最悪の出会い
『我、汝の主となり、その身体の全て、生命の全てを預からん、奴隷契約』
奴隷の首輪を外すには、奴隷と契約した主から『開放』されるしか方法はない。
首輪の破壊を試みれば、それだけで奴隷の生命は奪われる。
そのような魔法陣が首輪には施されるのが普通である。
また、契約に使う魔術は首輪の魔力が使われるために、契約の術を行う際、術者に魔力は必要なくただ呪文を唱えれば契約は成立する。
一方で、商品と勝手に契約されるのを防ぐため、奴隷商人たちは予め仮契約を行なっており、仮契約の行われた奴隷は、商人の立ち会いの下でしか契約はできない。
そのためソクラはあの紳士が仮契約を行なっていることを危惧したが、商人に辿り着く前に救出できたこともあり、仮契約が行われていない可能性に掛けた。
ソクラはできる限り少女の精神的な負担を軽くするために、気が付く前に全てを終わらせようとしたのだ。
どうやらその試みは上手くいったようで、少女の全身が紫色の光に包まれ始め、やがてその光は少女に吸い込まれていった。
ふぅ、さぁて、あとは開放すれば終わりっと。
そのように軽く考えて呪文を唱えようとしたが、少女を見て固まった。
少女の全身に光が吸い込まれ、完全に消えるや否や、少女はがばっと起き上がったかと思うと三つ指ついて地に膝を合わせ、頭を下げて
「わたしはあなたさまのどれいとなりました。これよりいついかなるとき、いかなるめいれいにもしたがうことをちかいます。どうぞ、なんなりと、ごめいれいください、ごしゅじんさま」
と言いながら顔をあげ、首を傾けてにっこりと笑ったのだ。
「って何これ!なんでわたしこんなこと言ってるの!?ってゆーか貴方誰!?ここはどこ?あ、アデーレは!?」
「…」
狼狽の限りを尽くす少女に対して、ソクラはピクリとも動かず、ただ呆然と少女を見つめている。
「ねぇ、何か言ったらどうなのよ!あ、あれ!?か、身体が動かない…ねぇってば!」
「…」
大きく目を開けて少女を見つめるソクラと動かない身体に業を煮やした少女は怒鳴りつける。
「そこの少年ッ!」
「ぁっ!」
少年、と呼ばれ、ようやく反応したソクラにやや安心したかのように、少女が声をかけ直す。
「ようやく声を出したわね…で、これはどういうことなのよ!」
しかし、安心も途中で怒気に変わる。
「…あぁ、ごめん、ちょっと見蕩れて、じゃなかった、さあ、立って、もうそんな格好はいいからさ」
ブンッ!
「ふざけないで!!」
それでも夢見心地だったソクラだったが、勢い良く立ち上がった少女の平手が顔スレスレを通り、平常心を取り戻した。
「あれ?当たらなかった?おっかしいわね、横っ面張り倒そうと思ったのに…」
「たぶん、『奴隷契約』のせいだと思う」
「…え?ちょっ、い、今、なんて…?」
「たぶん、『奴隷契約』のせいだと思う」
一字一句違えずに言い直すソクラ。
律儀というか、やはり、暢気なのである。
「ど、ど、どどどどどどどどど奴隷ですってぇぇl?ここ、こここの、へへへ変態ッ!」
どうやらソクラと少女の平常心の和は、一定らしい。
平常心を取り戻したソクラに対し、今度は少女が常軌を逸した動揺に襲われた。
「落ち着いて、ね、まず周りを見て」
「ここここ、これが、お、落ち着いていられるわけないでしょ!!これならどう!」
なぜかキョロキョロしながら少女が声を上げた途端、魔力が魔素へと変換されながら彼女の右肩上空に集まっていき、やがて、霧散した。
「あ、あれ?魔術が使えない…?どういうことよ!周り!?なにそれそんなので誤魔化されるわけ…え…何、これ…?」
忙しくその精神状態をあっちこっちに振りきらせながら、最後には呆然とする少女。
残ったゴブリンの死骸や、人間の死体を目に、声もないのだろう。
それを見て、ソクラはできるだけ優しく声をかける。
「魔術が使えないのはよくわからないけど、君を攫った連中は、もうここにはいないよ」
「え…あ、そう…じゃあ、貴方は?」
どうやら助けられたらしいとは思いつつも、ではなぜ奴隷契約されているかわからず、少女はソクラに問うた。
「僕はソクラ、ソクラテス・ステア。で、気を失わされてた君の縄を解いて、後は奴隷の首輪も外してしまおうと思って、とりあえず契約したんだ」
「なんでっ!でも…え、と…と、いうことは、」
「ごめんね、まさか契約した途端、こんなことになるなんて知らなかったからさ。今から『奴隷開放』するから、落ち着いて、ね?」
「え、あ、そう…わ、わかったわ」
筋は通っていて、このまま開放されるのであれば問題ないだろうと考えたか、若干平静を取り戻して少女は、少年を改めて見る。
どこか遠くを見ているような優しげな眼と、透き通るような金色の髪。柔らかそうな頬に、幼さの残る丸い輪郭。
邪気があるようには、少女には見えなかった。
それよりも、少女は、この少年がステアと名乗ったことが気に掛かった。
「よし、じゃ、いくよ?『我、汝の主、その身体の全て、生命の全てを汝の元へ返さん、奴隷解放』」
その呪文は、確かに『奴隷契約』の対となる『奴隷解放』の呪文だったが、しかし、何も起きる様子はない。
本来ならその首輪はその呪文と共に首から外れるはずなのだが、そもそも魔術が生じた気配すらない。
「あ、あれ…?も、もう一回、『我、汝の主、その身体の全て、生命の全てを汝の元へ返さん、奴隷解放』!」
ソクラは若干慌てて繰り返すが、やはり、何も、起こらない。
「…え?なんで?うーん…呪文は…合ってる、よね…」
おっかしいなぁ
と首を傾げて考えこむソクラだったが、一向に進展しない、それどころかソクラの挙動ではどうも嫌な予感しかしない少女は、
「どうしたの?はやくしてよ、ねぇ?」
声をかけるが、ソクラは考えこんでいて返事をしない。
事態を正確に掴みつつ、それでも受け入れがたい事態に焦って
「ねぇ!は・や・く!」
『我、汝の主、その身体の全て、生命の全てを汝の元へ返さん、奴隷解放』!
…遠くで、うぐいすが鳴いた。
ことここに至って、ソクラは事実を受け入れた。
「ごめん、『開放』できないや」
にこり、と笑顔も忘れない。
「ばかー!!!」
絶叫がその笑顔を震わせた。