街道にて
「なんっで、こんっな、とっこに、ゴブ、リンがいるんだよッ!えぇいッ!『我が敵を、炎で打て、火の玉』!」
髭の御者、すでに彼が背にする馬車は使用不可能なほどに損傷しているために彼はもはやただの髭であるが、ともかく彼はゴブリンと剣を合わせながら叫ぶ。横から斧を振り上げて掛かって来たゴブリンには魔力消費の少ない詠唱付きの『火の玉』、そもそも詠唱短縮などできないが、を食らわせて黙らせる。
順調な道のりの最後に現れたハウンドドッグを片付けていた髭、片目、金髪と紳士だったが、ようやく残り一匹となったところで思わぬ敵が来襲した。
ゴブリンの群れだった。
ハウンドドッグ、ゴブリンの群れと戦闘が続き、荒事専門の彼らも疲労を隠せない。
どころか、すでに金髪が伏し、馬車も倒され中の少女の安否が気にかかる。
しかし、お姫様のところへは紳士が向かい、目の前を賑わせている20を数えるゴブリンに、他のところまで意識をやる余裕はない。
彼のすぐそばで事切れた金髪ほどではないが、彼自身もすでにいくつか切り傷、打撲を受け、このままでは金どころか命すら危うい。
と、相手のゴブリンの手にする剣がボロだったようで、剣が折れた隙に首を跳ね飛ばし、馬車の傍で、残った片目と背中を合わせて呼吸を整える。体勢を整えるゴブリンを見て、片目が紳士に声を掛ける。
「おぉい、お姫さんは無事かぁ?」
「あぁ、全く問題はないですね。貴方たちは、早くゴブリンどもに始末されてしまってください」
「ならお前も早く手伝え…って、あ、あぁ!?」
「お、おまえ、何を言ってやがる!!いいから早く出てこいっ!くそっ!」
紳士が何を言っているのか理解できぬまま、またしても輪を詰めて襲い掛かってくるゴブリンたちに、どうしようもなく争いに引き込まれる。片目は膂力を活かして敵を斧で斬り付け吹き飛ばすが、髭にはそこまでの力はない。目の前のゴブリンと打ち合うので精一杯だ。横手から迫って棍棒を振り上げるゴブリンが目には入っているが、魔力は先程の『火の玉』で打ち止め。もはや棍棒を防ぐことはできそうにない。
「くっ」
仕方ないとばかりに、打ち合っていたゴブリンを放って、片目の作った空間に逃げこむ。その際、打ち合っていたゴブリンに左手を肩から落とされてしまったが、それも苦肉である。歯を食いしばって耐えているが、吹き出す血は、もはや一刻の猶予もない、魔術士である紳士に、血を止めて回復してもらうしかないだろう。片目に援護して貰ってひとまずの安息を得た髭は、片膝を付いて、剣を持ったままの右手で左肩を抑えながら、紳士にもう一度声を掛ける。
「うっぐぅ…おい!い、いい加減、出てきて、回復しやがれ!」
「聞こえませんでしたか?私は、貴方たちにはゴブリンに殺されて欲しいのです」
「な、なんだとっ!て、てめぇ!ぐぅう」
「ちっ、どうやら嵌められたらしいな、っと!」
そこに至って、髭と片目も事態に気づいた。しかし、髭のほうは気づいたところで回復、せめて止血しなければ死ぬしかない。片目はまだいくらか余裕を持ってゴブリン達の作る輪で戦闘を行なっているが、もはや髭は剣を持つことすら難しい。こうなれば、もはや、道はひとつ。怒りで痛みを騙しながら、髭は小声で片目に言う。
「おい、おれは、アイツを殺して止血してくる。それまで耐えてくれ」
「よっしゃ、行ってこい!はっはー!ゴブリンども!おれさまが相手だ!」
さすが、というのであろうか、裏切りは日常なのであろう、動揺を長引かせず、髭と片目は事態の対処を図った。
だが、髭が吹き出す血を顧みず横転した馬車の上に乗った瞬間、
「ふふ、失礼、聞こえていますよ。『火の玉』」
「うぐあああッ」
今度こそ悲鳴をこらえきれず、髭は炎に包まれて再度馬車から転がり落ちる。すぐに火は消えるが、ぶすぶすと煙を上げる炭と化した髭が生きているはずもない。片目はもう一度舌打ちをして、ゴブリンをまとめて吹き飛ばして馬車に向き直り、横転して露わになった馬車の底に向けて斧を袈裟懸けに振るう。
「うるぅああ!」
その力ある一撃は馬車の底を破り、紳士と王女の姿が割かれた底から見えた。片目は背後のゴブリンが迫る前にとばかり、一息に馬車の底を蹴破り、再度、今度は紳士目掛けて
『闇の矢』
「ッぐぅ」
