違和感の発芽
今日、突然何かが変わるとしても。俺はその時まで全てを楽しみ、受け入れよう。例え今までの日々が粉々になったとしても、俺は悔いの残らないようにしたい。今の日常にありふれた、飽食した幸せを精一杯感じよう。
そう心の中に決め、学校への道を自転車で漕ぎ出す。太陽はいつもより明るく、空はどこまでも澄み渡っていた。俺の心も、それに劣らぬ位に広々として、輝いている。
つい昨日までとの俺とはまったく人が違ったようだ。昨日は、少々悪い方向に物を考えすぎたんだ。これからは気をつけないと。これじゃ、ホントに心身ともにまいっちまうなぁ。あはは……。
……こんなに気分が良いのは、恐らく昨夜見た美しい世界のおかげだろう。あの暖かい光に見とれているうちに、心の中の汚れはすっかり落ちてしまっていた。
学校に着き、校門をくぐる。いつもは見慣れているはずの学校が、これまた昨日と打って変わって、何か素晴らしいことがありそうに見えた。クラスメートの顔もいつもより健やかに見える。いつも目の前にあったはずの幸せを、かみ締めながら教室へ向かう。ホントはもっとゆっくり歩きながら、この幸せをかみ締めていたかったのだが、それだと時間が無くなってしまう。せわしなく動く時計の針に驚かされながら、力強く走り出した。
教室に入っても、別に何も変わらないいつもの風景。誰もが笑顔で談笑し、賑やかに過ごしている。だが、そこにはいつもと見慣れない輝きがあった。
……当然か。俺が今日、ポジティブに物を考えたから、全てが明るく見えるのだ。ああ、毎日をこう過ごせば良かった!何て勿体無いことを。今度からもっと明るく生活して、この幸せを謳歌しなければ!
そうだよ。俺が変われば俺の周りだって変わるのだ。俺が望んだから。幸せの世界を少しずつ築き上げていくことが出来ていくんだ。
………………だから。一瞬目の前の光景にちょっと驚いた。そこにあるのは凄惨な出来事じゃない。取るに足らない事だと言えば、それで終わるような事だった。……でも、俺の心の中にはそれが少し引っ掛かる。
俺の席の前は、大樹の席だ。その隣には、魅喜の席が。二人とも、いつもは俺より早く登校して、ここで馬鹿騒ぎをしているか、やり忘れた宿題をやっているかのどっちかなのだが。……今、目の前の席には大樹と魅喜の姿を確認できなかった。
「……どったのかねぇ?トイレに行ったのか?でも、もうベル席の時間だし……遅刻か?それとも休みか?」
いつもは元気に登校していても、ある日怪我や病気で休んでもそんなに不思議ではない。(超が付く位の健康優良児なら話は別だが。二人ともそうではない)
だが……何と言うのだろう。虫の知らせ?……とにかく。何か良くないことが起こりそうで、少し不安だった。
「……バッカ!こんなネガティブな考えをしてしまったら、また昨日と同じになっちまうぞ!」
自分に言い聞かせて、おとなしくチャイムが鳴るのを席で待つ。やがて、校門が閉まる音と同時に、チャイムが学校中に鳴り響く。
その音と同時に現れたのが……大樹と魅喜だった。二人とも息を切らせている。すぐに席に着くと、深く深呼吸をした。
「おっはよ、大樹に魅喜!どうしたんだい?今日は朝からランニングかぁ?」
明るく努めようとして、最高だと自信を持って言える位の笑顔で話しかける。俺はそこで、同じ位の声で返してくれる事を期待していた。
「よぉ、おはよ!勇気!」
「元気ねぇ。今日はどったの〜?可愛い子にでも出会った?」
大樹も魅喜も、俺の期待通りに返事をしてくれた。それを見て、自分の憂鬱がいかに下らない事だったかを知る。
「違うって。かわいこちゃんなら、俺の目の前にいるさ」
「え……えぇっと……それってどういう意味……」
「おおっと、勇気が積極的なアプローチ!二人の間に愛が、」
突如、魅喜のデジモンのストラップが大樹の鼻先に叩き込まれる!
大樹は絶叫しながら床を転げまわり、机や教壇に体を激しく打ちつけ、魅喜は怒ったような、でも少し照れた顔をして席についた。
……俺が変われば、昨日までの暗い世界は無かった事になるんだ。だから、この笑顔を何時までも絶やさないようにしたい、仲間達との愉快な時間を何時までも永らえさせていたい。それが続く限り、友達同士で恨みあう、おかしな世界はやってこないのだから……。
「さぁて、飯の時間だ!今日のはコンビニのアンパンだけじゃねぇぜ!?牛乳とプリン付だああぁぁぁ!!」
誇らしげに、ビニール袋から今日のデラックスランチを取り出してみせる。ふっふっふ……どうだ、この完璧な昼食に言葉が出まい……!そして、それを俺様が食べるのを羨ましげに見るしか出来ないのだ!
