自己紹介
「わたしの名前は、ソフィア。ソフィア・ヴェーエン・シュトローム・ココよ」
「え?」
聞き取り切れなかった。
「ショ、ソフィア、ヴェーエン、シュトローム、ココよッ」
「あ、噛ん」
どげしィ
鶴のような白い線を描いた踵落としが、ソクラの頭を揺らした。
その白さと反対に、顔を真赤にして怒りも露わな少女、ソフィア。
「あ、あんたってひとはッ…!」
「ながいっ!…それに、精霊の名前がふたつも?」
精霊、6つの魔素を司るとされるこの世界の信仰の対象である。
真に存在するかどうかは明らかになってはいないが、この世界の人間たちは皆当たり前のように存在すると考え、いずれか、或いは複数かもしれないが、その存在、精霊を信仰している。
中でもソフィアがその名を持つのは、風の精霊ヴェーエンと、水の精霊シュトローム。
地の精霊レームと合わせて、豊作や農耕の発展を願う者から信仰されている。
その精霊の名を持つのだ。この少女、ソフィアがよほど高貴な者であることは明らかである。
「……」
ソフィアが無言で見つめているのを、なんだと思ったか、ソクラは、
「あ、ごめん!…フィア、いい名前」
だね
ビシィ
チョップだった。
どうやらまだまだこの少女、ソフィアには攻撃手段が残されているらしい。
危うく舌を噛みそうになったソクラだが、仮に褒めにしろ遅すぎるどころか、名前を間違えては当然の報いと言わざるを得ない。
「あんたねぇ…人の名前を間違うなんて、どうかしてるんじゃない!?」
「ち、ちがう!ちがうんだ!えぇと…ほら、そう、愛称!ソフィアだから、フィア!ね!素敵だよ!」
間違えていた。
いたのだが、それではまずかろう、必死に名前を思い出しながら言葉を紡ぐソクラ。
さらに、素敵、というソクラにとって最上級の褒め言葉を繋げたが、今使われてはブラウもため息をつくだろう。
ただ、ソクラは、フィア、という流れる風のようなその語感が素敵だと思った事実だけが、救いだったかもしれない。
「…もう好きにして…」
フィアことソフィアも、諦めたのか、ため息とともに吐き出した。
「それにしても、風と水の精霊の名前なんて、豪華だね」
「そうね。あなたもこの国の成り立ちは知っているでしょう?」
当然のように問うフィアは、諦めから立ち直ったのだろう、誇らしげでさえある。
が、ソクラはその様子よりも自らの疑問に対する答えが気に掛かった。
「あ、そうだった!ねぇ、ここってどこの国なの?」
「…え?…ご、ごめんなさい、よく、聞こえなかったわ。もう一回、言ってくれる?」
え、そう?
言いつつ、なぜかソフィアの眼がまたしても冷たくなりつつあるのを感じて、焦る。
「山を越えてきたばかりで、ここがどこの国か、ぼく、知らないんだ」
「…もう一度、お願いできる?」
フィアの眼差しが、もはや寒気を感じるほどになる。
焦りが恐れに変わり、次はどんな攻撃が…と油断なく構えながら、それでも、
「…こ、ここは、なんていう国なの、なんでしょうか?」
問うことをやめないソクラ。
ファアの笑みが深く、眼が冷たくなっていくのを眼にしながら、懲りない少年である。
というか、ソクラにはなぜフィアが怒っているのかわからないのだ。
「ふ、ふふ、あのね、教えてあげる。この国はね、ココ・シュトローム・ヴェーエン王国よ」
「あ、ありがとう…え?シュトローム?ヴェーエン?あ、じゃあ、もしかしてフィア、君は…」
「でね?私は、」
うふふ、と暗い眼で笑いながら一息溜めるフィアだったが、
「王女なんだ!うわぁ、通りで綺麗だと思ったんだよ!素敵だなぁ!」
「え?あ、そうなの王女なの。あ、ありがとう?」
驚かせてやろうと溜めた瞬間に計画をおじゃんにされ、それでも、褒められて頬を染めたが、
「ってちがう!あなた!あなたねぇ!」
もはや、無礼どころか馴れ馴れしい少年を、何といっていいかわからないがとにかく叱責しようとするフィア。
だが、これは、空振り覚悟であった。
ともかく何か言わなければ、と思って言葉を紡いだだけだ。
実際、
「ぼく?あ、そうか。じゃ、改めて。ぼくはソクラ、ソクラテス・ステア。よろしくね、フィア」
と言って右手を出すソクラの手を握り、フィアは手を縦に、頭を横に振りながら、
「あぁ、そうね、よろしくね…」
力なく声を出すのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ヨロレイヒア大陸北部を東西に走るそびえ立つ壁、タングース山脈。
その鞍部から流れ出す怒涛の水流は南に向かって大陸を縦断し、海へと流れ込む。