左胸を撃ちぬかれ、力なく馬車の中へ倒れこむ。それを見て紳士はようやく王女の横から立ち上がり、手にした漆黒の杖を一瞥した後、残ったゴブリンたちに目を向ける。
「おや、まだこんなに残っているのですか、ふふ、いや失礼。雑魚とはまさにこの方たちのことでしたね」
さて、と言いつつ底に空いた穴から紳士は、血に靴が汚れぬよう注意しつつ、シルクハットを右手で押さえながら外に出る。突然敵が二人死にたえた戸惑いからか攻撃の意思を見せないゴブリンたちと向き合い、シルクハットを右手で胸に当て漆黒の杖を左手に掲げ軽く頭を下げる。そして、この任務最後の仕事となるだろう呪文を放つ。
『我と汝らとの契約、その死をもって終となす、契約破棄』
紳士の前に、薄暗い光が呪文に合わせて文字を描いた。唱え終わると、文字は杖に吸い込まれ、代わりに杖からゆらゆらと黒い靄が立ち上り、飛散していく。
そのうちの大半は目の前のゴブリンたちに向かっていき、靄に囚われた者から順に靄に包まれていく。
やがて紳士の目に映るすべてのゴブリンが靄に包まれた頃から、晴れていく靄があった。
しかし、そこにすでにゴブリンの姿はなく、靄とともに、ゴブリンたちもその姿を消していく。
闇の上級魔術『契約破棄』。
召喚した魔物と契約を結び、その使役を可能とする『使役契約』と対になる魔術である。
魔物の召喚方法が限らており、なおかつよほどの魔術士でなければ行使すら難しい上級魔術とあって、その術を知るものは少ない。
「ふぅ…さすがに少し応えますね、ふふ、いや失礼」
体内の魔力を多く消費したための疲労だろうが、ともかく、この紳士が使役していた魔物のうち、生きていたものは全て消えたことは間違いない。
紳士は似つかわしくない嫌らし気な笑みを湛えたまま、血だまりを避けつつ王女の傍に寄る。
腰を落として王女を抱え上げ、
「ふふ、失礼。ですが、どうやら上手くいったようですね。これで、知るものもないままに、王女を届けることができ」
ます
と言い切らぬうちに、
「あれ?この馬車って…」
ソクラが、街道に辿り着いた。
街道を目指す内に、金属音が消えた。
焦燥を強め、後もう少し、というところで闇魔術の靄が上がるのを見た。と、少し遅れて森が切れる。
そこで彼が目にしたのは、街道に横たわる緑色の馬車の天井。
その細部の装飾や引いていた白馬を見れば、ひと目で高貴な者が乗っていたであろうことが分かる。
そこで思ったままに述べた感想だったが、それ以上馬車について考察する間もなく、暗い気配を感じてすぐさま魔法陣の紙束を展開し、周囲に注意を向ける。
「ほぅ、それは魔法陣ですか?ふふ、いや失礼、魔法陣をそのように扱う方は初めてみたものでして」
真っ黒な紳士が、そこにいた。
その細身の全てを、黒い紳士服に包んだ男。
タイどころかシャツまで真っ黒で、シルクハットに入った一筋の白い線だけが、その服装の中で黒以外の色だった。つばの広いシルクハットで目線は見えないが、紫色の唇がにぃと歪んでいるのが目に入る。しかし、ソクラの視線はその男のすぐ脇、地面に横たわる縛られた少女と禍々しい気配を放つ漆黒の杖に向かっていた。
「お前は、人さらいだな」
「おや、いや失礼。紹介が遅れましたね。ふふ、いや失礼、しかしながら、私は貴方に名乗るほどの者ではありません」
真っ黒な紳士はそれでもシルクハットを胸に当てて軽くお辞儀をする。七三に固められた黒い髪と、白粉を塗り立てたような青白い顔。警戒を強めるソクラに、そこで、ギョロリと大きく血走った目が向けられる。
「それと、私は人さらいではありませんよ?この御方を人さらいと魔物から助けたところです」
「な、なんだ、そうな、いえ、そうでしたか、こちらこそ失礼しま」
した
と頭を下げようとしたところで、
『闇の矢』
声を聞くやいなや、警戒を些かも解いていなかったソクラはすぐさま横っ飛び、魔法陣を撫でる。『闇の矢』が脇を通り過ぎるのを感じつつ、魔法陣が発動してこちらからも『鎌鼬』で攻撃を仕掛ける。紳士はそれを驚きの目で見ながら回避動作に移る。
「おぉ、『鎌鼬』の魔法陣ですか。ふふ、いや失礼、っと、これは!?」
