力を使った後となるとどうにも”

 魔法陣が欲しくなりますよ。


 その声は冷たく、しかし、彫りの深い男はそのむき出しの浅黒い巨軀を震わせて


 「ははははは!そうか、そこまでか!んん、これはまだまだ楽しめそうだな、んん?」

 "ふふふふ、いや失礼。どうでしょうか、こればっかりは。そうですね、結果を御覧じろ、というところですね"

 「これは島にも伝えてやらんとな!んん、皆狂喜してやってくるぞ!」

 "中でも魔王様は殊に喜ばれそうですね、いや失礼。しかし、今はまだ、島から離れられませんからね"

 「んん、あぁ、そうだったな。やはり西回りに攻めるしかないか」

 "ええ、そうですね、あとは―――"


 潮風が厳しく吹き付け、その言葉は紫の男には届かなかったが、表情を引き締めて、


 「んん、そうだな。では、また、そちらで会おう」

 "えぇ、ふふ、いや失礼、またこちらで"


 そこで、通信は途切れた。

 麻でできた茶色のズボンだけを身につけた巨軀の男は、振り返る。


 ヨロレイヒア大陸の三分の二ほどの面積を持つソレドア大陸に覇をなすウォークランド帝国。

 その帝国の海岸砦が、炎に包まれていた。


 既に帝国は、その支配を成していない。

 もはや彼の見渡す限り、海を背にした形ではその帝国の全てとなるが、火に焼かれ、或いは無抵抗故にそのままの形で、彼ら、魔族の手に落ちていた。


 魔族は姿形こそ人間と似ているが、その種を人間と別とし、人間と魔物の間の存在であると考えられ、人間から忌み嫌われてきた。

 魔族と呼ばれるその種は、ココ王国からずっと西、ヨロレイヒア大陸の西端から海を見やれば微かに見える島、或いはかつてウォークランド帝国が覇を唱えたソレドア大陸から東に位置する魔島ギークにのみ生息するとされ、魔王を頂点とした社会生活を行なっていること、そしてもう一点を除き、その全てについてを人間は知っていなかった。


 人間たちは、ただ、


 魔族とは、人間の知性以外の全てを強化した存在である


 と彼らを認識していた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 コッコラ街道を歩き、日も沈みきろうかという頃になって、ようやく遠方にソコナ村が見えた。

 

 「ふぅ…まずはこれ、ね」


 ソクラは自分の着ていた茶色けたローブを脱いで、フィアに向ける。

 その際魔法陣の紙束はふっくらしたズボンの右ポケットへ、『空中浮遊(レビテーション)』の魔法陣は裏返して太ももの辺りに留めた。

 白いシャツ一枚になった、15にしては逞しい身体がフィアの眼に映る。


 「なによ、これ」

 「え、だって、そのドレスだとまずいよ」

 「…他にはないの?」

 「えぇ、と、そうだな…うん、ないね」


 とりあえず背負ってきた鞄の中身を調べたが、もちろん、ない。

 入れた覚えがないのだから当然だ。

 しかし、何事も形が重要だ。

 ソクラはそう考えて、フィアに理解を求めた。


 「なによその調べ方…はぁ、いいわ」


 フィアはしぶしぶ気に茶色のローブを頭からかぶり、はみ出したドレスの裾を摘み上げて、切ってしまうようソクラに頼んだ。


 「ぼ、ぼくがやるの?」

 「他に誰がいるの?」

 「こ、これ使ってよ。フィアがやってよ」


 ソクラは上げた裾の下から見える、白い脚から目を離しながら魔法陣を差し出す。


 「え、わたし?これ『鎌鼬(ウインド・ブレイド)』?」

 「そうだよ。使えるよね?」

 「ん…えっと、ね、わたしが『鎌鼬』を使うと、ちょーっと威力が強すぎちゃうかなーって」


 フィアは、受け取った魔法陣を右手でひらひらしながら目を左右にやる。

 

 「え?あぁ、大丈夫だよ。それは威力は弱めのだし、鉈だと思ってさ」

 「…ソクラの魔法陣って、威力も調整できるのね…」


 驚嘆も、ここまでくれば冷静にもなる。

 

 「うん、取り込む魔素の量、だけどね」

 「そ。もうなんでもありね」


 フィアは投げやりに言う。


 「魔術だって、変換する魔力の量で威力が変わるでしょ?」

 「でも、魔法陣でそれを調整できるなんて、考えたこともなかったわ」

 