……確かに皆言葉を失っていた……。なにやら苦笑しているし……。何がおかしいんだ?
「う……うん。確かに凄いわよね。プリンもついてるし……」
「あ……勇気。もし足りなかったら、遠慮しないで俺達に言えよ。少しぐらいなら分けてやるから……」
何だって俺が昼食を分けてもらなけりゃならんのだ。こんな完璧な料理があるのに、他に何を望む?
「あ……俺の今日の昼食はさ。デミグラスソースハンバーグに、苺のショートケーキだからさ。何か欲しいのがあったら言えよ」
「私のはステーキセット弁当だし……何枚かはあげるよ。ほら、勇気ってこういうのが好きでしょ?」
……上には上がいたのだ。
俺がコンビニで昼食代を500円以内にして、なおかつ満たされる食事を悩みぬいたのに……!こいつらはそんな俺の苦労を……
所詮、俺は井の中の蛙、って事か。こんな3時のおやつみたいな飯で喜んでる俺は、魅喜や大樹にとって、どんな風に見えているんだろうか……。
「気にするなよ、勇気……。別に<かなり安そう>とか思ってないから……」
「そうだよ……あたし達、<腹が満たされなさそうだなぁ>なんて考えないし……」
「うわあぁぁああぁぁぁ!!この鬼達め!高校生なのに、小遣いなんて一度たりとも貰ってない事を知っていて、そんな事を言っているのかあぁぁぁ!!」
「「あ、ご、ごめん……」」
二人の声が見事にハモる。
「正直に言えよ!心の中で俺の弁当を見て思ったことを正直に話してみろぃ!」
「「うわぁ、貧乏だなぁ」」
俺の思ったとおりの言葉が返ってくる……。うう、そんなに安っぽいのか!?
世界には恵まれない子供もいるというのに、こいつらはなんて贅沢なことをっ!
「ち、ちきしょ〜〜〜〜!!!俺の小遣いなんてなぁ、公園や道端に落ちている小銭を拾って集めただけなのに……!」
「「うわぁ、がんばってるなぁ」」
ここまで綺麗にハモられると、すごく自分が惨めに思えてくる……
ああ、我が人生は他人にはどう見えているんだろうか……。
「うるせぇ!そんな贅沢なことばかり言っている貴様らは修正してやる!はい、指導指導指導指導指導ぉぉぉぉぉ!!」
両手を振り上げ、二人を追い回す!少々の障害物など、今の俺にとっては無いに等しい!!
序盤、大樹と魅喜のトリッキーな移動に惑わされたが、途中で大樹が机に足を引っ掛け、俺の有利に!足の力を駆使し、大樹に飛び掛る!
手をのばし、あと少しで大樹の首元に届く!
「終わりだああぁぁぁ!!!覚悟しろやあぁぁぁ!!」
その瞬間、体中から力が抜ける。
膝をつき、バッタリと倒れこんでしまった。
「ど、どした?勇気?」
「うぅ……お腹がすいて力が出ないよぉ……」
今までの全力鬼ごっこを見ていた全員が、笑い出す。大樹も魅喜もつられて笑い出す。
俺は腹がすきすぎて笑い出せそうに無かった……
立ち上がり、服についた埃をはらう。……腹の虫が、飯はまだかと叫んでいた。
「まずは飯を食おうぜ……ホント、力が出ない……。はやく俺のデラックスランチを、」
「ごめん、ちょっとトイレに行って来る。それまで飯は待っててくれないか?」
「私もトイレに。待っててね」
いきなり言葉を遮られる。
「……そうなのか。んじゃ、早く戻ってきてくれよ。お前らの弁当楽しみにしてるから」
大樹と魅喜は、二人で教室から出て行った。
後に残された俺は、自分の安いデラックスランチを取り出し、飯の準備をする。
おかしいなぁ……。突然、空腹感がどこかに消えうせてしまっている……。
その代わりに残るのは、昨日宿したあの薄暗い気持ちのみ。
……たまたまタイミングが悪かっただけなのだろう。意図的に俺の言葉を遮ったわけがあるわけないじゃないか。
ほら、そんな悪い考えは捨てて明るく努めようじゃないか。そんな悪い考え、するだけでも毒にしかならないんだから……。
……俺の心には小さな灰雲が出来ていた……。でも、それがどう成長するのか、なんて考える必要は無い。だって、こんなにも楽しく、晴れた日に雲が空を覆うことなんてありえるわけがないんだから。
『…………本当に?』