魔法陣は、日常で使われるものならばまだしも、このような攻撃魔法の陣はあまり知られていない。軍事的にも有用なためその研究は盛んだが、成果があるとはいえない。或いは、よしんば開発に成功しても秘匿されることが多く、その陣を個人で知ることには、非常な価値がある。もちろん、この『鎌鼬』も同様で、少なくとも一般には開発されていないことになっている魔法陣だ。
そのため紳士は興味を惹かれたが、回避を始めたところで、その更なる異常性に気づく。
普通、魔術は発動したが最後、その効果を制御することはできない。一方で、初級の攻撃魔術は一直線に飛ぶことが知られている。
しかし、この初級魔術であるはずの『鎌鼬』は、明らかに避ける紳士に照準をあわせ、その方向を変化させている。何とか避けきろうと必死に左右に身体を振るが、一向にその目標を違えずこちらへと向かっている。
戸惑う間もない、仕方なしに『鎌鼬』と自身の間に
『闇の壁』
を唱える。壁ができた後でも『鎌鼬』が方向を変えないことを確認して、それでも『鎌鼬』が闇に飲まれるまで視線を外さない。
ソクラはその様子を追撃もせずにじっと見た後、紳士に言う。
「その子を置いていくというなら、命まではとらない」
「ふふ、いや失礼、どうやら随分と紳士的なようですね。いや失礼、紳士は私でしたか。それにしても」
「余計なことは言うな。次に攻撃のそぶりが見えたら、命はない」
「…わかりました。今の私では、貴方の相手にはなりそうにないですね」
ぎょろりとソクラの胸の前に広がる魔法陣が描かれたと思しき紙束を見やり、首を振って答える。
「よし、なら次は杖を置いて」
口を閉じろ
『闇の門』
同時に口を開いて、ソクラがあっと思う間もなく、紳士の姿がソクラの目から消える。
闇の上級魔術『闇の門』は予め魔術的な仕掛けを施した場所へ自らの影を通して移動する魔術だ。
呪文の詠唱短縮は、その利便さの代償として非常に大きな魔力を消費するため、呪文の完全詠唱なしに上級魔術を発動するのは魔術師でもなければ不可能とされる。ソクラは、紳士から師たちほどの魔力を感じられなかったために、油断してしまった。
今にして思えば、あの杖…神器なみの力を感じた。
恐らく神器にも匹敵する力を秘めた魔道具の力を借りて、短縮発動に成功したのだろう。
ともかく、魔道具も本人も力を大分使ったはずで、当分の安全は保証された。
ソクラはそう判断して、辺りをひと通り警戒した後、倒れたまま身じろぎひとつしない少女に駆け寄った。
「大丈夫?ねぇ…」
「…」
声を掛けても揺すっても返事のないことに、魔術的な要素を感じ、すぐに意識を回復させることは諦め、立ち上がって少女の戒めを解き始める。と、やや戦闘で高揚した精神も落ち着いてきたのだろう、少女を改めて見やる。
銀色に輝く長い髪は、今でこそ土埃に塗れてしまっているが、少女が立ち上がれば腰まで届くと思われ、風が吹くたびに彼女を銀色の光に包ませるだろう。すっと通った鼻筋や小ぶりで瑞々しい唇、凛々しげな銀色の眉を持つ整った顔立ち、透けるような白く瑞々しい肌、と何をとってもどれほどの人形でもかくやというほどで、幼いながらも女神のような印象を感じる。しかし、その美貌も霞むほどの
なんて魔力なんだ…
魔力に鈍いソクラでさえ感じるのだ、恐らくこの世界に住むどんな人間にも感じられるだろう。
いや、感じるどころではない。
見えるのだ。
その少女の身体は、溢れんばかり、いや、実際溢れ出る魔力によって淡い青緑の光を帯びている。
およそ世界最大の魔力を持つと考えられる魔術師でさえ、このように視認できるほどの魔力を持ったものはいなかった。
本当に、女神なんじゃないだろうか…
などと、その美貌と魔力に見とれて両手の縄を解いていた手を止めてしまっていたソクラだったが、魔術師という言葉から姉を想像してぶるりと身を震わせると、あぁ、と現に戻って戒めを改めて解いていく。
やがて両足の戒めも解き放ち、最後に猿轡を外そうとして、おや、と首に目をやる。
夥しい魔力が感じられる細い金色の首輪。
正面に緑色の魔石が嵌めこまれ、その周囲を中心に首輪全体に魔法陣が描かれている。
どうやら裏側にも魔法陣はつながっているようだが、それでも、見える範囲でそれがどのようなものか理解した途端、ソクラは先程の紳士に対して感じていた怒りを再燃させて
「くそッ」
と憤る。
それは、奴隷の首輪であった。