 それだけ魔法陣の開発は困難であり、同じ魔術で威力の違う魔法陣など、フィアは聞いたこともなかった。


 「ま、とにかくやってみなよ」

 

 言われるままに、フィアは魔法陣に左手の指を伸ばす。


 この裾を、切る――


 イメージしながら、フィアが触れるか否かというところで、フィアの指先から青い光がバチッと走り、魔法陣の描かれた紙が焼けた。


 「きゃっ」


 思わず目を離すが、幸い体勢が崩れることはなかった。

 目を上げれば、ソクラが目を見開いている。


 「どうしたの?」

 「…」


 フィアは足元に裾の切れ端が落ちているのを見、ローブを下ろしてドレスの全てがローブに収まったことを確認した。


 「ねぇ、どうしたのよ」

 「…す、」

 「す?」

 「すごいすごい!魔法陣が、一瞬で!なんてこった!ははッ!」

 

 くるくると回りだすソクラに、フィアが呆れる。


 まほうじんが、いっしゅんで!まほうっじんが、いっしゅんで!…


 フィアは、回転が収まってきた頃を見計らう。


 「ちょっと、ちゃんと説明しなさいよね」

 「うん!たぶん、首輪はフィアの魔力を勝手に魔素に変換してるんだと思う」

 「それで、魔術が使えない、と」

 「そう!それでね、そうすると元の魔力の大きいフィアの周りは、それはもう凄い濃度の魔素で一杯なんだよ!」

 「う…ん?」

 「魔法陣ってね、陣が必要なだけの魔素を周りから勝手に集めてくれるんだけど、」

 「濃ければそれが早い、ってことね」

 「そう!でもそれだけじゃない!」

 「ふぅん?」

 「もともとフィアの中にあった魔力じゃない?だからイメージが少しの間、そのまま魔素になっても残るんだ」

 「あぁ、さっきソクラをぶっ飛ばそうとしたときみたいに?」

 

 あのとき、魔術を使おうとしてフィアが出した魔素は一度、フィアの肩の上に集まろうとしていた。

 すぐに霧散したが。


 「ぅ、そう、です。で、ね?魔法陣に使用者の意図を汲む部分があって」


 気まずさを思い出したのか、ソクラがやや調子を落とす。


 「普通、発動に十分な魔素が集まってから、意図を汲む回路が使用者に繋がるんだけど、それがフィアには必要ないんだ」

 「つまり、イメージしながら魔法陣に触ればすぐに発動するってこと?」

 「そう!」


 我が意を得たり、と指をフィアに向ける。

 フィアはそれを掴んであらぬ方向へ捻りながら、


 「つまり、魔法陣を魔術みたいに使えるってことね?」

 「いたいいたい!…ぁあ…」


 自由になった指をぎゅっと閉じて握りしめるソクラ。

 しかし、フィアはにっこり笑って

 

 「つまり、魔法陣を魔術みたいに使えるってことね?」

 「そッそう!そうです!」


 こくこくと首を振るソクラ。

 

 「ふぅん、無限の魔力のある魔術、ってところかしら」

 それも、仔細な調整の効いた――


 わたしにも、気軽に使える魔術…

 思いながら、フィアはゆっくりと言う。

 これなら…


 新たな想いを胸にしたフィアに、ソクラは頷く。

 

 「だね。フィアの魔力の続く限り、だけど」

 「…ねぇ、その、いきなりだけど」

 「ん、なに?」

 「あの、夢をいきなり覆すことになるかもしれないけど」

 魔法陣、わたしに教えてくれない?


 躊躇いがちに、上目遣いに、それでも、どうしようもない望みをのせて。

 その願いに、


 「うん、いいよ」


 ソクラは軽く答えた。

 もちろん、にこりと笑顔も忘れない。

 もっとも、これは自然に出た笑顔だったが。


 「え、ちょっと!う、嬉しいけど、"世界の皆に一度に伝える"っていうのはどうなるのよ!」

 ひとつの国にだけ教えたら、どうなるか――


 言おうとして、その前にソクラが答える。


 「夢、一緒に叶えてくれるんでしょ?」

 「そ、それは、そう言ったけど、けど、でもッ」


 また、その前にソクラが言う。


 「それに、ぼく、」

 フィア、君が好きみたいだ。


 少しはにかんだソクラの笑顔が、沈んだ夕焼けの代わりに薄闇を照らした。

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