この対岸すら霞む幅を持つ河川は、イデカ大河と呼ばれ、その両側に豊かな穀倉地帯を供するとともに、東のポルステン皇国と、西のココ・ヴェーエン・シュトローム王国、またその南に位置するキューブリック共和国を分かつ国境ともなっている。
この大河の北端に、大河に西から面する形で、ココ王国のコッコラ街はある。
東のポルステン皇国、北方から山脈の鞍部を通して時折訪れる魔物の襲来を警戒する役割を持つこの街は、ココ王国とポスルステン皇国の関係が良好な現在、街に常在する軍隊も少なく、比較的平和な暮らしを謳歌する民で溢れている。
しかし、今、平和なコッコラ街、その駐屯軍詰所は、火の付いたような喧騒の中にあった。
王女誘拐。
前代未聞のことに、兵たちは慌てふためきながらも、駐屯軍はその総力を挙げて、この失態の対処に当たっていた。
夕日に照らされた司令室。
この場には三人の男がいた。
「では、賊は逃したのだな」
この部屋の支配者、駐屯軍軍団長ハイド・ジークハルトは部屋の奥の執務席で、両肘を机に付き、握り込んだ拳を額に当てて呻くように言った。
「はっ!現在、3つの街道全てに兵を出して捜索に当たっております!」
使命感に満ちた顔で報告するのは、駐屯軍副団長を務める若い将校だ。
一方、指令官の顔は暗い。
まさか、一線を引いた私がこのような事態の中心となろうとはな――
国と軍に身を捧げて40年、齢が60に差し迫り皺だらけになった手を見つめる。
そもそも、王女がこのような国境の街に訪れたのは、ポルステン皇国との会談のためであった。
近年、ポルステンと海を挟んで向かい合う大国、ウォークランド帝国がヨロレイヒア大陸遠征に向けて動いているとのことで、ポルステン皇国はココ王国にその対抗の助力を願い出てきたのだ。
そのための会談の場で王女が誘拐されたとあっては、もはや金だけの問題ではないのは明らかだった。
ポルステンの手のものか、この機にポルステンとの戦争を臨む自国の手のものか、或いは――
そこまで考えたとき、部屋の中央、司令官と向き合う形でソファに身を沈めているこの場で三人目の男が、ゆっくりと声を出した。
「我らも動いているのだ。明日には色よい報告があるであろう」
王女の護衛として、首都シュトローム・ココ・ヴェーエンから軍勢を率いてきた王国第四軍の将軍であるグレイブ・シュトローム・バグズである。その練度は、駐屯軍の比ではない。そのことが自信にも繋がっているのだろう、自分の言に全く疑いを持っていないようだ。
20年前のキューブリック共和国との大戦の折に敗北するまでは、無敗強軍と呼ばれ近隣諸国で恐れられてきた、愚直だが勇猛、攻めにおいては右に出るものなし、とまで言われる将軍だ。
ハイド駐屯軍軍団長は、口調を丁寧に直しながらグレイブ将軍に答える。
「そうですな、しかし、ともかく、ぜひともフィア王女を救出せねば…」
「ま、明日には救出できておるであろうな」
確信めいた口調に僅かながら眉をひそめ、
「賊は捕えるよう、お願いしてありますが…」
「王女が優先である」
やはり、愚直か――
失態は駐屯軍、手柄は第四軍、ということだけで事態が収束すると考えているのだろう。
グレイブ将軍に事件の裏のことを相談するのは諦めて、声を若い将校に向ける。
「賊については何か分かったか」
「はっ!そちらについては芳しくなく、馬車の護衛、街の門番ともに全滅しており、王女の従者から面相が割れている程度です」
「ほぅ?」
芳しい要素などどこにもない、と思いつつも敢えて触れず、将校を促す。
「道に出ていた者の証言と合わせて、この街の者ではないこと、人相から言って恐らく盗賊の類ではないか、とのことです」
「…そうか」
ポルステン皇国とその国境を接するココ王国、キューブリック共和国の人間は、皆一様に白い肌をしており、風体から言えばほとんど差はない。また、盗賊の類、というのはどのような思惑でも利用されているだけの存在だと考えられた。直接問い詰めなければ依頼主はわからないだろう。
「近隣の村で目に付く人間がおれば、捕えて尋問しておけ」
「はっ!」
その人間から犯行の意図が読めるかもしれない。
この将校は優秀だ。恐らく何も言わずとも、意図を汲んでくれるだろう。
将校は話が終わったと見て、部屋から出ていく。
「明後日の会談までには…」
「明日には必ず王女をお救いする」
ハイドが言い切る前に、グレイブは言葉を割りこませ、こちらも部屋から出て行こうとする。
その背中を見て、それでも言葉を繋げる。
「でなければ、戦争ですぞ…」
グレイブはその言葉に動揺することなく、その愚直に似合わぬ笑いに口を歪めながら
「戦争は大歓迎であるな」
と残して部屋を去った。